2004年のライブドアによるプロ野球・近鉄バファローズの裏側では何が起きていたのか。実業家の堀江貴文さんは「30億~40億円の赤字を出していた近鉄を2年で黒字化できる計算だったが、球界の『老害』に潰されてしまった。
それでも、結果的に100億円を超す『棚ぼた』を得ることができた」という――。
※本稿は、藤田晋、堀江貴文『心を鍛える』(角川文庫)の一部を再編集したものです。
■なぜプロ野球球団の買収に乗り出したのか
離婚後、孤独を乗り越えてエネルギッシュになれた僕は、球団買収に乗り出した。
「野球界を良くしたい」という思いからだ。でも、関係者からは好意的に迎えられなかった。僕がどうやって旧弊な勢力と戦ったのか。その騒動についてお話ししたい。
「古い世代に楯突くなんて」とビビりがちな人にこそ、読んでほしい。
僕は運動が苦手だったので、野球選手になりたいと思ったことは一度もない。試合を観るよりも、「プロ野球選手名鑑」のようなデータブックを読むのが好きだった。
野球チームのマネジメント的な役割を担う人がいることなんて、子ども時代は知らなかったが、そういうものへの憧れはあったのかもしれない。
2003年の年末、講演会で福岡に招かれた僕は、ダイエーホークスの社員さんと話す機会があった。

「堀江さんの会社で、ダイエーを買ってくれませんか?」
冗談めいた口調だったが、彼は身売りの噂が流れていることを憂いていた。
■「前向きに進めたい」と言われるも音信不通に……
「さすがに、うちの体力ではダイエーは買えないだろう」と思ったが、その後、近鉄が身売り先を探しているという報道が飛び込んできた。大赤字を抱えていると聞き、連絡を取ってみると、近鉄からは「前向きに進めていきましょうか」という回答をもらった。しかし、ほどなくして近鉄側と音信不通になってしまう。
おかしいなと思っていると、オリックスとの合併話が進んでいると聞こえてきた。
仕方なくあきらめていたところに、「近鉄とオリックスとの合併話が難航している」と教えてくれる楽天の人がいた。
そこで僕の情熱もよみがえってきた。「三木谷さんが名乗りを上げることはない?」と確認したところ、彼は「ない」と答えてくれた(このやりとりが後々、大きな伏線となる……)。そこで、僕は安心して買収に本腰を入れることにした。
■「企業買収」以上の重みを感じた闘い
僕らは、日本のプロ野球界や球団について詳しく調べ始めた。買う以上は利益を生む組織にしたい。それに、ファンにも喜んでもらいたいではないか。

シミュレーションの結果、球団の黒字化は「そう難しくはない」と思えた。
観客が入っていない、地域と密着していない、スタジアムと一体的な経営ができていない、ゲームもつまらない……。問題点は明確だし、改善策も本腰を入れれば見つかりそうだ。でも1つ、謎があった。
「近鉄は、なぜ今まで赤字を垂れ流していたのか。有効な手を打てなかったのか」
それは一球団だけの問題ではなく、野球界の旧態依然とした体質に原因があるのかもしれないと思い至った。ならば、僕の挑戦は、「企業買収」以上の意味を持つ闘いになると予想していた。
2004年6月30日、僕らは記者会見を開き、大阪近鉄バファローズ買収に名乗りを上げた。記者会見を開いたのにはワケがある。そうでもしないと、正式なオファーすら許されない感じだったのだ。近鉄は当時、(難航中とはいえ)オリックスとの合併話が進んでいたし、他球団のオーナーたちも「1リーグ制」に移行させようとしていたため一斉に反発した。巨人の渡邉恒雄オーナー(当時)には、こう言われた。

「オーナー会議で承認しなきゃ入れない。知らない人が入るわけにはいかない」
要は「一見さんお断り」、明らかな門前払いである。
■若い世代を拒絶する老害たちの「いじわる」
しかし不思議だった。僕たちは野球界の改革を邪魔するつもりはない。自分たちだけが儲けようと思っているわけでもない。僕らの参入は球界全体にとっても良い話だと思っていた。だから具体的な方策も発表した。
「球団株式を発行して、株主になってもらうことでファン層を拡大する」「選手にストックオプション(自社株を購入できる権利)を付与して、モチベーションを上げてもらう」「インターネットを活用して試合中継や情報配信を行う」など……。
そもそも当時の近鉄バファローズは、年間30億~40億の赤字を出していた。僕たちが運営すれば2年で黒字になる計画だった。それなのに、なぜ拒絶されるのか?
だんだんとわかってきたこと、それは年寄りのオーナーたちによる「若い世代へのいじわる」的な仕打ちなのである。自分たちも得できる可能性が大きいのに、なぜ僕らを拒むのか。
メンツを保つためなのか。
■ナベツネ「金さえあればいいってもんじゃない」
もちろん、古くからいる人たちに良き時代はあったのだろうし、その功績も大きいとは思う。しかし、今や彼らは利権を守るだけの「老害」ではないか。
「伝統がそれぞれあるんであって、『金さえあればいい』ってもんじゃないよ」
渡邉オーナーには、そこまで言われた(笑)。
でも冷静に考えてほしい。伝統を重んじるあまり、赤字を垂れ流し続け、最終的に球団をつぶしてしまっては本末転倒だろう。
しかし、こちらがどのように近鉄に働きかけても、オリックスとの合併から舵を切ることはなさそうだった。僕は「買収がダメなら新たにチームを作ろう」と考え、新球団の設立に踏み切った。
同年9月、新会社「株式会社ライブドアベースボール」を設立。僕はその社長を兼任することを発表した。同時に、仙台を拠点とした新球団の構想も打ち出した。世論を味方につけている自信があったし、浅野史郎宮城県知事(当時)の支持もあった。

ところが、すべてうまくいっていると思っていた矢先、楽天の三木谷社長が参入を表明してきたのだ。楽天は当初、神戸を拠点とした球団ということだったが、仙台に変更したという。つまり、僕たちライブドア(2002年にオン・ザ・エッヂから改名)は楽天と争うことになった。
■球団買収、設立を潰されて得た100億円の棚ぼた
最初に参入を表明したのは僕らだった。仙台を本拠地に選んだのも、浅野知事の承認を得たのもライブドアのほうが先だった。地元メディアの取材には積極的に対応したし、現地で飲食をするなど、仙台という地に馴染む努力もした。東北の他県にまで“遠征”して、東北密着型の球団になることも訴求した。
しかし、最終的には「老害」たちが密室で決めることになる。なんとも前時代的で、不健全な話だと思わないか?
11月2日。結果的に、新球団は「楽天」に決まった。
そもそも僕が新規参入に名乗りを上げなければ、楽天が新球団を作ることも、東北にプロ野球チームができることもなかったはずだ。だから、僕らは旧態依然としたプロ野球界に風穴を開けたのだと言える。
浅野知事からは、こんな言葉をもらった。
「ライブドアがNPB(日本野球機構)を動かした。それは歴史に残ることです」
とにかく、この件でライブドアの知名度は急上昇した。日本人独特の判官贔屓という感覚も手伝って、好感度も得られた。宣伝効果でいえば100億円以上になるだろう。実際、ライブドアの株価は急上昇した。
経営者としては「試合に負けて、勝負に勝った」と捉えている。

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堀江 貴文(ほりえ・たかふみ)

実業家

1972年10月29日、福岡県生まれ。実業家。SNSグループ株式会社ファウンダー。
現在はロケット開発や、アプリのプロデュース、また予防医療普及協会理事として予防医療を啓蒙する等、様々な分野で活動する。会員制オンラインサロン『堀江貴文イノベーション大学校(HIU)』(http://salon.horiemon.com)では、500名近い会員とともに多彩なプロジェクトを展開している。
著書に『小学ゼロ年生 7歳からの進路相談』(小学館集英社プロダクション)『体力が9割  結局、動いた者が勝つ』(徳間書店) 『僕が料理をする理由 AI時代を自由に生きる40の視点』(オレンジページ)など多数。
その他詳細はhttps://zeroichi.media/

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(実業家 堀江 貴文)
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