なぜウクライナ戦争は終わらないのか。『悪党たちのソ連帝国』(新潮選書)を書いた東京大学教授の池田嘉郎さんは「ロシアには、ソ連時代から続く『巨大な家族共同体』の意識がある。
そのことをわからないとプーチンの行動は理解できない」という――。(インタビュー・構成=梶原麻衣子)
■ロシアは経済合理性で動いていない
――ロシア・ウクライナ戦争も5年目に突入しました。
【池田】ロシア・ウクライナ戦争が始まった頃に、「合理的に考えればやるとは思えないのに」「対ロ経済制裁が発動して、経済合理性が損なわれれば戦争をやめるのではないか」との解説がありましたが、ロシアは西側的な損得勘定での合理性に基づいて判断を下しているわけではありません。
しかも経済制裁もロシア国民の日常生活に影響があるようなものを対象にしていないので、物不足なども発生していません。
私は経済の専門ではありませんが、ロシアには資源はあるし、自国で生産できるものがたくさんあります。ただ精密機械などは制裁対象になっているため、列車や航空機の部品などは不足しています。そうした点でじわじわと輸送力や戦力に影響が出る面はあると思いますが、今日明日でいきなり経済的に追い詰められて戦争に影響する、という話ではありません。繰り返しになりますが、そもそもロシアは経済合理性では動いていないのです。
■「織田信長のようなもの」
【池田】プーチンは「究極的には力がすべてを決める」という価値観を持っていますから、ウクライナに対しても「弱いのに挑発してきたのが悪い」という発想なのでしょう。
また拙著『悪党たちのソ連帝国』で書いたように、ソ連の歴代指導者はそのキャリアを築く上で何らかの形でウクライナと縁を持つ人物が多く、つまりウクライナはそれだけソ連の中核を成していた。
したがって、ソ連時代に育ったプーチンが、ウクライナはロシアと一体不可分だと考えるのも、ある意味で当然とも言えます。プーチンから見れば、「ウクライナはもう主権を持つ独立国家なのだから、手を出してはいけない」という国際法の理念も、虚構に過ぎないという話になります。

安倍政権時代、官邸周辺の人たちが「プーチンは織田信長のようなもので、現在の我々とは違う、戦国時代のような価値観で世界を見ている」と言っていたという話がありますが、実際その通りだと思います。もちろん、周辺国と仲良くしていた方がいい局面ではそうしますが、行ける、今行くべきだと思えば全面的に力で押し出してくる。力と力のぶつかり合いも辞さないのです。
■トランプはプーチンに憧れているのか
――勝った方が負けた方の領地を治める。同盟関係があったとしてもそれはそれで、時期が来れば破棄して隣国に攻め込む。まさに戦国時代ですね。
【池田】その意味で言えば、プーチンは突然、豹変して暴挙に出たのではなく、外交と軍事力のどちらの使いどころかをその時々、考えて選択しているだけなのでしょう。
プーチンに限らず、ロシア人は基本的にこちらが強く出れば話を聞いてくれます。下手に出て「何とかなりませんか?」という感じで行くと、軽視されてしまう。何らかの妥協に持ち込むにしても、「こちらの立場は譲りません」という姿勢を取った上でないと、妥協さえもできなくなります。
――となると、トランプ大統領的なコミュニケーションはロシアの人にとってはしっくりくるんでしょうか。
【池田】そうですね。
彼自身がプーチンのような立場や振る舞いに憧れている面があるのかもしれませんし、すでにプーチン以上の「世界の大問題」になっている部分がありますが……。
トランプが大きなファクターになっているからこそ、トランプとプーチンが組んでウクライナ戦争を無理にでも終わらせるというのが、一つの現実的な方向としてはあり得るのでしょう。
ただし、仮にクリミアと東部ウクライナをロシアのものとした場合でも、数年後にはまたロシアがウクライナに対して何らかの力を及ぼすために戦争を始めるという懸念はぬぐえません。
■次のロシアの指導者
【池田】今後、ロシアの体制転換が起きてプーチン体制が崩壊し、もう少し西側の話を聞こうという人が権力を取るというパターンも考えられますが、可能性はかなり低い。
あるいはプーチンが寿命を迎えて戦争が終わることはあり得るかもしれません。朝鮮戦争が、スターリンが死んだことでひとまず終わったというケースと同様です。
ただし、ロシアではプーチンと同じような価値観を持つ有能な若手が育ってきています。もちろん、うまく立ち回るために西側との交渉を考えることもあるでしょうが、基本的にはやはり「力がすべて」という価値観を持っている点ではプーチンと同じです。
■ロシア研究者の自戒
――自分が力の信奉者だからこそ、力でねじ伏せられることに対する恐怖があるのでしょうか。日本からすると、あんなに広い領土があり、軍事力もあり、常任理事国で核まで持っているのに何が不満なのかと思ってしまうのですが。
【池田】ロシアは一度ならず周囲から侵略を受け、モンゴルやフランスのナポレオンの侵入を許してきた歴史があります。だからこそ、国境の向こう側にも勢力を拡張したり、緩衝地帯をおいたりして、防禦を固めねばならないのだとロシア人自身もそう言ってきました。

そして私たちのようなロシア研究者も、「ロシアは暴力的なのではなく、歴史的にそうならざるを得ない環境があったんだ」と説明してきたのですが、これはロシア側に立ちすぎたものだったと現在は思っています。
歴史を見れば、ウクライナもバルト三国も、ポーランドも、歴史上、ロシアの侵攻により被害を受けてきた。その視点があまりにも欠けていたと感じています。ロシアの事情を知るのは大事ですが、それと同様に、ロシアの周辺国の事情や論理も知らなければなりません。
同時に、その際に重要なのは、我々や西側とは異なる価値観を持っているからと言って、それを「野蛮だ」とか「劣っている」「遅れている」などと批判しないことです。
■説得で変えることはできない
【池田】例えばロシアの歴史認識をすべて否定して、「キエフ(キーウ)がロシアの故郷だという認識は虚構である」と言ってしまえば、ロシア人としても立つ瀬がなくなります。ロシアの蛮行は批判しつつも、ロシアの文化そのものを否定するのは避けるべきです。
そもそも我々とは違う価値観を持っている人々、文明、文化があることをまずは認める。細谷雄一さんの『危機の三十年』(新潮選書)にも書かれていましたが、欧米の自由主義の基準でそれぞれの国や地域の価値観や文化を測ることはできない。国際法を守らないのはこちらからすれば困るのですが、それを説得や、力づくで変えることはできません。
一方で、これも細谷さんの本に書かれていたことですが、ロシアが米欧の被害者だというわけではないのもその通りです。
ロシアも時には欧米の論理に乗じて自国の立て直しに利用してきました。
プーチンが大統領に就任する際には、欧米の対テロ戦争の文脈を使ってチェチェン戦争で成果をあげたのはその一例です。
■ロシアは「一つの大きな家族」
【池田】さらに言えば、欧米の態度がどうあれ、プーチンは国内に団結力を取り戻したいと考えていましたから、メディア規制や自国民の監視などはやはり進めたでしょう。
また、プーチンは2000年代から愛国教育に力を入れ、1990年代に一度崩壊したロシアの伝統的な家族共同体的なまとまりを立て直すことに力を入れてきました。ロシアは一つの大きな村のようなもので、その範囲にはロシアの感覚ではウクライナも含まれています。
ロシアとウクライナはその家族共同体的な意識の中では一体不可分のものなので、「西側に接近する」「西側がウクライナに手を突っ込む」ことは、ロシアにとっては許せない。むろん、だからと言って侵略を正当化することはできませんが。
こうしたロシアの家族共同体的な意識は、中国の華夷秩序とは異なります。
中国の場合はあくまでも別の国、別の主体として中国に恭順を示すことを求めますが、ロシアの場合は「一つの大きな家族」。くわえて、おおざっぱに言えば欧米のように、まず個人があって、集まって組織を作るという発想ではありません。
ロシアの場合は、まず集団があるという認識です。だからこそ、家族の一員、集団の一員が勝手によそに移ることは裏切りであり、許容しない傾向があります。
■ソ連時代から続く「ムラ社会」
――だから国内でも粛清が起きる。
プーチンのことをヤクザやマフィアに例える人もいますが、いわゆる義兄弟的な感覚が社会のベースになっているんですね。
【池田】ロシアの伝統的な権力観念においては、強力な権力が中心にいて、時に強く、時に厳しく、時に暖かく家族を庇護して団結する。一番強いものは家長であり、今ではプーチンが家長。その感覚はソ連時代の書記長も同じです。
――ソ連の歴代領袖の来歴や政策をまとめた池田先生の『悪党たちのソ連帝国』を読むと、そのことがよくわかります。ソ連共産党はシステマチックな制度設計がされている組織だとばかり思っていたのですが、実際にはかなり属人的で、権力移譲のルールがあいまい。後継者も政策も、「その人が選んだから」という形で進んでいますね。
【池田】まさに本書で言いたかったのはその点です。「家族共同体」では、身内だけですべてを決めることこそが正しい。「任期は4年だから、4年たったら選挙で決めましょう」というやり方は、家族共同体の理念とは合わないのです。
ソ連時代は共産党自身が共産主義の先進性を宣伝するために、英米や資本主義よりも進んだ制度だという自画像を発信してきました。しかしそれはあくまでもそう見せたい自画像であって、実際には相当のムラ社会。
そこがわからないと、ソ連を理解することはできません。そして、「あいつが言う以上は、俺はかばう」というような論理が先行する社会である点は、帝政期もソ連期も、そして現在も共通しています。
■これからどうロシアと向き合うべきか
【池田】ただし、ロシア人の全てが「家長」プーチンの政策を受け入れているわけではありません。2022年の戦争開始直後に、一度だけ会ったことのあるロシア人の女性がFacebookに「私はこの戦争に反対である」との意思表明を投稿したのは、私にとっても大きな出来事でした。
ロシア国内では、世論調査では6割前後の人たちが戦争を程度の差はあれ支持していますし、ロシア人の友人ともかなり喧嘩になりました。戦争について言及したら、「お前に何の関係があるんだ。これは自分たちの問題だ。首を突っ込むな」と言われたこともあります。
しかし、戦争に反対しているロシア人もいるのです。「ロシアの声を聞け」という際には、こうした人たちの存在も忘れてはいけない。そして私自身の立場としては、ロシアの歴史や文化を愛し、その価値観を学びつつ、蛮行や侵略に対しては批判していく必要があると考えています。
――これから日本はどのようにロシアと向き合っていけばいいのでしょうか。
【池田】政治的には非常に難しい状況です。経済制裁については2014年のクリミア併合を受けて始まったものが、2022年の本格的開戦後に岸田政権のもとで強化されていますし、高市政権は殺傷能力のある兵器をウクライナに供与することも含め、軍事支援を検討する方向に進みそうです。
■ウクライナ戦争は一過性の厄介事ではない
【池田】ロシアの人たちにとって、高市政権は安倍政権の対ロ外交路線を取るのではないかとか、伝統的家族観を重んじる立場だから我々の価値に近い、だからロシアに融和的なのではないかという期待もあったのですが、どうもそうではなさそうだとわかった。前駐日大使のガルージンは、高市政権が対ロ制裁を解かないことについて不満を述べています。
一方で、研究者の交換制度は始まっていますし、文化交流も引き続き行われています。より踏み込んだ経済制裁は実施しつつ、ロシアとの交流のチャンネルは残しておく。この二本立てを続けていくことが重要なのではないでしょうか。
日本は欧米と全ての歩調を合わせる必要はありませんし、西ヨーロッパではロシアから今もエネルギーを購入している国もあって、ロシアとの関係を全面的に遮断しているわけではありません。日本もエネルギー安全保障の観点に立って、ロシアからLNG(液化天然ガス)を輸入していますね。
日本にとってロシアは隣国であり、中国や北朝鮮との関係もある。どの国にも当然に独自の立場がありますから、それを踏まえたうえで、国際法を守るという基本的な視点を持ちながら交流は続ける。他国から何か言われたら、きちんと自国の事情と立場を説明する。現在の国際事情を鑑みると、今後は対ロシア外交だけでなく、あらゆる場面でこうした対応が求められるようになるのではないかとも思います。
要するに、ロシア・ウクライナ戦争は一過性の厄介事ではなく、これからの世界は「国際規範を形だけ守りながらも、それぞれが自分の都合のいいように解釈して自国のための外交や政策を行う」ようになっていくという前提のもと、「では日本はどうするのか」を考えなければならない。
NATO各国も現状にどう立ち向かうべきかを各々が模索しています。日本もロシア・ウクライナ戦争をテストケースとして、自国の対応を模索していくことが重要になるのではないでしょうか。

----------

池田 嘉郎(いけだ・よしろう)

東京大学大学院人文社会系研究科教授

1971年、秋田県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士(文学)。専門は近現代ロシア史。主な著書に『革命ロシアの共和国とネイション』、『ロシア革命 破局の8か月』、『ロシアとは何ものか 過去が貫く現在』、『悪党たちのソ連帝国』、編著に『第一次世界大戦と帝国の遺産』、訳書にミヒャエル・シュテュルマー『プーチンと甦るロシア』、アンドレイ・プラトーノフ『幸福なモスクワ』などがある。

----------
----------

梶原 麻衣子(かじわら・まいこ)

ライター・編集者

1980年埼玉県生まれ、中央大学卒業。IT企業勤務の後、月刊『WiLL』、月刊『Hanada』編集部を経て現在はフリー。雑誌やウェブサイトへの寄稿のほか、書籍編集などを手掛ける。

----------

(東京大学大学院人文社会系研究科教授 池田 嘉郎、ライター・編集者 梶原 麻衣子)
編集部おすすめ