なぜ醤油ラーメンは数ある味のなかでも一番人気として定着したのか。ラーメンライターの井手隊長さんは「醤油は香り・旨味・色の三拍子が揃い、スープとタレを別々に作るラーメン独自の構造と最も相性がいい。
一方、寒冷地では『身体を温める一杯』として日常的に親しまれているが、看板に掲げる店は増えにくく、成功例も限られているラーメンの味がある」という――。
※本稿は、井手隊長『ラーメンビジネス』(クロスメディア・パブリッシング)の一部を再編集したものです。
■醤油ラーメンがいちばん人気な理由
ラーメンの数ある味のバリエーションの中で、常に不動の人気を誇るのが「醤油ラーメン」であることは、業界の誰もが肌で感じている事実だ。
ラーメンがどれだけ多様になろうとも『ミシュランガイド』や『TRYラーメン大賞』などで評価されるのは、依然として醤油ラーメンが多数派だ。
アンケートやレビューサイトの数値だけではなく、ラーメンを日々食し、作り、語り続けているプロたちの実感としても、「結局は醤油に戻る」という声は多い。
特に、この15年ほどの“水鶏系”の台頭に象徴されるように、再びシンプルな醤油の魅力が見直されている。ではなぜ、数ある選択肢の中で、いまなお醤油ラーメンがいちばん人気なのか、その理由を掘り下げてみたい。
まず、前提としてあるのが「醤油」という調味料が日本人のDNAに刻まれているということだ。日本人にとって醤油は、単なる調味料ではなく、味覚の基盤ともいえる存在である。
家庭の味においても外食においても、あらゆる食卓に無意識のうちに登場するのが醤油である。ある業界人は、「日本に来た海外の人は、空港を出た瞬間に“醤油の匂い”がすると言う」と語る。
日本人にとっては日常すぎて感じないが、醤油の香りは日本という国のアイデンティティの一部なのだ。

■味と同じくらいに重要な「色の濃さ」
だからこそ、どれだけ革新的なスープ構成を試みても、最後の帰着点として醤油が選ばれることが多い。それは慣れや保守的なものではない。むしろ、醤油が持つ複雑な旨味と香り、そして色調の豊かさが、ラーメンという料理の中で最も自在に調和する調味料だからだ。
ラーメン独自の構造として、「スープ」と「タレ」を別々に作り、提供時にどんぶりで合わせるという方式がある。これは他の料理ではあまり見られない手法だが、この構造こそが醤油という調味料のポテンシャルを最大限に引き出す手段になっている。
火を入れた醤油には深いコクと丸みが出るが、生のまま使えばその香りは一気に立ち上る。タレとして別に使うことで、香りと味がブレることなく設計通りに制御できるという利点がある。
だからこそ、ラーメンという料理において、香りと旨味の両方を持ち合わせた醤油は最強なのだ。
さらに、職人たちが口を揃えるのが、醤油の「色味」の力だ。ラーメンを作るうえで、味と同じくらいに「色の濃さ」は重要な要素になる。スープの透明感、表面に浮く油の照り、麺とのコントラスト。醤油の濃淡を調整することで、「食べたい」という欲求を刺激できるのだ。

「美味しい食べ物は大体茶色い」という冗談にも似た本質を、多くの職人が共感する。とんかつ、カレー、ソース焼きそば、ハンバーグ――どれも茶色を帯びており、人間の原始的な食欲を刺激する色彩だ。醤油ラーメンの茶色いスープも例外ではない。
■ラーメンの「引き算」という新たな価値観
しかも醤油は、ただ茶色いだけでなく、透明感のある澄んだ美しさも持ち合わせている。いわば美味しそうに見えるための設計が可能なのだ。これも人気の大きな要因のひとつである。
醤油ラーメンは、単なる原点ではない。むしろ、ラーメンを「日本料理」へと昇華させた象徴的存在とも言える。特に、“水鶏系”に代表される分厚い鶏ダシと生醤油を合わせ、鶏油でまとめるような構成は、ラーメンの「引き算」という新たな価値観を業界にもたらした。
従来の複雑な動物系・魚介系スープの融合や、濃厚な豚骨スープと比較して、あまりにシンプルな構成で驚かれたほどだ。しかしこのシンプルさこそが、素材への敬意と調理技術の高さを物語る。
今後、海外のラーメン業態でもこの“水鶏系”のスタイルは模倣されていくだろう。
だが、醤油の使いこなしにおいて日本人の右に出る者はいない。それは単にレシピの再現では到達できない、文化と味覚の深度があるからだ。
ラーメンの世界では、常に新しいトレンドが生まれ、消えていく。だが、どんな時代であっても、醤油ラーメンは原点であり、最前線であり続けている。
味、香り、色に加えて、日本人の食文化に深く根ざした調味料としての普遍性。醤油がある限り、ラーメンは日本料理であり続けるだろう。そして、そのいちばん人気の座が揺らぐことは、おそらくこれからもない。
■差別化がとても難しい味噌ラーメン
味噌ラーメンは札幌を中心に全国的な知名度を誇り、寒冷地では「身体を温める一杯」として日常的に親しまれている。しかし、東京をはじめとする首都圏で「味噌ラーメン専門店」が次々と人気を博していくかといえば、実態はそうではない。
むしろ、味噌を看板に掲げる店は増えにくく、成功例も限られている。なぜ味噌ラーメンは広く支持されながらも、新しい展開が難しいのか、その背景を整理してみたい。
味噌ラーメンの需要は、地方、とりわけ寒冷地やロードサイド店舗で顕著だという。
ラーメンを食べたい理由のひとつに「身体を温めたい」という欲求があり、そこに最も直結するのが味噌だからだ。
香りが強く、コクも深く、身体に沁みる感覚がある。うどんにおける味噌煮込みと同じように、日本人の食文化に根差した“温めの象徴”が味噌なのだ。
ところが、この強さが同時に難しさを生む。味噌は発酵食品で調味料としての完成度が高く、単体で十分に味が成立してしまう。
そのため、どんなスープも味噌の存在感にマスキングされてしまい、せっかくのダシの深みや繊細なバランスが表に出にくい。言い換えれば、作りやすい反面、差別化がしにくいのである。
■顧客の求めるものは“味噌の濃さ”という壁
実際、都内の味噌ラーメンの人気店を見ても、製法は大きく二つに限られる。札幌式の中華鍋で香ばしさを出す煽り製法の“純すみ系”(「純連」「すみれ」系)のタイプか、「ど・みそ」に代表されるどんぶりの中で味噌ダレを溶く東京スタイルか。どちらも確立されすぎており、新しい店が登場しても「この系統だね」とすぐに分類されてしまう。
現状では、スープにこだわり抜いた味噌ラーメンはむしろ少数派だ。札幌でも観光地化の影響で、スープを薄めに仕立てて味噌の強さに頼る店が多い。
結果として「スープに力を入れても伝わりにくい」「顧客の求めるものは結局“味噌の濃さ”」という壁にぶつかる。
実際、渋谷ストリームにある「伊蔵八味噌らーめん」はスープに徹底的に力を注ぐ挑戦例だが、店主の小宮一哲さん自身「お客様のニーズから外れているかもしれない」と語っている。
さらに、札幌系の煽り製法においては、熟練の技が必要だ。2019年、東京・江戸川橋でオープンした「三ん寅」の店主・菅原章之さんは名店「すみれ」で18年修行した人物。中華鍋で味噌とスープを焼きながら作るが、焼きすぎたり火を入れすぎたりすると、香りが飛んでエグミが出る。
逆に焼きが甘いと香りやコク、ビター感が出ず、しょっぱさが際立ってしまう。加減を数字で測ることはできず、五感をフルに使い、おたまから手に伝わる感触で判断して仕上げているという。
この絶妙な加減は熟練の技の成すものである。その難しさから、「味噌はメインストリームでなくてもいいんです。ラーメンの人気があがっていくとともに、本格的な味噌ラーメンにはレア感が出てきますから」と語っているほどだ。
■新しい味噌ラーメン専門店が増えない理由
味噌ラーメンには「すでに答えが出ている」という感覚が広がっている。「すみれ」「ど・みそ」「花道庵」といった名店が決定的なイメージを打ち立て、それ以降に現れる店はその延長線上で評価されてしまう。

つまり、革新性を出したとしても、それがお客さんにとっては求める味噌ラーメンではないという状況に陥るのだ。この状況下で新しい挑戦が生まれるとすれば、それは名店による大胆な再提案か、ラーメン文化に染まっていない“素人発想”からのアプローチに限られるかもしれない。
YouTuber・HIKAKINさんが東京駅にオープンした「みそきん」は伝統的な煽り製法ではなく、生の生姜やニンニク、すりごまを効かせた濃厚だが重くない味噌を提示している。
「みそきん」のラーメン開発の伴走をした「せたが屋」の店主・前島司さんはHIKAKINさんのイメージ通りのラーメンを仕上げるのに大変苦労したという。このラーメンを観光客やインバウンド層に「今、東京で食べるべき味噌」として提案したのは、逆に既存のラーメン的文脈を意識しすぎなかったからとも言える。
既存の名店はいずれも繁盛しており、経営的に冒険をする必然性はない。さらに再現には高い技術が必要となると、結果として新しい味噌ラーメン専門店は今後もそう増えないという予測が導かれる。
■次の時代に新しい価値を提示できるか
味噌は日本を代表する発酵調味料であり、海外では高級食材として扱われることも多い。その圧倒的な完成度ゆえに、ラーメンに用いた際も一定以上の満足度が保証される。だが同時に、そこからの飛躍が難しい。
醤油が無数のバリエーションを生み出してきたのに比べ、味噌ラーメンは「安定」と「停滞」を同時に抱えたジャンルである。お客さんは濃厚で温まる一杯を求め、店はそれに応える。結果、冒険が生まれにくい。
新たな挑戦をしても「これは味噌ラーメンではない」と切り捨てられる可能性すらある。
味噌ラーメンは、その地位が確立されすぎているがゆえに、新たな担い手を呼び込むことが難しい。専門店がなかなか増えない理由は、単なる流行や立地の問題ではなく、「味噌」という調味料そのものの強さと、ジャンルの完成度に起因しているのである。
「温まるための一杯」という役割を担い続ける一方で、次の時代に新しい価値を提示できるかどうかがポイントになるだろう。

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井手隊長(いでたいちょう)

ラーメンライター、ミュージシャン

全国47都道府県のラーメンを食べ歩くラーメンライター、株式会社フライヤー執行役員、flier公式チャンネル総合プロデューサー。「東洋経済オンライン」「プレジデントオンライン」「AERA DIGITAL」等の連載のほか、メディア出演、ラーメンの商品監修など多方面で活躍中。ラーメンの「1000円の壁」問題や「町中華の衰退事情」「個人店の事業承継」など、ラーメン業界をめぐる現状を精力的に取材。テレビ・ネット番組への出演は「羽鳥慎一モーニングショー」「ABEMA的ニュースショー」「熱狂マニアさん!」「5時に夢中!」「サクサクヒムヒム ☆推しの降る夜」など多数。東洋経済オンラインアワード2024にて「ソーシャルインパクト賞」を受賞。著書に『できる人だけが知っている「ここだけの話」を聞く技術』(秀和システム)、『ラーメン一杯いくらが正解なのか』(ハヤカワ新書)、『天下一品 無限の熱狂が生まれる仕掛け』(日本実業出版社)がある。

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(ラーメンライター、ミュージシャン 井手隊長)
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