■八雲亡き後の生活は“安定していた”
NHK朝の連続テレビ小説「ばけばけ」。半年にわたった、トキ(髙石あかり)とヘブン(トミー・バストウ)の物語もついに最終回を迎えた。
最終週、3月24日火曜日の放送でヘブンが亡くなった後、物語は残されたトキと家族たちの後日談という形で締めくくられることになった。
さて、史実のセツはその後、1914年に田部隆次による聞き書き「思い出の記」をまとめ、1932年に64歳で死去している。年齢差のあるカップルであることを差し引いても、セツのその後の人生は長かった。
そして、その人生は八雲のおかげで財産に困ることなく安定したものだった。生前、八雲はセツに全財産を譲ると遺言書を書いていた。貯蓄に無頓着な八雲の収入を、セツは巧みに貯金して大久保の屋敷も手に入れていたからだ。そしてなにより、八雲の死後もセツには八雲の膨大な作品による印税が入ってきた。
実に、晩年の八雲の心配事は自分が死んだ後に、残された家族の生活がどうなるか。ただ、それだけであった。長男の一雄は、そんな心配を募らせた八雲が金に執着するような言動も繰り返していたことを記憶している。
■徹底した「家族に財産を残す努力」
あの父の口から出る言葉としては余りに浅ましい「金々々!」の叫びを私は時々耳にしました。「私、金いりません。しかしただ妻と子供のため」。父は「金!」と叫んだ後でいつも必ずこう悲壮な声で弁解するのでした。その声はまだ私の耳底に残っています。
(小泉節子、小泉一雄『小泉八雲』恒文社、1976年)
実際、八雲の家族が不自由しないように財産を残そうという努力は徹底していた。大久保の屋敷は最初からセツの名義になっていた。これは、長男である自分にも負担をかけてはいけないという親心ではなかったのかと、一雄は考察している。
結局、晩年の猛烈な執筆は単なる創作欲ではなく、家族への「保険」という側面もあったわけだろう。
八雲が職を辞したのは俸給が高すぎるゆえに、大学としてもその金額で複数人の日本人教師を雇ったほうがいいという判断だったとされる。しかし、これは国内外から猛烈に批判されるものだった。田部隆次は「ヘルンが大学を止めた時、世界の同情がヘルンに集まって日本政府のヘルンに厚からざるを非難した」と記している(田部隆次『小泉八雲』北星堂書店、1950年)。
■頑なに受け取らずにいた「困った財産」
実際、八雲の辞職を聞きつけたアメリカのコーネル大学は、一期5000円の報酬で講演を依頼。さらにスタンフォード大学などからも依頼があった。しかし、コーネル大学でチフスが流行したことで講演は延期に、そうこうしているうちに八雲も病気をしてしまい、訪問は叶わなかった。このほか、死の数カ月前にはロンドン大学からも講演依頼があり、オックスフォード大学からも同様の打診があった。実に諸外国では日本を知る手がかりとして八雲を欲していたのである。
そうしているうちに、セツの親戚である梅謙次郎(日本民法を整備した法学者、妻がセツの従姉妹)が推薦してくれて、早稲田大学で授業を持つことになった。この講義が始まったのは1904年4月、死去までわずか5カ月足らずの出来事であった。
こうして蓄財に加え、八雲の印税、さらにセツ名義の家屋敷と生活には困らないものを残してくれた八雲だが、中には困った財産もあった。それは、八雲が日本に来るきっかけとなり、決裂したハーパーズ・マンスリー・マガジンに絡むものだった。
日本に到着した後、同行していた挿絵画家のほうが自分より高額な報酬を得ていることに怒って契約を破棄した八雲だが、既にハーパーズ・マンスリー・マガジンからは数冊の著作を出していた。ハーパーズ・マンスリー・マガジンは契約を破棄された後も、律儀にその印税を八雲に渡そうとしたのだが、八雲は頑として受け取らなかった。
■放置された株券が「母子悶着のタネ」に
困った同社は領事館を通じて、八雲の友人であるミッチェル・マクドナルドに送金し、それを八雲に渡すように頼んでいた。しかし、それでも八雲は受け取らない。
そこでマクドナルドは、自分が経営に参画している横浜のグランドホテルの株を八雲の名義で購入することにした。その後、八雲がハーパーズ・マンスリー・マガジンと和解したことで、八雲は株券を受けとったのだが家族のために金には執着する一方で、株や投資に興味を示さなかった八雲は放置したままであった。
この保管されたままの株のことを一雄が知ったのは、関東大震災でマクドナルドが死去した後のことである。
ところが、これがセツと一雄の悶着のタネになった。
一雄がこの株のことを知る前に、セツは銀行から融資を受けて大久保の土地に借家を建てたり、屋敷の改築をしていた。そればかりか、一雄には大宮に土地を買い、家を建てるように命じていた。融資の保証人は一雄である。このことを、一雄はこうこぼしている。
■「小泉八雲の妻」として生きる
保証人に立つも立たぬもないのである。親権者母の実力延長は三十歳の戸主の実印をも預かっていたのである。拒否は絶対に出来なかった。勤もすると例の恐るべき非常識のヒステリーの発作なる爆弾が危なかった。
母のこの悪い持病の介抱に私は馴れていた。だからそれを素人程に厭いはせぬが、まかり間違えば首吊りや咽突をやりかねない発作、無意識中に自分を大不幸に陥れる結果となる危険を私は勿論お体裁や外聞以上に恐れたのである。
(小泉一雄『父小泉八雲』小山書店、1950年)
この融資のしばらく後に、運良く八雲の残した株券のことがわかり、返済することができたわけだが、これも一雄は「マクドナルド氏からの株値の残余をも全部母に提供せざりし事を母は面白く思わなかった」としている。
八雲は、ちゃんとセツや家族が不自由しないように財産を残した。それで、セツは八雲との間に恵まれた子供たちと幸せな晩年を過ごした……とかではない。全然違う‼
ひとつ言えるのは、セツが握っていたのは財産だけではなかったということだ。「小泉八雲の妻」という、夫の死後も輝き続ける名声、その管理者の座もまた、セツの手中にあった。
実際、八雲の死後にまとめられた「思い出の記」も、セツが語り田部隆次が聞き書きしたものである。八雲とはどんな人物だったか、夫婦の間に何があったか、などなど。その「公式の記憶」を作ったのはセツ自身だ。財も、名声も、子供たちの人生も、すべて自分が差配する。それがセツにとっての「八雲なき後の生き方」だったのかもしれない。
■“割れ鍋に綴じ蓋”な夫婦
もともとが運命で惹かれ合った八雲とセツだが、共に自分がこうだと決めたら、周囲を無視してでも突き進むタイプである。八雲の著作を陰で支え、その死後は「公式の記憶」まで自ら作り上げたセツにしてみれば、名誉を守るのも私、財産を采配するのも私、夫の記憶を語れるのも私……子供たちもそれに従うべき。
こうしてみると八雲とセツは運命に惹かれ合ったロマンスというより、割れ鍋に綴じ蓋な夫婦だったと言えるかもしれない。
一雄はそんな母に、ほとほと疲れ果てていたのか、著作の中でも自分のプライバシーすら隠さない。例えば、妻との結婚について、一雄はこう記している。
弟達の結婚は何れも私より早く、その結果の如何に不拘彼等のはラヴァフェーアーからであるが、私達夫婦の場合は少しく違う。両人は未知ではない。お互に同情は持っていた。大宮の土地を見に行った時、偶々来合わせていた彼女に、母は今さら心惹かれた。
(小泉一雄『父小泉八雲』小山書店、1950年)
■セツが遺した「相当額の借財」
一雄もさすがに、家族の手前があるのか言葉を選んでいるのか、ようは「いや、別に前から知っていて嫌いじゃないけど……母が急に気に入って押しつけるようにするので結婚したんですよ」ということである。もう、独断専行。反対されたら、前述(小泉一雄『父小泉八雲』小山書店、1950年)のようにヒステリーを起こして首を吊ろうとしたりするセツに一雄がほとほと疲れ果て、すべてを諦観していることを示すものだろう。
しかも、一雄たちは、文学や芸術で功成り名を遂げた人物の家族にあるような、“死後も当人の印税やら著作権によって暮らしている”わけではない。それぞれに職についている。なのに、セツが支配的に振る舞うものだから、呆れるのも当然だろう。
そんなセツの晩年は、八雲の残した財産によって裕福……というよりは後先を顧みないものだった。1932年2月に脳溢血で倒れたセツは、以前から願っていた通りに大久保の屋敷で亡くなっている。
セツの「自分が死んだら屋敷は整理するように」との遺言に従って財産を整理した一雄だが著書では「私が兼々心配して居た通り、相当額の借財ある事が確実となった」と記している。その借財のほとんどは交際費であった。
三越其他デパートの通帳に多額の未払額が記入されてあり、購買品中に男物の帽子、反物等我々兄弟の更に心当たりのない品々があった。後でわかったのだが、それらは謡曲に凝っていた母がその筋の人々への贈り物であった。
(小泉一雄『父小泉八雲』小山書店、1950年)
■教育は手厚くしたが、財産は使いきった
結局、ひとまずの支払いをするにしても、三男の清は貧乏画家の生活で出せそうもなく、一雄が次男の巌と二人で借財を整理。その上で、大久保の屋敷や貸家など不動産を整理して、1年ほどかけて売却し、兄弟で分配した。
セツにしてみれば、自分が死んだら、八雲が残した最大の財産といえる家屋敷を処分して払えばいいから問題ないということだったのだろう。生きている間は好きなように使い、死後は不動産で精算、それはそれで筋が通っている。
しかし子供たちにしてみれば、迷惑この上ないものであった。しかも借財の中身が、自分たちも心当たりのない謡曲仲間への贈り物というのだから、呆れるほかない。
これでは、まるでセツが八雲の財産を食い潰したみたいに見えるが、そんなことはない。一雄は、八雲が常日頃からセツにこんなことを語っていたとも記している。
「伜達には定年に達するまで教育さえしてやればそれで沢山だ。後は自分の力で食って行く。だから財産なんか一文もやる必要はない。しかし妻や娘には財産を作って置いてやらねばならぬ」
(小泉節子、小泉一雄『小泉八雲』恒文社、1976年)
実際、一雄は早稲田大学、巌は京都帝国大学、清は東京美術学校と最高水準の教育まで施している。つまり、セツは八雲のいっていたことを徹底してやりきったといえるだろう。それも、まったくアクセルを踏み込んだままで。
■自我と感情がむき出しの“お似合い夫婦”
「小泉八雲の妻」として最後まで我が道を貫いたセツ。そして、そんなセツを選び、全財産を譲ると遺言に書いた八雲。やはりこの二人、割れ鍋に綴じ蓋というか、傍から見れば迷惑この上ないが、当人同士はお似合いの夫婦だったのだろう。
なんだかんだで、うらやましいことは確かだ。
夫が気に入らないことがあると「ジゴクジゴク」とくり返し、妻は「キィイイイ‼」とあたりの物を投げて叩いて大暴れ。なにかと、物も言いづらい現代、これくらいに自我と感情をむき出しにできる夫婦には憧れる。
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昼間 たかし(ひるま・たかし)
ルポライター
1975年岡山県生まれ。岡山県立金川高等学校・立正大学文学部史学科卒業。東京大学大学院情報学環教育部修了。知られざる文化や市井の人々の姿を描くため各地を旅しながら取材を続けている。著書に『コミックばかり読まないで』(イースト・プレス)『おもしろ県民論 岡山はすごいんじゃ!』(マイクロマガジン社)などがある。
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(ルポライター 昼間 たかし)

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