■浅井長政の「巨大山城」にいまだ残る夫婦の名残
織田信長(小栗旬)は妹の市(宮﨑あおい)を嫁がせることで、近江(滋賀県)の浅井長政(中島歩)と同盟を結んだので、それ以後、NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」には、浅井氏の居城だった小谷城(長浜市)がよく登場している。第11回「本圀寺の変」(3月22日放送)では、CGで復元した当時の小谷城の全体像も映し出された。
それを見ると、谷が山麓に三角形に入り込んで建物が建ち並び、その谷を高い山が馬蹄形に囲み、山の尾根伝いをゴツゴツした出っ張りが覆っている。パッと見ただけではどういう構造で、長政や市はどこにいたのかなど、ちょっとわかりにくい。
しかし、小谷城が春日山城(新潟県上越市)、七尾城(石川県七尾市)、観音寺城(滋賀県近江八幡市)、月山富田城(島根県安来市)と並んで「戦国五大山城」に数えられると聞けば、かなり険しい山中に展開していたことは想像がつくだろう。
第12回(3月29日放送)はタイトルも「小谷城の再会」で、ここを信長のほか木下藤吉郎(池松壮亮)や小一郎(仲野太賀)も訪れる。そこで、これを機に浅井氏の本拠だったこの戦国屈指の山城を、徹底的に踏破してみることにした。
■市や茶々が生活していたと考えられる場所
城郭が築かれた馬蹄形の小谷山の南麓は、谷が深く入り込んでいる。ここ「清水谷地区」は今では木が生い茂り、地面は湿地のようにぬかるんでいるが(水が豊富に湧き出るようだ)、往時は道の両側に重臣の屋敷がズラリと並んでいた。
その一番奥は「御屋敷」と呼ばれる。もちろん浅井氏の当主の居館跡で、主に公的な接待などがここで行われたと思われる。
案内板には「お市の方とその子供達もこの館で暮らしたと思われる」と書かれている。ここに暮らしたのか山上で暮らしたのか、説が分かれるが、浅井長政が信長に反旗をひるがえす前は、市や娘たちはここにいたのかもしれない。いまは鬱蒼たる森だが、そのころは木々が伐採され、光がよく差し込んだはずだ。
清水谷の入口まで戻り、東側(谷の奥に向かって右側)の尾根上へ登っていこう。この尾根全体が小谷城の「本城」(主要部)」にあたる。ジグザグの山道をしばらく登ると、尾根の最先端に設けられた「出丸」がある。2段の曲輪(造成した平坦地)とそれぞれを囲む土塁が見事に残る。
ここからが本格的な山道で、直線で800メートル近く登ると、本城の入口の「番所」跡にたどり着く。
■裏切り者の首を置いた「首据石」
本城の中心部はまだ先だが、150メートルほど登ると、「御茶屋」「御馬屋」「桜馬場」という規模の大きな曲輪が階段状に連なっている。いよいよ城内に突入である。御茶屋や桜馬場の一部では木々が伐採され、山上からの眺望のよさに驚かされる。
城が機能していた時代には、周囲の木々は伐採されていた。だから、どこからでも近江一帯が見渡せ、敵が陣取る虎御前山の様子もつぶさに見てとれただろう。筆者はもっと木を伐採し、かつての城内の眺望を取り戻したほうが、城の価値が高まると考えているが、こうして若干でも周囲を見下ろせると、戦国大名が山城にいた意味がじつによくわかる。
桜馬場の東下には「馬洗池」、その北には「首据石(くびすえいし)」が残る。馬洗池は実際には馬を洗ったのではなく、桜馬場東側の石垣を敵が上るのを防ぐ水堀だったと考えられている。ちなみに城内の各エリアの呼び名は、ほとんどが江戸時代の絵図などにもとづいていて、浅井時代の機能を表しているとはかぎらないのだ。首据石は、六角氏に内通した家臣の今井秀信の首をここにさらしたと伝わる。
■今はクワガタが本丸の主
桜馬場から北へ登るには、城の中枢への入口だった「黒金門」をとおる。巨石がゴロゴロ転がっているが、これは小谷城を廃城にする際、秀吉が破城(城を破壊すること)を行った痕跡で、敗者への懲罰の意味もあったと思われる。城が現役のころは、訪れた人を威圧する巨石が積まれていたはずだ。
黒金門の先は南北85メートル、東西35メートルと城内で最大規模の曲輪がある。「大広間」と呼ばれ、清水谷の御屋敷と並ぶ浅井氏の居館の跡だとされる。
2棟の御殿のほか蔵や井戸の跡が見つかり、蔵の跡からは銅鏡や化粧用具、陶器などが数多く出土した。銅鏡といえば、「豊臣兄弟!」第11回で市が所有していたものが頭に浮かぶ。嫁いだ最初からか、夫が信長に反旗をひるがえしてからか、いずれにせよここに市がいたのはまちがいない。ここで生まれた娘もいたのだろう。
大広間の北辺には石垣が残り、その上の一段高所が「本丸」だ。3棟以上の建物跡が見つかっていて、ここにも御殿があったようだ。本丸周辺にはクヌギの木が多い。夏の朝に訪れれば、おそらくミヤマクワガタがたくさん採れる。それでも、城を城らしく見せるには伐ったほうがいいんだよなあ、などと考える。
■秀吉が破壊した名残の巨石
さて、本丸からさらに北に向かうと、巨大な堀切(尾根筋を断ち切る空堀)で遮られている。そうなのだ、小谷城の本城は、この大堀切を境にして南北(上下でもある)に二分されているのだ。北(上)側は「中丸」「京極丸」「小丸」「山王丸」と曲輪が連なっている。
中丸は南北三段からなり、あちこちに石垣が現存する。その北の京極丸は、近江の守護だった京極氏の居所として設けられたといわれ、複雑な構造で石垣と高い土塁で守られていた。その北側の一段高い曲輪が、浅井長政の父の久政が隠居後にすごした小丸だ。
その北の山王丸は本城全体の詰の城(最後の防衛拠点)で、南側の虎口(城の出入口)にも巨石がゴロゴロしている。秀吉による激しい破城の痕跡だ。一方、曲輪の東側斜面には高さ5メートルの大石垣が崩されずに残っている。陰の部分だったので気づかれなかったのか。かつての小谷城は、こういう石垣が広範囲に積まれていたのだ。
■浅井長政が自刃した場所
ところで、京極丸の西側には石垣で固められた(崩されているが)、厳重な枡形虎口(敵を直進させないために、2つの門の間に四角い空間を設けた虎口)がある。
秀吉は天正元年(1573)8月27日、3000ほどの兵を率いて清水谷から水の手の急傾斜を登って、この虎口を急襲。本城を、先ほど見た大堀切を境に、父の久政が守る小丸中心エリアと、長政が守る本丸中心エリアに分断した。父子それぞれがどのエリアに拠点を置くか、城の構造とともに知っていればこその作戦で、さすが秀吉とうならされる。
結果として、久政はその日のうちに自害に追い込まれた。こうなると長政も抵抗する術がない。9月1日には本丸が占拠されてしまったので、黒金門の手前、首据石の脇から大広間と本丸の東下に位置する赤尾屋敷に回り込み、自害したと伝えられる。これをもって小谷城は完全に落城した。
これに先立ち、市と3人の娘たち、茶々、初、江は、大広間から脱出したのだろうか。
■役に立たなかった朝倉氏の最新技術
ここまでの最高所は山王丸の標高約400メートルだが、小谷城はこれだけでは終わらない。西側の尾根伝いも小谷城だ。山麓から見上げたとき、三角に尖って見える標高495メートルの山頂には「大嶽」がある。
東側の本城は山王丸の北に、寺院が建ち並んでいた「六坊」がある。そこから直線距離で約500メートル。山をある程度下ってから急斜面を登っていくので、大嶽にたどり着くのはかなりきつく、訪れる人はあまりいないようだ。
大嶽は土塁で囲まれた主郭を中心に、曲輪が段々状に造成され、横堀がめぐり、斜面には竪堀を掘って敵の侵入を防いでいる。ここだけで独立したひとつの城のようだ。久政の父の亮政が小谷城を築いた当初は、ここが小谷城の中心だったと考えられている。ただし、政務や生活の中心は山麓で、大嶽はあくまでも詰の城だったのだろう。さすがにこの険しい山頂に住むというのはきつすぎる。
ここから西側の尾根伝いを南に下っていくと、途中に「福寿丸」、続いて「山崎丸」という大規模な曲輪がある。これらは石垣が積まれていない代わりに、土塁と空堀に横矢掛(防塁を折り曲げて敵を横から攻撃できるようにした仕かけ)がたくさん設けられ、斜面には敵の横移動を防ぐ縦堀も数多く設置されている。
■小谷城は焼けなかった
これらの曲輪は、浅井氏が信長と敵対して以後、朝倉の技術によって築かれたと考えられている(最初に見た出丸も同様だ)。浅井父子と組んで信長に抵抗した朝倉氏の本拠地、越前(福井県北東部)の一乗谷(福井市)は、小谷落城に一足先んじて8月18日に信長軍の放火によって焼失。当主の朝倉義景は20日に切腹した。
その朝倉氏が最新技術で築いた曲輪が、小谷城の決戦でなんら役に立たなかったのは象徴的である。
ちなみに、朝倉氏の一乗谷は放火で燃え尽きたが、小谷城は焼けていない。発掘調査でも焼土の跡は一切出てきていない。だから、よく歴史ドラマで小谷城が焼け、その中から市や娘たちが救い出されるシーンがあるが、あれはウソである。彼女たちは少なくとも、火の気のない山道をとおって落ち延びた。
そして秀吉は、琵琶湖の岸辺に長浜城(長浜市)が完成するまで小谷城を使ったので、落城後も2年ほどは命脈を保ったこと。おそらくその後、建物を壊し、石垣を崩し、石の一部を長浜に運ぶなどして、小谷城は眠りについた。
さて、これだけ踏破するのに歩数計によれば、およそ1万8000歩、階段だけで2300歩ほど。あらためて戦国の人たちの健脚には恐れ入るばかりである。
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香原 斗志(かはら・とし)
歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に『お城の値打ち』(新潮新書)、 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。
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(歴史評論家、音楽評論家 香原 斗志)

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