若者にとって魅力的な国とは、どんな国か。評論家の白川司さんは「経済成長の展望を持てない国に、若者が長期的な将来設計を描くことはできない。
日本にとって反面教師となるのは、ニュージーランドだ」という――。
■南半球の島国で起きている異常事態
ニュージーランドは小国でありながら、アメリカを中心とする機密情報の共有枠組み「ファイブ・アイズ」の一角を担い、1人当たりGDPでも日本を凌駕する「成功した先進国」の一つである。
ところが今、この清廉なイメージの裏側で、ニュージーランドは国家の将来に関わる深刻な事態に直面している。それは若者の大量流出だ。
2025年の出国者は約12万人に上り、全人口約530万人の約2.3%に相当する。約4割が18~30歳の若者で、行き先は隣のオーストラリアが多い。
ニュージーランドは移民を多く受け入れているので目立っていないかもしれないが、若者の流出は深刻なレベルに達している。
一見豊かで住みやすい国の見本のようなニュージーランドから、未来を担う若者たちがなぜ隣国オーストラリアへと出ていくのか。
その構造を分析すると、現在の日本が直面している「産業政策」の危うさと、私たちが陥ってはいけない罠のありかが鮮明に見えてくる。
■「世界で最も成功した農業国家」
ニュージーランドの人口規模は兵庫県や福岡県と同程度だ。経済指標を見ると「優等生」だが、その実態は意外なほど偏っている。
主な外貨獲得源は、乳製品、肉、木材といった一次産品で、これに観光業と海外からの留学生ビジネスが加わる。

「世界で最も成功した農業国家」と称されることがあるが、それは日本やドイツのような有力な製造業がほぼ存在しないことと裏表の関係にある。現代経済の主戦場であるITや金融といった高付加価値産業も、先進国としてはかなり遅れている。
この「素材とサービス業」に極端に依存した経済構造こそが、停滞の根本的な要因となっている。
■中国シフト成功で「今のままでいい」
ニュージーランドの産業高度化が停滞した背景には複数の要因があるが、その一つの契機として見逃せないのが、2008年に西側先進国として初めて中国と締結したFTA(自由貿易協定)である。
2000年代、中国の高度成長に伴い中国人中間層が爆発的に増加すると、ニュージーランド産の粉ミルクや食肉の需要が急増した。
対中輸出の急増によって経済は潤い、表面上のGDPは右肩上がりを記録した。だが、ここに大きな構造的問題があった。
輸出の主体はあくまで加工度の低いコモディティ(汎用品)であり、本来ならこの利益をR&D(研究開発)などの先端投資に回して、アグリテック(農業技術)や高付加価値なバイオ産業へ進化させるべきだった。
ところが、政府と企業は「売れているから、今のままでいい」と判断し、現状維持を選択した。対中コモディティ輸出の成功体験が、産業転換への投資インセンティブを構造的に損なっていった。これがニュージーランドを「資源切り出し型の古いモデル」に縛り付けた大きな要因となったことは間違いないだろう。
■稼いでも稼いでも、住宅ローンに消える
産業への投資を阻害したもう一つの要因が、異常なまでに過熱した不動産市場だ。
ニュージーランドでは家計資産の大部分が住宅に向かい、銀行融資の多くも生産的な企業投資ではなく住宅ローンに充てられてきた。
リスクを伴うスタートアップ投資よりも、確実に値上がりし、かつては節税メリットも大きかった住宅投資に資金が集中する構造が定着した。
資金が将来を創る新産業ではなく、既存の住宅価格を押し上げるために費やされる。この構図は、経済学的に見れば最悪の資源配分である。
不動産価格の高騰は「持てる者」を富ませるが、富を生まない非生産的な資産にマネーが滞留し、結果として国民の生活コスト(住居費)だけが跳ね上がる。イノベーションが起きない中でコストだけが上がる。これが、現在のニュージーランドを停滞に押しとどめる構造的悪循環の正体だ。
■専門職より隣国で皿洗いしたほうが稼げる
産業が単純化し、付加価値が上がらなければ、賃金は当然ながら停滞する。一方で住宅価格は世界有数の水準まで高騰した。若者にとって、自国で家を買い、家族を持つことが現実的な目標から遠ざかっていく。
そこで若者が目を向けたのが、隣国オーストラリアだった。オーストラリアは人口約2700万人。
資源国でありながら金融、インフラ、IT、高度製造業といった「産業の厚み」がニュージーランドとは比較にならない。
ニュージーランド統計局およびオーストラリア統計局のデータによれば、2023年時点でオーストラリアの平均週給はニュージーランドを約25~30%上回る水準にあり、この格差はここ10年で拡大傾向にある。
若者の間では「オーストラリアで皿洗いをするほうが、ニュージーランドで専門職に就くより稼げる」という言葉が現実味を持って語られているという。
ニュージーランド人はオーストラリアでビザなし就労が可能なため、出国者の多くが海を渡る。優秀な人材が流出し、高騰した不動産と高齢化した人口構造だけが残るという経済の活力喪失が進行している。
■元首相ですら母国を捨ててしまった
ニュージーランドでは近年、同国を率いたアーダーン元首相がオーストラリアに生活拠点を移したことも報じられている。このニュースはニュージーランドでは思いのほか衝撃を与えておらず、「最も選択肢を持つ立場にあった人物ですら、より大きな経済圏を選ぶ」という現実を示している。
ニュージーランドの人々は言葉ではなく、「オーストラリア移住」という行動で国家の将来に判断を下しているのである。
本稿を読み、「日本だってニュージーランドと同じようなものではないか」と感じた人もいるだろう。
だが、冷静に分析すれば、日本にはニュージーランドが持ち得なかった「産業の多様性」がまだ残っている。自動車、半導体素材、精密機器、そして世界的なコンテンツ産業。これら多角的な強みはニュージーランドにはない優位性だ。

「日本もニュージーランドも同じ」とは言えないが、「同じ轍を踏む危険性がある」という警戒は怠れない。
ニュージーランドの経緯が示す教訓は3つある。
■「若者を絶望させた国」の教訓
第一に、国家としてのグランドデザインがなければ、産業は利益の出やすい方向へと単純化していく。ニュージーランドの場合はコモディティへの集中がそれにあたる。そして高度な技術基盤を一度失えば、再構築には数十年を要する。
第二に、住宅・不動産への資金滞留は産業競争力の長期的な自己毀損につながる。資金が次世代技術や起業に回らず、不動産や現預金に埋没する構造は、若者の経済的な展望を直接的に狭める。
1980年代後半、日本では過剰流動性マネーが不動産に集中し、実体経済を上回るバブルを生んだ。あの莫大な資金の一部でも、次世代のイノベーションに向かっていれば、その後の「失われた30年」の景色は違っていたはずだ。
実際、日本が土地神話に酔いしれていた一方で、アメリカでは後のビッグテックへと繋がるIT産業が産声を上げていた。
当時の日本にも、その潮流を鋭敏に察知していた先駆者はいた。リクルートの江副浩正氏である。
彼は情報のデータベース化や通信事業の可能性をいち早く見抜き、旧来の産業構造を破壊する「知のインフラ」を構築しようとしていた。
■日本版Googleが生まれなかった理由
ところが、1988年に発覚した「リクルート事件」が、その芽を事実上摘み取ることになる。
筆者の視点に立てば、この事件は「戦後最大の疑獄」と称されるほどの収賄性は希薄であり、むしろ本質は「異端の新興勢力に対する、既得権益層と検察による社会的制裁」という側面が強かったのではないか。この事件によって江副氏は表舞台から去り、リクルートという、日本版のGoogleやAmazonになり得た企業の翼は折られた。
この出来事が日本社会に与えた悪影響は、単一企業の挫折に留まらない。「出る杭は徹底的に打たれる」という強烈なメッセージを焼き付け、日本からリスクテイクの文化を萎縮させてしまったのだ。
ニュージーランドが「対中輸出の成功体験」という甘い罠にはまり、産業の高度化を止めてしまったように、日本もまた、戦後成功モデルの維持を優先し、江副氏のような破壊的イノベーターを許容する「度量」を失った。この「新しきものへの警戒感」こそが、ニュージーランドの不動産依存と同様、国家の生産性を長期にわたって損なう構造的な病理となったのである。
■「住みやすい」で喜ぶのは高齢者だけ
第三に、若者の流出はある閾値(いきち)を超えると、政策で止めることが極めて難しくなる。
若者の流出が深刻化しているポルトガルでは、政府が2019年に35歳以下を対象とした所得税の大幅軽減措置(IRS Jovem)を導入した。だが、OECDの労働移動統計や現地報道によれば、その後もEU域内への若年層流出は続いており、税制優遇単体では定住を促す効果は限定的とされている。
賃金水準や産業の厚みという根本的な魅力なしには、税制措置だけでは若者を引き留めることはできないことを示す事例と言えよう。

「治安が良い」「住みやすい」という情緒的な理由だけでは、合理的な若者を繋ぎ止めることはできない。なぜなら、それこそが高齢化をもたらし、若者の目を外に向かわせる「高齢社会の論理」そのものだからである。経済成長の展望を持てない国に、若者が長期的な将来設計を描くことはできないのである。
■「痛みを伴う政策」こそ最大の処方箋
日本に足りないのは、材料(技術や資本)ではなく、それらを最適に配置するための意志と政策だ。
既得権益を打破し、非効率な産業から高付加価値産業へ労働移動を促すこと。金融資産を不動産や貯蓄からリスクマネーへと還流させること。そして何より、「現役世代・若年層の経済合理性に応える」投資優先の政治へ舵を切ることが求められている。
ニュージーランドの若者がオーストラリアを目指す姿は、決して対岸の火事ではない。日本が「稼げる国」としての競争力を取り戻せなければ、次世代もまた同じように海を渡ることになるだろう。
日本がリソースを集中すべき領域は大きく3つある。
第一は、「素材・デバイス」産業の死守だ。ニュージーランドには製造業の基盤がなかったが、日本には世界シェアの大部分を握る特定部材や製造装置が存在する。これらは世界的なチョークポイントとなりうる重要産業だ。
日本は最終製品(スマートフォンや電気自動車本体)での競争に固執するのではなく、それらを作るために不可欠な半導体素材、精密化学、工作機械といったBtoB領域に公的支援と税制優遇を集中させるべきである。
世界が日本抜きでは立ち行かない急所を握り続けることで、外交的・経済的なプレゼンスを維持しながら高い利益率を確保する。これがニュージーランドには持ち得なかった日本固有の強みであり、最優先で守り抜くべき資産である。
■「日本製」の農産物を世界に売り出す
第二は、アグリテックによる一次産業の知的集約化だ。ニュージーランドの失敗は、農業を素材の切り出しに留めたことにある。日本は逆に、農業を製造業として再定義して、輸出産業として育成すべきだ。
その際は、単なる農産物輸出ではなく、自動収穫ロボット、環境制御システム(植物工場)、機能性品種のゲノム編集といった技術と知的財産のパッケージ輸出を目指す方向性が有効だ。
労働集約的な農業から脱却し、理系人材やエンジニアが稼げる職種として参入できる高付加価値産業へ転換することができれば、農業は衰退分野ではなく成長エンジンになりうる。
■ニュージーランドの二の舞にならないために
第三は、AIや半導体技術など知財への資本還流を促す制度設計を構築することだ。
ニュージーランドではマネーが不動産に死蔵されてしまい停滞を招いたが、日本はこれを避けるために「形のない資産」へと向かわせる必要がある。
不動産投資を課税によって適正化する一方で、スタートアップ投資やエンジェル投資に対する徹底した免税措置を講じることは有効だ。また、アニメ・ゲームなどのコンテンツ産業における知的財産の証券化を支援し個人マネーを新産業へ誘導することが、具体的な手段として考えられる。
バブル後期のように「土地神話」を意識的に終わらせようとするのは愚策だが、若者の挑戦に資金が回るリスクテイクの生態系を構築することは必要だ。
これらの戦略を実行するには、既存の産業保護や高齢層が保有する資産の既得権益に切り込まなければならない。その痛みを先送りし続けた結果が、現在のニュージーランドの競争力低下と若者流出である。
日本にはまだ、世界と戦える種が残っている。それらを不動産や内部留保という非生産的な場所に眠らせておくのか、それとも次世代の武器として磨き上げるのか。今まさに、その選択を迫られている。

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白川 司(しらかわ・つかさ)

評論家・千代田区議会議員

国際政治からアイドル論まで幅広いフィールドで活躍。『月刊WiLL』にて「Non-Fake News」を連載、YouTubeチャンネル「デイリーWiLL」のレギュラーコメンテーター。メルマガ「マスコミに騙されないための国際政治入門」が好評。著書に『14歳からのアイドル論』(青林堂)、『日本学術会議の研究』『議論の掟』(ワック)ほか。

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(評論家・千代田区議会議員 白川 司)
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