「偏差値の高い大学」はいい大学なのか。早稲田大学文学学術院教授の小塩真司さんは「偏差値で学校を序列化する慣行は日本独自のものであり、世界ではほぼ存在しない。
数値への幻想が教育の本来の価値を覆い隠している」という――。
※本稿は、小塩真司『「数値化」中毒 なぜ手段が目的に変わるのか』(PHP新書)の一部を再編集したものです。
■世界大学ランキングは日本に不利
世界中の大学を格付けする「世界大学ランキング」が発表されはじめたのは、2004年頃のことです。
当時私は、すでに大学に勤めていましたが、勤務先はそのようなランキングの上位に掲載されるような大学ではなかったため、当初、私はあまり関心をもっていませんでした。むしろ「大変な時代になったなあ」と他人事(ひとごと)のように感じていました。
また、「それなら日本も、日本の大学が不利にならないような独自の世界大学ランキングを作ればいいのに」とさえ思っていました。というのも、どう見ても世界大学ランキングは、日本の大学が不利になるような指標を立てて得点化し、順位づけを行っているように思えたからです。たとえば英語論文の被引用数や外国人教員の比率など、欧米の大学に有利な要素が多く採用されていました。
しかしその後、毎年ランキングが発表されていくうちに、「世界大学ランキング」が発表されるのは当然のものとなり、ランキングが発表されればニュースになり、大学も「ランキングを高めること」を目標にし、留学する学生も「この大学のほうが、あの大学よりもランキングが高い」と、評価の基準とすることが当然になってきます。
■世界中で乱立する「ランキング」
そして2016年、「今後10年間で世界大学ランキングトップ100に、日本の大学10校以上を入れる」と、国全体の数値目標にも世界大学ランキングが取り上げられ、国家戦略として位置づけられるまでになったのです。残念ながら、この目標は達成されませんでしたが……。
ちなみに現在、「世界大学ランキング」と呼ばれるものは乱立状態にあります。
イギリスのQS世界大学ランキングとTHE世界大学ランキング、中国の世界大学学術ランキング(ARWU)、トルコのURAP世界大学ランキング、サウジアラビアのCWUR世界大学ランキングなど、数多くの機関がそれぞれの基準でランキングを発表しています。
最近では、持続可能な社会への貢献度を評価するTHEインパクトランキング(2019年開始)のような新しいタイプも登場し、大学評価の指標はますます多様化しています。これら以外にも多くの「世界大学ランキング」が存在するのです。
やはりこのようなランキング乱立状況を見ると、日本でもどこかが早いうちに独自の世界大学ランキングを発表しておけばよかったのに、と思ってしまいます。
■順位に振り回される大学とメディア
毎年、ニュースや新聞で「世界大学ランキング」が報じられますが、これだけ多くのランキングがありますので、年中どこかのランキングが発表されています。
おそらく多くの人々は、報道された内容がどの機関のランキングを指しているのかを十分に認識していないのではないでしょうか。それぞれのランキングには独自の評価方法があるのですが、ランキングの背景にある評価基準や方法論が十分に理解されないまま、「日本の○○大学が何位に入った」「ランクインしたのは○校だった」といった断片的な情報だけが広まり、ニュースになって世の中を駆け巡ります。
そして大学関係者でさえ、順位の上下に一喜一憂し、メディアや政策はその数字を大学評価の中心的な根拠であるかのように扱うようにさえなっています。世界大学ランキングの本来の目的は、単に順位を示すことではありません。高等教育の質や特徴、多様な取り組みを可視化し、一般の人々にもわかりやすく伝えることにあります。
「この大学は教育に重点を置いている」「この大学は国際的な共同研究が盛んである」「この大学は留学生が多く、多文化的環境を提供している」「この大学は地域との連携を重視している」といったように、それぞれの大学がもつ特色や「強み」を可視化することが本来の目的です。
■研究者の採用にランキングが影響
もしこのようなランキングが正しく活用されれば、国内外に進学や留学を希望する学生が自分の目的に合った大学を選びやすくなり、大学側も自校の特色を明確に示すことができるはずです。

世界大学ランキングには、大学間の健全な競争を促し、教育・研究の水準を向上させるという政策的な目的もあります。特に21世紀に入ってから、中国が世界大学ランキングの作成を先導した背景には、自国の大学の国際競争力を高める国策的な意図があったのかもしれません。
ランキングの公表を通じて大学間競争が刺激され、海外の優秀な研究者を積極的に採用するようになり、結果として中国は現在、世界最大の論文発表国となるまでに成長しています。このように、ランキングが大学改革を推進する契機となる場合もあるのです。
ところが、往々にして、いつのまにか目的は変わっていくものなのです。ランキングの順位が大学の「評価」そのものとして扱われるようになり、「何位に入ったか」「前年より上がったかどうか」が注目されるようになります。
大学の教育理念や地域社会との関わりよりも、ランキングのスコアを上げることが重要視されるようになるのです。研究者の採用方針や教育方針までもが、ランキングで高く評価される指標、たとえば英語論文の数や国際共同研究の件数に合わせて最適化されていきます。
■大学序列の“数値化”が生む弊害
こうした流れは、大学の外部にも影響を与えます。学生や保護者は「順位の高い大学イコール良い大学」と考えるようになり、メディアも教育の質を反映したものとしてランキングを報じます。大学の活動は本来、教育・研究・社会貢献など多面的であるにもかかわらず、順位というひとつの数値指標だけが大学の価値を決めるかのような風潮が広がっていくのです。
結局のところ、数値による評価は社会の共通言語として便利なものなのです。
数値化することで、誰もが納得しやすくなります。けれども、その便利さと引き換えに、私たちは「数値で示されない価値」を見失っていくのです。教育の質、学びの深さ、研究の創造性といったものは、簡単にスコア化できるものではありません。それでも私たちは、数字にすれば客観的に表現できるという幻想にとらわれています。
日本国内の大学の状況に目を向けると、最も多くの人々の行動を左右し、日本社会全体の価値観として浸透しており、一種の「文化」ともなっているのが「偏差値(受験偏差値)」ではないでしょうか。
■“受験偏差値”に縛られるのは日本だけ
そもそも偏差値(Tスコアとも言います)という値は、統計的に得点分布の中で平均値からどれだけ離れているかを示す数値にすぎません。心理学や教育測定の分野では、あくまでも集団内での位置を理解するための「統計的指標」として用いられるものです。偏差値そのものには、「高い=良い」「低い=悪い」という価値判断は本来含まれていません。
ところが、日本では一般的に、「偏差値」は「受験偏差値」を指すのが当然になっているのです。
中学受験をする小学生も、高校受験をする中学生も、大学受験をする高校生も、「偏差値」という数値から大きな影響を受けます。偏差値が高い学校は「良い学校」であり、受験生だけでなく学校関係者も「自分の学校の偏差値を高める」ことが目標となり、それが「良い学校経営」にすらつながっていくのです。
さらに「偏差値が低い学校」は揶揄(やゆ)の対象になり、「存在する価値がない」といった陰口すらあるのです。
ここまで社会的な影響を与える「数値」も珍しいのではないでしょうか。
この「受験偏差値」という数値は、日本だけに存在するものです。国外でも、試験の得点を偏差値で表現する場合はあります。しかし、偏差値に基づいて「学校を序列化する」表現は、まず行われません。
■模試→進学先決定は日本独自の文化
日本でも、「学校の序列化」に結びつけられない「偏差値」も利用されます。たとえば学校の中で行われる定期試験の結果から、各生徒の偏差値が計算されることもあります。この場合、「この偏差値だから、この学校」という対応づけはなされません。
しかし、一般的には偏差値は、学力を測るための「手段」ではなく、教育そのものを動かす「目的」となっているのです。模擬試験に代表される学力テストの結果を、時に全国という広い範囲で偏差値によって表現し、それを学校・大学と結びつけていくシステムは、もはや日本独自の「文化」と言ってもいい現象なのです。
模擬試験は省略して「模試」とも呼ばれますが、入学試験や資格試験などの本番の試験(本試験)を想定して、事前に行われる「練習用の試験」のことです。模擬試験を受けることで、本番の試験でどれくらいのパフォーマンスを発揮できそうなのかを予測することができます。
また、本番と同じような試験の形式、時間配分、緊張感を体験することで、本番の試験に対して慣れるという意義もあります。

■偏差値は平均値からの距離
模擬試験は、本番の試験そのものではありません。「当たり前じゃないか」と思うかもしれませんが、本当に「当たり前」だと思っているでしょうか。たとえば「模擬試験でA判定が出たのだから、もう合格」となるわけではありません。模擬試験はあくまでも「模擬」試験であって、入試そのものではないのです。
おそらく読者の多くは、模擬試験を受けた経験があることでしょう。それを思い出してみてください。
模擬試験を受けると、問題への正答数から得点が算出されます。それを、非常に多くの受験生について記録していきます。すると、非常に低い得点を示す人から、非常に高い得点を示す人まで存在することがわかります。そして、平均値が示されます。
偏差値は、ある受験者が平均値からどれだけ離れた位置にいるかを数値で表現します。偏差値が60あるいは40だと、平均値(偏差値50)から標準偏差ひとつ分、上下に離れた位置にいることを表します。
標準偏差は、全体の平均値から集団全体が平均してどのくらい離れているかを意味します。偏差値70(30)は標準偏差2つ分、偏差値80(20)は標準偏差3つ分、平均値から離れていることを表します。
そして、全体が正規分布という釣り鐘型の得点分布を示しているとき、平均値は全体のちょうど中央に位置しており、偏差値60(40)は、得点の高いほう(低いほう)から約16%に位置することになり、偏差値70(30)は得点の高いほう(低いほう)から約2%、偏差値80(20)は得点の高いほう(低いほう)から約0.1~0.2%くらいのところに位置することを表します。
■偏差値が高くても不合格になる
偏差値60だと1000人中160位くらい、偏差値40だと1000人中840位くらいに位置しており、偏差値80だと1000人中上位1位か2位、偏差値20だと下位1位か2位くらいに位置するというわけです。これらは、ある受験者が集団の中でどれくらいの位置にあるかを表現する数値です。
さて、模擬試験で各受験者の偏差値を算出します。次に、年度末に受験が終わった段階で、それぞれの受験者がどの大学に合格して、どの大学に不合格だったかを確認します。まさに第2章で見た事例のように、模擬試験を受けた生徒たちに電話をかけて確認するのです。
すると、ある大学の学部・学科を受験して、誰が合格し、誰が不合格だったのかという情報が得られます。
早稲田大学文化構想学部の一般選抜入試には、のべ1万人以上が受験します。このうち、1000人が模擬試験を受験していたとしましょう。模擬試験のときに偏差値70前後だった受験生が30人おり、そのうち20人が合格、10人が不合格でした(「全員合格するのでは」と思うかもしれませんが、そういうことは絶対になく、実際にこのようなことがあり得るのです)。
■大学の偏差値が決まる仕組み
偏差値65前後だった受験生が60人おり、そのうち30人が合格で30人が不合格でした。偏差値60前後だった受験生が100人おり、そのうち30人が合格、70人が不合格だったとします。偏差値50前後だった受験生が300人いると、そのうち20人が合格、280人が不合格になりました(これも「模擬試験で低い偏差値なのに合格なんてことはないだろう」と思うかもしれませんが、本番の試験では、実際にこういうことがあり得るのです)。
このような「照合」を行っていき、「この学部では模擬試験のときの偏差値が65あたりで、合格と不合格が半々になるな」という推定が成り立つと、その数値を「早稲田大学文化構想学部」に「割り当てる」ことで、「早稲田大学文化構想学部の偏差値は『65』」という結びつけがなされるのです。
なお、ここでは合否が半々のところでの偏差値を当該学部に割り当てましたが、実際にはもう少し合格確率が高いところで判断することもあるでしょう。
■偏差値3の違いは“誤差の範囲”
また、早稲田大学のように非常に多くの受験生を一般選抜に集める大学であれば、比較的正しい推定ができますが、小さな大学になるほど受験生が少なく(それだけ模擬試験を受験した生徒数も少なくなりますので)、推定は不明瞭になるはずです。
そして、このような割り当てをするのであれば、微妙な偏差値(1から3くらい)の違いは、ほとんど「誤差」の範囲になってしまうのではないかとも思います。偏差値が「5」くらいの差であればあまり気にせず、受験にチャレンジしてみたほうがいいのではないかと個人的には思います。
さらに言えば、今回割り当てた「大学学部・学科」と「偏差値」の結びつけは、「翌年の模擬試験に使われる」のです。模擬試験の結果と本番の結果を照合した段階では、すでに受験は終了しているのです。
ですから、ここで結びつけた情報は、翌年に「○○大学の偏差値はいくつ」として利用されていくのです。ここが、模擬試験に基づく受験偏差値の利用方法の面白いところなのですが、「面白い」と思っている人は多くないかもしれません……。
実際、翌年の入試の試験内容がどうなるかは、まだ誰にもわからないのです(大学の試験問題はとても厳重に管理されていますし、この段階ではまだ次年度の入試問題は作成されていないでしょうから)。それなのに、前年度の偏差値と合否結果を照合した情報を、翌年に利用するのです。
■偏差値が覆い隠す教育の価値
偏差値が進学指導や受験の判定に用いられるようになったのは、1950年代だったようです。その後、予備校や塾での偏差値の利用が広まり、そのうち受験生個人の集団内の位置を表現するだけでなく、偏差値が「受験をする学校・大学」に結びつけられ、あたかも学校・大学の評価であるかのように使われるようになりました。
模擬試験と偏差値がなければ、受験生は自分の位置づけがわからず、やみくもに受験してしまうかもしれません。偏差値という数値を利用することは、教育を合理化し、受験の公平性を高めるという点では、一定の社会的意義をもちます。
しかし、偏差値というひとつの数値だけが絶対的な社会的評価に結びつくことで、教育が本来目指すべき多様な価値が見えにくくなっているのも事実ではないでしょうか。

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小塩 真司(おしお・あつし)

心理学者

早稲田大学文学学術院教授。パーソナリティ心理学に詳しい。著書に『性格がいい人、悪い人の科学』ほか。3児の父。

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(心理学者 小塩 真司)
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