アメリカによるイラン攻撃は、どのような結末を迎えるのか。防衛大学校共同研究員の伊藤隆太さんは「アメリカのイラン攻撃の大きな理由は核兵器の問題だ。
ただ、政治学者の研究によると、核兵器を取り上げるための戦争は失敗するケースがほとんどだ。アメリカは目的を果たせず、大きな経済的ダメージを受ける可能性が高い」という――。
■アメリカの戦争は「勝つのに失敗続き」
米軍は、たいてい開戦には勝つ。だがアメリカは、その後でつまずく。ベトナム、レバノン、ソマリア、湾岸、アフガニスタン、イラク、リビア、そしてイランまで――失敗までの道のりは驚くほど似ている。
問題は、最初の空爆が成功したかどうかではない。勝敗を分けるのは、そのあとにどんな請求書が届くかだ。
本稿執筆時点(2026年4月2日)でも、対イラン攻撃の着地点はなお見えていない。むしろ、日本時間の同日午前に行われたトランプ大統領の演説は、その危うさをかえってあらわにした。トランプは今回の作戦を「圧倒的勝利」であるかのように語ったからだ。
だが同時に、なお攻撃を続ける構えも示している。もし本当に勝っているのなら、なぜまだ戦争の継続を語らなければならないのか。
ここに、この戦争の本質がある。
軍事的に一時の優勢を得ても、経済と外交のコストが膨らみ、戦争をどう終わらせるのかという出口戦略も描けないなら、それは政治的には失敗だ。トランプが取り違えているのは、戦場の戦果と国家としての勝利の違いである。壊すことはできても、収めることができない。軍事的な一撃を政治的勝利と取り違えた時点で、トランプはもう負けている。
しかもこれは、日本にとって遠い中東の戦争ではない。IEAによれば、2025年にはホルムズ海峡を通じて日量で原油約1500万バレル、原油と石油製品を合わせると約2000万バレル近くが運ばれ、その大半はアジア向けだった。日本と韓国の依存度は特に高い。つまり今回の戦争は、アメリカの中東政策の話であると同時に、日本の燃料費、物流、物価の話でもある。
もちろん、ここでいう「失敗」とは、戦場で一度も勝てなかったという意味ではない。むしろ逆だ。開戦直後には勝って見えるのに、政治目的、地域秩序、長期の国益という採点表で見ると赤点になる。
ベトナムも、アフガニスタンも、イラクもそうだった。イランの結末はまだ定まっていない。
だが、失敗へ向かう道のりはすでに見えている。
■「危険な国=攻撃すべき的」ではない
その反復を理解する道具として役に立つのが、この見方である。戦争を「正しいか」より先に「割に合うか」で測る。理念や怒りより、核心利益、抑止、同盟、出口、そして他戦域へのしわ寄せを先に点検する。
相手は本当に国を壊してまで倒す敵なのか。爆撃の先に誰が統治するのか。味方の要求をどこまで肩代わりするのか。大義は出口戦略の代用品になるのか。限定攻撃は本当に限定で終わるのか。他の戦域で何を失うのか。
この見方の強みは、その冷たい質問で戦争の熱狂を冷ますことにある。
アメリカが犯した第一の失敗は、危険な敵と、米国が地域秩序ごと壊してでも対処すべき敵を混同することだ。
ベトナムでは東南アジアの複雑な民族主義と内戦が、ワシントンの目には世界規模の封じ込め戦争に見えた。1983年のレバノンでは、治安安定化のために入った海兵隊が、いつの間にか内戦の当事者に見なされるようになった。1992年のソマリアでは、飢餓救援は国家再建へと滑っていった。どれも厄介な相手だった。だが、厄介であることと、全面介入に値することは同じではない。
イランも危険だ。だが、危険だという事実だけで、政権転換や地域秩序の再設計に乗り出す根拠にはならない。しかも2003年のイラク戦争で、米国はイランを抑える地域均衡を自ら崩した。大事なのは、敵の邪悪さより先に、「その一撃は均衡を良くするのか、悪くするのか」を問うことだ。そこから逆算してみると、アメリカの戦争はしばしば出発点でつまずいている。

■ミサイル攻撃だけで国家は倒せない
第二の失敗は、軍事的成功と政治的成功の混同だ。
ミサイルは司令部を壊せる。滑走路も核施設も吹き飛ばせる。だが、翌朝の警察署、税務署、地方行政、治安の正統性は投下できない。2003年のイラクでは、政権打倒までは早かったのに、その後に来たのは安定ではなく占領と内戦だった。2011年のリビアも、政権は倒せたが国家は立て直せなかった。
2001年のアフガニスタンでも同じだった。タリバン政権を崩したあとに「では誰が統治するのか」に答えきれず、20年後には元の敵が戻ってきた。問題は爆撃そのものではない。爆撃で秩序まで作れると思い込むことだ。国家は、空爆の副産物としては生まれない。
イランでも、核施設や軍事拠点を壊すことと、その後の地域秩序を良くすることは別問題である。
極論かもしれないが、ミサイルを使った核攻撃をしたとしても、政治的な成功をおさめられるとは限らないのだ。
■「核兵器を取り上げる戦争」はむしろ逆効果
第三の失敗は、軍事力を使って直接的に核開発を中止させようとしていることだ。
そもそも、対イラン強硬論の最大の理由は核兵器の問題である。だが、核拡散研究や抑止論が繰り返し示してきたのは、予防戦争では核問題を根本解決しにくいということだ。
軍事力で施設は壊せても、蓄積された知識や研究者、そして開発の動機までは消せない。むしろ攻撃された側は、「次に生き残るには、もっと確実な抑止力が必要だ」と学びやすい。相手への嫌悪感だけで武力を行使しても、根本的な解決にはなりにくい。
歴史的な教訓もある。2003年に大量破壊兵器計画の解体に合意したリビアはのちに体制が崩壊したが、逆に北朝鮮は核を体制維持の抑止力とみなしてきた。権威主義体制のエリートからすれば、「核を持たなければ外圧にさらされ、持てば少なくとも大国の扱いが変わる」という冷徹な教訓が生まれやすい。
2026年2月に始まった今回の対イラン戦争も、まさにその教材になりつつある。テヘランの意思決定者から見れば、「核保有の手前で止まっている状態」が最も危ないと映っても不思議ではない。
ここで危惧すべきなのは、「核を止めるための戦争」が、数年後にはより秘密主義的で地下深く潜った核開発を呼び込むのではないかという逆説である。予防戦争は極めて危険な賭けなのである。
■「政治的な理想」が戦争を泥沼化させる
第四の失敗は、味方に引きずられることだ。
警戒すべきなのは敵だけではない。ときに味方のほうが、大国を深みに連れていく。南ベトナム政権の脆さを米軍投入で埋め続けたとき、ワシントンは事実上、サイゴンの生存を自国の戦争目標に変えてしまった。
中東でも同じである。イスラエルや湾岸諸国の最大目標と、アメリカ自身の核心利益は本来同じではない。にもかかわらず「見捨てない」という約束が白紙委任状に変わると、限定作戦は体制転換へ、体制転換は地域秩序の再設計へと膨らみやすい。
同盟は必要だ。だが、同盟は相手を抑える保険であって、味方の最大要求を肩代わりする契約ではない。誰のための戦争なのかを曖昧にした瞬間、戦争目標は増殖し始める。
第五の失敗は、大義に酔って会計を壊すことだ。
民主主義を広げる。女性を守る。人権を守る。民間人を保護する。どれも反対しにくい。だからこそ危うい。反対しにくい標語ほど、失敗の修正も難しくなる。イラク戦争では大量破壊兵器の話が、やがて中東民主化の夢へとすり替わった。アフガニスタンでは対テロ懲罰が国家建設と女性解放の使命へと伸びていった。リビアでは「保護する責任」が政権打倒の実践に変わった。
問題は、理想そのものではない。理想が会計を壊し、撤退判断を不可能にする瞬間である。立派な目的と、実行可能な戦略は別物だ。正義の旗が高く掲げられるほど、「ここでやめるのは無責任だ」という圧力は強くなる。だが、大義は出口戦略の代用品にはならない。
■戦争のコストは「戦場の外」でこそ拡大する
第六の失敗は、戦争がいつも小さく始まることだ。
ベトナムは顧問派遣から始まり、爆撃機による空爆へ、そして地上軍へと滑った。レバノンでは安定化任務が当事者化し、ソマリアでは人道支援が武装勢力の掃討に変わった。アフガニスタンでは9.11のテロに対する懲罰作戦が、20年にわたる国家建設に化けた。対ISIS作戦も「小さく、賢く」始まったはずが、中東への半恒常的関与を残した。
イランでも、当初の説明は「限定」「短期」「抑制的」というものだった。だが、ホルムズ海峡、報復の連鎖、同盟国の要求、国内政治の面子が絡み始めた瞬間、その言葉はもっとも信用できなくなる。ワシントンで最も危険な形容詞は、おそらく「限定的」だ。戦争はしばしば、始めるときの説明より、やめるときの条件のほうで正体を現す。
第七の失敗は、戦争のコストを狭く見積もることだ。
開始6日で113億ドルという数字は派手だが、もっと重い請求書は別にある。ホルムズ海峡をめぐる緊張は、日本にとって燃料費と物流費の上昇を意味する。中東で弾薬、艦艇、外交注意力を消耗すれば、中国やロシアへの抑止の帳尻も崩れる。戦争の最大コストは、しばしば戦場の外で発生する。
ベトナムは国内政治を裂き、イラクは結果としてイランの相対的地位を押し上げ、アフガニスタンと長い中東介入の余熱は「中国への集中」を何度も遅らせた。その意味で、1991年の湾岸戦争のような「成功例」でさえ、完全な安心材料ではない。
軍事的な成功が「次も短く片づく」という錯覚をワシントンに与えたのだとすれば、その副作用は小さくなかった。短く鮮やかな勝利であっても、その後の判断を誤らせたなら、長い目では負債を残しうる。
■「国益が増えたか」で勝ち負けを判断すべき
結局、アメリカが繰り返してきたのは、戦場での勝利を政治の成功と取り違える失敗である。戦闘で勝っても、政治で負ける。しかも、成功したように見えた戦争が次の錯覚を育てるなら、その成功すら総決算ではマイナスに転じうる。長期の国益という物差しで見れば、問うべきは「始められるか」ではなく「終えられるか」だ。
これは感情的な反戦論ではない。大国の会計学である。イランに甘いから反対しているのではない。悪い敵を殴ることと、よりましな秩序を残すことは別だと知っているからだ。国家の成熟は、戦争を始める力ではなく、始めない知性と、終える条件を先に考える冷静さに表れる。
日本から見るなら、評価軸も同じである。アメリカの威信を守ったかではなく、ホルムズ海峡依存のエネルギー価格、物流、そして中国への抑止にどんな穴を開けたかで測るべきだ。味方の戦争をそのまま自国の利益と取り違えないこと。それもまた、国益と抑止から戦争を見るときの、地味だが実用的な教訓である。
今回も問うべきは一つだ。これは始められる戦争か、ではない。終えられる戦争か、である。

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伊藤 隆太(いとう・りゅうた)

防衛大学校 共同研究員/戦略コンサルタント

防衛大学校共同研究員、NovaPillar Advisory LLC戦略コンサルタント、博士(法学)。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。同大学大学院法学研究科後期博士課程修了。慶應義塾大学・広島大学助教、日本国際問題研究所研究員等を経て今に至る。Co-Chairs of the IPSA Research Committees (RC12)、APSA Committee of Best International Security Article等を歴任。単著論文はInternational Affairs誌に‘Hybrid Balancing as Classical Realist Statecraft’ (2022)、‘Hubris Balancing’ (2023)、International Relations誌に‘A Neoclassical Realist Model of Overconfidence and the Japan–Soviet Neutrality Pact in 1941’ (2023)、‘Outrage Balancing’ (2026)、単著研究書は『進化政治学と国際政治理論』(芙蓉書房出版、2020)、『進化政治学と戦争』(芙蓉書房出版、2021)、『進化政治学と平和』(芙蓉書房出版、2022)、編著研究書に『インド太平洋をめぐる国際関係』(芙蓉書房出版、2024)等がある。

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(防衛大学校 共同研究員/戦略コンサルタント 伊藤 隆太)
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