この連載では、「シングル介護」の事例を紹介していく。「シングル介護」とは、主に未婚者や、配偶者と離婚や死別した人などが、兄弟姉妹がいるいないにかかわらず、介護を1人で担っているケースを指す。その当事者をめぐる状況は過酷だ。「一線を越えそうになる」という声もたびたび耳にしてきた。なぜそんな危機的状況が生まれるのか。私の取材事例を通じて、社会に警鐘を鳴らしていきたい。
■母親からの6年ぶりの電話
「お父さんが最近おかしいの。なんか『会社を一緒にやろう』って持ちかけられたみたいなんだけど、退職金がどんどん減ってて……。騙されてるんじゃないかと思うんだけど、全然聞いてくれなくて」
1999年のこと。当時58歳の母親から電話がかかってきた。大学を卒業と同時に実家を出て以来、両親やきょうだいとほとんど連絡をとっていなかった28歳の深謝さんはその唐突な内容に面食らった。
首都圏の社会福祉法人で相談業務の担当だった深謝さんは、「どこかで聞いたような話だなぁ」と思いながら、「そうなんだ。大変だったんだね」と答えたところ、「『大変だった』じゃないわよ~!」と母親は電話口で号泣し始める。
「とにかく一度帰るから、詳しい話はその時に」と言って電話を切り、約6年ぶりに関西に帰った。
■全くよい思い出がない家族
関西出身の深謝さんは、石油系の会社に勤める父親と、事務の仕事に就いていた母親が29歳で見合い結婚後、2人が30歳の時に長女として誕生。4歳下に妹、さらに2歳下に弟が生まれた。
「父は、良くも悪くも『素朴な田舎の農家のおっちゃん』で、対外的には外交的で面倒見がよく人気者。モーレツサラリーマンでほとんど家にいなかったので、家庭内的にはほぼ会話がありませんでした。感情を言語化する回路がなく、他人の感情も理解できず、無神経な言動をしますが、一切悪気はないです。田舎の風習で、17歳から飲酒習慣があり、アルコールが入ると人格が豹変してしまうため、何度もお酒で失敗する姿を見てきました。父に関していい思い出はありません」
一方、母親は高校生の頃から鶏卵を売る仕事をして弟の学費を稼ぎ、家計を助けていたという苦労人。結婚後は専業主婦となったが、年末年始の義実家への帰省は欠かさず、台所仕事一切を切り盛りし、姑(深謝さんにとっての父方の祖母)に尽くしたが「長男の嫁だから当たり前」と冷遇され続け、姑を恨んでいる。
さらに、息子の出産後に産褥が悪かったため、夫に「今年だけは帰省を勘弁してください」と泣きながら土下座して頼んだが、聞き入れてもらえなかったことを根に持っている。
「『良い嫁・良い妻・良い母』が母のアイデンティティなのに全然報われず、子どもは絶対に殴らない代わりに、年に数回、大事にしていた皿を叩き割る人でした。『人を差別してはいけない』とか、『ちゃんとした教育を受けさせたい』という信念はあったようですが、小学校低学年の頃に『あなたたち(子ども)がいたから離婚できなかった』と言われ、『子どもを言い訳に使うな。お母さんみたいな人生は絶対に嫌だ』と反面教師像を刷り込まれました。もともと母はおっちょこちょいだけれど憎めないキャラクターでしたが、嫁姑関係や夫婦関係の不信感から、自分の考えを肯定してくれる人しか信用できなくなっていきました」
そして、深謝さんは妹との関係が「最悪だった」という。
「物心ついた時には両親の膝は妹の場所だったので、嫉妬心があったのだと思います。姉妹喧嘩でキレた私が、石を投げつけたこともあります。妹は真ん中っ子で放置されていたので、とにかく独立心が強く、長女の私を見て、『あんないい加減な人間になってはいけない』と思って生きてきたそうです」
その上、6歳違いの弟との関係も良くなかった。
「弟は、初男孫ということで甘やかされて育ちました。弟が生まれる時、姑や親族との関係が悪く、誰にも頼れなくなっていた母が、私の世話まで手が回らず、私にとって見知らぬ他人宅(母親の親友の家)に突然預けたため、『自分は親から捨てられた』と感じ、性格が歪むきっかけになりました」
■漫画と新興宗教にのめり込む
家族仲が良くなかった上に、家の外でも集団生活に馴染めなかった深謝さんを救ったのは漫画だった。
「物心ついた頃から毎日のように絵は描いていて、小1の頃にブームが巻き起こった『キャンディキャンディ』を見てから、漠然と漫画家になりたいと思い、『ドラえもん』とか『キャンディキャンディ』を模写していました。2年生の時、同じクラスに漫画を描いている子がいたので、私も『宇宙戦艦ヤマト』などのパロディギャグ漫画をジャポニカ学習帳に描き始めると、クラスで回し読みされるようになり、『続きは?』と催促されると嬉しくて、休み時間はずっと漫画を描いていました」
しかし一方で、入学当初から体格のよいボス的な女子から手下のように扱われていた。同じクラスのほとんどの女子がボス女子の顔色を窺って過ごしていたため、それに気づいた担任教師がクラス替えを行い、5年生でボス女子やいじめられっ子たちとは別のクラスに。
「その子はキリスト教系の新興宗教を信仰していて、学校でもお祈りを欠かしませんでした。教師もクラスメイトもドン引きしていましたが、その芯の強さに憧れた私は彼女に近づき、聖書勉強にのめり込んでいきました」
「入信しよう」と本気で考え始めた深謝さんだったが、突然転校することが決まる。マンションの購入を検討していた両親が、娘の異変に気付き、転校しなければならない場所にマンションを購入することで入信を避けたのだった。
■高3で打ちのめされ漫画を描くことを封印
11歳で転校した学校は平和だったが、やはり深謝さんは集団生活に馴染めなかった。
中2の頃に少女漫画雑誌の『なかよし』に投稿したが、選外。高1の時にも同誌に投稿したが、やはり選外だった。
オタク化し、2次創作にいそしむようになると、仲間ができ、合同で同人誌を作ってコミケに参加するようになった。しかし高3になった時、深謝さんが部長をしていた漫画アニメ研究部に、すでに「中学生のうちに漫画家デビューしている」という1年生が入部してきた。
「画力、キャラ、ストーリー、背景など、すべてが完成されていて、私が一番行きたかった雑誌に作品が掲載されていました。私はその新1年生のハイレベルさに打ちのめされ、高校卒業の日に漫画道具を全て捨てました」
当時は、パソコンはもちろん、ペンタブや液タブなどない時代。深謝さんはお小遣いでコツコツと買い貯めたペン先や、インクやホワイト、スクリーントーンなどを全て処分し、以降、漫画を描くことを封印。
大学受験にことごとく失敗した深謝さんは、滑り止めだった私立大学に通い始める。
「両親は『勉強しろ』とは言いませんでしたが、母が、『国公立大学に入れなかった私を恥じていること』は明白でした」
折しもトレンディドラマ全盛のバブル末期。深謝さんはオタクだった過去を隠し、ボディコン女子大生に擬態した。
■退職金6000万円と家族を失った父親
大学卒業後、首都圏の社会福祉法人に就職が決まった深謝さんは、実家を出た後、ほとんど帰らなかった。だが、冒頭のように28歳の時、突然母親から電話がかかってきたのだ。
電話をきっかけに6年ぶりに実家に帰ると、実家は大変な事態に見舞われていた。
「リストラに遭った父は、別会社の元社長である友人に誘われて、共同名義で会社を立ち上げたらしいです。友人は、『海外マーケットは時差があるからリターンに時間がかかる』などともっともらしいことを言って、父に数十万円~100万円単位で何度も出資を募り、たまに数万円リターンがある……という状況だったようです。ギャンブルと同じですよね。全くバックがなければ考え直したかもしれないのに、たまに勝つから欲が出てまた次を賭けてしまう……」
母親は、父親の退職金がどんどんなくなっていくことに不安を膨らませていき、ついに抱えきれなくなって深謝さんに電話したのだった。
両親と子ども3人。
父親から見せられた分厚い事業計画書には、「M&Aの時代」「廃棄物処理がトレンド」「土地購入なら今」ともっともらしい文字が躍る。だが対照的に、自治体の事業許可証は明らかにコピーだった。
「お父さん、こりゃニセモノや。悪いこと言わん、早く手を引いたほうがいい」
深謝さんによる指摘を、父親は黙って聞いていた。
「話を持ち掛けられたのは、ちょうどバブル期。『貯金なんかしてる奴はバカだ、消費して投資してナンボ』っていう時代で、日本中が狂乱状態でしたよね。それに踊らされて、後には引けなかったんじゃないかなぁと。気持ちはわからなくもないんですが、いかんせん家族に説明がなさすぎました」
当時、一緒に暮らしていた弟と母親が警察に被害届けを出すと、元社長から実家に電話が入り、
「あなた、大変な目に遭いますよ。警察に捕まりますよ」
と脅迫とも取れるような対応をされたという。それも警察へ報告していた。
それでも父親は諦めきれず、結局退職金6000万円全てを友人に騙し取られた上に、まだ母親のタンス預金まで持ち出そうとし、止めようとした弟と乱闘に発展。
そして2007年。何度目かの家族会議が招集された。
「2人が離婚しようがしまいが、俺はもう父ちゃんの名字は継がない。母ちゃんの旧姓に改名する」
と言う弟。それでも母親は「今までのことは水に流すから、もう一度やり直す気はない?」と提案した。
すると父親は言った。
「いや、それはダメだ。俺の名字を絶やすわけにはいかん」
「それを聞いた瞬間、父以外の全員が、『え? 母ちゃんの提案聞いてた? 母ちゃんの提案より弟が改名するかしないのかのほうが大事なの?』と呆気に取られていました。最初に母から相談の電話を受けてから9年、何とか解決しようと奔走してきましたが、全身から力が抜けました」
父親が自ら離婚を選択した自覚がないまま、離婚が決まった瞬間だった。
2008年12月、両親は、
・大阪のマンションを母が所有すること
・2人の年金を合算した半額を、父親が10年間、母親に送金する
という公正証書を作り、離婚。
父親は自分の故郷である岡山へ帰り、母親は大阪のマンションに残った。
■2世帯住宅で義両親と同居
大学卒業後、友人と共同生活をしていた深謝さんは、31歳の頃に、大学時代の学外サークルにいた5歳上の先輩と交際をスタート。35歳で彼との同棲に踏み切ると、深謝さん36歳、彼41歳で結婚した。
「生活保護のケースワーカーをしていた彼は公務員だったので、結婚に両親はあっさり賛成しました。いわゆる披露宴はしなかったのですが、彼が一人っ子で両親が高齢のため、義両親と義母のきょうだい、私の両親と妹と弟で、親族お食事会は開きました」
彼は、彼が28歳の時に義両親が先回りして建てた二世帯住宅の2階で暮らしていた。だが、さすがに新婚早々義両親との同居は避けたかった深謝さん夫婦は、しばらくは同棲していたアパートでそのまま暮らし続けることに。
しかし翌年、彼が激務のために退職することになる。
「義両親が建てた二世帯住宅のローンは、頭金は義両親が払い、ローンは夫が払っていました。でも夫が無職になったため、私が代わりにローンを払うことにしたのですが、アパートの家賃との二重払いは厳しいため、アパートを引き払い、二世帯住宅に移ることになりました」
この頃の深謝さんはまだ、自分が両親と義両親の4人介護に巻き込まれるとは、想像だにしていなかった――。
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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。2023年12月に『毒母は連鎖する~子どもを「所有物扱い」する母親たち~』(光文社新書)刊行。
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(ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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