新入社員を迎える季節だ。今年はどんな若者が入社してくるのか。
東大の教壇に立つ経営学者の舟津昌平氏は「かつての大学では、教職員から生徒に対する言動が問題となっていた。しかし最近は生徒からのハラスメントも問題化している。大学で起きている異変は、新入社員を受け入れる企業側にとって参考になるかもしれない」という――。
■変化する「大学でのハラスメント」
「ハラスメント」という概念が普及して久しい。その類型は増えるばかりで、日々大喜利のように新たなハラスメントが生み出され、「ハラスメント・ハラスメント」みたいな言葉すら生まれつつある。世にハラスメントの種は尽きまじ。
先に断っておくと、筆者はやたらめったら「ハラスメント」とラベリングして喧伝することには反対である。ハラスメント認定を濫用することはコミュニケーションの萎縮を生み、さらに真に問題視されるべきハラスメントを矮小化し、埋もれさせてしまうからだ。
ハラスメントを問題化する本旨は「本来守りたかった対象を守ること」にある、と強調しておきたい。
さて、今回のテーマは「大学とハラスメント」である。大学に特有の「アカデミックハラスメント」は、たとえばこんな話になる。
・「○○しないと卒論の単位は出さない」と、教授から卒論と無関係のことを強要された

・何かが気に食わなかったようで、教授から突然「あなたの指導は放棄する」と言われた

・研究室で無償の労働を迫られ、本来支払われるべきバイト代は研究室に回収された

アカデミックハラスメントの要件は、ざっくり言えば「教職員と学生などの権力差をもって」「事前に合意されていない基準をもちだしたり、過度なコミットメントを求めたりするなどして」「教育目的(つまり、本来の業務内)とは思えない範囲での関係において」「本義でない不利益を学生側に与えること」とでもなるだろうか。

■新語「キャンパスハラスメント」も登場
なお、「キャンパスハラスメント」という言葉も見受けられるようになった。キャンパスにおけるパワハラやセクハラを含む包括的な概念とのことで、アカハラも含まれるようだが、総称する意味はあまり感じられない。新語の乱造には注意が必要だ。
眉をひそめるような話が旧態依然とした大学にはごまんとあったわけで、それはなくなってしかるべきだ。ただ、それを解決するための手段として、今の「ハラスメント」防止体制は妥当なのだろうか、と疑問に思えてならない。
上に述べたアカハラの要件はそれなりに妥当なものだと思うが、運用しやすくはないかもしれない。個々の事案がハラスメント認定されるべきかは、個々の文脈をふまえないと判断できないことも多いからだ。
■「学生部に言えばいいよ」という先輩たち
4月、入学の季節になると、SNSには「春から○○」なるタグが出現し、新入生は「友達ネットワーク」づくりに励む。イマドキ学生は実際に顔を合わせる前に「友達候補」をSNSで見繕っておく習性があるのだ。
その新入生アカウントに熱心に絡んでいるアカウントがある。サークル勧誘アカウントである。お役立ち情報やらなんやら、善意でお助けしますよ、という顔をしつつ、なんやかんやであわよくば入部に持ち込むことをワンチャン狙うアカウントである。

こんな話があったと同業者の先生から聞いた。
ある1年生がSNSでつぶやく。
「○○先生、テストの日に欠席したらもう単位出ないって……」
先に断っておくと、こうした情報はいわゆるシラバスや講義のイントロダクションで事前に予告されているので、「聞いていなかったのはあなたでは」という事案ではある。訴えられても、大学側としても「ルールですよ」としか言いようがない。
アカデミックなことをめぐって学生に不利益が発生しているわけだが、これがアカハラになるわけがない。
そんな無理筋事案に、親切アカウントは答えるのである。
「そういうのは学生部に言ったらいいと思いますよー」
どうやら、一部の学生の間では「なんか困ったことがあったら学生部に全部言え」となっているそうなのだ。
■“ハラスメントの種”を引き受けるのは誰か
ハラスメントめいた事案が発生したとき、それを誰が引き受けるべきなのかは難しい問題である。
かつて筆者は、留学生支援室というところで「チューター」のアルバイトをしていた。留学生の困りごとに対応するオフィスである。「サークルに入りたいが日本語ができない学生を受け入れているか聞いてほしい」とか、履修の相談とか、学生生活に関する幅広い相談を受け入れていた。
ある日、留学生が深刻そうな顔で相談に来た。
アルバイト先でハラスメントめいたことが起きていて、悩んでいるのだという。とりあえず話を聞く。
その後、教員とのミーティングでその話をした。相談員であるチューターは自分の担当案件を報告しないといけないのである。留学生担当の先生は私の話を神妙に聞いてくれたあと、困ったように返してきた。
「……それ、アルバイト先の話ですよね? 大学が何か対応できる話ではないんじゃないかと……」
あ、ほんとですね……と返すしかなかった。留学生が訴えた窮状が事実であったとしても、バイト先に「すみません、留学生支援室ですが……」と問い合わせるのも、それはそれでおかしい。
その留学生には、「いよいよ困ったら、もう一度来るかメールしてください」と返したのだが、結局二度目の来訪はなかった。無事に解決したのか、留学生支援室に聞いても無駄だと思ったのかは定かではない。
むろん、支援室がバイト先と交渉してはいけないわけではない。日本語の苦手な留学生が不動産屋と揉めているので、ついていって通訳しつつ交渉を助ける、みたいなこともあった。ただ、そういった逸脱は決して望ましくはないし、美談でもないと思う。

■「こっちは学費を払っているんだぞ」と主張
結局、大学組織が「イヤなことのお引き受け先」であれるかは微妙であって、できないことも多い。
さきほど登場した「学生部」は、企業でいう総務部に近く、なんでも屋でありつつ、組織によって主な仕事が異なる。大学がハラスメント相談窓口を設けていることも多いが、それが学生部であるとは限らない。
ところがSNSでご活躍の学生たちの中では「ムカついたら学生部に言っとけ」という話になっているようなのだ。結果的に、「それをこっちに言われても……」となる話がたくさん回ってくることになる。
無理筋事案に難色を示すと「こっちは学費を払っているんだぞ」というきわめて乱暴な言葉が投げられることもある。
払ってんのは君じゃなくて君の保護者だろ、というのはおいといて、「そんな対応をしてほしかったらもっと学費を払ってください。今の学費にそのようなサービス料は含まれていません」と返すしかない、と思っている。嫌な言い方ではあるのだが、そっちがそう言うならこう返すしかない、という答えである。
実際に、アメリカなどに比して日本の学費は格段に安い。そうしたサービス料を含んでいないからでもある。
大学教職員とてボランティア(無償)でやっているわけではなく、「それは私の仕事ではない」と明確に断ることは許されている。
引き受け先が曖昧であるという意味でも、大学生にとってイヤなことがあればすべてがアカデミックハラスメントになるわけでもない。
■もはや「カスハラ」に近い学生の言動
この手の話は、大学にはいくらでも溢れている。
「マジか。スマホに書いてたレポート、全部消えたわ」
と、SNSでつぶやいた学生さん。自分の不注意でしかないはずだが、次々と、担当教員への罵詈雑言が続く。
「マジむかつくわ。全部あいつのせいや」

「自己満みたいなしょうもない問題出しやがって」

「だいたい学生はバイトで忙しいんだから、それくらい考慮して課題出せよ……」
と、連綿とした中傷を続けた後、こうつぶやくのだ。
「友達に聞いたら、レポート出したら単位は出るらしい。先生が急に神に見えてきた」
これらはあくまで極端な例であり、「モンスター顧客」に近い。「カスハラ」に該当する程度の学生も、(学生を客とみなすなら)当然いるのだ。
それは極端な例でしょう、あなたは特殊な事例を過度に一般化している……なんて話ではない。
こうした例の何が問題なのかというと、「レモンの原理(注)」というやつで、無理筋の不満をハラスメントだので正当化させて、公の場で喧伝するような学生が増えてしまうと、本当に聞くべき声を聞けなくなってしまう。
教職員の時間は無限ではなく、増加する相談のすべてを丁寧に聞けはしないからだ。うんざりするような相談ばかり受けていたら、オープンな心を閉ざす警戒心も生まれてしまう。

注:ミクロ経済学の理論。情報の非対称性(売り手と買い手の情報格差)により、質の悪い商品(レモン)ばかりが市場に出回り、優良な商品が姿を消してしまうこと。
■「ハザード」と「リスク」の違い
特にSNSで発されるものなんて、知ったことではない。こちらは見もしない、チェックできないのが当然だ。ただ最近はSNS発で問題化されることも多い。ネットを含めて山のように投げかけられる不平不満のうち、本当に耳を傾けるべき事案を見抜くことは、そんなに簡単ではない。
大学生は未成年も多いわけであり、さまざまな面で一人前とは言い難い。そうした学生の幼稚さが生んだ「事案」はごまんとある。本当にハラスメントという強い言葉で厳密に扱うべき事案は、決して頻繁に起きるわけではない。
では、こうした学生の言動にどう対応すればよいのだろうか。ここで考えたいのが「ハザード」と「リスク」である。両方とも訳せば「危険」だが、ニュアンスが異なる。ハザードは被害の大きさを意味する。リスクとは起きる確率である。
「毒蛇に咬(か)まれる」という例を考えよう。最悪死に至るのでハザードは大きいが、日本のほとんどの場所――たとえば市街地――において毒蛇に咬まれるリスクはないに等しい。かたや夏の日の野外で蚊に咬まれるリスクは高いが、ハザードはまあそこまでだろう。
「何か」が起きたときの被害の大きさと、その被害が起きる確率は、とりあえず別のものとして考えないといけない。大学では、そしておそらく多くの組織では、ハラスメントに関するハザードとリスクをまったく識別できていないのではないかと思う。
■ゼミ合宿で生徒と同じホテルに泊まるか
たとえばハラスメントを避けるために、また教職員側も「自衛」のために、学生との面談はすべて録音しよう、みたいな意見をみることがあるが、これは明らかにハザードとリスクを混同して、不要な手間を増やす施策だ。
ハザードとリスクが識別できないことは、結果的にコミュニケーション不全を招く。
「ゼミ合宿」というイベントは大学では珍しくない。春休みなどの長期休みに、卒論の執筆や集中的な学習のための合宿をするのだ。
知人の先生が初めてゼミ合宿を行った。その際、自分が泊まるホテルを、学生が泊まるホテルと別にしたらしい。「なんとなく、嫌じゃないですか?」と。一概にハラスメントを気にしたわけでもないだろうが、学生と「距離」が縮まることを警戒しているのだ。
ただ手続きの関係で大学事務室に報告したら「ふつうは学生と同じところに泊まりますよ」と言われたとか。
なんでもかんでもハラスメントと言われかねない状況下では、「まとも」な人ほど、距離をとって警戒するようになるだろう。毒蛇のいない地域で毒蛇を警戒するように。
■前向きな学生への対応すら迷う現代
話を聞いていた別の先生は、この気持ちを汲(く)み取りつつも、「学生は意外とウェットな関係を好んでいる印象を受ける、だからこそ難しい」と話していた。自身のゼミ合宿でそう感じたらしい。別に先生なんかに興味ないのかと思ったら、興味ある学生もいるにはいるのだ。
そうした学生からすれば、教員側が警戒して距離を置くことは残念に思うかもしれない。いろいろお話ししてみたいのに、「録音していいですか?」と言われたら、複雑な気持ちにもなろう。
変な学生ばかりではなく、前向きに興味を持って接する学生もいる。起きるかはわからない――ハザードは大きいがリスクは低い――ハラスメントを恐れて関係を最小化するというのも、もったいない気がする。
でも、現代では、いつでもどこからか意地悪な声が聞こえてくるのだ。
「ハラスメント予備軍に対して自衛するのは当然の処置」
もっとも「あなたは常に潜在的な加害者だ」といった扱いを甘受する必要はなくて、教員側にも抗弁する準備はある。カスハラが法整備され、正面から訴えることもできるようになった。教職員から学生へのアカハラのみならず、学生から教職員へのカスハラも想定されるべきだろう。
■ハラスメントの本質は「権力関係」
ただ、ほとんどの教員は、イヤな目に遭(あ)ったとしても、そういう手段には出ないのではないかと思う。教員側は、そんなことを望んではいないはずだからだ。学生を顧客とみなすこと自体に忌避(きひ)感もあると思う。学生と教職員は同じ組織の一員でもあるはずで、顧客とサービス提供者という分け方をしてしまうのは、分断でもある。
現実に起きるハラスメントを解決することは、当然必要ながら「ハラスメントという概念をどこにでも持ち込みさえすればハッピーな社会になっていく」というほど単純なものでもない。
ハラスメントの代表例であるパワーハラスメント(パワハラ)からもわかる通り、ハラスメントの本質はパワー、つまり権力にある。権力関係から生み出される不平等こそが本来是正すべき対象であり、被害があった場合に対応するため、あるいは被害を未然に防ぐためにハラスメント関連の法整備も進んできた。
大学におけるハラスメントを考えるときに、主要な論点を1つに絞るならば「大学における権力者とは誰なのか?」だと言える。
教職員と学生をはじめとして、理事会、執行部(企業でいう経営陣、役員)、事務方、各学部構成員(ファカルティという)、外部スポンサー、などなど。現代の大学はさまざまなステークホルダーが関わり合う場所であり、その権力関係は外からみてわかるほどシンプルではない。
■企業は「モンスター学生」にどう対応するか
もうひとつ、先に述べたような「モンスター学生」が社会人として入社してきたとき、どうすればよいのか考えてみたい。モンスター学生が居丈高なのは、若気の至りもあるだろうけど、自分は客だ、金を払っているんだという認識が強いからだとも思われる。
ところが会社にとって新入社員は客ではない。でも、客だと誤認するような状況は揃っている。今は人手不足が叫ばれていて、新卒にとって売り手市場だ。さぞ優しく接してもらってきたことだろう。
新入社員目線にしても、受け入れる職場目線にしても、このお客様扱いをいかに忘れて、止められるかにかかっている。さもないと、「職場でカスハラ」という、わけのわからない事態に発展してしまう。
「仕事」を通じてコミュニケーションを取ることで、お客様気分の若者が甘ったれているだけなのか、ハラスメントとして考慮されるべき事案なのかは、だんだんと識別されてくるだろう。
■ハラスメントによる分断はあまりに悲しい
大学激変の時代において権力問題があいまいになっているからこそ、ハラスメント問題はよりややこしくなるわけであり、大学におけるハラスメントを考えたいのであれば、まずは権力にまつわる交通整理が必要でないかと筆者は考える。
一番伝統的でわかりやすいのは権威ある教員によるハラスメントであり、それがなくなったわけではない。それに加えて、既に述べたように現代の大学はさまざまな権力が跋扈(ばっこ)している。その力学をある程度見抜いたうえで、権力の不均衡に起因する問題にこそ注力すべきである。ハラスメントという言葉の乱用が、それに資するかを立ち止まって考えねばならない。
そして何より、ほとんどいない毒蛇を恐れて両者が望むコミュニケーションが阻害されるのは、あまりに悲しいことではないだろうか。
「ハラスメント予備軍に対して自衛するのは当然の処置」
さきほど出てきたこのセリフ、誰が誰に放った言葉だろうか? われわれがハザードとリスクを混同していないか、冷静に内省すべきだろう。

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舟津 昌平(ふなつ・しょうへい)

経営学者、東京大学大学院経済学研究科講師

1989年、奈良県生まれ。京都大学法学部卒業、京都大学大学院経営管理教育部修了、専門職修士(経営学)。2019年、京都大学大学院経済学研究科博士後期課程修了、博士(経済学)。京都産業大学経営学部准教授などを経て、2023年10月より現職。著書に『経営学の技法』(日経BP社)、『Z世代化する社会』(東洋経済新報社)、『制度複雑性のマネジメント』(白桃書房/2023年度日本ベンチャー学会清成忠男賞書籍部門、2024年度企業家研究フォーラム賞著書の部受賞)、『組織変革論』(中央経済社)、『若者恐怖症 職場のあらたな病理』(祥伝社)など。

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(経営学者、東京大学大学院経済学研究科講師 舟津 昌平)

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