※本稿は、山口淑子・藤原作弥『李香蘭 私の半生』(朝日文庫)の一部を再編集したものです。
■国籍を証明すれば無罪を勝ち取れる
軍事裁判を待っているあいだ、二人の珍客の訪問を受けた。
一人は親友のリューバである。収容所に入って以来音沙汰はなかったが、やはり彼女は私の身を案じてくれていたのだった。彼女の祖国ソ連は戦勝国、しかも彼女は上海総領事館勤務だったので外交特権で収容所に自由に出入りできたのだけれど、私に迷惑がかかることをおそれ、しばらくは面会を遠慮していたのだという。
共産主義者の彼女と親友であることが中国側に知れると、事が複雑になり、私の立場が不利になるかもしれないと、秘かに取調べの模様を探っていたらしい。そして私のスパイ容疑がほぼ晴れたことを確認してから面会の手つづきをとったのである。
「ヨシコチャン、あとはあなたが日本人であることをはっきりと証明できさえすれば無罪釈放よ。国籍を証明するとか身分証明書とか、何かオーソライズされたドキュメント(書類)はないのかしら。私にできることはない?」
■日本人の両親から生まれた日本人なのに…
私がリューバとはじめて知りあったのは撫順(ぶじゅん)の小学校時代だった。彼女の住む奉天に移ってからは毎日のように会い、私の家に何度も遊びに来たことがあり、私が日本人の山口文雄・アイの長女であることを知っている。
けれどそのリューバが「私の親友、山口淑子は、日本人です」と証言したからといって、誰が信用するだろうか。
そのとき話を聞いていた川喜多長政氏(東宝東和株式会社会長)が眼を輝かせて言った。「北京の両親の許もとには、日本の役場から取りよせた戸籍謄本があるだろう」
満州や中国に移住した日本人は、日本国籍を証明するための戸籍謄本を何通か所持しているのが常だった。
■戸籍謄本の入手をロシア人の親友に託す
「リューバ、君は最近ハルビンや奉天に飛行機で行ったそうだね。北京にも用事で行くことはあるかい」「ええ、ときどき」
川喜多さんの頭にひらめいたアイディアは素晴らしかった。戸籍謄本を軍事法廷に提出すれば、日本国籍を証明する有力な証拠として採用されるかもしれない。「おねがい、リューバ。北京に行く機会があったら私の家に行って戸籍謄本をもらってきて」「まかしてちょうだい。近いうちに出張する用事を作るわ」
リューバは1時間ほど雑談して「また来るから、それまで元気でいてね」と手を振り、車に乗って去った。そのとき、つまり1946年(昭和21年)2月上旬以来今日まで、私は彼女に会っていない――。
■「裏切り者・李香蘭は死刑に」という世論
第3回の取調べには川喜多さんがついてきてくれた。
係官は、「中国と日本双方の関係者の証言で、李香蘭が日本人・山口淑子であることはほぼ立証されつつある。しかし、一般の中国人はいぜんあなたが中国人だと思いこみ、あるいは少なくとも中国人の血が半分は流れていると信じている。その李香蘭が戦時中は華やかな銀幕生活をつうじて祖国を売っておきながら、罪を追及されだすと、今度は実は日本人だったと称して日僑区にとじこもり、日本へ逃亡しようとしている――そう思っている人が大部分だ。死刑説が流れるのは、日僑収容所から引きずりだして監獄にぶちこんで厳正な裁判にかけよ、という一種のデモンストレーションなのだ。裁判の結果、少しでも中国人の血が流れていれば漢奸として処刑すべし、というわけだ」と説明した。
「完全な日本人であることを、決定的な物証ないし権威ある証拠書類で示せば、漢奸罪に関するかぎり、“無罪”になるわけですね」と川喜多さんが聞いた。「そうだ。証言や状況証拠はたくさん集まっている。憲兵隊や裁判所の心証も悪くはない。正統な物的証拠さえあれば――」
川喜多さんは戸籍謄本なるものについて説明しだした。日本国民はすべて「家」単位の戸籍に登録され、家族の誕生、死亡、結婚、離婚などに際しては、その異動を本籍地の市町村役場に届けることが義務づけられている。
役場は、その届け出にもとづいて戸主たる家長を筆頭に全構成員について親子、兄弟姉妹などの家族関係、生年月日、出生地などを記載した人別帳ともいうべき戸籍簿原本を記録保存している。
■ある日突然、古びた日本人形が届いた
係官は興味深く聞いていた。私たちはつぎの機会までに戸籍謄本を提出することを約束した。私も川喜多さんも、リューバがいずれ北京の両親から受けとってきてくれるものと期待をつないでいたのだった。
けれど、リューバはなかなか姿を現わさなかった。
北京へ出張する機会がなかったのかもしれない。あるいは北京の実家には戸籍謄本がなかったのか――。やきもきしているところへ、意外な贈り物が届いた。
いつも玄関の脇に見張り番で立っている若い兵士がある日「使いの人が持ってきた」と、小さな長方形の木箱を差しだした。いったんほどいて中を点検したとみえ、新聞紙とハトロン紙と細ひもが添えてあった。
このころには、若い兵士は、私たちにすっかり打ちとけていた。
彼がとりついだ木箱の蓋を開けたとたん、私は思わず声をあげた。木箱の中身は古びた小さな日本人形・藤娘だった。これは幼いころ母が日本から私のために買いもとめてくれたもので、撫順、奉天、北京と、どこへ引っ越しても私の部屋のタンスの上に飾っておいた懐かしい人形である。
■帯の中に細長くたたまれた戸籍謄本
「北京にいる母が届けてくれたのだわ。私の大好きな人形なのよ」と説明すると、兵士は「よかったですね」とそれ以上あらためずに引き退(さ)がっていった。
眼の前が明るくなった。なつかしいお人形が届いたことはうれしい――が、そんなセンチメンタルな気持よりも、この藤娘は誰がどうやって持ってきたのだろうと考えたとき、「リューバだ!」と思いあたった。
けれど川喜多さんたちと中をあらためてみたが、手紙らしいものは入っていない。菅笠(すげがざ)、振袖の中にも見当たらない。
帯を解いていくと、その布地の内側に、薄い紙切れが、細長くたたんで縫いこまれてあった。震える手で広げていくと、それは、しみのにじんだ半紙、山口家の戸籍謄本だった。
「右に相違なきことを証明す」――この書類が、私の存在を証明してくれるのだ。
■完璧な証拠なのに理解してもらえない
けれどこのうすっぺらなシミだらけの紙切れが国際的に通用するかどうかは別問題だった。果たして、この戸籍謄本は一応、受理されたものの、係官は「この名簿に記載された山口淑子という人物と、目の前にいるあなたが同一人物であることをどう証明するのか。指紋照合のように科学的な根拠があるわけではなし」ときわめて素っ気ない態度なのである。
そのころの中国には、日本のような厳密な戸籍制度がなかったと思う。したがって係官は、この一枚の薄い紙が持っている意味が理解できなかったのである。当時の中国の映画界では、女優はいつまでも若くいられた。本人の申告以外に年齢を証明するものがないから“自称”が通用するのである。満映にはいつまでたっても17歳の中年女優がいた。
川喜多長政氏の『私の履歴書』によれば、その間の事情はつぎのとおりである。
〈このとき初めて私は、日本人の身元証明書が、いかに粗末で怪しげなものかということを発見し、考えようによっては、日本は住みよい国だと思った。ペラペラな紙に鉄筆で読みにくい字が書きなぐってある。某々村村長の印も安っぽい。照合番号すらついていない。外国の官憲が、こんな怪しげな書類を信用するはずがない。だいいちこれでは、その山口淑子が李香蘭と同一人物だと証明できない。
そこで私は、日本に留学したことのある中国人に頼んで、憲兵に説明してもらった。問い詰められると不合理な点ばかりだが、その熱心さと、戦時中の私の行動が憲兵に知られていたおかげで、最後には「お前を信用する」と言ってくれた――〉
■使命を果たし、家族を励ましてくれた親友
北京の両親から戸籍謄本の入った藤娘を受けとってくれたのは、やはりリューバだった。しかも、彼女はその使命を、だれにも迷惑がかからぬよう、さり気なくやってのけたのだった。結局彼女は、その秘密計画を事前にも事後にも他人に知られることなく実行し、成功した。この間の真相を知ったのは、父母や弟妹たちが日本に引き揚げてきてからのことである。
1946年(昭和21年)2月、家財は没収され、一家8人タケノコぐらしをしていた北京の山口家に、ある日突然、碧眼(へきがん)の白人女性がたずねてきた。
「お久しぶりです。おばさん!」とその外人が日本語であいさつしたので母はびっくりしてしまった。「10年以上も会っていなかったので、彼女があのパン屋の娘さんだと思いだすまでには時間がかかって」
リューバはお父さんの代理で北京に出張してきたと言い、私や川喜多さんたちは収容所に軟禁され監視されているが元気だと伝えた。
「実際に会ってきたからまちがいありません。世間には李香蘭有罪説が囁(ささや)かれているけれど大丈夫。私もできるだけのことをしますから、安心して――」
■北京の新聞は「死刑執行」と報道済み
このリューバがもたらした情報と激励の言葉は、父母や弟妹たちを狂喜させたという。前年の暮に北京の一部の新聞にも李香蘭の死刑が執行されたとの記事が載り、半ばあきらめていたところだった。父はその新聞記事を切りぬき、私の死亡が確認できたらその日を私の命日と定めるつもりだったという。死刑執行日は上海の新聞が報じた「12月8日」という情報とぴったり合致していた。
李香蘭が上海の競馬場で銃殺刑に処された――ということは、日本でも戦後のある時期まで“定説”になっていたという。また戦後数年たって旧満州・大連関係者の会合に出席した際「あなた、しゃべれるのですか!」と聞かれてびっくりしたことがある。漢奸裁判で有罪判決を受けた李香蘭は、二度とうたえぬように舌を切られた、という噂が流れていたのである。
リューバは、裁判がまもなくはじまるが、漢奸容疑についての無罪を確保するには、日本国籍を証明する権威ある書類が必要だ、と言い残して宿舎の六国飯店にひきあげた。
■戸籍謄本が本人の手元に届くまで
父と母は、一計を案じ私が大事にしていた藤娘の人形の帯をほどき、細ながくたたんだ戸籍謄本をぬいこんだ。そして妹の悦子にリューバの宿舎に届けさせた。悦子は藤娘に細工が施されていることも知らずに、「このお人形、上海の淑子姉さんに届けてほしいそうです」と手渡し、リューバはその木箱の包みを抱えて飛行機に乗りこんだのである。
帰国後、母は述懐した。「お父さんと私は、人形の中に謄本をしのばせたことを、悦子にもリューバにも一言もいわないことにしたの。だってリューバは戦勝国のお役人でしょう? 戦犯にひとしい敵国の被告を救済する手引きをしたとわかったら迷惑がかかると思って。ばれても、私たちが勝手に密送しようとしたのであって、リューバは知らなかったことにしたかったの」
リューバも何もたずねずに、悦子には「必ず届けますと伝えてね」とだけ言ったという。聡明なリューバのことである。詮索(せんさく)などするはずがなかった。私の両親に戸籍謄本の必要を訴えた翌日に小包を託されたことだけで、事情を察し、何も知らないふりをして運び役を買って出たにちがいない。収容所には使いの者に届けさせたという配慮も、そうした思いやりの延長だったのだろう。
■判決前日、裁判長から伝えられた“内示”
2月中旬、私は軍事裁判所の法廷に召喚された。この日も川喜多さんがつきそってくれた。これまでに取調べは何度か受けたけれど、裁判官の居ならぶ法廷の被告席にすわるのははじめてだった。法廷は軍政部の一室で、私たちの前の小高い机には10人ぐらいの軍服姿や私服姿の係官が横にならんでいた。
雰囲気はいかめしかったが、気が軽かった。前日、裁判長の葉徳貴(ようとくき)さんから川喜多さんに連絡があって「明日ですべてが終わりますよ」というニュアンスの“内示”があったからである。裁判の形式をとるのは正式手続きを踏んだ法廷記録を残すためで、いずれにせよ、私の日本国籍が証明され漢奸容疑が完全に晴れた旨、判決を下すセレモニーが必要だったのである。
葉裁判長の軍服姿には威厳があったけれど、私たちは何度か会っていて、彼が気持の優しい人物なのを知っていた。一方、葉さんも上海の中国人社会の要人たちから川喜多長政なる人物の評判を聞いて、信頼をよせるまでになっていた。
■無罪判決でも、法廷で謝罪した理由
書記官が、これまでの取調べについて説明し、戸籍謄本とその信憑(しんぴょう)性に関して報告した。これを受けて裁判長が「これで漢奸の容疑は晴れた。無罪」と宣言して、小さな木槌をトンと打った。それから「ただし全然、問題がなかったわけではない」とつけ加えた。
「この裁判の目的は、中国人でありながら中国を裏切った漢奸罪を裁くことにあるのだから、日本国籍を完全に立証したあなたは無罪だ。しかし、一つだけ倫理上、道義上の問題が残っている。それは、中国人の芸名で『支那の夜』など一連の映画に出演したことだ。法律上、漢奸裁判には関係ないが、遺憾なことだと本法廷は考える」
私は「裁判長」と発言を求め、一連の映画の企画、製作、脚本についてまで私が責任を持つことはできないけれど、出演したのは事実であると述べ、「若かったとはいえ、考えが愚かだったことを認めます。申しわけなく思っております」と陳述した。
葉さんは、大きくうなずいた。
「さっそく国外退去の手続きをとる」
こうして無罪、追放、帰国と、事態はとんとん拍子で進んだのである。
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山口 淑子(やまぐち・よしこ)
歌手、女優、政治家
1920年中華民国奉天省生まれ。翊教女学校卒。1938年、満州映画協会から中国人「李香蘭」としてデビューし、人気スターに。終戦後、国外追放となり1946年に帰国。国内外で女優として活躍した。イサム・ノグチとの結婚・離婚を経て1958年、外交官大鷹弘と再婚、女優業を引退、1969年にワイドショー司会者として芸能界に復帰。1974年、自由民主党から参議院議員選挙に立候補し当選、1992年に引退。1993年、勲二等宝冠章受章。2014年9月逝去。
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藤原 作弥(ふじわら・さくや)
作家、経済ジャーナリスト
1937年宮城県生まれ。東京外国語大学フランス語科卒。1942年に父とともに北朝鮮の清津に渡り、1944年、旧満州の興安街へ移住。一年半にわたる難民生活を経験し1946年11月に帰国。1962年、時事通信社に入社。経済部などを経て解説委員長。1998~2003年、日銀副総裁。2025年10月逝去。著書に、『満州、少国民の戦記』『満洲の風』など多数。
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(歌手、女優、政治家 山口 淑子、作家、経済ジャーナリスト 藤原 作弥)

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