※本稿は、栗下直也『偉人たちの酔っぱらい流儀』(平凡社)の一部を再編集したものです。
■田中角栄の「二度と酒を飲みたくない男」
世の中には「酒を飲むと人が変わる」人間がいる。普段は温厚なのに酒が入ると暴れる。普段は無口なのに酒が入ると饒舌になる。いずれも迷惑だが、珍しくはない。
だが、「シラフでも厄介、酔っても厄介」と、どちらに転んでも救いがない人間となると、そう多くはない。
しかも、それが東京帝国大学法学部首席、日本国総理大臣となると、もはや奇跡的な存在といえよう。
シラフでは相手の学歴を馬鹿にし、毒舌で場を凍らせる。かといって酒を飲めば、今度はぐでんぐでんに酔っ払って、お付きの者に抱えられて帰る。
「それならば、ほろ酔いくらいがちょうどいいのでは」と思うかもしれないが、残念ながらそんな都合のいい中間地点は存在しない。なぜなら、酔うまでは延々と絡み続け、ある時点を境に急激に泥酔状態に突入するからだ。
この「飲まなくても飲んでも厄介」という、まるで禅問答のような人物こそ、宮澤喜一である。田中角栄に「二度と酒を飲みたくない」といわせ、家族に水をぶっかけられ、それでいて総理大臣にまでなった男。
その生涯は、「適量」という概念が存在しない人間でも日本のトップに立てることを証明した、ある意味で希望に満ち溢れた物語でもある。
■エリート・宮澤喜一は露骨に人を見下した
宮澤喜一は官僚出身のバリバリのエリートだった。東京帝大法学部を首席で卒業し、大蔵省(現財務省)に入る。
これだけでも凄いが、高等文官任用試験(今の国家公務員総合職試験)で、行政科と外交科の両方に合格している。
エリートが門を叩く大蔵省でも、「大秀才」と呼ばれた。役人としても出世できただろうが、秘書官として仕えた池田勇人の勧めもあり、1953(昭和28)年に政界入りする。33歳だった。
宮澤は頭だけでなく、口も回った。むしろ、回りすぎた。毒舌の部類だ。
東京農業大学出身の金丸信に面と向かって「金丸先生は農大を出ていらっしゃる。そいつはお出来になりますなあ」と皮肉った。
酒を飲んだ席で金丸の活躍が話題になると「ああいう人は水の底に沈んでいただいた方がいいかもしれませんな。山梨には釡無川という深い川があるというじゃないですか」と場を静まらせる発言も珍しくなかった。
■宮澤を慕う人はあまりにも少なかった
早稲田大学出身の竹下登には竹下が入学当時の早稲田が無試験であったことを揶揄した。
竹下は後藤田正晴に「ボクは宮澤さんに『竹下さん、貴方の時代は早稲田の商学部は無試験だったんですってね』といわれた。あれだけは許せない」と恨みを吐き出している。
政治学者の御厨貴は宮澤について「政治判断は正しいものが多かった気がします」としながらも、「頭が良すぎて他者を見下したような態度を取るため、慕う人があまりにも少なかった」と人望の低さを指摘している。
「それいう必要ないだろ」ということをいってしまうのが宮澤なのだ。厄介なのは本人に悪気はないことだ。
■教養人でありながら「酒乱」という矛盾
宮澤の教養の深さは多方面にわたっていた。
欧米の幅広い雑誌に目を通していて、会話に幅も奥行きもあった。欧米カブレなわけでもなかった。多くの人にとっては何が書いてあるかわからないような墨跡もすらすらと読み下した。
その姿は学者で劇作家でもあった山崎正和からみても、まるで曲芸のような業だったという。「どうしてああいう人が政界に入ったのか不思議なくらい」と奇妙な気持ちになったと振り返っている。
だが、山崎を驚かせたのは教養人としての宮澤よりも、酔っ払いとしての宮澤だった。
山崎は宮澤とある会合で幾度となく席を共にした。その会合は京都の大徳寺で開かれていたが、宮澤はその場がよほど好きだったらしい。
首相になってからも激務の合間を縫ってわざわざ京都に出向き参加していた。もちろん、一国の首相だけにふらっと遊びに行けるわけもない。
■ぐでんぐでんに酔っては人に絡みまくる
SP(要人警護を任務とする警察官)のみならず、京都府警が総力を挙げて護衛したので、閑静な大徳寺周辺が警護でいっぱいになり、異様な光景が広がった。
異様な光景は寺の中にも広がっていた。宮澤は毎回、ぐでんぐでんに酔っ払って、秘書官に抱えられて帰っていったのだ。
宮澤は造り酒屋の息子ということもあってか、酒には弱くなかった。酒をある程度飲まないと酔わないが、酔うまでは相手に絡み続ける。
ある時点を境に目が据わり、相手が誰彼かまわず演説が始まる。結局、どっちにしろ絡み続けている。「酒豪で酒乱」という最も性質の悪い酒飲みともいえる。
ジャーナリストの立花隆も「酒乱の域に達しないうちは、人にイヤなからみ方をする時間がえんえんとつづく」とかつて記していた。
自民党のドンで懐の深さで知られた田中角栄に「二度と酒を飲みたくない」とまでいわしめているからよほどだったのだろう。
■泥酔してナベツネに「ナベちゃん」と絡む
宮澤の酒癖は、重要な政治的場面でも災いした。読売グループのボスだった渡邉恒雄は回顧録で振り返っている。
中曽根康弘内閣のときに盟友である中曽根の依頼で、渡邉は某料亭の女将の部屋を借りて、宮澤に会う。
シラフの宮澤は真面目な顔で大蔵大臣を引き受ける代わりに、宮澤の派閥「宏池会」に政調会長のポストを用意しろと要求した。
渡邉は中曽根の使いできたのでその場では判断できない。「今晩中に連絡しますから」と引き揚げ、中曽根の了解を取りつけたうえで、架電する。
すると、宮澤はすでに泥酔状態で「いやあ、こりゃこりゃ、ナベちゃん、ナベちゃん」と先ほどと様相は一変していて、全く会話にならなかったという。
「酔ったら電話に出るな」は一般人も政治家も同じだ。実際、宮澤は原則、夜は電話に出なかった時期もあった。
■激怒した娘に水をぶっかけられる
新聞記者には昼間に正面から聞きにくい話を、関係者の自宅に足を運んで直接聞く「夜回り」という取材方法がある。宮澤はこの夜回りを長年、拒否していた。
確かにそういう人もいないわけではないが、大臣や官房長官に就いてからも拒むのは珍しい。
宮澤の長女がのちに語っているが、非常識な時間に新聞記者が家に来るのを家族が嫌うのが夜回り拒否の理由だったが、当時、記者の間ではまことしやかに「酒癖の悪さが理由では」とささやかれていた。
朝日新聞の政治記者だった石川真澄は「その理由は、夜になると酒が回って、多弁あるいは、ひどいときは酒乱に近い状態になるからだと解説する人がいた」と記している。
そんな憶測がささやかれるほど酒癖が悪かったのだ。実際、家族も宮澤の泥酔ぶりには呆れていた。「酒乱」であることを認め、「あまりに普段とは違う姿勢が出る」と振り返っている。
千鳥足と呼べるほどカワイイ酔態ぶりでないため、帰宅時のあまりのひどい姿に娘が怒って水をぶっかけたこともあるというから家族の苦悩もうかがえる。
■シラフより泥酔している姿の方がまだマシ
衆議院議長や通商産業大臣(現経済産業大臣)を歴任した田村元の宮澤評には頷かされる。「酒を飲んだときの宮澤なら10年早く政権を取れていた」。
頭が良すぎるが故に人を逃し、人望がなかったわけだから、何も気にせず、ナベちゃん、ナベちゃんといい、ぐでんぐでんになりながらも夜回りを受けていたら人生は変わったのかもしれない。
それにしても、泥酔してぐでんぐでんの姿の方がシラフよりも良いと判断される人生もつらい。宮澤は典型的な官僚で「頭が切れ、アイデアを思いつくが決断できない」タイプだったとの指摘は多い。
例えば公的資金注入による不良債権処理も思いついていたが、それを実行したのは宮澤退陣から8年後に首相になる小泉純一郎だ。
宮澤は1993(平成5)年の衆院選挙で敗北、自民党長期支配38年、及び55年体制の最後の首相となった。
■ビジネスパーソンへの逆説的教訓
宮澤喜一の事例から、我々が学ぶべき教訓は実に逆説的である。
1 「シラフでも酔ってもダメ」という新たな地平
従来、我々は「酒で失敗する」か「酒を飲まずに成功する」という二元論で考えがちだった。しかし宮澤は「シラフでは毒舌で嫌われ、酔えば酒乱で嫌われる」という第三の道を切り開いた。
これは「どうあがいても人望は得られない」という諦めの境地に達することで、かえって自分の能力だけで勝負しなければならない覚悟を持つという、なんとも救いようのない、それでいて妙に清々しい境地ではないか。
2 「ナベちゃん」の可能性
渡邉恒雄を「ナベちゃん」と呼ぶ泥酔宮澤。実は、この状態こそが最も人間味があったのかもしれない。
田村元の「酒を飲んだときの宮澤なら10年早く政権を取れていた」という評価は、「ぐでんぐでんの方がまだマシ」という究極の皮肉だが、裏を返せば「優秀でも嫌な奴より、ダメダメな奴の方が愛される」という真理を示している。
3 「電話に出ない」という消極的解決策の有効性
宮澤は実践できなかったが「酔ったら電話に出ない」という戦略。これは問題を解決するのではなく、問題から逃げるという、実に日本的な処世術である。
現代なら「既読スルー」「オフライン表示」など、テクノロジーを駆使した逃走が可能だ。わかっているリスクは極力遠ざけるべきだ。
4 家族は最後の砦
娘に水をかけられるというのは、ある意味で幸せかもしれない。少なくとも家族は最後まで向き合ってくれた(水をかけるという物理的手段ではあるが)。現代のビジネスパーソンも、最悪の事態には家族が冷水を浴びせてくれることを期待するしかない。
5 それでも総理になれる国、日本
最も重要な教訓は、時代を考慮しても、シラフでも酔ってもダメな人間が総理大臣になれたという事実である。これは「完璧でなくても、むしろ完璧にダメでも、能力と運があればなんとかなる」という、ある種の救いのメッセージとも読める。
■総理になれたのは「目の前の席が空いたから」
実際、宮澤は総理になれるか、なれないかは「なりたくてなれるものではない。電車に乗っているときに目の前の席が空けば座るようなもの」と後年語っている。
結果的に「座席が空く」幸運に巡まれたが、酒席での振る舞いによっては「目の前の席」に座る機会はもっと早く訪れたかもしれない。
現代のビジネスパーソンには、宮澤のような「どっちに転んでも厄介」になることはお勧めしない。
しかし、「適量」という概念を持たない人間でも、それなりに生きていけるという事実は、完璧主義に疲れた現代人にとって、ある種の慰めになるかもしれない。水をかけられる覚悟は必要であるけれども。
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栗下 直也(くりした・なおや)
ライター
1980年東京都生まれ。2005年、横浜国立大学大学院博士前期課程修了。専門紙記者を経て、22年に独立。おもな著書に『人生で大切なことは泥酔に学んだ』(左右社)がある。
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(ライター 栗下 直也)

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