※本稿は、奥田祥子『抱え込む男たち ケアで読み解く生きづらさの正体』(朝日新書)の一部を再編集したものです。
■「ケア」に慣れていない男性たち
「ケアする」ことに慣れていない男性は、わが子の子育てや親、配偶者の介護など身体的行為を伴うケアにおいて戸惑いや不安、悩みを抱えているケースが多い。
ジェンダー規範に基づく伝統的な性別役割によって、長い間、女性に負担を強いてきたのが、育児や介護、家事といった家庭での無償のケア労働である。世界がジェンダー平等を希求する今、そうした古い男女の役割分業の価値観から脱し、身体的ケアは男性も、女性と同じように分かち合うべき役割と見なされている。
それは社会や女性たちからの要請でもあるが、メディア報道も相まって、ケアが不得手なうえに、長時間労働などによって育児に携わる時間的な余裕のない男性たちに、プレッシャーとして重くのしかかっている場合が少なくない。
育児など身体的ケアの提供をスムーズに効果的に進めるためには、相手への気遣いや配慮などが不可欠であるにもかかわらず、男性は女性に比べて、情緒的ケアの能力に劣る傾向にある。
男性が情緒的なケア力に乏しいまま身体的ケアにあたると、ケアの受け手が求めるニーズをくみ取れずに相手との関係に溝を生じさせるばかりか、子どもへの心理的、身体的虐待など、重大な問題につながりかねないリスクを抱えているのである。
本稿では、わが子の子育てに取り組みながらも、情緒面を含めたケア能力が不十分なために、深刻な事態を招いた事例を紹介する。
■「イクメン」を目指す新婚男性だったが…
「育てる男が、家族を変える。社会が動く。」――をキャッチフレーズに、厚生労働省が父親の育児参加を促す広報事業「イクメンプロジェクト(*1)」を発足させた2010年。
ある自治体が主催した幼児のいる男性を対象にした「父親講座」で出会ったのが、中小のSIer(エスアイヤー。
「『イクメン』は流行語みたいになっていますけれど……実際には男性が育児を行うことは、長時間労働とか今の職場環境では難しいですよね。ましてや育休を男性が取得するなんて、非現実的です。で、でも……僕は、職場の『常識』を覆したい。子どもができたら必ず育休も取って、積極的に子育てをしたいと考えているんです」
話している途中で気持ちが昂ってきたようで、頬に赤みが差し、語気が強まる。河本さんの子育てに懸ける熱意を強く感じ取ったことを、当時の取材ノートに彼の表情や口調、様子とともに詳しく記している。2歳年上の妻は大手メーカーで総合職として働き、管理職を目指しているという。
(*1) 厚生労働省は2025年7月、「イクメンプロジェクト」を終了し、新たな官民連携事業「共育(トモイク)プロジェクト」を開始すると発表した。男女の公平な家事・育児の分担や長時間労働の見直しに向けた啓発活動などに取り組むという。
■「仕事と育児の両立」への不安
当時はまだ男性の育休取得率が1.38%(10年度の厚生労働省「雇用均等基本調査」)で、女性活躍推進法が全面施行される6年も前のこと。
一方で、河本さんは自身の仕事と育児の両立、そして父親としての不安も打ち明けた。「僕も妻と同様に、職場で指導的役割を担っていきたいと考えているので、仕事と子育ての両立が差し迫った大きな課題ですね。それと、子どもには、頑張って働いているお父さんも、自分とよく遊んでくれるお父さんも、両方の姿を肌で感じてもらいたい。
でも……そのー、わが子とうまくやっていけるのかと……。僕の父親は仕事人間で、幼い頃、キャッチボールとかして遊んでもらった記憶がないんです。それに……やっぱり、子どもはお母さんになつくのかな、なんていろいろと考えてしまって……。
それで、まだお父さんにもなっていないのに、無理言って『父親講座』に参加させてもらったんです」
職場での問題点は明確に認識している反面、父親としての戸惑いや悩みについては、うまく頭が整理できていないようだった。
■フリーのSEになり待望の第一子が生まれる
2012年、河本さんは32歳で男児の父親となった。
妻が半年の育休から職場復帰した直後から、当時男性としては彼の勤務する会社に限らず珍しかった育休を3カ月取得し、「日に日に成長していく息子の姿に驚かされることばかりです」と子育てのやりがいを語っていた。
だが、育休から仕事に復帰して半年ほどが過ぎたあたりから、面会取材で仕事に話を振ると言葉を濁すことが増え、さらに3カ月が経過するとインタビューを申し込んでも断られることが続いた。
そうして15年、2年ぶりに実現した取材で、35歳になった河本さんが当初の考えとは異なる働き方、そして父親になろうとしていることを知る。
インタビューを始める前に見せてくれた3歳数カ月の長男の6畳の部屋には、絵本や英会話の本がずらりと並んだ書棚のほか、自分の部屋から移動させてきたというハイレゾ(CDよりも高いレゾリューション=解像度)のオーディオ機器が設置されていた。
■違和感を覚えた「不自然な英才教育」
筆者がそれを見て取るのとほぼ同時に、河本さんが話し始めた。
「びっくりされたでしょう。でも、英才教育としてはごく普通の子ども部屋なんですよ」
「英才教育、ですか?」
「ええ、3歳になる2、3カ月前から始めたんです。一緒にクラシック音楽を聴いたり、絵本を読み聞かせたり……。そろそろ英会話のリスニングも始めようかと思っているんです。もちろん、今の段階で息子が知識や教養を身につけることを目的にしているんじゃないですよ。親子が共に楽しみながら、自然と言葉や音楽に慣れ親しみ、感性豊かに育ってほしいなと……。もう1年もしたら、次のステップです」
「次のステップとは、何をなさるんですか?」
「お受験、つまり難関私立大学までエスカレーター式で進学できる私立小学校を受験させたいので、その塾通いを始めます。妻は中学からエスカレーター式の有名私立大卒ですが、僕は高校まで公立で大学受験には苦労して結局は三流止まりですから……。
父親としての思いは貴い。ただ、無邪気な息子とは対照的に、時折見せる張り付いたような笑顔や視線が泳ぐ落ち着きのない様子、さらに仕事に関する質問の答えをはぐらかすなど、いくつもの不自然な応答に違和感を覚えたのも事実だった。
■息子を虐待し、病院に搬送される
違和感の正体に迫るまで、さらに5年の歳月を要することになる。
2020年、返信が途絶えても定期的に出していたメールでの取材申し込みに思いもよらず、河本さんから「オンラインでなら受けても構いません」と返事が来た。コロナ禍でインターネットを介したオンラインインタビューが増えている時期で、取材対象者の表情を読み取りにくいなどの難しさはあったが、彼の側としては内面を悟られないほうが話しやすかったのかもしれない。
取材前のメールでのやりとりでは、息子は今年公立小学校の2年生に進級した、とだけ記されていた。以前は黒髪だった河本さんの頭髪はグレー色になっていた。40歳にしては、少し老けた印象を受けた。
「実は、息子が途中でお受験のための塾通いを嫌がるようになって……それで、もう目の前が真っ暗になってしまって……そのー、虐待、してしまったんです、息子を……」
「虐待」とまでは想像しておらず、耳を疑った。声に出して確認する間もなく、彼が続けた。
「暴力は振るっていませんが、大声で叱りつけたり、息子が話しかけているのに無視したり……。それが1カ月ほど続いて、ある日、言うことを聞かない息子に対してむしゃくしゃして……お昼時でしたが、食事も水分も与えず、何も言わずに出かけてしまったんです。
7、8時間後、帰宅した妻が、息子が玄関先で倒れているところを見つけました。脱水症状でした……。2日後、息子が入院していた病院を退院すると同時に、妻子は家を出ていきました。あれから3年余りになります……」
■「立派な父親」への憧れが逆効果に
「どうして、息子さんに心理的虐待やネグレクトを行ってしまったのですか?」
「…………」
沈黙が長く続くかと思ったが、1、2分後にこう言葉を継いだ。
「立派な父親になりたかったんです……」
「もう少し、具体的に教えてもらえますか?」
「息子のお受験を成功させ、輝かしい未来へ導けるような、立派な父親。それを目指していました。三流大学を出て、中小企業に就職した自分みたいになってもらいたくなかったから……。息子のためを思ってのことです。でも、息子が言うことを聞かずに僕に反抗している状態では、わが子をうまく指導できていないダメな父親になってしまう。そんな、妻も周りもがっかりさせてしまう父親にはなりたくなかった。だから、つい……。それと、いや……」
河本さんはうつむいたまま、押し黙ってしまう。
■職場での挫折が虐待を加速させてしまった
不意に、彼が重い口を開いた。
「パタハラ、です……」
「えっ、今、何とおっしゃいましたか?」
思わず聞き返してしまう。
「僕が3カ月育休を取って仕事に復帰したら、職場で『仕事のできないイクメン』などと陰口をたたかれて、十分な仕事を与えてもらえないなどの嫌がらせを受け、下請け会社に出向というかたちで飛ばされてしまって……結局、左遷先での仕事に耐えかね、自ら辞職しました。
フリーとは名ばかりで、実際にはほとんど仕事はなく、共同名義の自宅のローン返済も含めて、妻に養ってもらっていたような状態で……。妻は30代後半で早々と課長に昇進した出世頭ですから……。それで、そのー……」
「つまり、息子さんの英才教育やお受験準備を熱心に進められた背景には、職場でのパタハラ、それに伴う辞職があったということなのですね?」
「ええ、まあ……息子の将来を考えていたことに変わりはありませんが、パタハラによる不本意なかたちでの辞職がなかったら、妻に対して引け目を感じることもなかったですし……そこまで息子の英才教育やお受験に執着して……そのー、虐待に走ることはなかったかもしれません。己の情けなさと、少しでも挽回したいという思いもありましたし……。息子の気持ちを考えずに進めてしまい……偽りの、誤った子育てだったと思います……」
■4年間の別居を経て、妻子との同居を再開
ここまで言い終えると、天を仰ぐ仕草をして深呼吸をした。別居が始まってすぐに再就職活動を行い、2カ月後、中小のIT企業の契約社員として職を得たという。
「奥さんと息子さんとは今後、どうされようと考えていますか?」
「もちろん、早くまた一緒に暮らせる日が来ることを待ち望んでいます。妻とは別居を機に少しずつではありますが、腹を割って話せるようになってきました。今はLINEや電話のほか、月に2、3回会って、心の距離を縮めている最中と僕は捉えています。ただ……妻と話し合ったうえで決めたことですが、息子には月に1回、会うだけでして……。欲を言うと、もっと息子とコミュニケーションを取りたいですね」
画面越しではあっても、顔を上げてこちらに視線を向けて話す様子からは、確固たる思いであることが伝わってきた。
息子への心理的虐待とネグレクトを告白したインタビューの後も年に1、2回のペースでオンライン、または対面での取材を続けた。妻子とは約4年に及ぶ別居を経て、2021年に同居を再開した。
インタビューのたびに、息子が公立小学校3年生から地域の少年野球チームに所属し、クラスメートを笑わせるユーモアのある元気な少年に成長していく様子などを穏やかな笑みを浮かべて教えてくれた。
■息子と心から楽しめたキャッチボール
25年の初冬、45歳になった河本さんに、対面取材としては2年ぶりに再会した。この年、息子は公立中学校に進学し、妻は部長に昇進した。自身も同時に、8年前に再就職したIT企業で地域限定正社員を経て、正社員となった。
「夫婦と子どもの3人がともに新たな節目を迎えて……僕だけが周回遅れのような気がしないでもないですが、あっ、はは……何とか2人に追いついて、無理せず、でも前を向いて少しずつでも前進していければと思っています。まだ道半ばですが、お互いに心を通わせることのできる息子、そして妻との関係を維持していければと……。今ようやく、そう、言えるようになった気がしています」
「息子さんとの関係がうまくいき始めたきっかけは、何だったのでしょうか?」
「キャッチボール、ですね。同居を再開してからしばらくして少年野球チームに入ったので、自主練習を兼ねて、初めて息子とキャッチボールをしたんです。英会話でもクラシック音楽でもなく、またお受験勉強でもなく、本当はこれを一緒に楽しみたかったんだな、って気づきました。
中学校でも野球部に入って今でも時々、キャッチボールをしています。息子のほうが下半身をうまく使って体重移動がスムーズで、ボールに力があって……。もうそろそろ、おやじのほうが子どものボールを受けられなくなるかもしれませんね。う、ふふ……」
そう言って相好を崩した。
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奥田 祥子(おくだ・しょうこ)
近畿大学教授、ジャーナリスト
京都府生まれ。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科博士課程単位取得退学。博士(政策・メディア)。元読売新聞記者。日本文藝家協会会員。専門は労働・福祉政策、ジェンダー論、医療社会学。2000年代初頭から社会構造を問うべき問題として男性の生きづらさを追うほか、職場のハラスメントや介護離職問題、シニア人材戦力化の課題、労働問題の医療化等を研究。最長で20数年にわたり、同じ取材対象者に継続的にインタビューを行う。主な著書にベストセラーとなった『等身大の定年後』(光文社新書)、『「女性活躍」に翻弄される人びと』(光文社新書)、『男性漂流』(講談社+α新書)などがある。近著に『抱え込む男たち ケアで読み解く生きづらさの正体』(朝日新書)。
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(近畿大学教授、ジャーナリスト 奥田 祥子)

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