日本のエネルギー政策はどうするべきなのか。ドイツ在住作家の川口マーン惠美さんは「脱原発へと舵を切ったドイツが今直面しているのは、産業の衰退と、電気代の高騰だ。
エネルギー危機を背景にEUが原発回帰を表明するなか、ドイツだけが取り残されている」という――。
■報道に感じた“ひっかかり”
福島第一の事故から15年が経った。
夜8時の第1公共放送のニュースは、壮絶な津波の映像と、その日に催された追悼行事の様子を流していた。
福島でこの日に起こったのは、「地震」、「津波」、「原発事故による複数のメルトダウン」という「三重のカタストロフ」だったとアナウンサーは言った。
そのあと、「放射能汚染」という言葉と共に、当時のままに放置されて廃墟のようになった住宅や、見渡す限り並んでいる汚染土の黒袋といった陰鬱な映像が流れ、見ている私までが悲しくなった。
袋の横で作業している人たちの姿は力無く、福島には二度と笑いは戻ってこないかのような悄然とした雰囲気が漂っていた。このニュースを見た人の心には、15年経ってもこうなのだから、やっぱり原発は怖い……という感情が強く残るだろうと思った。
一方、アナウンサーが冒頭に、「このカタストロフでは約2万人が死亡」、「その多くは高さ数メートルにも及ぶ津波の犠牲者であった」と言っていたのが、心に引っかかった。
というのも、何も知らない視聴者がこれを聞けば、1~2割は放射能による犠牲者だと勘違いするのではないかと思ったからだ。
蛇足ながら、独立系のニュースが福島の事故を取り上げる時は、「放射能による死者は確認されていない」という日本と国際機関の発表をちゃんと付け加えることが多い。
■この種の“うっかり”は過去にも…
奇しくもその翌日、バイエルン放送(第1公共放送の連盟局の1つ)が、前日の福島の報道について訂正を出したという話を読んだ。津波の犠牲者を、放射能による犠牲者と誤解する表現であったからだという。

ただ、この種の“間違い”は初めてではない。
たとえば、福島の原発事故の数日後に、バーデン=ヴュルテンベルクというCDU(キリスト教民主同盟)の牙城で州議会選挙があり、反原発を掲げる緑の党が唐突に政権を奪取するというハプニングが起こった。
そして、この選挙の直前、ある緑の党の政治家は盛んに、犠牲者のほとんどが放射能によるものであると誤解させるようなツイートをしていたのだ。
それが原因で同州の政権交代が起こったとは言わないが、バイエルン放送の件も、私の脳裏には、これは本当にうっかりしただけだったのだろうかという疑問が湧いたことは事実だ。
■原発爆発の無音映像に“爆発音”を追加
ドイツでは、原子力を蛇蝎のごとく忌み嫌っている人が非常に多い。
反原発は社民党や緑の党の長年の主張であり、さらに、公共、および主要メディアの多くが、その主張を共有している。ドイツの主要メディアは左派なのだ。だから、ぼんやりしていると巧みな印象操作に巻き込まれてしまう危険がある。
一番ひどかったのは、事故の当時、公共第2放送が、遠くから望遠で撮影していた原発の水素爆発の映像に、迫力をつけるためか、爆発音を入れたこと。
ドイツの公共放送が、福島の事故を悲劇として取り上げるのは、確かに悲劇なので異存はないが、反原発のプロパガンダに使われては不愉快だ。そんなわけで、福島についての報道には、私はいつも、つい耳をすましてしまう。
特に、今回はいつもより神経を尖らせた。
というのも、その前日の10日、パリで開かれた国際原子力サミットで、EUの欧州委員会のフォン・デア・ライエン委員長(EUの首相に相当)が、「今後EUは、小型の原子力発電を推進する」と爆弾宣言をしたからだ。
そこで私は、もし、メディアがこれに反発を感じているとすれば、翌日の福島原発事故後15年というニュースを、利用しないはずはないと勘ぐったわけだ。
■EU委員長「脱原発は誤りだった」
フォン・デア・ライエン氏は、欧州委員長に就任した2019年12月以来、一貫してGX(グリーン・トランスフォーメーション)を掲げ、化石燃料潰しに専念してきた。また、原発に対しても批判的だったのに、それが突然、「世界各地で起こっている原発ルネッサンスにEUも参加し、効果的なエネルギー供給を促進する」意向を明らかにしたばかりか、ドイツの脱原発は「戦略上の誤りであった」とまで言い出した。
しかも、原発に投資する民間企業には、安全対策コストに対する補助として、2億ユーロを与える。つまり、原発は突然、善玉になった。180度の転換である。
主力として推進するのはSMR(small modular reactors)で、EUは小型原発の世界のメッカになろうとしている。脱原発を核心的なエネルギー政策としてきたドイツにしてみれば、思わぬ強烈なパンチを食らった形となった。
緑の党や社民党は、即座に強い反発を示した。
シュナイダー環境相(社民党)は、「原発回帰は退行する戦略だ。風と太陽こそが、クリーンで、安全で、安価なエネルギーである」。
また、緑の党のベテラン議員、ゲーリング=エッカート氏は、「根本的な間違いは、原発を未来のテクノロジーとして議論の場に持ち出すこと。原子力は高価で、のろくて、危険だ」。
■産業ボロボロ、電気代は日本の倍
真実はだいぶ違う。
EUが必死で方向転換を図る背景には、これまで鉦や太鼓でGXを鼓舞してきたせいで、産業がボロボロになってしまったという過酷な現実がある。
脱炭素と産業の発達は両立するというテーゼは、疑う余地のないものとして演出されたものの、全く機能しなかった。その結果、今や世界の投資家の目は、EU以外のところに注がれている。
とりわけ悲惨なことになっているのが、GXに一番のめり込んでいたドイツだ。CO2を出さない原発を止めてしまった失策はさておくとしても、石炭・褐炭もフェードアウト中だし、頼りにしていたロシアのガスは遠い彼方。たっぷりあるのは、せっせと増やした3万本の風車と540万枚の太陽光パネルのみだ。
その結果、どうなったかというと、ドイツの電気代は、今、EUで一番高い。
どれくらい高いかというと、EU平均が0.28ユーロ(約51円※)/kWhなのに対し、ドイツは0.38ユーロ(約70円)/kWh。電力会社やプランにもよるが、日本の目安である31円/kWh(全国家庭電気製品公正取引協議会)と比較すると2.3倍だ。

※筆者註:1ユーロ=183円(2026年3月現在)のレートで換算
大企業への電気代の補助は、“国際競争力の維持”という名目で行われているが、中小企業と家庭の電気料金は補助されていない。ドイツで東京都と同じ量を使えば、現在、円安レートのせいもあるが、計算上では電気代は4万円を優に超える。直近では、イラン紛争の影響で、ガソリン代も急激に上がっており、家庭のエネルギー負担は類ないものになっている。
しかも、原発の代替は再エネでは叶わず、電力逼迫時には石炭・褐炭火力を立ち上げるので、CO2の排出量もEU一。
■だから企業は国外へ逃げていく
ただ、高いエネルギーを使って、高い製品を作っても誰も買ってはくれない。だから、エネルギー多消費型の企業は諦めて国外へ逃げ、現在、深刻な産業の空洞化が進行している。逃げられない中小企業は、倒産、あるいは閉店の憂き目に合う。
ドイツの稼ぎ頭であった自動車産業も例外ではない。
ガソリン車とディーゼル車の終焉を宣告され、慣れないEV生産に走ったものの、売れ行きは極度に不調。ポルシェに至っては、25年の営業利益が前年比で9割減と壊滅状態。
一方、EVを強制された国民も、高いドイツのEV車には手が届かず、安い輸入車に流れる。いい加減に脱炭素をやめなければ、全て取り返しのつかないことになる。

そんなわけで、この度のフォン・デア・ライエン氏の原発回帰宣言は、左翼には嫌がられても、産業界や国民には肯定的に受け入れられるだろうと予想された。
そもそもメルツ氏(CDU・キリスト教民主同盟)は、昨年の総選挙の時、「原発の再稼働」を公約に盛り込んでいたのだが、社民党と連立したため、政策協定書には原発の「ゲ」の字も入れられなかったという経緯がある。
しかも、今、ウクライナやイランでの紛争のせいでますますエネルギーの逼迫が懸念され、あれほど原発嫌いだった国民の間にも、もうしばらくは原発が必要だという意見が急激に増えてきた。CDUの中には、元々、原発容認派の議員も多い。
■独首相が放った驚愕の“一言”
だから、メルツ氏は、フォン・デア・ライエン発言を好機と見て、一気に世間の空気を原発稼働に導くだろうと、皆が期待した。
ところが、同日、メルツ首相は、「我が国の脱原発の決定は修正不可である」と言ったので、私は心臓が止まるほど驚いた。
産業活性のまたとないチャンスを拒絶? 連立を壊したくないばかりに、社民党に逆らえない? メルツ首相の本音は、「社民党が怖いので、原発の再稼働はできません……」?
いずれにせよ、この発言がたちまち炎上したことは言うまでもない。
15年前、ドイツ国民は脱原発を世界に誇り、「いずれ多くの国々がついてくるだろう」と胸を張った。しかし、結局、誰もついては来なかった。今度もまた、EUの方針に背を向け、孤高の民となってしまうのか?
もっとも、メルツ氏は前言を次々に翻す“癖”があるので、このところとみに強くなっている産業界からの圧力で、ひょっとすると、まもなく、口先だけでも原発再稼働を打ち出す可能性はあると思う。
■原発回帰を阻む“壁”の正体
しかし、そうなっても、実際問題としてドイツの原発の再稼働は至難の業だ。
いつかこういう話が出てくることを予想して、絶対に再稼働ができないよう、すでに二つの原発では巨大な冷却塔が計画爆破されているし、廃炉が始まっているところもある。

また、無傷であっても、営業の認可は切れているし、安全審査は最初からだし、技術者を集めるだけでも大ごとだろう。ましてや新しいSMRなど導入するなら、認可だけでも何年かかるかわからない。
さらに言えば、ドイツには過激な極左グループがたくさんある。よもや原発建設の話など持ち上がれば、暴力も辞さぬ彼らが大々的な妨害を始めることは間違いない。電力会社がそれでもやりたいと思うのかどうかは、甚だ疑問だ。
それはそうと、EUが次にひっくり返すのは、おそらくGXではないか。EUのCO2の排出量は、世界全体の6%ほど。もし、多くの国が原発に移行していくなら、厳しいCO2規制など外しても、たいした悪影響などないだろうと愚考する。

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川口 マーン 惠美(かわぐち・マーン・えみ)

作家

日本大学芸術学部音楽学科卒業。1985年、ドイツのシュトゥットガルト国立音楽大学大学院ピアノ科修了。ライプツィヒ在住。1990年、『フセイン独裁下のイラクで暮らして』(草思社)を上梓、その鋭い批判精神が高く評価される。2013年『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』、2014年『住んでみたヨーロッパ9勝1敗で日本の勝ち』(ともに講談社+α新書)がベストセラーに。『ドイツの脱原発がよくわかる本』(草思社)が、2016年、第36回エネルギーフォーラム賞の普及啓発賞、2018年、『復興の日本人論』(グッドブックス)が同賞特別賞を受賞。その他、『そして、ドイツは理想を見失った』(角川新書)、『移民・難民』(グッドブックス)、『世界「新」経済戦争 なぜ自動車の覇権争いを知れば未来がわかるのか』(KADOKAWA)、『メルケル 仮面の裏側』(PHP新書)など著書多数。新著に『無邪気な日本人よ、白昼夢から目覚めよ』 (ワック)、『左傾化するSDGs先進国ドイツで今、何が起こっているか』(ビジネス社)がある。

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(作家 川口 マーン 惠美)
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