■コンクールのためロシアからポーランドへ
2014年にはモスクワ音楽院でミハイル・ヴォスクレセンスキーに師事していた反田恭平は、ショパンコンクールに入賞するために留学先をワルシャワに変えたのだ。2017年からショパン音楽大学でピオトル・パレチニに師事していた彼は、2021年にショパンコンクールで2位になった。
彼は現在、「最もチケットの取れないピアニスト」と呼ばれている。反田がパレチニに師事した理由は何なのか――。
少し遠回りになるが、とある在京ラジオ局のアナウンサーの話にお付き合いいただきたい。
神奈川県内の公立中学校にいる時、受験を控えた段階で彼は体育で2をつけられた。5段階評価の2である。県立横須賀高校を目指していた彼は、担任教師から「この内申点だと横須賀高校は無理だな」と告げられる(どうしても横須賀高校に行かせたい生徒が他にいたという大人の事情だ、たぶん)。
彼は別の県立高校に進み、横浜国大の指定校推薦を受けて同大学に進んだ。アナウンサー試験を受ける際も、在京、在阪、地方局まで受けたがすべて不合格。
やけくそで受けた有楽町のラジオ局の最終面接で阪神タイガースの応援歌『六甲おろし』を歌った。
■不透明な選考基準を逆手に取る
人が人を評価する、というシステムである限り、こうした理不尽(あるいは瓢箪から駒的な人事)はついて回る。記録が出るスポーツなら可視化しやすい。けれど、フィギュアスケートの芸術点なんてつまるところ主観である。
ましてやピアノのコンクールともなれば……。今更ながらにユリアンナ・アヴデーエワ(ショパンコンクールのDVD審査落選→復活→優勝)の例を挙げるまでもなく、大人の事情(おもにインセンティヴのやり取り)は存在する。それは就活界隈でも、婚活界隈でも、だ。
それならば、大人の事情を逆手に取ってやれ、というピアニストがいたら、彼(または彼女)は音楽的スキルのほかに必要な、メタ認知能力が高いといえる。
そう、メタ認知能力。
「自分が思考していることを、もう一人の自分がより高次から客観的に捉えて把握し、活動に反映させること」(2024.6.8「朝日新聞社教員向けサイト『先生コネクト』」)
自分のピアノのスキルは客観的にどのくらいか、このコンクールに入賞するには何をすればいいのか、ライバルたちの強みと弱みは何なのかをリサーチし、では何をすればいいのか考え、プランを実行に移すことだ。
■反田恭平と大谷翔平の共通点
ここで思い出すのが、大谷翔平のマンダラチャートである。彼が高校生の時に書いた目標到達シートである。
こいつを装備していれば、就活界隈でも、婚活界隈でも(あるいは恋愛界隈)、そこそこ戦って行ける。そして、このメタ認知能力を最大限に活かしてショパンコンクール2位をもぎ取ったのが反田恭平なのだ。
六甲おろしを歌ってアナウンサーになった彼の後輩には、最終面接で感極まって号泣→内定を勝ち取った猛者(女性ですけどね)もいる。彼女は昔からラジオが大好きでどうしてもこの局に入りたいという想いが昂じて号泣したと後述しているが、ともかく客観的にしっかりとナラティヴになってるところが勝因だ。
ポイントはナラティヴ。語るべき物語を提示できるかどうか。実際にそうなのかは別にしても、こうしたナラティヴをひねり出すことこそがプラン遂行のために必要だということを知っていた。
そうした意味で、反田もナラティヴの重要性を認識していた。自己分析、状況判断、そして展望としてのナラティヴ。
■音楽家であり経営者
たとえば、タカギクラヴィア株式会社の高木社長、DMG森精機株式会社の森雅彦社長といった財界人との人脈を切り開き、奈良に世界的なオーケストラ(既にJNOをスタートアップしている)とアカデミーを作るという大きなプランを立ち上げ、そして、自らは指揮者として大成するんだというナラティヴを提示する。
ピアノ道に邁進するというより、オーケストラビルダーのイメージだ。ダニエル・バレンボイムのような。
2025年夏には、ザルツブルク音楽祭で弾き振り(ピアノ・指揮)を披露。8月16日、17日のモーツァルト・マチネに登場し、《交響曲第32番》《ピアノ協奏曲第9番「ジュノム」》《フィガロの結婚序曲》《ピアノ協奏曲第26番「戴冠式」》を演奏したのだ。
日本人指揮者がザルツブルク音楽祭で演奏するのは小澤征爾以来2人目だという(山田和樹が2023年に乗ったのはザルツブルク聖霊降臨祭音楽祭)。
■右手に東大の赤本、左手にショパンの楽譜
たとえば私は、拙著『日本のピアニスト』のまえがきで書いた「右手にFenderのピック、左手にPARKERの万年筆を持って生まれて来た」というナラティヴを各メディアのプロフィールで使っている。私は批評家/アーティストなんですよというより、イメージしやすいからだ。
ついでにいうと「かてぃん(角野隼斗)は右手に東大の赤本、左手にショパンのスコアを持って生まれて来たのだろう。多分」とも書いた。さしずめ、沢田蒼梧は「右手に聴診器、左手にショパンのスコア」を持って生まれて来たのだろう。ね、沢田先生。
ヴァイオリニストの千住真理子なら、「右手に弓、左手にはデジカメ」ということになる。
極めてメカニカルな右脳、見たものをそのままフォトコピーができる記憶媒体。total recall、あるいはphotographic memoryともいう。
たとえば彼女は、《無伴奏ヴァイオリン・ソナタ》を演奏する際、薄暗い観客席に記憶しているスコアを映し出すようにしてそのスコアを見ながらヴァイオリンを弾く。
岩城宏之(ベートーヴェン交響曲マラソンでおなじみの指揮者)も同様のスキルを持っていたのだがこれが裏目に出た。オーストラリアのパースでストラヴィンスキー《春の祭典》の演奏中、振り間違えの事件を起こしてしまったのだ。
演奏を止める。岩城は観客に謝って、演奏を再開した。
■「一流の異能」は不器用でもある
「大事故の原因は、頭の中にフォトコピーした架空のスコアをめくっていたとき、いつものくせで、うっかり2ページ一緒にめくってしまったからだった」(岩城宏之『指揮のおけいこ』)
このフォトコピーの方法を、岩城はアルトゥール・ルービンシュタインに教わったという。ちなみに、これは受験勉強にも使える。東大など超難関大学に入る人の多くはこのスキルを持っている。
脳科学者の中野信子は小学生の時、テストで満点を取り、その理由を友達に訊かれた時、「だって全部、授業でやったことでしょ」といってクラス中を凍らせてしまったという。
彼女はこのtotal recallの持ち主で授業の内容をきっちり覚えていただけなのに。そして、無邪気にもみんな普通にこの能力を持っていると思い込んでいただけなのに。ただし、このtotal recallを持っていることが自覚できていたら、これは「悪魔の血の一滴」に匹敵する。
だって瞬時に暗譜ができちゃうのだから、残りの時間でピアノを弾きまくれる。一方、こうした特殊能力を持つと、別の何かがお留守になる、ということも多い。音楽的な才能に恵まれてはいるが、忘れ物が多い、部屋が片づけられない、自転車に乗れない(藤田真央のことです)など。
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本間 ひろむ(ほんま・ひろむ)
批評家/アーティスト
1962年東京都生まれ(左手にPARKERの万年筆、右手にFenderのピックを持って生まれて来た)。大阪芸術大学芸術学部文芸学科中退。著書に『21世紀のクラシック新名盤』(星海社新書)、『日本の指揮者とオーケストラ』『日本のヴァイオリニスト』『日本のピアニスト』『アルゲリッチとポリーニ』『ユダヤ人とクラシック音楽』(以上、光文社新書)、『ヴァイオリンとチェロの名盤』『ピアニストの名盤』『指揮者の名盤』(以上、平凡社新書)、『3日でクラシック好きになる本』(KKベストセラーズ)ほか。Apple、Amazon、Spotifyなどへ音楽配信も行う。
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(批評家/アーティスト 本間 ひろむ)

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