※本稿は、福山 隆『陸軍中野学校のDNA 国家情報局創設前に知っておきたい』(ワニブックス【PLUS】新書)の一部を再編集したものです。
■ボストンで痛感した日本の弱点
私は平成17(2005)年3月に陸上自衛隊を定年退官し、同年6月から2年間、ハーバード大学アジアセンターの上級客員研究員として米国に滞在する機会を得た。
ボストンに住み、ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学(MIT)の講義を自由に聴講できるという、研究者としてはこのうえない環境だった。好奇心の強い私は、政治学、国際関係論、軍事史、情報学など幅広い講義に足を運び、多くの教授、学生、留学生達と議論を交わした。
この2年間でもっとも強烈に感じたのは、日本政府のインテリジェンス活動のレベルが世界標準からあまりにもかけ離れているという事実だった。
その差は単なる「遅れ」ではなく、国家の生存戦略に関わる“構造的な欠落”と言ってよい。
以下に、私がハーバードで目の当たりにした象徴的なエピソードを紹介する。
■暴かれたソ連・東欧の諜報活動
冷戦崩壊後、ポーランドをはじめ東欧諸国は旧政権の諜報資料を一定範囲で公開した。これは米英にとって、まさに「冷戦勝利の戦利品」であった。
平成18(2006)年11月、私はハーバード大学の「冷戦研究プロジェクト・セミナー」に参加した。
この日の講師は、ベルギーから招かれた若き研究者アイデスバルド・ゴディーリス博士(当時32歳)。
博士によれば、東欧革命後に誕生したポーランド第三共和国は、ポーランド統一労働者党政権の諜報機関が収集した膨大な資料を限定的に公開しているという。その量は、積み重ねれば160キロメートルに達するというから驚きだ。
資料は1948年の統一労働者党政権誕生以降のもので、初期は統一性に欠け、手当たり次第に集めた雑多な情報が多い。しかし、年月を経るにつれ、情報の質は向上し、体系的な諜報活動へと進化していったという。
■政府閣僚も監視対象だった
情報組織とは本来そういうものだ。
発足当初はノウハウがなく、試行錯誤を重ねる。しかし、経験を積むにつれ、組織は洗練され、効率的な情報収集・分析が可能になる。
博士は、旧ポーランド諜報機関の活動成果の事例をいくつか提示した。
①防諜活動の実例――外国駐在武官の“現場写真”
最初に示されたのは、防諜活動の成果だった。
ポーランドに駐在する外国武官が、重要施設を撮影している瞬間を捉えた写真である。私服姿の男が車のドアを半開きにし、体を乗り出して撮影している。
私は平成2(1990)年から平成5(1993)年に、韓国で防衛駐在官を務めた経験がある。
この写真を見た瞬間、「私の行動も同じように監視されていたのだろう」と背筋が冷たくなった。
②外務大臣すら監視対象――共産主義政党政権の“恐怖政治”
次に示されたのは、ポーランド人民共和国の外務大臣が西欧を訪問した際の監視写真だった。
政府閣僚でさえ、「西側と内通していないか」とつねに疑われ、監視されていたという。共産主義政党政権下では、国家の要人であっても例外ではない。むしろ、要人だからこそ厳しく監視される。
これが全体主義国家の現実である。
■「トイレに盗聴器」は昔話じゃない
③駐在武官の機密電報――“何を知りたかったか”が丸裸に
三つ目は、ポーランドの駐在武官が外国で収集した軍事情報を記録した機密電報のコピーだった。
私はポーランド語を読めないが、どの国を、どの部隊を、どの装備を、どのような方法で調べていたかがひと目でわかる。
博士によれば、当時の統一労働者党政府は電話盗聴はもちろん、トイレにまで盗聴器を仕掛けていたという。気楽な雑談すら監視対象だった。
そして博士は言った。
「こうしたことは、現在も各国で行われていると考えるべきだ」
私は深く頷(うなず)いた。
インテリジェンスの世界は、時代が変わっても本質は変わらない。
■強い国々に囲まれた国の宿命
ポーランドは“諜報大国”である。
ゴディーリス博士の説明を聞きながら、私は改めてポーランドという国の特殊性を思った。
ポーランドは歴史的に、
*東にソ連(ロシア)
*西にドイツ
*南にオーストリア
という強大国に囲まれた“地政学的サンドイッチ国家”である。
だからこそ、生き残るために諜報活動を極限まで発達させざるを得なかった。
第二次世界大戦前、ポーランドはソ連とドイツに諜報員を潜入させ、エニグマ暗号解読の突破口を開くという歴史的快挙を成し遂げた。
これは連合国の勝利に決定的な貢献をした。
先述したが、冷戦崩壊後、東欧諸国は旧政権の諜報資料を一定範囲で公開した。これは西側陣営にとって、まさに「冷戦勝利の戦利品」であった。
■“任務”を課される中国人留学生たち
私はゴディーリス博士の話を聞き、「CIAがこの機会を逃すはずがない」と思った。
実際、セミナー司会のクレーマー教授(インテリジェンス研究の権威)は、私の質問に対し、「CIAはソ連や東欧から膨大な資料を持ち出した。その一部はすでに公開されている」と明言した。
私は思った。「これが世界のインテリジェンスの現実だ」
話をハーバード時代に戻す。
セミナー終了後、私はクレーマー教授に質問を投げかけた。
「旧ソ連や東欧諸国の情報活動を研究されてきた立場から、今日の中国のインテリジェンスについて見えてきたことはありますか」
教授は即座にこう答えた。
「たとえばブルガリアの情報当局の記録では、同国に留学していた中国人留学生のほぼ全員が諜報活動に関与していたことが明らかになっています。米国に来ている中国人留学生の一部も、当然ながら同様の“任務”を帯びていると考えるべきでしょう」
この言葉を聞いたとき、私はハーバードに留学していた日本人学生から聞いた“ある観察”を思い出した。それはクレーマー教授の指摘を裏付けるような内容だった。「中国人留学生スパイ説」を裏付けるうえで極めて示唆に富む内容なので、以下、紹介したい。
■日本人留学生とは明らかに違う連帯感
〈中国からの留学生ですが、セミナー・リサーチにおいても中国系米国人との連携や活動は日系米国人と日本人の希薄な関係に比べ圧倒的に強いと思います。また、学内における文化交流の機会を有効に活用し、親中イメージづくりに最大限貢献させており、ジョセフ・ナイ教授の「ソフトパワーの理論」を実際的に活用している観があります。
たとえば、インターナショナルイベントやカルチャーイベントにおいては、プロ顔負けの舞踏や器楽演奏を披露し、各国の学生を非常に驚かせました。私達日本人は勉強するだけで精一杯なのに、いつ集団的かつ統一的に練習しているのだろうと思いました。
これら中国人留学生の活動は、自発的というよりも誰かの指示で一元的、組織的に動いているのではないかと思いました。確証はありませんが、クラブ・ネットワークなどを活用し、情報の共有や目標の共通認識を図っているのではないかというような感想を持ちました〉
ちなみに、ジョセフ・ナイ教授が提唱した「ソフトパワー」とは、軍事力や経済制裁といった強制力(=ハードパワー)ではなく、文化や価値観、外交姿勢などによって、他国を“魅了し、引きつけ、進んで協力させる力”を指す概念である。
■最終授業で写真を撮り始めた中国人女性
ボストンに到着したのち、私は“60の手習い”で英語講座に通いはじめた。
公開講座の受講者は692名。クラスは多国籍で、私のクラスには中国人女性がひとりいた。20代後半、オードリー・ヘプバーンを思わせる美貌。名乗ったのは中国名ではなく「ケイ・ティ」。授業中は控えめで、休み時間も誰とも話さない。私が声をかけても、愛想のない返事が返ってくるだけだった。
ところが、半年後の最終授業で彼女は突然“変身”した。
そして、明らかに私を中心にシャッターを切っていた。それまで会話らしい会話もなかったのに、急に「タカシ、タカシ」と親しげに呼ぶ。私はインテリジェンスの世界にいた経験から、この行動に違和感を覚えた。
■なぜ突然、私の個室オフィスに?
ゲーレン初代BND長官は回顧録で以下のようなことを述べている。
東独国家保安省(シュタージ)のミールケ長官が「インテリジェンスにおいてもっとも価値のある情報のひとつは対象者の“写真”である」と語ったことを引きながら、写真が将来のリクルート候補の特定、監視、心理分析、偽造身分証の作成など、あらゆる工作の基礎資料になると指摘しているのだ。
私はすでに現役ではない。しかし、彼女の行動が“将来のリクルート候補としての顔写真収集”である可能性は否定できなかった。
英語講座修了から約10カ月後の平成19(2007)年1月のことだ。「ケイ・ティ」が突然、私のアジアセンターの個室オフィスを訪ねてきた。口実は「アルバイト面接」だった。
しかし、私が個室を持っていることをどう知ったのだろうか。これは偶然ではなく、事前に情報を得ていなければ不可能だ。
■もし彼女のアプローチに応えていたら…
私は本能的にドアを大きく開けたまま応対した。密室を避けるためだ。
彼女は1時間以上、一方的に話しつづけた。公開講座での無口さとは別人のように、親しげで、媚(こ)びさえ感じられた。
「私、最近悲しいの」
「どうして」
「アメリカでは誰でも車を持てるのに、私は一生持てそうにないわ」
私は軽く受け流したが、彼女の“本題”は別にあったはずだ。
それを言いたかったに違いない。私は深入りを避けるため、話題を変え、予定を理由に退出してもらった。
その後、電話、手紙とアプローチは続いたが、私は一切応じなかった。
ハニートラップだったのか、単なる個人的感情だったのか。真相はわからない。しかし、もし一線を越えていれば、引き返せなかった可能性はある。私の判断は正しかったといまでも思っている。
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福山 隆(ふくやま・たかし)
元陸将
昭和22(1947)年長崎県生まれ。防衛大学校卒業後、陸上自衛隊に入隊。平成2(1990)年、外務省に出向。その後、大韓民国防衛駐在官として朝鮮半島のインテリジェンスに関わる。平成7年、連隊長として地下鉄サリン事件の除染作戦を指揮。九州補給処処長時には九州の防衛を担当する西部方面隊の兵站を担った。その後、西部方面総監部幕僚長・陸将で平成17年に退官。ハーバード大学アジアセンター上級客員研究員を経て、現在は執筆・講演活動を続けている。おもな著書に『兵站』(扶桑社新書)、『防衛駐在官という任務』『トランプ帝国の「ネオ・パクス・アメリカーナ」』(ともにワニブックス【PLUS】新書)がある。
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(元陸将 福山 隆)

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