学歴は本当に必要なのか。高校で学年320人中316位、偏差値45の大学夜間学部に進学した田中麻衣子さん(45)は、大手メーカーで雑用係に甘んじた時期を経て、年収1000万円超を稼ぐ人事コンサルタントになった。
学歴より大切なものは何か。9浪して早稲田大学に入った教育系ライターの濱井正吾さんが聞いた――。
※編集部註:初出時、田中さんの年齢に誤りがありました。タイトルと本文を訂正しました。(4月9日11時16分追記)
■「学歴さえあれば社会で成功できる」は本当か
出身大学の偏差値にかかわらず、社会で活躍している人たちにはどんな特徴があるのか。
筆者は9浪して早稲田大学に入学した経験を持つ教育ジャーナリストです。
高校時代のいじめをきっかけに「学歴さえあれば社会で成功できる」と信じ、9年間受験勉強に打ち込み、目標であった早稲田大学に合格しました。しかし、いざ早稲田大学を卒業してみると、学歴があることと社会で成功することは全く別の話だと痛感させられました。
一方で、偏差値50未満の大学から社会に出て、年収1000万円以上を稼ぎ、充実したキャリアを築いている人たちがいます。「学歴がないと成功できないのか」「学歴があっても成功できるとは限らないのか」――この問いに向き合うため、本連載では学歴に頼らず社会で結果を出してきた方々にお話を伺っていきます。
本稿では、偏差値50未満の大学に入学し、その後、金融やIT業界で活躍し年収1000万以上を稼いできた、人事コンサルタントの田中麻衣子さんにお話を伺います。
■320人中316位→大学は夜間主コース
田中さんは、1980年に岐阜県西濃地区で生まれ育ちました。
ご両親は共に公立高校の教員で、父方の祖父母と同居する三世代家族という環境でした。
中学校時代は成績も悪くなく、「自分は結構勉強ができる」と思っていたため、学区でもっとも偏差値が高い高校に行けると思ったそうですが、結果的には地元で2番手の高校に通いました。2番手の高校に入ったことは田中さんにとって不本意だったようですが、勉強では良い結果を出せず、「320人中の316位を取った記憶がある」と当時を振り返ります。
地元には住み続けたくはなかったけど、東京は偏差値も生活費も高いので無理だと思っていた田中さん。3年生の10月から本格的に勉強したものの、センター試験の結果は芳しくなく、選べたのが富山大学か和歌山大学の夜間主コース(*1)だったそう。

(注)

(*1)夜間主コース:国立大学等で経済学部を中心として、当時昼間主、夜間主というコースが設定されていた。夜間主は主に社会人向けとして設計され、午後6時半ころから講義が始まっていた。
■「就活で不利」を克服するための編入学
当時、偏差値が45程度だった和歌山大学夜間主コース(編註:2007年度から募集停止)に進学した田中さんは、硬式野球部のマネージャーに精を出していました。しかし、硬式野球部の先輩達の多くが、就職内定となるのが遅かったことから編入学を選択。滋賀大学の経済学部に進学します。
筆者も大阪産業大学から龍谷大学への編入学を経験していますが、この決断は非常に共感できます。むしろ、私の場合は学歴コンプレックスからの逃避という側面が強かったように思いますが、田中さんは、就職活動における具体的な不利益を冷静に分析し、戦略的に編入学を選択しています。


私が感情的により高い偏差値を求めていた一方で、田中さんは就職という出口から逆算して動いていました。同じ編入学でも動機の明確さが全く違うため、田中さんの決断は私のかつてのものよりも素晴らしいと感じます。
就活も4年生になる頃にはスタンレー電気、ミズノ、宝酒造等の5社の内定を取り、大手電子機器メーカーで自動車用の照明機器の開発や販売を行っているスタンレー電気に就職を決めました。横浜市内に転居し、仕事も最初は楽しかったものの、少しずつ状況が変わっていったそうです。
「妊娠をきっかけに、配慮としてレーザープリンターで印刷した紙をラミネートしたり、ポップを作るためにハサミで切って裏に強力両面テープをつける仕事になりました。今では想像もできないかもしれませんが、当時はそれもやむないのかなと思わざるを得ない時代でした」
■大手企業の雑用係から「税金を徴収する仕事」へ
環境を変えようと思った田中さんは、公務員を目指します。団塊の世代大量退職、好景気のため募集人員が多く倍率も例年より低かった2008年採用試験を受験し、横浜市役所に入庁しました。前職に比べると男女平等な職場だったこともあり、田中さんは税金の徴収事務の仕事で活躍する機会を掴みます。
「税金徴収の業務だと、たとえば企業の1回目の不渡り、いわゆる“片目”の情報が入ったとします。まだ税金を徴収できる余地があるこの段階では、国税や県税、銀行など他の債権者も一斉に動きだします。そこで私は、どの企業をターゲットにするのかを迅速に判断し、チームを編成していました。『横浜市役所です!』と他の債権者に負けない勢いで、取引先に踏み込んでましたね」
仕事に燃えてきた田中さんでしたが、入庁後に離婚を経験。
シングルマザーとなり、家族や地域の人たちの助けを得ながら子どもの世話をしていたそうです。
税金徴収の現場は、当時の横浜市役所の中で最もストレスが高いと言われるほど過酷だったそうです。時には給与を差し押さえるために、横浜港の周辺にある「港湾関係のビル」へ足を運ぶこともあったそうです。
「ビルのなかは、サスペンスドラマに出てくるような“分厚いガラスの灰皿”が置かれているような世界です。港湾関連の社長を相手に、直接「税金を納めてください」と迫りました。もちろん非常に恐ろしい体験ではありましたが、それ以上に税金を徴収することの達成感と使命感に突き動かされていたんです」
■「市場価値ゼロ」の恐怖から再転職
緊張感のある現場でも結果を出していった田中さん。自分の強みについて「現場を回す力は上司や先輩にも負けない自信があった」と語ります。学歴では測れない彼女の強みは、交渉力を含めた対人関係スキルの高さと、行動までの圧倒的な速度、そして「うまくいくまでやる」という継続力にあると感じました。
横浜市役所で、人が嫌がる仕事でも果敢にやりがいを見出し、成果を出していた田中さん。しかし、仕事はできたものの、もっと上を目指したいと思ったこと、昇任試験に合格できなかったことから転職を考えます。
最初の大学受験や編入学試験でも思うような結果がでなかったことを考えると、ペーパーテストがあまり得意ではなかったことが伝わってきます。
そんな状況で転職をしようとしたものの、「30代後半で、公務員10年と民間4~5年勤務のキャリアだとほぼ市場価値がゼロだった」と当時を振り返ります。
ですが、田中さんは知り合いの伝手もあって外資系生命保険大手、ジブラルタ生命保険への内定をもぎとりました。
■「野球部のマネージャー時代の経験が生きた」
応募者7000人の中から、見事に志望企業への内定を獲得した田中さん。ジブラルタ生命保険では、年収が前職の倍の1000万円以上になったと言います。
筆者が9年間かけて学歴を手に入れようとしていた間に、田中さんは現場で実績を積み重ねていました。筆者と同じように、田中さんにもご自身の学歴に対するコンプレックスがあったはずです。
ですが、優先順位を付けて今の生活をより良いものにするために、今やるべきことをやっていた姿勢が、私が持ちえない、現実を見据えて合理的な判断ができる田中さんの能力なのでしょう。
ジブラルタ生命保険では、セールスマンのトレーニングを行う管理職として採用されたそうですが、未経験の業界出身ということもあってか周囲の信用を得るのに苦労したそうです。
「最初はトレーニングのクオリティを高める努力をしましたが、途中で参加者との信頼関係がなければ積極的に話を聞いてくれないのでは、と考えるようになりました。そこで、週2回行っていたミーティングの際に、会場の椅子並べを自分ひとりでやることにしました。
子育ての関係で朝早くから会場に行けなかったので、前日の夜遅くまで残ってひとりでひたすら100以上の椅子を毎回並べていましたね。野球部のマネージャー時代に選手たちの活躍を支えるための準備を学んだので、その経験が生きたんだと思います」
■それでも感じた「学歴の壁」
周囲とは異なるキャリアを持ちつつも、職場で地道に信頼を勝ち取っていった田中さん。ですが、学歴より実力が重要に見える世界であっても、学歴やキャリアによって顧客が限定されることに悩んでいたそうです。
東大や早慶出身の同僚は、同じ大学出身の富裕層を顧客にしているのに自分はそうした繋がりがない。ここにきて「学歴の壁」を感じたそうです。
私自身もこの田中さんの言葉を十分に理解できます。私は大阪産業大学や龍谷大学にいた頃、大人に自分の学歴について正直に話すと、初対面の人の反応が微妙に変わる瞬間を何度も経験しました。就職活動でも苦戦しました。エントリーシートの段階で学歴フィルターに弾かれ、面接にすら進めないことが何度もありました。
しかし、9浪の末に早稲田大学に入学してからは、明らかに世界が変わりました。9浪のハンデがあっても、多くの人は「苦労したけど、早稲田に入れたんだ」と肯定的な反応を示していただける感覚がありました。出版の仕事をいただけるようになったのも、テレビ出演の依頼が来るようになったのも、正直なところ「早稲田」という看板があったからです。もし私が早稲田に入れなければ、これらの機会は得られなかったでしょう。
田中さんが直面した同窓ネットワークの壁は、信頼の担保や共通言語に加えて、まさに学歴が持つ見えない力の一つだと感じました。
■“銀座ママ”から学んだ「富裕層の世界」
富裕層の顧客開拓に悩んだ田中さんは、社内やこれまでの人脈だけでは状況を打開できないと考え、いままでまったく関わりのなかった業界に飛び込みます。

「富裕層相手のビジネスをまず知らないと前に進めないなと思い、富裕層を相手にビジネスしている人はどんな人がいるだろうと考え、ふと銀座の高級クラブのママが思い浮かびました。お店を調べてママ宛てに『富裕層の世界を知りたいので、1週間でいいのでカバン持ちをやらせてほしい』と手紙を書いて送ったんです」
銀座のママの下でカバン持ちを経験した田中さんは、お金を稼いでいる人の世界を目の当たりにします。自分なりに成功者たちの特徴を分析したところ、泥水をすすりながら成り上がっていった人か、学歴がある人かどちらかだと考えました。
さらなる成功を掴むために、田中さんはずっと苦手だった勉強と向き合い、大学院進学を決意します。
「ちょうどその頃、子どもが高校受験を迎えていたこともあって、自分の姿勢を背中で見せようと思いました。いままで勉強は苦手だったけど、大学院は努力して入って出たんだよというのを子どもに見せようと思って、40歳から大学院の受験にチャレンジしました」
■なぜ学歴が必要になったのか
こうして仕事の傍ら大学院の受験を始めた田中さん。TOEICの点数は高校生レベルでしたが、なんとか食らいついて一橋大学大学院と神戸大学大学院に合格し、一橋大学大学院経営管理研究科に進学を決めます。
私も早稲田大学卒業後、東京大学の大学院を目指していた時期があります。私の動機は教育社会学の研究を通して、都会と田舎に存在する教育格差を明らかにしたい、弱い立場の人たちの気持ちがわかるようになりたい、というものでした。
また、同時に過去の自分の人生を清算したかったという思いも否定できません。自身が教育格差の当事者であると考えていた私は、研究によって自分の不遇を証明したいと思っている部分がありました。
一方で、田中さんの大学院進学には、三つの明確な目的がありました。
一つ目は富裕層に対するビジネスで必要な学歴という武器を手に入れること。二つ目は子どもに努力する姿を見せるという教育面。三つ目は、苦手だった勉強に40歳で再挑戦するという自己証明でした。どれも具体的で、他者や社会との関わりの中で生まれた動機です。
私が過去を精算するために大学院を目指していたのに対し、田中さんは未来のキャリアと子どもの教育のために大学院を目指しました。同じ大学院進学でも、後ろ向きな動機と前向きな動機では、その後の人生に与える影響が全く違います。
結局、私は東大大学院には進学できませんでしたが、もし当時の動機のまま進学していたとしても、田中さんのように学歴を生かすことはできなかったでしょう。
入学後、大学院の教員からは「なんで英語の点数がこんなに低いの……」と言われてしまったそうですが、なんにせよ念願の大学院進学を果たしたのです。
■偏差値エリートには真似できない“現場力”
一橋大学大学院の修士課程を修了してからはIT企業の人事部長と、大手ITサービス企業のNTTデータで人事職として働き、年収は1000万円台半ばを下回ることはなかったそうです。
苦手だった勉強と向き合い、40歳を過ぎてから学歴を手に入れ、年収1000万円以上をキープし続けてきた田中さん。現在は独立し、人事コンサルタントとして活動しつつ後期博士課程に向けての受験準備もしています。
編入学を経て「偏差値50程度」で社会人となり、高学歴な同僚たちの存在に気圧されながらも、持ち前の推進力で結果を掴んできた田中さん。
税金徴収の現場で港湾関係の社長を相手に直接交渉したエピソードや、ジブラルタ生命保険で信頼を得るために夜遅くまで残って100脚の椅子を並べ続けた地道な努力の積み重ね。そして富裕層の世界を知るために銀座のママに手紙を書いて「カバン持ちをさせてほしい」と直談判した行動力。
これらは、ペーパーテストでは測れない「現場を回す力」そのものでしょう。
■学歴は手段であって、目的ではない
9浪して早稲田大学に入学した私は、学歴という「入り口」に執着し、その先の社会でどう結果を出すかという視点が欠けていました。
対照的に田中さんは、和歌山大学夜間主コースに入学後、編入学をしつつも、その後は自分の決断で職場を渡り歩き、まず「結果」を出しました。そして結果を出した先で学歴の壁にぶつかった時、再び40歳で大学院受験という新たな挑戦に踏み出していました。
田中さんの人生を見て感じるのは、「学歴は手段であって目的ではない」という当たり前の事実です。田中さんは交渉力・統率力・体力で難題を乗り越え、そして学歴が必要だと悟った時には、苦手を克服してそれを手に入れました。
彼女のキャリアが教えてくれるのは、ペーパーテストの得点よりも、目の前の課題に対する「行動の速度」と「うまくいくまでやり切る継続力」、そして状況を冷静に判断して戦略を立てる「知的な瞬発力」こそが、社会で結果を出し続けるための本質的な力だということでしょう。

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濱井 正吾(はまい・しょうご)

教育ジャーナリスト

兵庫県出身、1990年11月11日生まれ。「9浪はまい」のニックネームでTwitterやYouTube、テレビ出演などを行っている。大阪産業大学経済学部経済学科に入学後、龍谷大学経済学部現代経済学科に編入学し、卒業。高校時代にいじめを受けたことから、いじめっ子を社会的に偉くなって見返したいと思い、在学中から仮面浪人として受験勉強を4年間続ける。大学卒業後、証券会社に契約社員として就職したが10日で自主退職、同月中に配置薬会社に再就職。昼は会社、夜は予備校という生活に。同社退職後は受験勉強に専念し、9浪で早稲田大学に一般受験で合格し、2018年に教育学部国語国文学科入学、2022年卒業。現在はカルペ・ディエム所属。

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(教育ジャーナリスト 濱井 正吾)
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