NHK「ばけばけ」では、ヘブン(トミー・バストウ)の『怪談』が“幼稚な作品”として酷評されるシーンが描かれた。だが史実はまったく逆だった。
刊行当時の英語圏メディアは「唯一無二」「稀な技巧」と絶賛し、嫌われ役のイライザのモデルも八雲の最大の理解者だったという。ルポライターの昼間たかしさんが文献を基に検証する――。
■当時から好意的に受け止められた『怪談』
NHK朝の連続テレビ小説「ばけばけ」は、ついに完結の時。
最終回までどういう展開になるのか読めなかったが、3月25日の第123回では、ヘブン(トミー・バストウ)の死を知ったイライザ(シャーロット・ケイト・フォックス)が来日。そこまではいいが、アメリカでは『KWAIDAN』の評判はよくないというし、執筆のきっかけがトキだと知って激怒するという展開に。
翌26日の第124回では、ひたすら落ち込むトキ(髙石あかり)の姿が続くばかり。予想外の展開にSNSでも「本当に明日が最終回なのか」などと心配の声が見られた。
はっきり断言しよう。これは、イライザのモデルであるエリザベス・ビスランドへの風評被害である。いくら脚色とはいえ、史実とかけ離れすぎているのだ。
ついては、史実に基づいて、この出版がどう評価されたのか。そして、エリザベス・ビスランドの動向についても解説していきたい。

小泉八雲の代表作として今でも親しまれている『怪談(Kwaidan)』は、八雲生前最後の著作として、1904年4月にホートン・ミフリン社からボストンとニューヨークで刊行されている。
[Lafcadio Hearn, Kwaidan: Stories and Studies of Strange Things (Boston and New York: Houghton, Mifflin and Company, 1904), University of California Libraries, Internet Archive.]
この著作は、当時から実に好意的に受け止められた。初版の際に編集者が記した序文からは、その様子が見て取れる。序文の冒頭で編集者はこう記す。
■“ロシアに挑む日本”を理解できる本
ヘルンの日本研究の新作が刊行されるのは、折しも世界が日本の軍艦の最新戦果を固唾を呑んで待つ月と重なる、これ以上ない皮肉な状況だ。
[Lafcadio Hearn, Kwaidan: Stories and Studies of Strange Things (Boston and New York: Houghton, Mifflin and Company, 1904), University of California Libraries, Internet Archive.]

(*筆者による日本語訳)

折しも出版直前の1904年2月には日露戦争が始まっている。この戦争は欧米圏から見れば大国であるロシアに、東洋の新興国にすぎない日本が挑戦するというとんでもない戦争であった。オリエンタリズムに満ちた未開の国が列強に挑んでいるという構図は否が応にも人々の興味を引いた。
ちょうどその時期の出版ということもあり、出版社は日本の民族性や人々の意識を知る手がかりとして『怪談』を売り出そうとしていたし、その観点からも大いにウケた。実際、序文を書いた編集者も『怪談』が日本を知るために役に立つと自信を持っていたようで、以下のように記している。
ロシア国民にはトゥルゲーネフやトルストイという文学的代弁者がいるが、日本にはそういう存在がいない。通訳者が必要だ。
(中略)東洋のどの民族も、ヘルンほど完璧な洞察と共感を持って西洋語に伝えてくれた通訳者を持ったことはないのではないか。
[Lafcadio Hearn, Kwaidan: Stories and Studies of Strange Things (Boston and New York: Houghton, Mifflin and Company, 1904), University of California Libraries, Internet Archive.]

(*筆者による日本語訳)

■「幼稚」とは逆の反応
まさに絶賛である。さらに序文は批評家ポール・エルマー・モアが1903年2月の『アトランティック・マンスリー誌』に寄せた八雲への批評を引用している。
モアは、八雲の魔法の秘密は「三つの道の出会い」にあるとしている。インドの宗教的精神(とりわけ仏教)が歴史的に日本の美意識に接ぎ木され、そこにヘルンが西洋科学の解釈精神を持ち込む。
この3つの伝統が彼の特異な共感によって融合し「文学にこれまで存在しなかった心理的感覚を導入した」とモアは評した。序文によれば、この評論は八雲自身が感謝の言葉を書き送ったほど気に入ったものだったという。
[Lafcadio Hearn, Kwaidan: Stories and Studies of Strange Things (Boston and New York: Houghton, Mifflin and Company, 1904), University of California Libraries, Internet Archive.]
実際に当時の英語圏の新聞を確認すると、「幼稚」とはまったく逆の反応が見えてくる。まず刊行前の1904年2月3日、ニューヨークの日刊紙「ザ・サン」は短信でこう伝えている。
ラフカディオ・ヘルンの新著『怪談』は、日本の幽霊、妖精、精霊を扱っている。ヘルンは日本では小泉八雲として知られているが、東京から姿を消しており、行方は不明だ。しかし彼はしばしば隠遁するため、心配はされていない。

“Lafcadio Hearn's New Book”, The Sun, New York, February 3, 1904, Chronicling America, Library of Congress.)

(*筆者による日本語訳)

■「ヘルンの本は魅力的」と絶賛
この時点はまだ日露戦争開戦(2月8日)の5日前であり、怪談の刊行(4月)より2カ月早い。記事は短いながらも、ヘルンが行方不明でも「またいつものこと」と受け止められるほど当時の英語圏で著名な存在だったことを示している。
続いて刊行直後の4月11日、メイン州ポートランドの日刊紙「ポートランド・デイリー・プレス」は書評を掲載している。
ホートン・ミフリン社は、ラフカディオ・ヘルンによる日本と日本人についての驚くべき物語集を刊行した。読者はすでに彼の芸術における稀な技巧と、この上なく繊細な文学的職人技を期待することを学んでいる――しかも彼は同時に、日本を心から知っている。
“Kwaidan: Stories and Studies of Strange Things”, The Portland Daily Press, Portland, Me., April 11, 1904, Chronicling America, Library of Congress.)

(*筆者による日本語訳)

さらに同記事はこう続ける。
本作は幽霊、妖精、精霊を扱っており、著者は超自然の領域に大胆に踏み込み、我々の想像力と空想を巧みに捉えた。ヘルンの仕事は唯一無二であり、丁寧に選び抜かれた美しい素材で織り上げられている。ヘルンの本は魅力的だ。(同上)

(*筆者による日本語訳)
「rare skill(稀な技巧)」「most delicate literary workmanship(この上なく繊細な文学的職人技)」「unique(唯一無二)」「charming(魅力的)」
これは、幼稚どころではない。絶賛の嵐である。
■「幼稚」の評価は確認できない
そしてヘルン死去(9月26日)からわずか5日後の10月1日、ニューヨークの有力紙「ニューヨーク・トリビューン」は追悼書評を掲載した。
見出しは「LAFCADIO HEARN――アメリカ文学における唯一無二の作家」である。
ヘルンは言葉において常に繊細な職人だった。ときに繊細すぎるほどに。彼の英語は時に過剰な洗練を帯び、何か病的な温室育ちの印象を与えることもあった。しかし散文作家として、また人種の謎を指で探る心理学者として、彼が残した最後の言葉はまだ研究されるべきだ。
“Lafcadio Hearn: A Writer Unique in American Literature,” New-York Tribune, October 1, 1904, Chronicling America, Library of Congress.)

(*筆者による日本語訳)

さらに怪談の収録作について、同記事は具体的にこう評している。
これらの物語の本質的な性格においては、ヘルン自身が発明したのではないかと感じずにはいられない。「外交」という物語などは、東洋的精神を見事に体現している。このような物語は東洋においてのみ書かれうる。ヘルンはそれを書くことに喜びを覚えたに違いない。(同上)

(*筆者による日本語訳)
ここで「ヘルン自身が発明した」という表現は批判ではなく、彼の独自の創造性への賛辞として文脈の中で使われている点は重要だ。
三紙三様だが、いずれも一致しているのは、怪談を高く評価しているという事実である。
「幼稚」という評価は、少なくとも当時の英語圏メディアには存在しない。
■“八雲の死後”すぐに奔走したビスランド
では、実際にビスランドが『怪談』をどう評価しているのか。手がかりは1906年刊行の『ラフカディオ・ヘルン書簡集』第1巻にあった。
ここで、ビスランドは、こう記している。「『怪談』の中に『ひまわり』という小さな物語がある。これはヘルンの少年時代を垣間見せてくれるものだ」と述べ、その後こう続ける。
この素朴な物語には、後の人間ラフカディオ・ヘルンの父となる少年の本質を、最も鮮明に示す示唆が詰まっている。細部への鋭い観察力、音・表情・色・匂いへの震えるような感受性、深い優しさへの激しい情熱、そして何よりも怪奇なもの、不思議なものへの芽生えたばかりの関心。後者がすでにいかに大きな位置を占めていたかは、彼の死後に発見された自伝的断片からうかがえる……。
[Elizabeth Bisland, The Life and Letters of Lafcadio Hearn, vol. 1 (Boston and New York: Houghton, Mifflin and Company, 1906), Chapter I. Project Gutenberg.]

(*筆者による日本語訳)

八雲の情熱的な愛を拒絶した点から見ると、ビスランドに対して「やな女性だなあ」という感覚が拭えないが、史実のビスランドはむしろもっと複雑で食えない人物……ともあれ、文学面では最大の理解者だったといってよい。なにしろ、彼女は八雲の死後すぐに、その業績を残さねばならないと決意し伝記と書簡集の編纂を始めている。これにあたって、ビスランドは数多くの書簡の収集に奔走し1906年には刊行にこぎつけている。

■八雲一家が感じた“ビスランドの誠実さ”
ただ、問題だったのは「ヘルン自身が無視してほしいと思うであろう細部はすべて意図的に除いた。そのような詳細を掘り起こすことは一種の粗野な好奇心に見えるからだ」として、ビスランド視点で、都合の悪そうな部分は取り除いたことだろう。
[Elizabeth Bisland, The Life and Letters of Lafcadio Hearn, vol. 1 (Boston and New York: Houghton, Mifflin and Company, 1906), Chapter I. Project Gutenberg.]
死んだらすぐに動き出したビスランドの様子をみると、著名人の没後の「待ってました」とばかりに追悼本を出す出版社か? と見えなくもない。でも、セツを始め小泉家の人々はビスランドには好意を持っていた。
理由はまず、その書簡集の収益を小泉家に渡したからである。これはビスランド自身も描いているし、長男・一雄も、印税は母に送られたとあるから間違いないだろう。
そしてなにより、八雲の死後、英語圏では一雄の筆によれば「出鱈目のインチキ本」が多数出版されていたことで、ビスランドの仕事の誠実さが伝わったことが大きかった。
とにかく現代の追悼本のように、八雲の死を待ち構えていたかのように筆を走らせるヤツらは確かにいた。一雄が非難する「インチキ本」の著者の一人がフィラデルフィアの眼科医であるジョージ・ミルブリ・グールドの出版した『ラフカディオ・ヘルン論(Concerning Lafcadio Hearn)』である。グールドはかつて八雲が親交を深め、その後決裂した人物ゆえに内容は八雲を貶めるかのごとく批判的……いや、完全に誹謗中傷である。
■「トンデモ本」ゆえに訴訟も
なにしろ、本の中でグールドは、八雲を、宗教も道徳も誠実さも持たない、欲望に支配された存在として全否定。さらには、自身が眼科医であるとして「近視の詩人」という章を設けその文学を眼精疲労の産物と医学的に「診断」までしているのだ。
[George M. Gould, Concerning Lafcadio Hearn (Philadelphia: George W. Jacobs & Co., 1908). Project Gutenberg.]
こんなとんでもない本が許されるはずもなかったようで、一雄によればグールドがミッチェル・マクドナルド(米海軍の主計官で横浜グランドホテルの主要オーナーでもあり、八雲の文学遺産管理人)に訴訟を起こされ、世間からも非難を浴びて人知れずどこかに移住したという。
このほかにも、一雄は、伝記を書いたニナ・ケンナードにも嫌悪している。八雲の異母妹、アトキンソン夫人(一雄にとっては叔母)へ送った書簡を基に伝記を書いた人物だ。八雲の死後、叔母達と一緒に来日してセツや家族に面会。さらには出版の際には叔母を通じて為替を送ってきたという。
■ビスランドは“唯一無二の理解者”
そもそも、八雲とは折り合いのよくなかった叔母に取り入って書いた伝記である。しかも、為替に添えた手紙には「雑費として支出せぬように願います」とか恩着せがましいことが書いてあったもので、セツがヒステリーを起こしたとも一雄の著書『父小泉八雲』には、書いてある。
現代でも、著名人が死ぬとSNSに、自分がいかに関わりがあったか書き連ねる恥知らずは絶えないが、それは当時も同じ。八雲の死をビジネスチャンス、自分が世間から注目される手段のごとく考える者は絶えなかったのだろう。
それらに比べると、ビスランドは唯一無二の八雲の理解者であり、セツとも上手くやれた女性であった。

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昼間 たかし(ひるま・たかし)

ルポライター

1975年岡山県生まれ。岡山県立金川高等学校・立正大学文学部史学科卒業。東京大学大学院情報学環教育部修了。知られざる文化や市井の人々の姿を描くため各地を旅しながら取材を続けている。著書に『コミックばかり読まないで』(イースト・プレス)『おもしろ県民論 岡山はすごいんじゃ!』(マイクロマガジン社)などがある。

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(ルポライター 昼間 たかし)
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