※本稿は、青山誠『小泉八雲とその妻セツ 古き良き「日本の面影」を世界に届けた夫婦の物語』(角川文庫)の一部を再編集したものです。
■東京帝大から解雇されて激怒
西大久保に引っ越してから丸1年が過ぎた明治36年(1903)3月、ハーンは東京帝国大学を解雇された。
日露戦争開戦の1年前、朝鮮半島と満州の支配権をめぐり日本はロシアと一触即発の状況だった。三国干渉の時の屈辱を忘れず臥薪嘗胆(がしんしようたん)の思いで富国強兵に励み、大国ロシアに戦いを挑む強力な近代国家に成長している。日本人の自尊心も高まってきた。
もはや、給料の高いお雇い外国人に頼らずとも、日本人の力で近代化をやり遂げることができる、そんな風潮が顕著になっている。東京帝国大学でも外国人の教授や講師との契約を打ち切って、欧米から帰国した留学生に置き換える方針を立てていた。講師の身分でありながら大学総長と同額の高給を貰(もら)っていたハーンは、恰好のターゲットだったようである。
しかし、ハーンの講義は学生たちには人気があった。解任の噂が流れると「ヘルン先生のいない文科で学びたくない」と大勢の学生が大学側に詰め寄り、解任撤回を求めて大騒ぎになっている。ハーンが講義で語る言葉は、ロマンチックで情緒にあふれ、文学好きの若者たちにはツボだった。
■ハーンの後任は明治の文豪だった
ハーンの後任として講師になったのは、この2年後に『吾輩は猫である』を発表して人気作家となる夏目漱石だった。熊本の第五高等学校にもハーンの後任英語教師として赴任したことがあり、ふたりの文豪はなにやら因縁めいたものを感じさせる。
情緒的なハーンの講義とは違って、漱石は英語を理詰めに分析しようとする。それが退屈でつまらなくて「夏目なんて、あんなもん問題になりゃしない」などと、学生たちはハーンと比較して批判した。あげくに受講のボイコットや所属学科の変更を願い出る者まで現れる不人気ぶり。漱石もそれをかなり気にして、
「自分のような書生あがりが、英文学の権威者である小泉先生のような立派な講義ができるはずもない。学生たちが満足してくれる道理もない」
と、妻の鏡子に愚痴を言っていたという。
■夏目漱石の年収は3200万円ほど
しかし、東京帝国大学が漱石に支払っていた年俸は800円(編集部註:現在の人件費の価値で約3200万円)、月給にすれば66~67円(同・約266万円)である。ハーンが貰っていた年俸はその約6倍(同・約1億9200万円)。ロシアとの緊張が高まり軍事費は膨張の一途、その皺寄せで文教予算は大きく削られている。大学も大幅な経費削減をせねばならず、お雇い外国人に高い給料を支払っている余裕はない。
そのあたりの事情はハーンもよく理解している。外国人講師の解雇は時代の流れ、仕方がないとは思っているのだが……事務方は今後の契約について何も言ってこないし、総長や学部長からの話も一切ない。ある日突然に、3月末日での解雇を通告するという事務的な文書が送られてきただけ。そのやり方が気に入らない。冷たい対応に激怒した。
五高を辞めて熊本を去った時の経緯にも似ている。ハーンは日本人以上に不義理を嫌う。情の通ったやり取りがあれば、あるいは、納得して円満に辞任していたのかもしれないのだけれど……。
大学幹部の中にはハーンの解雇を惜しむ者もおり、講義の数を減らして講師を継続させる案も出ていたという。
■1億9200万円の年収を失ったが…
また職を失ってしまった。しかし、セツもいまはこの程度のことでは慌てない。
「パパ様は今度帝国大学の方をお止めなさることになりました。パパ様のことだから私達が食べられないで困るようなことはなさらないだろうけれど、何分普請をした後ではあり、今までよりは収入もずっと減るのですから、お前もそのつもりで我儘(わがまま)をいってはいけませんヨ」(『父「八雲」を憶う』)
(長男の)一雄にはこう言っていた。不安な感じはなく、落ちついて悠然と構えている。作家活動のほうが順調で、十分に暮らしてゆけるだけの原稿料や印税収入があった。そんな経済的なゆとりが態度に表れているのだろうか。また、これまで幾度も危機を経験しながら乗り切っている。その経験からくる自信もあったのだろう。
講師を辞めてからのハーンは書斎に籠って執筆する時間が増え、それを手伝うセツの仕事もまた増えていた。
■死去する年に代表作『怪談』を出版
明治37年(1904)4月にはその集大成ともいうべき『怪談』が出版された。しかし、セツには共作者だという自覚がなかった。『怪談』が出版されて間もない頃、「私が女学校でも卒業した学問のある女だったら、もっと、パパさんのお役に立てたでしょうに」などと、自分を卑下するようなことを言ったことがある。すると、ハーンはセツを書斎に連れて行き、本箱にずらりと並ぶ著書を指して、こう言う。
「これは誰のおかげで生まれた本ですか? あなたが学問のある女ならば幽霊の話、妖怪の話、前世の話……みんな馬鹿らしいと言って嘲笑うでしょう」
中途半端に欧米流の学問を学んだことで、日本人独特の思考や感性を失ってしまう者は多い。セツも女学校で学んだら、昔話や怪談に興味を持って面白がることはなかったかもしれない。
■コスパがいい早稲田大の職を得る
また、物語の内容や本質を分かりやすく伝えることにおいて、セツの右にでる者はない。英語を流暢に喋る高学歴者の話を聞くよりも、彼女がヘルン言葉で語って聞かせてくれるほうが、よっぽど心に響いて創作意欲をかきたてられる。これも女学校で学んで身に付くものではない。
「この本、みんなあなたの良きママさんのおかげで生まれました。世界で一番良きママさんです」
ハーンは傍にいた一雄にもそう言ってセツを褒め称えた。
『怪談』が出版される1カ月前、3月にハーンは早稲田大学の講師に就任した。「東京専門学校ハ明治三十五年九月二日私立早稲田大学ト改称セリ」との司法省告示で“大学”を名乗るようになり、新設学部を増やして規模の拡大を図っている最中。もっと学校の知名度を上げて学生を集める必要がある。ハーンは著名な作家であり、帝国大学では教え上手と評判の人気講師。学校の知名度を向上させて学生を集めるという目的には、もってこいの人材だった。
年俸は2000円(約8000万円)、帝国大学で貰っていた給料の半分以下の額なのだが。帝国大学で受け持っていた講義は週12時間、早稲田ではわずか週4時間。時給で換算すればこちらのほうがよっぽど高給、破格の条件といってよかった。
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青山 誠(あおやま・まこと)
作家
大阪芸術大学卒業。
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(作家 青山 誠)

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