医学部の合格者は、本当に優秀なのか。元東京大学健康管理センター教授の坂本二哉さんは「単に試験に受かっただけの者は真のエリートではない。
いまの歪んだ医学教育は、医療の質を根底から破壊している」という――。(第1回/全2回)
※本稿は、坂本二哉『戦慄の東大病院』(飛鳥新社)の一部を再編集したものです。
■仲間を拒む医学生が患者と向き合えるのか
「プライバシーを盾に自らの個人情報や家族構成、家族の職業を周囲に明かさない東大の医学生も増えている」(別の後輩教授の話)という話も聞いた。2年毎に改訂される東大学部生とOBの500ページもある分厚い鉄門俱楽部(てつもんくらぶ)名簿を見ると、姓名しか載せていない若手が増えていて、学年によっては4割以上が氏名以外を公表していない。
これでは名簿を発行する意味がないだろう。ちなみに私の記載は七行もある。
私は東大病院に勤務していた若い頃、医局の宿直室で仲間と雑魚寝する密な人間関係の中で鍛えられた。集団的交流の世界はややもすれば個人の自由を奪うものだがそうはならなかった。各医局員が高い矜持(きょうじ)を持ち、お互いの能力に敬意を払っていたからだろう。
医局の後輩が先輩と討論で張り合い、先輩に先んじて新たな症例を発見することがあっても、全医局員は「羨望半分、祝福半分」の対応で人間的な禍根を残すことはなかった。
そうやって人間的に揉まれ、成長してきた私からすると、仲間と関係を断ち切り友人を作ろうとしない医学生が増えているのは大いに心配だ。彼らは将来、医者として患者と正しく向き合えるのだろうか。

■「パワハラ」という言葉では括れない本質
いまとなっては、もはやカンファレンスで火花を散らす論戦を期待しても無駄かもしれないが、白血病の標本を見て「リンパ性か骨髄性か」を巡り甲論乙駁(こうろんおつばく)、激しい論戦を専門家同士が行った昔が懐かしい。
恥さらしであるが、入局3年目、若かった私は新任教授を迎えての最初の抄読会(しょうどくかい)で教授の意見を批判し、教授から直々に退局を言い渡されたことがある。
だが、「捨てる神あれば拾う神あり」で、教授に諭(さと)す方がいて半年後に医局に戻ったが、それからの4カ月はまさに地獄。毎日、教授の監視下、研究漬けの日々が続き、朝帰りは普通で、土日も研究を課された。
いまならばパワハラであろうが、この試練をくぐったことで私の運命は大きく変わった。私は教授が最も信頼する医局員の一人となり、国内外にはばたくチャンスにも恵まれた。人生の岐路にはこのようなことがあった方が良い。
苦あれば楽ありとか、艱難汝(かんなんなんじ)を玉(たま)にすとはよく言ったものだ。試験に合格したからエリートなのではない。真のエリートは、先見の明と目的に向かって一歩を進める気概を持ち、それを継続する力を持たねばならない。その意味で、現今のエリートと称する医学生の多くは真のエリートではない。
■医療界を変えた「自称エリート」
個人主義的で利己的な考え方をする自称エリート医学生や医師が増えるにつれて、医療界は様変わりした。
典型的なのがカルテの在り方で、患者を知るためのカルテでなくなっている。たとえば家族の病歴(家族歴)を書き込む欄が消えている。
家族歴を聞き出すことが「プライバシーの侵害」に当たると考える医師や厚労省の役人が増えたことが原因だろうが、これは医療的にも明らかな誤りである。
高血圧患者の治療一つとっても、家族歴の把握は不可欠だからだ。たとえばある高血圧患者の祖父母と両親(合計6人)のうち3人が脳血管障害になったとすると、その患者も将来、同じ経過をたどる可能性が極めて高い。
これは家族の病歴を聞きさえすれば得られる貴重な医療情報である。それを聞かないことが医療的に正しいはずがない。
また職歴の記載欄もなくなってしまった。職歴は極めて重要だ。たとえばアスベストの作業に関わる仕事かどうかは診断時に絶対に必要な情報である。職歴欄がないのでそれすらわからない。単に公務員とか会社員だけでは意味がない。

そもそもプライバシーを気にして家族歴や職歴すら聞けない医師が、患者と向き合って信頼関係を築けるのだろうか。医師と患者の絆が切れかかっているように私には思える。
■某私立大教授が医学生に絶望した理由
「うちの大学には授業料だけ払って遊んでいる大量の医大生がいる。僕の仕事で一番重要なのは、毎月、父兄を集めて『車を持たせるな』、『遊興を禁止せよ』、『女性に近寄るな』と訓示をすることなんだよ」これは私の同輩の某私立大学病院副院長兼教授の言葉だが、この大学には国家試験不合格者だけのクラスがあった。
このような医学生が将来、患者のことを親身に考える医師になるだろうか。そう考えた彼は、素行の悪い医大生には極力その是正に努めたが、結局、「いまどきの医学生」に絶望して大学を退職し、開業してしまった。大学の中には、学生の質に目をつむり、やれ「特別授業だ」「各教授宅に合宿だ」と医学生の尻を叩いて医師国家試験の合格率を上げることに熱心なところもある。
医師国家試験の合格率を上げないと学生が集まらず、大学経営に関わるからだ。医師国家試験には臨床医学と基礎医学の問題が出るが、いまの医学生や若い医師は全体的傾向として臨床医学全般に関する知識が大幅に不足している。
患者に直に接する機会が少ないからだ。そもそも臨床医学が不得手ということは、患者を診察、治療する臨床能力が低いことを意味する。
現に、いま医療界では若い医師の臨床能力の著しい低下がよく話題になる。
これについて大学の教育者は「医師国家試験の勉強が忙しくて臨床を学ぶ時間がないからだ」という言い訳をすることが多いが、これは真っ赤な嘘である。
■臨床教育を疎かにする現代の大学
本来、医師国家試験は入学試験ではなく、単なる資格検定試験である。資格検定試験には大学で勉強していれば身につく範囲内の問題が出題されるので、普通に勉強していれば試験準備は不要である。
しかも医師国家試験は100点満点で70点取れば合格である。大学の卒業試験を合格しているなら、当然、医師国家試験にも合格するはずだ。不合格になるのは、大学の卒業試験を合格させたこと自体がそもそもインチキだったということである。
ところが留年させたくないため、大学側はともかく卒業させてしまう。私の学生時代の医師国家試験は、いまより出題分野が広範囲だった。基礎医学と臨床医学の問題に加え、いまはない臨床に関する数科目の面接試験もあった。
私の場合、網膜症の眼底写真解読、薬剤容量も含めたてんかんの診断と治療法が出題された。小児科に関する面接試験では、泣き止まない乳児の異変の原因について聞かれた。
乳児が泣き止まない原因の第一は空腹で、以下、衣服に刺さった髪の毛、涙による外耳道炎(がいじどうえん)(耳介(じかい)を上にひっぱると余計泣く)、イレウス(腸閉塞(ちょうへいそく):腸管麻痺や捻転(ねんてん)による腸の内容物の肛門側への移動障害)という順番で答えるのが正解で、私はそれらへの対処の仕方を含めて答えた。

この程度の問題は、医学生なら普段の臨床教育を通して知っていて当然のことばかり。
■「先輩」を失ったいまの学生は可哀そう
当時の大学には臨床経験豊富な教授をはじめとする先輩が大勢いた。私たちは連日、先輩方の下(もと)でみっちり修行を積み重ねたので、わざわざ勉強し直さなくても問題なく合格できた。
それがいまの学生にできないのは、昔に比べて大学が臨床教育を怠っていることと、臨床教育ができる大学教員が減っていることが大きな原因だろう。その意味で、いまの学生は可哀そうだ。臨床教育ができる教員が減った背景は色々と論じられている。
東大は1960年代の大学紛争によって、教員の多くが後輩の教育に興味を失った。また患者の人権を重んじるあまり、教授が患者を診察する様子を学生に見せて診療技術を学ばせる臨床講義を止めてしまった影響は甚大(じんだい)だ。
「百聞は一見に如かず」なのに、それを放棄してしまったのだ。これらは多かれ少なかれ、すべての大学に当てはまる。このような歪んだ医学教育の中で育った医大生が、医師になってからどんな医療を行うのか心配である。

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坂本 二哉(さかもと・つぐや)

元東京大学健康管理センター教授・日本心臓病学会創立理事長

1929年、北海道釧路市生まれ。
海軍経理学校予科、旧制二高を経て東京大学医学部卒業。東大医学部第二内科入局、新制東大大学院卒業。米国留学。東大医学部講師などを経て東大健康管理センター教授。東大時代から一貫して臨床を重視、退官後も2024年まで民間医療機関の第一線で患者を診療した。「日本心臓病学会」「日本心エコー図学会」「世界非侵襲心臓病学会」「アジア・太平洋心エコー図学会」創立者。

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(元東京大学健康管理センター教授・日本心臓病学会創立理事長 坂本 二哉)
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