ラーメン一杯の完成度は何に左右されるか。ラーメンライターの井手隊長さんは「サブでありながら、全体の完成度を底上げする要素となる2つの具材がある。
この存在の有無や質の高さが、同じ一杯が『凡庸なラーメン』にも『記憶に残るラーメン』にもなり得る」という――。
※本稿は、井手隊長『ラーメンビジネス』(クロスメディア・パブリッシング)の一部を再編集したものです。
■製麺所と自家製麺、どちらがいいのか
ラーメン店において「麺をどこで作るか」は、単なる仕入れの判断ではなく、店の哲学や方向性そのものに直結する重要なテーマである。
業界ではしばしば「製麺所か、自家製麺か」という二項対立で語られがちだが、実際はその二つの選択肢のあいだには広大なグラデーションが存在する。
ここでは、両者のメリットと課題を整理しながら、近年増えている“レシピ主導型OEM”という第三の選択についても触れたい。
まず製麺所の麺を使う利点は明快である。安定供給、品質管理、労力の削減。この三点は、日常的に多忙を極めるラーメン店にとって大きな支えである。
プロの製麺所は温度・湿度管理や粉の特性に基づく調整を習熟しており、年間を通じて同レベルの品質を維持する術を持つ。さらに、店単体では手が届かぬ領域の仕事までを引き受けている。
一方、自家製麺の最大の利点は、自身のスープに合わせて自由に作れるところにある。さらに、スープの変化への追随が可能なことも大きなメリットだ。
スープが日々変化する以上、それに合わせて麺も同じ速度で進化させたい――この欲求は、特にスープの個性を重視する店主にとって避けがたいものである。
製麺所の麺は一定の完成度を持つ一方で、多店舗で使用されることが多く、個店のスープと並走し続けることは難しい。スープが進化しても、麺がそこに追い付かず、おいていかれるという感覚は、一流の職人の多くが経験するものなのだという。
■自家製麺のレシピ通りに製麺所で生産する
一般的に自家製麺へ移行する契機として多く語られるのが、自分の理想を製麺所の既製ラインでは満たせなくなった瞬間である。
特に濃厚つけ麺や多加水麺の隆盛期には、製麺所間の競争が激化し、営業担当が頻繁に店を訪れてサンプルを持ち込み、麺の改良が続いた時代があった。
だが、それでも自社のスープの進化と完全な同期を果たせないもどかしさが、店主を自家製麺へと向かわせていった。
しかし、自家製麺には理想と同時に現実が伴う。人員確保、衛生管理、粉の保管、気候変動への対応――自家製麺を始めると多くの困難が待ち受ける。店で人が風邪を引けば製麺が止まるが、製麺所は止まらない。この差は経営リスクとして無視できない。
また、設備投資に加え、熟練までの時間も必要であり、「やればできる」が成立するのは、あくまで製麺意識が高く、研究に時間を割ける環境の店だけである。
その中間点として今注目されるのが、「自家製麺のレシピ通りに製麺所で生産してもらう」という手法である。
いわばOEM型製麺。自店で研究し、配合と加水、圧延工程までを細かく数値化し、それを製麺所に委託する。
これにより、現場の労力を抑えつつ、麺のアップデート権を保持できる。粉の収穫年による性質変化に応じて、毎年レシピを微調整することもできる。製麺所に対して「今年はこの粉の伸びが弱いからブレンドを変えてくれ」と注文できる関係は、もはや購入者ではなく麺の共作者としての立ち位置である。
■製麺所では作れない麺
ここで、業界特有の習慣として挙げておきたいのが「製麺所の箱をおく文化」である。店頭に積み上げられた製麺所の木箱は、一種の“のれん”として機能してきた。これは「うちはこの製麺所の麺を使っている」という宣言であり、製麺所への信頼の証でもある。
浅草開化楼、三河屋製麺、菅野製麺所、村上朝日製麺所など、かつては箱の文字ひとつで麺の傾向を予期できたほどで、製麺所がブランド化しているのはすごいことである。
客側も「この店は○○製麺の麺箱がおいてあるから信頼できる」とそのメッセージを受け取ってきた。横浜家系ラーメン店の「酒井製麺」の麺箱などはその最たるものだろう。
では、製麺所では作れない麺とは何か。
それは“均一でない麺”である。たとえば多加水で不揃い、一本ごとに表情が異なる麺。手揉みの強弱による微妙なねじれ。一本ずつ気泡や膨らみ方が違う麺を作ろうとした場合などである。
製麺所での規格化された品質も素晴らしいが、不揃い感を魅力にしたい場合においては自家製麺の余地が残る。逆に、熟成管理、難しい圧力のかけ方、複数の粉のブレンドなど、緻密な職人技を要する工程では、今や製麺所の方が優れているケースも少なくない。
結局のところ、「製麺所か、自家製麺か」の問いは、白黒ではない。重要なのは手段ではなく、麺がスープと同じ歩幅で歩いているかどうかである。
麺がおいてきぼりになるのか、しっかりスープとともに進化して一体化するのか。製麺所・自家製麺いずれの道であれ、麺が店の声を代弁している限りはその選択は正解であると言えるだろう。
■ラーメンの完成度を左右するネギとメンマ
ラーメンを構成する要素を論じる時、スープと麺が主役として語られるのは当然だ。そして、「トッピングの王様」のチャーシューや彩りを添えるナルトもまた「顔」としての存在感を放つ。

しかし、忘れてはならないのが、脇役ながら全体の調和を決定づける「ネギ」と「メンマ」である。両者は派手な演出を担うことこそ少ないが、あるかないかで一杯の完成度が大きく変わる。まさに、サブキャラながら絶対的存在と言うべきだろう。
まずネギについて触れたい。ネギは単なる薬味ではない。切り方やサイズなど細かなところにその店の姿勢が表れる。とりわけ重要なのは麺との調和である。口に含んだ時、麺と一緒に咀嚼され、同じタイミングで消えていくよう設計されているか。
あるいはあえて全く違うサイズ感にして、箸休めやアクセントとして機能させるか。その判断一つでラーメン全体の印象は大きく変わる。
また、包丁の状態が如実に現れるのもネギだ。刃が鈍れば断面は潰れ、余計な汁が出て青臭さが増す。
逆にきちんと研がれた包丁で切られたネギは断面が美しく、香りは清々しく、スープに雑味を与えない。
その違いは、食べ手が意識せずとも舌と鼻で確かに感じ取っている。ゆえに職人たちは包丁研ぎを怠らず、断面の清冽さに店の誠意を託す。小宮一哲さんが「つけめんTETSU」創業の頃、「中華蕎麦 とみ田」のつけ麺を食べて「なぜこんなにも旨いのか」と考え込んだ時、その答えが「ネギの切り口」にあったという逸話は、ネギの役割を端的に物語っている。
「支那そばや」の創業者である故・佐野実さんは、弟子の修行において最後に教えるのが「ネギの切り方」だと語っていた。それほどまでにネギはラーメンにおいて重要な存在であるということだ。
■「ただのタケノコの漬物」は大間違い
一方、メンマは「麻竹(まちく)」というタケノコを乳酸発酵させた食品で、メンマが持つ繊維の歯切れと独特の発酵香は、ラーメンに欠かせない陰の支柱となっている。
上質なメンマはただのタケノコの漬物ではない。発酵の度合い、戻し方、味付けの濃淡によって、その一杯の方向性を決定づけるほどの影響力を持つ。
スープに寄り添うこともあれば、時に太さや食感で主張を強めて存在感を放つこともある。コリコリとした咀嚼感がスープと麺の合間に差し挟まれることで、食感にリズムが生まれる。派手ではないが、それがあることで全体が締まるのだ。

ネギとメンマには共通点がある。それは、サブでありながら、全体の完成度を底上げする要素であるという点だ。主役を張ることはない。だが、存在の有無、さらには質の高さによって、同じ一杯が「凡庸なラーメン」にも「記憶に残るラーメン」にもなり得る。
■「サブキャラ」に甘んじる存在ではない
そして両者に共通するもう一つの要素が、職人の意識の差が如実に出る点である。ネギの切り口、メンマの戻し方や味付けの仕上げ。
それらは大きな声で誇示できるものではないが、確実に客の舌は感じ取る。言葉にされなくても美味しいと感じさせる、その無意識の部分を支えているのがこの二つだ。
ラーメンは全体のバランスこそが命である。スープと麺の構築に心血を注ぐのは当然だが、サイドに見えるネギとメンマをおろそかにしては、完成度は高みに届かない。
むしろ、目立たない部分にこそ職人の姿勢が最も透けて見えるのだ。だからこそ、ネギとメンマは「サブキャラ」に甘んじる存在ではない。むしろ、ラーメンにとっては絶対的な存在なのだ。

----------

井手隊長(いでたいちょう)

ラーメンライター、ミュージシャン

全国47都道府県のラーメンを食べ歩くラーメンライター、株式会社フライヤー執行役員、flier公式チャンネル総合プロデューサー。「東洋経済オンライン」「プレジデントオンライン」「AERA DIGITAL」等の連載のほか、メディア出演、ラーメンの商品監修など多方面で活躍中。ラーメンの「1000円の壁」問題や「町中華の衰退事情」「個人店の事業承継」など、ラーメン業界をめぐる現状を精力的に取材。テレビ・ネット番組への出演は「羽鳥慎一モーニングショー」「ABEMA的ニュースショー」「熱狂マニアさん!」「5時に夢中!」「サクサクヒムヒム ☆推しの降る夜」など多数。東洋経済オンラインアワード2024にて「ソーシャルインパクト賞」を受賞。著書に『できる人だけが知っている「ここだけの話」を聞く技術』(秀和システム)、『ラーメン一杯いくらが正解なのか』(ハヤカワ新書)、『天下一品 無限の熱狂が生まれる仕掛け』(日本実業出版社)がある。

----------

(ラーメンライター、ミュージシャン 井手隊長)
編集部おすすめ