還暦をすぎて、健全な思考を保つには何を意識するといいか。元外務省主任分析官で作家の佐藤優さんは「現代人の多くは、お金と出世、それに結びつく偏差値、そしてナショナリズムを追い求めている。
しかし還暦をすぎると拝金教と出世教、偏差値教は次第に関係なくなり、最後にはナショナリズムという宗教が残る」という――。
※本稿は、佐藤優『還暦からの人生戦略』(青春出版社)の一部を再編集したものです。
■国民の不満と怒りを解消する常套手段
ナショナリズム(国家主義・民族主義)というのは、実はなかなか難しい概念であり現象です。アーネスト・ゲルナーという英国の哲学者が、『民族とナショナリズム』(岩波書店)という本でナショナリズムの本質を鋭く考察しています。
ナショナリズムは国民国家が誕生し、産業社会が誕生することによって必然的に生み出されたものだとゲルナーは指摘します。
産業社会によってつくられた封建的なシステムから解放された多くの人々は、家や土地、地域といったしがらみから自由になります。
一方、自由は同時に不安や孤独を伴いますが、それを解消するのが文化的な同質性であり、民族的な同質性。これがナショナリズムへとつながっていくのです。
産業社会はその進展とともに、これもほぼ必然的に貧富の差を生み出します。この格差は当然、人々に不満と怒りの感情を呼び覚まします。ナショナリズムは、それを解消するための有効な手段としても使われるのです。
不安から国民の目をそらすために、あえて他国を悪者にして攻撃する。
ナショナリズムを高めることで内部の矛盾や緊張をごまかすというのが、国家の常套手段でもあります。
■高齢者を襲うナショナリズムという病
特に、最近は経済のグローバル化が進むにつれて自国優先主義が台頭しています。自らの求心力を保つために、各国の指導者がこれまで以上にナショナリズムを煽るという傾向が強くなっているように思います。
このようなナショナリズムは、現代社会における持病の一種だと言えるかもしれません。それはもはやひとつのドグマ(教義)、宗教になっているというのが私の見立てです。
キリスト教や仏教など、本来の宗教は今やかつてのような絶対性を持っていませんが、代わりに現代の宗教と呼べるものが4つあると考えます。それは「拝金教」「出世教」「偏差値教」「ナショナリズム」の4つです。
現代人にとってお金と出世、それに結びつく偏差値、そしてナショナリズムは絶対的なもの。誰もがこれらに価値を見出し、追い求めているといっても過言ではありません。
なかでも拝金教と出世教が最も強い宗教でしょう。しかし、この2つは還暦をすぎるとその価値はしぼんでいきます。そして偏差値教もすでに学生からは遠く離れていますから関係ありません。
最後に残るのがナショナリズムという宗教なのです。
■戦前から繰り返す日本礼賛ムード
どんなに時代が進んでも、宗教的なものを求めるという人間の本質は変わりません。
新型コロナの蔓延、地震や台風などの天災、経済の停滞と二極化……。ますます先が見えない時代になり、閉塞感と不満がたまっています。
しかも還暦をすぎた世代には、歳をとっていくことの不安や孤独も加わります。何かにすがりたい、帰依したいという気持ちが強くなってくるのは当然のことです。
そこで、自分たちの民族や国家、歴史や文化に強く帰依して自尊心と矜持(きょうじ)を保つ。それ自体が悪いわけではないのですが、得てして他国や他民族に対して排他的になり、差別主義的になるのが問題です。現代の、しかも還暦をすぎたシルバー層が最も入信しやすい宗教がナショナリズムだと言えます。
少し前のテレビ番組に日本礼賛ムードが目立っていたのも、そのひとつの表れでしょう。日本人や日本文化のここが凄いと、やたら外国人が感心したり、驚く顔を見て満足したりする。なんとも自己満足的で気持ち悪さを感じたのは私だけではないはずです。

実は戦前の一時期、同じような風潮があったのをご存じでしょうか。
日本のあるジャーナリストが、いかに日本民族が優れているかを羅列した本が当時のベストセラーになった。それが日本人は和式便所を使っているから足腰が強い。だから欧米人よりも優れているといった、なんともバカバカしい内容なのです。
■陰謀論に取りつかれてしまう人の特徴
ネットに流れる怪しい情報やトンデモ本などを鵜呑みにしてしまうのは、意外にも有名大学を卒業し、社会人としてまっとうに仕事をしてきた人に多いようです。
たとえば、東日本大震災はある組織が人口抑制を図るために地震爆弾を仕掛けたために起きた、新型コロナは米中が互いに違うタイプのウイルスを相手国にまき散らしたウイルス戦争だ……。
フリーメイソンの世界支配説など、昔からさまざまな陰謀論がありました。実際、歴史的に世界各国の政治家や要人がフリーメイソンに入っていて、政治や経済を牛耳っていたことは事実かもしれません。
だからといって、彼らがどこかでひそかに会合を開いて、世界を支配しようと陰謀を企んでいるなどということはありえません。
共同謀議があるかどうかが大事なポイントであり、それが証明されない限りはフリーメイソンが陰謀集団だということはできない。しかしフリーメイソンがかつて各国の要人に多かったということだけで、そこに陰謀があるかのように錯覚してしまうのです。
■相関関係と因果関係を混同しない
これは、相関関係と因果関係をとり違えているとも考えられる。
相関関係はあるが、因果関係はないということが世の中にはたくさんあります。相関関係とは、Aの数が増減したとき、もう一方のBの数も同じように増減があるという状況。かたや因果関係とは、Aが原因になってBという結果が起きる場合、AとBには因果関係があると表現します。
相関関係と因果関係の違いは、よく子どもの学力と体力の関係でたとえられます。
全国の小学生の体力テストと学力テストの結果を分析したところ、体力の高い都道府県の子どもほど、学力が高いことが判明しました。つまり体力と学力は相関関係があるということです。これをもって、「体力を高めれば学力が上がる」と言えるでしょうか。
それを正しいと考える人はいないでしょう。体力と学力の間に相関関係はあっても、明確な因果関係はないからです。
もうひとつ、ある晴れた日にアイスクリームの売り上げが上がったとしましょう。天気と売り上げに明らかに相関関係はある。では晴れていることが原因でアイスクリームが売れたと考えていいでしょうか?
晴れていても、冬の寒い日にアイスクリームは売れません。
夏の暖かい時期に晴れていて気温が上がったから売れたわけです。つまり、晴れていることとアイスクリームが売れたことに、直接の因果関係は成り立っていないのです。
このような相関関係と因果関係の違いをしっかり認識していないと、トンチンカンな結論を招いてしまうことになります。
■人間には物語をつくる習性がある
陰謀論は、このような相関関係と因果関係を意図的に取り違えることで、あたかも論理的に成り立っているかのように偽装しています。
まったく何も関係のない偶然の出来事を、あたかも必然の出来事であるかのように感じさせる。単なる偶然なのに、それがある企みによって引き起こされていると強引にとらえるのです。
人間には物語をつくる習性があります。愛する人と出会ったのは偶然にすぎないとしても、「これは運命だ」と必然的なものを感じるのはよくあることでしょう。むしろそうやって物語をつくる力が人生を豊かに、意味あるものにしてくれるとも言えます。
私のようにキリスト教に帰依し、宗教を学んだ人間からすると、人間の想像力が不安を解消し、強く生きるための原動力になることに疑いはありません。
陰謀論も根本は同じだとすれば一概に否定できないのかもしれませんが、人間は誰しも不条理な思考に取りつかれる資質があると客観的にとらえ、自分を戒めることも必要です。

----------

佐藤 優(さとう・まさる)

作家・元外務省主任分析官

1960年、東京都生まれ。
85年同志社大学大学院神学研究科修了。2005年に発表した『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)で国策捜査の裏側を綴り、第59回毎日出版文化賞特別賞を受賞。『自壊する帝国』(新潮社)で新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞受賞。『獄中記』(岩波書店)、『交渉術』(文藝春秋)など著書多数。

----------

(作家・元外務省主任分析官 佐藤 優)
編集部おすすめ