■大河で吉岡里帆演じる「慶」
大河ドラマ「豊臣兄弟!」(NHK)の主人公は豊臣秀吉(池松壮亮)の弟・秀長(仲野太賀)ですが、その秀長の正妻となるのが、吉岡里帆さんが演じる慶(ちか)という女性です。
秀長の正妻は「慈雲院(じうんいん)」として知られていますが、実名は分かっていません。実名どころか、いつ生まれたのか、いつ亡くなったのかということも不明です。彼女の法名は「慈雲院芳室紹慶」と言うのですが「豊臣兄弟!」の「慶」という名はここから付けられたと思われます。ドラマで美濃の武将・安藤守就(田中哲司)の娘という設定になっているのも、創作でしょう。
■秀長はいつ正妻を迎えたのか
慈雲院が秀長といつ結婚したのかについても確かなことは分かりませんが、永禄10年(1567)頃ではないかと言われています。秀長が織田家に仕官した時期は、遅くとも永禄8年(1565)以前と言われておりますので、慈雲院と結婚した時、秀長は信長の直臣でした。そのことから、慈雲院の父も織田家に仕えていたのではないかとも考えられます。慈雲院の父を後に秀長重臣となる神戸伝左衛門秀好とする説もあります。
秀長と慈雲院の間には与一郎という男子が生まれました。ところが2人の間に生まれた与一郎は天正10年(1582)、つまり本能寺の変が起こった年に悲しいことに早世してしまいます。
■出家後は「慈雲院」、謎多き女性
天正13年(1585)、秀長は大和国を加増され、大和郡山に入りますが『多聞院日記』(戦国から江戸初期の興福寺多聞院院主の日記)の天正13年9月20日条には一昨日「濃州女中」が郡山に入ったと書かれています。この「濃州女中」こそ慈雲院と考えられています。「濃州」とは美濃国(現在の岐阜県)のことですが、秀長は「美濃守」を名乗っておりました。よって慈雲院は「濃州女中」と呼称されたのでしょう。
その後、時は流れ、天正18年(1590)には、秀長は50歳となっていました。同年正月頃より、秀長の病が悪化しますが、その際、「女中」(慈雲院)は興福寺に病平癒の祈祷を依頼しています(『多聞院日記』天正18年4月27日条)。慈雲院は秀長の病が重篤になった際には祈祷をたびたび指示しています。秀長への想いの深さというものが窺えます。しかし、たび重なる祈祷の甲斐なく、秀長は天正19年(1591)正月に病死します。
■秀長との間に子供はいたのか?
秀長の後継となったのは、養子の羽柴秀保でした。ちなみに秀保は秀吉の姉・日秀尼(とも)の子です。
さて天正19年(1591)2月、秀吉の逆鱗に触れた千利休は切腹して果てます。利休が京都大徳寺の山門に自身の木像を置いたことが秀吉の怒りをかった要因とされますが、その科(とが)は大徳寺の長老3人にも及ばんとしました。彼らは磔刑に処されるところでしたが、それを救ったのが、大政所(秀吉の母)と慈雲院だったのです。大政所と慈雲院は秀吉に大徳寺長老衆の助命嘆願を行い、処刑を免れさせたのでした。法名に「慈」(いつくしむ)という文字があるように、彼女(慈雲院)は情け深い女性だったと推測されます。
■側室のような女性もいたが…
秀長には別妻がおりました。それが「摂取院光秀」という女性です。残念ながら彼女の実名も分かっていません。摂取院は秋篠家の出身と考えられています。秋篠氏は、筒井順慶(戦国時代の大和国の大名。信長に仕え、郡山城を与られた。
ちなみに「豊臣兄弟!」で時代考証を務める黒田基樹氏は摂取院の父を通説通り「秋篠伝左衛門」としています。ここでは通説に従い、摂取院の父を秋篠伝左衛門としていきましょう。
■側室の娘が秀長の甥と結婚した
伝左衛門は、大和郡山城にいて秀長の側近(横浜良慶や小堀正次)と活動していましたが、天正20年(1592)4月に75歳にて病没しています。
摂取院は秀長が亡くなった後に出家。元和8年(1622)に71歳で死去しました。これが正しいとするならば、その生まれは天文21年(1552)ということになります。秀長の生まれが天文9年(1540)とされていますので、秀長の方が12歳も年上ということになります。
前述の秀長の後継・羽柴秀保の妻となったのが、この摂取院と秀長の間に生まれた娘とされます。摂取院の他にも秀長の妻妾はいたと推測されていますが、詳しいことは分かっていません。
■秀長も秀吉のような女好きだったか
さて、秀長の兄・秀吉と言うと、無類の女好きとしてこれまで時代劇などで描かれてきました。
そこには「内裏方」(朝廷)には懇ろに接し奉公すること、法度(はっと)を堅く申し付け、それに背く者あらば依怙贔屓なく「糺明」することなどのアドバイスが記されていますが、それだけの内容ではなく「茶湯・鷹野の鷹・女狂ひに好き候事、秀吉真似こはあるまじき事」とも書かれているのです。つまり茶の湯や鷹狩りにうつつを抜かすことや「女狂い」については秀吉の真似はしてはならぬと諭しているのです。ここから秀吉は自分のことを「女狂い」(女好き)と認めていたことが分かります。
続けて秀吉は秀次に対し、自分の屋敷内で「使い女」を5人でも10人でも置いておくのは構わない。だが、外でみだりに「女狂い」や鷹狩り、茶の湯にうつつを抜かすのは良くないと戒めているのです。
■「300人もの若い娘を囲っていた」
さらに秀吉は戦国時代に来日したポルトガル人宣教師ルイス・フロイスの著作『日本史』においても
「齢すでに50を過ぎていながら、肉欲と不品行においてきわめて放縦に振舞い、野望と肉欲が、彼から正常な判断力を奪い取ったかに思われた。この極悪の欲情は、彼においては止まるところを知らず、その全身を支配していた。彼は政庁内に大身たちの若い娘を300名も留めているのみならず、訪れて行く種々の城に、また多数の娘たちを置いていた」
「彼(秀吉)がそうしたすべての諸国を訪れる際に、主な目的の一つとしたのは見目麗しい乙女を探し出すことであった。彼の権力は絶大であったから、その意に逆らう者とてはなく、彼は、国主や君侯、貴族、平民たちの娘たちをば、なんら恥じることも恐れることもなく、またその親たちが流す多くの涙を完全に無視した上で収奪した」
などと記されています。
フロイスのこの記述が本当か否かは日本側の史料がなく検証不可能です。
■秀長のスキャンダルは記録にない
では、その弟の秀長はどうだったのでしょう。秀長についてはこうした方面の史料が残っていませんので、残念ながら詳細は分かりません。しかし秀長が兄・秀吉のように「女狂い」であったならば、少しくらいはそうした内容の史料が(後世の史料であったとしても)残っていても良いはずです。が、そうしたものは管見(かんけん)の限りありませんので、秀長は兄のように「女狂い」ではなかったと思われます。
「豊臣兄弟」の性格についても、史料を見ていくと、秀吉は他人に対して峻厳。しかし秀長は他人に対して温かみをもって接しているように思います。大坂城を訪れた豊後国の大友宗麟(そうりん)の手をとり「家中では内向きのことは千利休が、表向きのことは私が承っています。何事もご相談ください」と語ったことなどはその証しと言えるでしょう。
フロイス『日本史』にも秀長は丁寧な人物として描かれています。そうした秀長の性格を考えても(彼に複数の側室がいたとしても)兄・秀吉のような「女狂い」だったとは筆者には思えないのです。
それは、正妻「慈雲院」が秀長の死後も、跡継ぎを後見し家を守ろうとしたことからも、うかがえるのではないでしょうか。
参考文献
渡辺世祐『豊太閤の私的生活』(創元社、1939年)、桑田忠親『豊臣秀吉研究』(角川書店、1975年)、桑田忠親『桑田忠親著作集』第5巻(秋田書店、1979年)、新人物往来社編『豊臣秀長のすべて』(新人物往来社、1996年)、藤田達生『秀吉神話をくつがえす』(講談社、2007年)、渡邊大門『秀吉の出自と出世伝説』(洋泉社、2013年)、柴裕之編著『豊臣秀長』(戎光祥出版、2024年)、和田裕弘『豊臣秀長』(中央公論新社、2025年)、黒田基樹『羽柴秀長の生涯』(平凡社、2025年)、濱田浩一郎『秀吉と秀長 天下統一の軌跡』(内外出版社、2025年)
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濱田 浩一郎(はまだ・こういちろう)
歴史研究者
1983年生まれ、兵庫県相生市出身。歴史学者、作家、評論家。姫路日ノ本短期大学・姫路獨協大学講師・大阪観光大学観光学研究所客員研究員を経て、現在は武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー、日本文藝家協会会員。歴史研究機構代表取締役。著書に『播磨赤松一族』(新人物往来社)、『超口語訳 方丈記』(彩図社文庫)、『日本人はこうして戦争をしてきた』(青林堂)、『昔とはここまで違う!歴史教科書の新常識』(彩図社)など。近著は『北条義時 鎌倉幕府を乗っ取った武将の真実』(星海社新書)。
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(歴史研究者 濱田 浩一郎)

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