■「人生は余りに短し」と晩餐会を断った
NHK朝の連続テレビ小説「ばけばけ」もついに最終週。トキ(髙石あかり)とヘブン(トミー・バストウ)の幸せな夫婦の物語もいよいよ終焉。3月24日火曜日放送の第122回でついにヘブンは、この世を去った。
直接的な死は描かれず、場面転換でお墓という展開は見事で余計に寂しさが募る。ただ、劇中では「さみしきことが好きだったから」というセリフにマッチしていた墓地。実際の八雲の墓がある雑司が谷霊園は、関東大震災後に周辺が宅地化してしまったこともあり、今では東京メトロ有楽町線・東池袋駅から徒歩10分の賑やかなところである。
近くの花屋で、お墓参りセットも一式準備できるので、もう「ジゴクジゴク」が聞けないことに耐えられない人は、ぜひお参りを。
さて、残念なのは、東京編の時間が限られたため、モデルである小泉八雲とセツの東京生活が十分描かれなかったことだ。
実際、八雲は東京に出てから執筆活動も加速している。そのぶん、授業はするものの人付き合いは減少している。当時の40代後半となれば人生の残り時間を考える頃、交際で無駄な時間を費やすよりも、1冊でも多くの作品を残したいという執念だったのだろうか。
八雲研究者の田部隆次は東京に移ってからの八雲の業績を、このように書いている。
この時まで(注:1903年に大学を辞職するまで)に大学の講義のために、著述の暇がないとこぼしながらリッツル・ブラウンから『異国情趣と回顧』『霧の日本』『影』『日本雑録』の4冊、マックミランから『骨董』外に長谷川から4冊の『日本お伽噺』を公にして居る。さればこの頃のヘルンの刻苦精勤はめざましいものであった。晩餐の招待に「人生は余りに短し」と書いて断っているのがある。
(田部隆次『小泉八雲』北星堂書店、1950年)
■他人に手を入れられるのが嫌なタイプ
約6年の間に『日本お伽噺』以外だけで5冊。そう考えると、そんな多くないようにもみえる。八雲がある程度書いた後は、協力者や編集者なりが整えるスタイルならもっと書けただろうが、そうではない。八雲本人は一言一句まで自分の手で確認し、手を入れられることを嫌がるタイプの作家である。かつ、海を越えて原稿のやり取りをしていたわけだから、校正なども含めれば、よくも短期間にここまで書けたというべきだろう。
東京帝国大学での八雲の授業時間は一定していて週5回、合計12時間で変わらなかった。短い日は1日1時間だけ、長い日でも4時間であった。とはいえ、執筆して気分が乗っていても毎日、中断して授業をしなければならないのは八雲には苦痛だったのではなかろうか。
特に、木曜日は朝10時から12時まで授業した後、残り1時間は14時からと開きがあった。その間、上野に足を伸ばして精養軒で食事をすることもあれば、三四郎池で煙草を吹かしていることもあったという。その間も「さっさと帰って、原稿の続きを書きたい」と、八雲は思っていたのではなかろうか。なお、精養軒も三四郎池も今でもあるが、最近、東大構内は原則禁煙なので三四郎池に佇んで八雲気分で煙草を吸っていると怒られる。
■八雲「時間を持ちませんから、お断りいたします」
この「原稿を書くから、人付き合いは極力しない」姿勢はトキも困惑するほどであった。セツは、その徹底ぶりを次のように回想している。
ヘルンは面倒なお付き合いを一切避けていまして、立派な方が訪ねて参られましても「時間を持ちませんから、お断りいたします」と申し上げるようにと、いつも申すのでございます。ただ時間がありませんからでよいというのですが、玄関にお客がありますと、第一番に書生さんや女中が大弱りに弱りました。
(小泉節子、小泉一雄『小泉八雲』恒文社、1976年)
セツの回想は「大弱りに弱りました」と上品にまとめているが、実際の玄関先はもう少し修羅場だったに違いない。
想像してみよう。……おそらく訪ねてくるのは、当時の文壇・学界の重鎮たちである。明治なので立派な髭が生えている紳士である。しかし「ハーン先生にお目通り願いたい」と名刺を差し出す紳士に、書生が「あの……先生は時間がないと……」と口ごもる。
今日もまた書生は困り果てて、玄関で謝り続けるしかない。
■セツの親戚だけは歓迎していた
しかも、その奥では八雲が「うるせえなあ……ジゴクジゴク」と、原稿に向かって、一言一句、自分の手で確認しながら書き続けている……きっと、こんな光景だったに違いない。
きっと、女中や書生にしてみれば「ごめんください」と玄関で声がすれば「うわー」「お前行けよ」という日々が繰り返されていたに違いない。本当に大弱りである。
しかし、八雲は決してすべての来客を嫌ったわけではない。セツの親戚の来訪だけは、基本的に歓迎していた。基本的というのは、自分が気に食わない者はNGということだ。その代表格は、以前も記したセツの弟である藤三郎。ドラマでは雨清水三之丞(板垣李光人)として描かれた人物。実家の墓の土地まで売り払い、生涯を風来坊の遊び人として過ごした藤三郎は、一雄をはじめ子供たちには大人気な親戚のおじさんだったが、八雲が絶対許せない相手であった。
そんな人物をのぞけば、八雲は親戚の来訪を嫌がらなかった。長男の一雄は、こんなことも語っている。
田舎(山陰)の親類の端くれなどの中には、父の牛込の住居を東京見物中の宿泊所あるいは就職口が見付かるまでの足留場と独り定めで押しかけ来る連中もちょいちょいありました。これ等の人々に対して父は割合に応揚でした。
(小泉節子、小泉一雄『小泉八雲』恒文社、1976年)
■見知らぬ遠縁に寛大だった「日本的な義理人情」
ここで重要なのは「独り定めで押しかけ来る」と書いてあるところ。つまり、手紙や電報で打診するまでもなく、いきなり玄関先に「ごめんくださいませ」と現れて「あの……松江のどこそこの叔母さんの、娘さんの旦那の弟でございまして……」と自己紹介、そして、しばらくご厄介になりますと居候を決め込むわけである。
セツにしても、同居している養母のトミにしても「そんな親戚、おいでましたかね」「ほら、あの法事んときの……」「ああ、あの方ですか‼」みたいな具合だろう。きっと、三杯目をそっと出す予期せぬ居候にセツやトミは困惑していただろう。
しかし、それを八雲は気にしなかった。文壇の重鎮はお断りするのに、松江から突撃してきた見知らぬ遠縁には寛大、というのが八雲らしい逆張りである。血縁・地縁の紐帯を大切にする日本的な義理人情を、外から来た八雲の方がむしろ体現していた、ともいえる。
一雄によれば、そうして訪ねてくる親戚は熊本時代から多くいたという。
彼女たちにしてみれば、威張り散らすのが一般的なイメージだった明治の巡査邏卒は、決して上品な職業には思えなかったらしい。この時、八雲はひとり「そんなに怒ることもない」と居候の肩を持った。
■若い女性の居候に困惑
また、同じくトミの姪で「お安さん」という女性が居候をしていたこともあると、一雄は書いている。一雄の筆によればこの女性は「薄命な美人」で、幾度も結婚と離婚を繰り返していたという。
さすがに若い女性を居候に置くことには、八雲も少し困惑したようだ。一雄によれば、八雲はセツにこう話したという。
世間は口が煩い。八雲は近頃妾を蓄えたなどと飛んでもない取沙汰をする者が現れぬとも限らぬ。だから、よく身の上について問い糾した上、差し支えなくば相当なところへ縁づけてやって早く身を固めさせてはどうか。
(小泉節子、小泉一雄『小泉八雲』恒文社、1976年)
さすがに、書生もいる家に若い独り身の女性を同居させることは、いかに鷹揚な八雲といえども、いささか居心地が悪かったようだ。お安さん本人への配慮というより、外聞というやつである。
■八雲が歓迎した“変人”、高木令太郎
そんな八雲の家に何度もやってきていた親戚が、高木令太郎(苓太郎とも)という縁者であった。松江時代に女中をしていた八百の父親である。
この人物こそ、八雲が無条件に歓迎する奇人変人の類いであった。なにしろ、日本全国を徒歩で巡り歩いていて、その途中に八雲を訪ねてくる。風貌は髪と髭がぼうぼうで、仙人そのもの。普段は無口で、数日でも黙って天井を眺めているほどである。傷んだ衣服を見かねて新しい物を与えても喜ばず、美食を用意しても喜ばない。それでいて、口を開けば丁寧という人物であった。
おまけに易の心得があり、これがまた恐ろしいほど的中した。松江に八雲が滞在していた時も、「ここには長くいないだろう、南の方へ行く」と言ったら、その通りになった。
そして、長らく滞在しておいて、出ていく時がまた独特である。一雄はこんなふうに記している。
高木さんは予告もなしにいつも突然「永らくお邪魔すますた」というと足元から鳥が立つようにプイと当もない旅へ飛び出す人でした。高木さんは飄然と来り飄然と去る、子供心にも名残り惜しい人でした。
(小泉節子、小泉一雄『小泉八雲』恒文社、1976年)
こんな奇怪な人物なら、八雲が歓迎しないはずがない。異国から来た作家と、日本を流れ歩く仙人。どこかで通じるものを、八雲は感じていたのかもしれない。
■東京生活は“もっとも豊かな時期”
来る者は選ぶ、しかし選んだ者は心から迎える。偏屈に書斎へ籠もって原稿だけを書いていたわけでは、決してない。居候の肩を持ち、仙人のような旅人を歓待し、セツやトミの困惑をよそに一家の主人として構える。それが東京時代の八雲であった。
松江で出会い、熊本・神戸・東京と転々としながら、二人はこの時代にようやく「夫婦」として完成したといえるだろう。セツが八雲を支え、八雲がセツの一族を受け入れ、子供たちが育っていく。それは、外国人作家と日本人女性という奇妙な組み合わせが、ひとつの家族になっていく物語でもあった。
「ばけばけ」が東京編をもう少し丁寧に描いてくれていたら……そう思うのは、この時代の二人がもっとも豊かだったからにほかならない。
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昼間 たかし(ひるま・たかし)
ルポライター
1975年岡山県生まれ。岡山県立金川高等学校・立正大学文学部史学科卒業。東京大学大学院情報学環教育部修了。知られざる文化や市井の人々の姿を描くため各地を旅しながら取材を続けている。著書に『コミックばかり読まないで』(イースト・プレス)『おもしろ県民論 岡山はすごいんじゃ!』(マイクロマガジン社)などがある。
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(ルポライター 昼間 たかし)

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