本稿は、村上祥子『84歳。食べて、歩いて、カッコよく生きる』(プレジデント社)の一部と、2024年のインタビューを再編集したものです。
■84歳の華奢な体に秘められたエネルギー
「たまねぎ氷®」「バナナ酢®」「にんたまジャム®」……。これらはすべて料理研究家・村上祥子さんが、体の不調に悩む人の声を聞き、栄養学の観点から考案して商標登録したもの。村上さんのモットーは「ちゃんと食べて、ちゃんと生きる」だ。
「100年も生きなきゃいけないんだから、ちゃんと食べなきゃだめよね。最後まで自分で食べることが大事なのよ」と、穏やかながらも力説する。村上さん自身の元気の秘訣は、やはり“食”なのだろう。
1942年、福岡県北九州市で村上さんは生まれた。生家は、廻船問屋で財を成した祖父のおかげで裕福な暮らしをしており、戦争前、日々の食事は、ねえややばあやがつくっていた。
「母はお手伝いさんへの指示の出し方は上手だったけど、料理はできない人だったの。
長じて大学の家政学部に進学したのも、幼いころに料理の楽しさを知ったことが大きかった。しかし、大学は料理を学ぶ場所ではなく、村上さんの好奇心を満たしてくれることはなかった。そして大学を卒業してすぐに結婚し、専業主婦に。
「新婚でも、料理は40代熟練主婦ぐらいの腕前だったのよ」
■社宅ではじめた料理教室
そんな村上さんが、本格的に料理を人に教えるようになったのは、夫の仕事の関係で東京の社宅に住んでいた27歳のとき。同僚の妻であるアメリカ人のアンさんに日本の家庭料理を教えてほしいと言われたことがきっかけだった。
「ご主人に『日本のおせち料理が食べたい』と言われたというので、わが家のおせちをお裾分けしたのがきっかけで、玉子焼きなど日本のおかずを教えるようになりました。しばらくして、アンさんが六本木のアメリカンクラブでその話をすると、日本人の夫をもつ外国人の奥さま方が『私も、私も!』と手を挙げたものだから、12名ほどに料理を教えることになったのね。社宅でしたから、会社の厚生課に許可をもらい、『アンさんの料理教室』が誕生しました。
商家の血筋なのだろうか、“料理を教える”という仕事に出合い、村上さんは次々とビジネスセンスを発揮していく。
3人目を出産したばかりのタイミングで「アンさんの料理教室」を始めた村上さんは、育児と料理教室を両立させるという問題もクリアした。
「日本を知ってもらうにはどうすればいいか、試行錯誤しました。アメリカやドイツ、オーストラリアの人たちが日本の家庭料理を学びたいというのですから、私も日本を背負って立つような意気込みです。でも、3人目が生まれたばかりで、子守りをしてくれる人がいなければ、どうにもなりません。私も夫も早くに母親を亡くしていますし、私の妹は当時、ニューヨークにいましたから、頼れる親族がいなかったのです。それで、同じ社宅でピアノを教えている方に3人目が生まれることを知り、その方を訪ねて『ピアノのレッスン日は、私が子どもたちを預かります。私の料理教室の日は、あなたが私の子どもを預かってくれないかしら?』と交渉したの。とても理解の早い方で、二つ返事で私の提案にのってくれました」
■仕事はつかみにいくもの
村上さんの実行力の高さを物語る逸話はほかにもたくさんある。イタリア製の圧力鍋の新聞広告を見て、記載してあった電話番号に電話をし、「広告は圧力鍋の機能、ハード部分の説明です。鍋の中にビーフシチューが入っていれば、主婦のハートを鷲づかみできると思いませんか?」と伝えた。すると、すぐに担当の部長と課長が、「もっと話しを聞かせてほしい」と、村上さんの家を訪ねて来て、ビーフシチューを煮込んだ圧力鍋の一面広告撮影の仕事を得ることに。
■“おいしい”は生きている証し
東京では料理教室の人気が高まると同時に、テレビや雑誌などのメディアへの露出も増えていった。少しずつ料理研究家として成長し、活動の場を広げていくが、夫の転勤で福岡県北九州市に引っ越すことに。
「長男と長女は東京の私立中学に進学しており、『東大も夢ではない』と意気込んでいたのですが、転校させました。ふたりには悪いことをしたと思います」
そういう村上さんも、順調だった料理研究家としての仕事をすべて手放し、夫について行くことに。しかし、持ち前のバイタリティもあり、行く先々で地元新聞紙のレシピ連載など仕事をつかんでいく。
すべてが順調にいっているかのように見える村上さんの人生だが、原因不明の病を長く患ったこともある。
「高熱が続き、内科、耳鼻科、脳外科など大学病院で何度も検査をしましたが、原因はわかりませんでした……。『虫歯が原因とかじゃないの?』と夫に言われ、歯科を受診すると、やっと“慢性顎骨骨髄炎”だとわかりました。治療が始まり、4年で8回の手術をして歯を14本抜き……今ではすべて義歯になりました」
そんな入院中のあるとき、夫がイタリアから届いた生ハムを届けてくれた。それが大変なおいしさ。
しかし、手術を繰り返していたときでさえ、料理研究家としての執筆活動や料理教室を継続。多忙を極めていたが、仕事をセーブすることはなかったという。
「そうね、今考えると不思議。どうやって仕事をしていたのかしらね。テレビのレギュラー番組も大学の講師の仕事もキャンセルした覚えはないのだけれど(笑)」
きっと機転を利かせ、持ち前のパワーで乗り切ったのだろう。
■仕事がある限り自分らしくいられる
結婚後、夫の転勤のたびに転居を繰り返し、家族全員で各地に暮らしてきたが、48歳のとき、もう転勤はないだろうと踏んで、空港にアクセスしやすい福岡市内に自宅兼料理スタジオを建築した。
その後、子ども3人が巣立った54歳のときに東京・西麻布に料理スタジオを開設し、東京と福岡を行き来する生活となった。60歳を越え、自著『頑張らない台所 60歳からはラクしておいしい』(大和書房)を上梓すると、シニアブームのなか、さらに注目を集め、『徹子の部屋』(テレビ朝日系列)や『月曜から夜ふかし』(日本テレビ)など、多くのテレビ番組にも出演した。
夫は、仕事に打ち込む村上さんを「やりたいことがあるのはいいことだ」といつも応援してくれていたそう。
「私が考案したレシピの特許申請を行ってくれていたのも夫です。彼は私にとって最高の親友であり、パートナーであり、アドバイザー。猪突猛進する私をずっと見守ってくれていました。夫のいない生活は寂しいものですが、過去を振り返ってばかりいても仕方がありません。次のステップに進まないと。最後まで自分らしくいたい。仕事をしている限り、私らしくいられると思っています」
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村上 祥子(むらかみ・さちこ)
料理研究家/管理栄養士/法人福岡女子大学客員教授
1942年福岡県生まれ。結婚後、27歳で料理教室をはじめ、料理コンテストの優勝をきっかけに料理研究家の道へ。1985年より福岡女子大学で栄養指導講座を担当。治療食の開発で油控えめでも一人分でも短時間調理ができる電子レンジに着目。
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(料理研究家/管理栄養士/法人福岡女子大学客員教授 村上 祥子 インタビュー取材・構成=江藤誌惠 撮影協力=品川プリンスホテル「コーヒーラウンジ マウナケア」)

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