世界で活躍する日本人ピアニストが増えている。開成・東大卒のピアニスト角野隼斗さんは、聖地カーネギーホールという最高峰の舞台で、あえて独自アレンジの“童謡”を弾き、聴衆を熱狂させたという。
音楽評論家・本間ひろむさんの『Jピアニスト』(星海社新書)より、一部を紹介する――。(第2回)
■「愛されキャラ」藤田真央が立った聖地
「舞台袖へ着くとステージマネージャーが照明係に無線で合図をする。すると舞台上がパッと照らされ、世にも美しいカーネギーホールがまばゆく輝いた。『いつでもどうぞ』の言葉で、手持ちのハンカチを整え、カイロをテーブル横へ置き、お願いしますと言ってステージへと進んだ」(『指先から旅をする2』藤田真央)
藤田真央は2022年、Sony Classicalとワールドワイド契約による最初のアルバムをリリースした。モーツァルト《ピアノ・ソナタ全集》である。それに続くアルバムについて、Sony Classicalのグローバルのマーケティングとコマーシャルオペレーションを担当するアレクサンダー・ベッシュはこう語っている。
「9月にリリースしたニューアルバムには、ショパンとスクリャービン、そして矢代秋雄の『24の前奏曲』が収録されています。1945年、矢代秋雄が15歳のときに書いた作品を世界に紹介したいという藤田さんの希望で録音されましたが、私たちにとっても興味深いプロジェクトでした。
さらに言うと、音楽家としての個性だけでなく、誰からも愛される彼のチャーミングなキャラクターも魅力的でしたね」(2024.11.21「Cocotame」)

■老舗レーベルが見つけた「もう一人の天才」
あの愛されキャラゆえに大物ピアニストの代役に抜擢されるのかなと妙に納得させられるエピソードだが、ともかく、藤田は最初のカーネギーホール(2023.1.25)でモーツァルトを、2度目のカーネギーホールのリサイタル(2024.11.10)でこのアルバムにも収録されている矢代秋雄のプレリュードを数曲演奏した。
「矢代作品は一曲一曲が短く簡潔に描かれており、色鮮やかな描写、個性あるモチーフが現れては消えていく。この日は一曲毎に『次はどのような世界観の曲想なのか』と待ち侘びるお客さんの様子が感じられた。恐らく初めて触れる作品を、彼らが好奇心を切らさず集中して聴いてくれたのは、とても嬉しい瞬間だった」(『指先から旅をする2』藤田真央)
かつて、小澤征爾がリンカーン・センターのフィルハーモニック・ホール、ニューヨーク・フィルとの共演で武満徹《ノヴェンバー・ステップス》の初演を行った(1967.11.9)。

そんなことを思い出す。日本人アーティストとしての矜持もさることながら、ニューヨークという街の「いいものはいい」と受け入れる懐の深さも感じる。さて、そんな藤田真央を発見したSony Classicalのスタッフが目をつけたJピアニストがもうひとりいる。
角野隼斗である――。
■クラシック界を震撼させた「武道館ライブ」
「角野さんにはヨーロッパでお会いしたことがあり、向こうで彼の演奏を聴いて素晴らしいパフォーマーだとは思っていました。でも実際日本に来て、日本武道館をいっぱいに埋めた13000人のお客さんを熱狂させたショウを観て、本当にびっくりしました。
カメラに向かって話しかけながらのYouTube中継を取り入れたステージも興味深かったですね。角野さんは自身でも作曲をしますが、新しいクラシック音楽というものが、こんなにも多くの人々に伝わるのだということに感銘を受けました」(2024.11.21「Cocotame」)

そう語るのは、Sony ClassicalのグローバルのA&Rとして全体を統括するアレクサンダー・ブールだ。アレクサンダー・ベッシュも、武道館コンサートに注目している。
「私たちにとって大きなインパクトだったのは、クラシックのピアノ演奏家である角野さんが、リサイタルを日本武道館で行なったということです。日本武道館という場所は、ヨーロッパをはじめ世界でも有名で、日本の方たちにとって、とても重要な意味を持つ場所であることを私たちも知っています。
多くのロック、ポップスのアーティストたちが“Live at Budokan”と銘打ったアルバムを作っていますからね。
そこでピアニストがたったひとりでリサイタルをする、しかもチケットは完売という話を聞いたとき、これは私たちも観に行かなければ! と思ったんです」(2024.11.21「Cocotame」)

■角野隼斗が生涯忘れない瞬間
角野隼斗はSony Classicalから2024年に『Human Universe』をリリース。世界的なピアニストのひとりになった。
そして、彼もまた、この舞台に立ってしまったのだ。そう、カーネギーホール・デビュー。しかも、辻井伸行と同じく、カーネギーホール主催〈Keyboard Virtuosos II〉シリーズ(藤田真央は2026年3月に〈Keyboard Virtuosos I〉シリーズに登場)。
「カーネギーホール大ホールの満席の拍手の音を、スタンディングオベーションの景色を、きっと私は死ぬ直前まで鮮明に覚えているだろう。
舞台袖の扉が開き、ステージに向かって歩いていく瞬間、奈落の底に落ちていくような気がした。ステージが無限に大きく見えて、ピアノとの距離はどこまでも遠く思えた。客席に目を向けた瞬間、自分はとんでもないところに来てしまったのだと思った。天井ギリギリまで席が埋め尽くされていたステージからの客席の光景は、圧巻だった」(2025.11.22「note」角野隼斗―かてぃん)

と、数日後にかてぃんも振り返っている。
■聖地であえて「きらきら星」
「よく育ち、よく弾く孫。ニューヨークデビュー、素晴らしかったです」(2025.11.19「X」矢野顕子 Akiko Yano @Yano_Akiko)
「終演、拍手喝采のニューヨークデビュー! 角野隼斗さんの圧巻の演奏は、カーネギーホールの歴史に刻まれました。
新星の軌道に、目が離せません!」(2025.11.19「X」ソニーミュージック|CLASSIC@sony classicaljp)

終演直後のこの2つのPostが物語るように、かてぃんのカーネギーホール公演は大成功を収めた。
バッハ《前奏曲とフーガ ハ長調 BWV870》ではじまり、圧巻のラヴェル《ボレロ》を披露し、アンコールの2曲目に《7つのレベルのきらきら星変奏曲》をニューヨークの聴衆にぶつける悪魔っぷりだ。
藤田真央とは違ったストラテジーでニューヨークの夜を制したかてぃん。カーネギーホールで弾くことをこんなふうに語っている。
「NYでいつもお世話になっている方々をはじめ、日本から、ヨーロッパから、関係者の方々、家族、友達、応援してくれるたくさんの人が聴きに来てくれた。一緒に喜んでくれる人が沢山いるということは、ステージに立てることと同じくらい幸せなことかもしれない。カーネギーホールでリサイタルをするということは、単に音楽家にとって憧れのステージに立つこと以上の、人生の証なのだと思った」(2025.11.22「note」角野隼斗―かてぃん)
■世界を制する日本人ピアニストの新時代
思えば、辻井伸行や小林愛実は既に何度かこのステージに乗っているし、内田光子になると、もはやカーネギーホールの常連だ。カーネギーホールの楽屋や壁の写真も見慣れた風景になっているのだ。
そんなことを考えると、藤田真央と角野隼斗という2人の若きJピアニストにとってはスタートのテープが切られたばかりといえる。
願わくば、2人ともずっとNew York Strutを重ねることができますように――。
牛田智大も、桑原志織も、亀井聖矢も、いつかニューヨークで。

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本間 ひろむ(ほんま・ひろむ)

批評家/アーティスト

1962年東京都生まれ(左手にPARKERの万年筆、右手にFenderのピックを持って生まれて来た)。
大阪芸術大学芸術学部文芸学科中退。著書に『21世紀のクラシック新名盤』(星海社新書)、『日本の指揮者とオーケストラ』『日本のヴァイオリニスト』『日本のピアニスト』『アルゲリッチとポリーニ』『ユダヤ人とクラシック音楽』(以上、光文社新書)、『ヴァイオリンとチェロの名盤』『ピアニストの名盤』『指揮者の名盤』(以上、平凡社新書)、『3日でクラシック好きになる本』(KKベストセラーズ)ほか。Apple、Amazon、Spotifyなどへ音楽配信も行う。

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(批評家/アーティスト 本間 ひろむ)
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