■現場で渦巻く“医療資材枯渇”への懸念
イラン情勢の悪化による原油供給ショックが私たちの生活に影響をおよぼしています。
政府は補助金での手当てや、備蓄原油の放出などによって「エネルギー価格の抑制策」を打ち出していますが、これで私たちの生活は守られるのでしょうか。

政府からは、今後わが国にふりかかってくる危機的事態について、まだほとんど発信されていませんが、医療現場では、あのコロナ禍を超える混乱が起きかねないとの懸念が渦巻きはじめています。
コロナ禍では「マスク」や「手袋」「ガウン」といった感染症から身を守る防護グッズが、急激な需要の増加によって欠品し、ほぼすべての医療現場で大混乱が生じました。
今回は、急激な需要の増加こそありませんが、これらの防護グッズのみならず、あらゆる医療現場で毎日欠かさず大量に消費されている医療資材が欠品の危機に瀕しているのです。
注射器や輸液製剤のバッグ、点滴をつなぐカテーテル、透析患者さんの命をつなぐ透析回路……あげればキリがありませんが、医療現場における患者さんの命はこうした石油から作られる大量の樹脂製品によって支えられているといっても過言ではありません。
■政府への「要望書」の中身
そしてこれらは当然のことながら「使い回し」はできませんから、すべてがディスポーザブル製品です。
需要の急増がない「平時」であっても大量に消費せざるを得ないこれらが、今回の石油ショックによって、このままでは多くの医療現場で数カ月以内に枯渇してしまうと予測されているのです。
今の政府がおこなっている「エネルギー価格の抑制策」だけでは、これらの命に直結する危機を回避することは不可能です。
しかし現時点で、政府にその危機感があるとはとうてい思えません。
医療現場からはすでに政府にたいして危機的事態に早急に対処するよう求める声があがっています。そのひとつが、全国保険医団体連合会(保団連)が3月25日に政府(内閣総理大臣および各担当大臣)へ提出した「国民のいのちと健康、地域医療を守るため 原油価格高騰に伴う医療資材の不足等への緊急対応を求めます」という要望書です。
■資材が枯渇する“3つの理由”
そもそも、なぜこれらの医療資材が枯渇してしまうのでしょうか。
その原因は、やっかいなことにひとつではありません。

① 樹脂原料「ナフサ」価格の高騰
イラン情勢の緊迫化にともなって、樹脂の主原料である「ナフサ」の供給がひっぱくしていることが一点。ナフサ価格は、3月に入ってわずか数週間で1トンあたり1100ドル前後と、短期間で1.6倍に暴騰しました。
さらに韓国政府は27日午前0時からナフサの輸出を5カ月間全面禁止し、全量を国内供給に回す決定をしました。中東産ナフサに依存する日本は、輸入の12%を韓国に頼っていたため、全体供給の8~10%が影響を受けるといわれます。
② 中国の輸出規制
もう一点、さらに追い打ちをかけるのが、中国によるエネルギー安保を理由とした輸出規制です。
先ほど例示した医療資材、これらは日本の工場で「成形」や「裁断」をされていますが、その元となる「巨大なプラスチックの布(不織布)」や「樹脂のシート」自体は、中国の巨大なプラントで安価に大量生産されたものを輸入しています。この加工される前の「元の反物(たんもの)」の状態を「原反(げんたん)」と呼びますが、これが入ってこなくなれば、日本で医療資材が製品化できなくなってしまうのです。
つまり日本の医療材料メーカーが依存してきた安価な樹脂原料や中間材が、文字通り「物理的に」届かなくなっているのです。
③ 「4月はじまり」という日本の商習慣
さらにもう一点。この危機に拍車をかけているのが、日本企業の「3月決算」という商習慣です。
年度末、多くの医療機関や卸業者は、経営効率化の名のもとに在庫(棚卸資産)を極限まで絞り込んで、キャッシュフローを改善させようとします。一年で最も無防備になった今この瞬間に、これらの供給断絶が直撃すると言ってもいいでしょう。

■資材不足で何が起こるのか
たとえ原油価格が落ち着いても、一度不安定になったサプライチェーンが復旧するには数カ月かかるとも言われています。医療現場は日々待ったなし。「モノがない」という現実がじっさいに到来してからでは遅いのです。
救わねばならない命が目の前にあるのに、「モノがないから救えない」ということが、このまま手をこまねいていると本当に起きてしまうのです。
もちろんこうした事態は「今日明日、ただちにすべての治療が止まる」というパニックで訪れるわけではありません。しかし、私たち医療者は、今まで「あたりまえ」だった医療の利便性や効率が、これまでどおりにすべての人が享受できなくなるという形でやってくるとの危機感をもっています。
たとえば、手術や検査の現場では、緊急性の低い症例について、資材の在庫状況を見きわめながら日程を再調整する、ということは早晩検討されはじめることでしょう。もちろんこれは治療をあきらめさせることではなく、一刻を争う救急患者や重症患者に、かぎられた医療資源を確実に届けるための方略です。
この事態に一番不安を募らせているのが、人工透析を受ける患者さんです。こうした患者さんにとっては、透析回路(血液が通るチューブ)やダイアライザー(腎臓機能を果たす筒状の装置)の供給不安は死活問題だからです。
ここでも施設間での資材の融通、あるいは供給が安定している代替品への速やかな切り替えなどで対応すべく現場では日々知恵をしぼっているに違いありません。
在宅医療の現場でも同様。
同一個人が使用し、かならずしも毎回滅菌した新品に交換する必要のない物品、トラブルなく交換の必要が差し迫っていない資材については、節約できる方法を模索することになるでしょう。
■「現場まかせ」には限界がある
現場では日々こうして「かぎられた資源をいかに最も必要とする人にとどけるか」という切実な問題に直面し、そのつど困難な選択をしていかねばなりません。
しかしこうした「精神論」や「現場の我慢」はとても長く続けられることではありません。「その場しのぎ」の運用では、現場スタッフよりも医療を必要とする患者さんに、文字通り「死活」を迫ることに早晩ならざるを得ないからです。
それに対処できるのは政府しかありません。この国に住むすべての人の命を守るために現場まかせにせず、国が一刻も早く真剣に戦略を講じて実行にうつすことが、今まさに求められているのです。
まず第一に、医療資材にかかる材料不足を「災害と同等の緊急事態」と認定して、施設間での在庫の貸し借りを公的に調整できる体制を構築することが必要です。
具体的には医療資材を経済安全保障上の「特定重要物資」に緊急指定し、各医療機関における医療資材の在庫を品目ごとに把握する作業を即座におこなう必要があります。
また国民生活安定緊急措置法を適用し、一部の医療機関や業者が必要以上に医療資材を買い占めていないかも把握しなければなりません。こうした「強制力」の発動は、災害と同等の緊急事態、すなわち「有事」であると政府が認定し実行にうつさないことには不可能です。
十分な説明責任のもと、地域医療連携の枠組みを超えて、国が責任を持って「必要な場所へ必要な資材を動かす」調整役を担わねばならないと言えるでしょう。
■「緊急物価スライド制」の導入
ナフサ価格の激変に合わせて、材料価格を柔軟に自動調整する仕組みとして「診療報酬への緊急物価スライド制」を導入することも重要です。

診療報酬は公定価格であるため、医療資材の物価が激変した場合には、それがそのまま医療機関の持ち出しになってしまい、最悪の場合、経営破綻しかねません。
診療報酬の改定時期を待つことなく緊急物価スライド制を導入することで、現場やメーカーに「供給を続けても経営が破綻しない」という安心感を与えないかぎり、医療資材の安定供給は困難とならざるを得ません。
そしてなにより、透析をはじめとした現場の医療を一日たりとも途絶しないよう「欠品」を回避せねばなりません。
早ければ4月末には欠品が現実なものとなるとの予測もされているのですから、海外からの原材料の調達を船便だけに頼っていては間に合いません。
タイやベトナムといった代替拠点でも不足がささやかれるなか、政府が責任をもって航空便で代替輸送する方略を講じ、それにかかる費用負担も保証することで、物理的に資材を早急に国内に取り込み確保することが、きわめて重要です。
■「落ち着いた対応を」といわれても…
今の政府に緊急事態が目前にせまっているとの危機感は本当にあるのでしょうか。
高市首相は29日になってはじめて自身のXでこの問題を取り上げ、「厚生労働省と経済産業省が連携して、サプライチェーンに関する情報を集約し、国内の医療活動が停滞しないよう、異なるサプライチェーン間での石油製品の融通支援など、安定供給を図る体制を立ち上げました」と投稿、「ただちに供給が滞ることはないですから、落ち着いた対応を」と呼びかけました。
また翌30日にもXを更新し、赤澤亮正経済産業大臣を「中東情勢に伴う重要物資安定確保担当大臣」に任命し、「重要物資の安定確保のための具体的対応方針の検討を進めてもら」うと発信しました。
しかしこれはあまりに悠長すぎる対応です。小野田紀美経済安全保障担当大臣がいるにもかかわらず、また新たに似たような担当大臣を作ったところで、少なくとも私がこれまで論じてきた具体策の提示くらいしてもらわないことには、「なにも対策していない」に等しいただの「やってる感」と言ってもいいでしょう。
たしかに国内にある完成品の在庫を融通しあうことで数日から数週間はもつかもしれませんが、先述したように医療現場では連日大量の消費がおこなわれており、患者さんの安全が第一の現場では「節約」などはできないのです。
今、問題になっているのは、その融通すべき完成品の原材料が不足することによる医療資材の枯渇なのです。

さらに「代替調達」という言葉をつかっていますが、これも簡単にいく話ではないでしょう。ナフサ価格の急騰に見られるように、すでに各国で原料や中間材の奪い合いになっている状況で、「これから探します」では間に合いません。
代替調達という淡い希望に過度に期待させるのではなく、イランとの個別の外交交渉という抜本的な解決策に、一刻も早く舵を切るべきではないでしょうか。
■医師にも情報が届いていない
情報の透明性も不可欠です。公式かつオープンな記者会見ではなく、たんなるSNSへの投稿で「ただちに滞ることはない」といわれても、なんら説得力はありません。私の働く末端の医療機関にも、まだ今後の見通しをふくめた詳細情報がおりてきていません。政府としてどこまで把握しているのか、なにが問題になっているのかをリアルタイムに具体的に発信すべきです。
政府のそうした「なにも隠さない」という姿勢こそが、不安による買い占めやパニックによる物流の目づまりを起こさないために、もっとも重要なのです。
ここまで危機が多くの人たちから指摘されはじめている以上、あとで「想定外だった」「不測の事態だった」では許されません。高市政権には、この国に住むすべての人にたいして今すぐ現状を説明するとともに、一刻も早く行動をおこすことを強く強く求めたいと思います。人命がかかっているのです。

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木村 知(きむら・とも)

医師

1968年生まれ。
医師。東京科学大学医学部臨床教授。在宅医療を中心に、多くの患者の診療、看取りをおこないつつ、医学部生・研修医の臨床教育指導にも従事、後進の育成も手掛けている。医療者ならではの視点で、時事問題、政治問題についても積極的に発信。新聞・週刊誌にも多数のコメントを提供している。著書に『大往生の作法 在宅医だからわかった人生最終コーナーの歩き方』『病気は社会が引き起こす インフルエンザ大流行のワケ』(いずれも角川新書)など。

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(医師 木村 知)
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