ミラノオリンピックで金メダルを獲った「りくりゅうペア」のブレードをつくったのは名古屋にある創業99年の老舗特殊鋼商社山一ハガネだ。きっかけは「民間ではうちにしかない」という特殊な技術。
ライターの中谷秋絵さんが取材した――。
■金メダル支えた老舗特殊鋼商社
ミラノ・コルティナオリンピックのフィギュアスケートペア種目で、日本人初となる金メダルを獲得した「りくりゅうペア」こと三浦璃来選手と木原龍一選手。
2人が使うスケートシューズの刃の部分「ブレード」をつくる会社が名古屋にある。1927年創業の特殊鋼商社、山一ハガネだ。創業99年の老舗企業は、自動車部品の金型部品をメインに製造してきた。
この山一ハガネが開発したのが「YS BLADES(ワイエスブレード)」だ。北京五輪で銅メダルの宇野昌磨選手、ミラノ五輪で銀メダルを獲得した鍵山優真選手など、名だたるトップスケーターたちが愛用している。
しかし、山一ハガネはスケート用品の専門メーカーではなく、あくまでも特殊鋼商社だ。スケートの専門知識があったわけでもなく、一般消費者向けのBtoC事業の経験もほとんどなかった同社が、なぜメダリストたちに愛されるブレードをつくることができたのか? 社長の寺西基治さんと開発マネージャーの石川貴規さんに話を聞いた。
■小塚崇彦選手のブレードに驚いた
山一ハガネのブレード製作は、バンクーバー五輪などに出場した小塚崇彦選手が2013年に来社したことがきっかけだった。山一ハガネの顧問税理士と小塚選手の父親が幼なじみだったことで、会社に高いレベルの測定器と加工設備があることを知った小塚選手が「足型を作ってほしい」と、訪ねてきたのだ。
小塚選手はそれまで、スケート靴を新調するたびにヨーロッパに行っていた。
寺西社長によると、時間もお金もかかるため、足型を製作しそれを送ることで「少しでも無駄が省ければ」という気持ちがあったようだ。
寺西社長は、小塚選手が持ってきたスケート靴を見て、「ブレードの品質にびっくりした」と当時を振り返る。よく見ると、溶接部分に負荷がかかり、そこから折れたり曲がったりなどの不具合が起きていることがわかった。
「うちならもっといいものがつくれるのに」。寺西社長のつぶやきに小塚選手は「ぜひつくってください!」と即座に依頼したそうだ。
■「普通の鉄の板」に見えた
寺西社長から見て、従来のブレードは「一般的な鉄の板のようだった」という。普通鋼では強度が足りずに、曲がったり折れたりしてしまうことが容易に想像できた。しかし、山一ハガネが普段扱っている特殊鋼であれば、スケートの使用に耐えうる特性を持つ素材がある。
また、従来のブレードは、刃の部分と靴に取り付けるプレートを溶接してつないでいたが、溶接の精度および部位による強度の違いにより、回転、ジャンプなど、滑りの際の負荷に耐えられず、折れたり曲がったりする原因になっていた。そのため、寺西社長は「つくるなら削り出しの一体構造しかない」と、すぐに思ったという。「削り出し」とは、機械で素材を目的の形に削り出すため、つなぎ目のない一体構造になる。彫刻のようなイメージだ。

開発を担当した石川さんは、寺西社長から話を受けた時、「いつも金型をつくっている技術を応用すれば、できると思った」という。
■山一ハガネという会社
そもそも山一ハガネとはどういう会社なのか。同社は1927(昭和2)年に、現社長の祖父が創業。戦前からさまざまな形状、材質の特殊鋼材料を扱い、顧客が必要な分量を納めるビジネスを行っていた。
3人兄弟の次男として生まれ、「当然兄が会社を継ぐのだろう」と考えていたという寺西社長。大学卒業後に勤務した大手メーカーで海外赴任(アメリカ)を経験。「見るもの、体験するもの、すべてが楽しかった」と当時を振り返り、自ら計画、行動し結果を出すといった海外での経験が、現在のチャレンジ精神の源泉にもなっているという。
駐在中のある日、当時の社長である父親から会社に戻るよう連絡が入った。家業を継ぐことなど考えていなかったが、紆余曲折を経て、1995年、山一ハガネに入社した。
当時は猫の手も借りたいような人材不足だったこともあり、個性的な人が多く、危険な仕事のやり方も蔓延していた。
前職との大きな環境の違いに驚いたと苦笑する。「まず社内体制を見直さないといけない」と改革に乗り出す。
まずは就業規則を整え、次に在庫管理に着手した。当時は、現場に見に行って長さを測ってみないと何がどれだけあるかわからない、材料を取り出すのに半日かかる、棚卸しで数千万単位の誤差が発生するなどのアナログな管理体制だったからだ。
■在庫管理ソフトを開発、一気に仕事がラクに
在庫を探す、取り出す、機械に載せる、切断する、機械から降ろす、また次の材料を載せる――と、鋼材の販売には多くの工程がかかる。しかも、山一ハガネの主な取り引き先は大企業よりも中小企業が多い。大きな材料をどんどんカットして量をさばけばいいわけではなく、顧客によってどの材質をどれくらいのサイズ、個数で欲しいのかはバラバラだった。在庫が整理されていなければ当然時間の無駄が発生する。
寺西社長はまず、現状を把握しようとデータを分析。そのうえで、素材ごとの在庫管理ソフトを開発した。
当初は、周りから「なぜそんな金にならない仕事をするのか」と理解を得られなかったが、わざわざ現場に行かなくても在庫が把握できるようになり、社員からも「仕事が楽になった」と認められた。そうしたことを経て、1999年に寺西社長は社長に就任した。
■「このままでは将来性がない」という危機感
しかし、当時は「鋼材を切って売る」ことがメインの仕事だった。山一ハガネが素材を売った後に、いくつもの会社が間に入り、やっと大手自動車メーカーグループに渡るような状態。
当然、各会社が粗利を乗せて販売するわけだが、その分、自社の利益は少なくなる。「付加価値がないと、この商売に将来性はない」と危機感を抱いていた寺西社長は、現場の管理手法を見直し、素材の仕入れから加工、測定、配送までを一貫してできる「ファクトリーモール」の構想を抱くようになる。
在庫管理の体制を整えた後は、「加工」に手をつけた。面を削る加工、次に熱処理の加工……と少しずつ設備を揃えていく。建物、設備合わせて10億円を超える設備投資を推し進め、材料の保管と切断・供給機が一体となった全自動のシステムも導入した。
「最初はとにかく周りから反対されましたよ。機械を導入しようとすると、1台1000万円だったとしてもそれだけでは済まないんですよ。前工程、後工程の機械も必要になるし、それを置く場所もいる。結局10倍くらいの金額がかかるので、重圧もあります。でも、『このままじゃ将来性がない』という危機感から、一社でなんでもできるファクトリーモールは絶対に必要だと思っていました」(寺西社長)
設備を整え、事業を拡大してきた寺西社長には、ずっと考えていた「ブランディング」の一環として、「BtoC事業をやりたい」という想いがあった。山一ハガネが普段行っているBtoB事業は表に出ることがなく、一般の人に認知されないため会社の魅力を伝えづらい。「何をやってるかよくわからない会社なんて、入社してもらえないだろう」と考えていた。
しかし、BtoCといっても何をやっていいのかはわからなかった。
ぼんやりした思いだけを抱えていた2015年、転機が訪れる。中部国際空港セントレアの10周年記念事業で「ワインボトルのストッパーをつくってほしい」という依頼が来たのだ。限定200本の生産で収益度外視だったが、一般の人の手に商品が渡るのを見て、寺西社長は「やっぱりこれだ」とますますBtoCへの意欲を強くしていく。
■10キロの鋼材から3%を削り出す製法
話をスケートブレードに戻そう。前述した通り、山一ハガネでのブレード開発は2013年に小塚選手が来社したことがきっかけで始まった。この時、加工チームのマネージャーだった石川さんが担当についた。
寺西社長は「トップスケーターは当然特別なスケート靴を使っているものだと思っていたのに、小塚選手が持ってきた靴は私たち一般人がリンクで借りるようなものと変わらないように見えました」と当時を振り返った。小塚選手は「みんな貸し靴と一緒ですよ」と答えたという。
この時、寺西社長は「うちの特殊鋼を使えばいいものができる」と確信していた。
特殊鋼とは、クロムやタングステン、モリブデン、ニッケルなどの合金元素が添加された鋼材のこと。硬度や耐熱性など、さまざまな特性を持つ特殊鋼が存在し、用途によって使い分けられる。
この素材を専門に扱う山一ハガネは、用途や形状に合わせて、どの素材を使えばいいかを熟知していた。ブレードとして使うのであれば、硬さはもちろん、粘りも必要だ。硬すぎればポキッと折れてしまい、粘りが弱いとぐにゃっと曲がってしまう。
また、前述したように鉄同士をつなげる溶接の部分がどうしても強度が弱くなるため、削り出しの一体構造でつくるしかないと考えた。しかし、実際にブレードを作ってみると、10キロの特殊鋼のうち残るのは3%だった。
「最初は収益うんぬんよりも、まず本当につくれるかどうかでしたから。それに、これがうまくいったら喜んでくれる人がいるよねって、それだけでした」(寺西社長)
■自動車産業のミクロン単位のモノづくりが活きる
寺西社長は「従来のメーカーと同じことをしても、中小企業の我々に勝ち目はない」という考えを持っていた。他の誰もやっていない削り出し製法でスケートブレードを作るのなら、やる意義がある。しかも、当時は国内でスケートブレードをつくっている会社はどこにもなかったから、まさにオンリーワンだ(※現在は、新潟県燕市の有志企業が集まり「燕ブレード」を製造している)。
加工方法に関しても、山一ハガネには十分な自信があった。自動車部品の金型製造の業界は年々精度が厳しくなり、ミクロン単位が求められる。紙1枚が約70ミクロンなので、その14分の1ほどの精度だ。当然、人間の目には見えない。
「普段やってる金型製造がミクロンの世界なので、品質には自信があります」と、開発マネージャーの石川さんは胸を張る。
では、目に見えない精度をどうやって担保するのか。山一ハガネではミクロン単位の精度を保証する三次元測定機を保有している。ISO17025を取得し、試験所認定を持つ設備で、他社からも測定を依頼されるという。
この噂を聞きつけた小塚選手が、正確な足型を取ってもらおうと来社したというわけだ。小塚選手とのつながりは運によるものだったかもしれない。しかし、これまでに山一ハガネが地道に築いてきた技術力がつないだ縁でもあった。

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中谷 秋絵(なかたに・あきえ)

インタビューライター

名古屋市在住。インドでの就業や事務職などを経て、2021年よりライターとして活動。経営者インタビューや地方創生、地域企業の挑戦をテーマに取材を重ねている。熱意を持って行動する人々の物語を発信し、社会をよりよくするヒントを届けることを目指す。インドダンスのパフォーマーとしても活動中。

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(インタビューライター 中谷 秋絵)
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