五輪のマラソン競技を冬季五輪に移行させる案をIOCが検討している。スポーツライターの酒井政人さんは「赤道直下にあるケニアやエチオピアなどの選手は暑さに強いが、寒さには弱い。
日本の男子マラソンは1968年メキシコ大会以来、メダルとは無縁だが、冬季五輪に移れば久々に獲得する可能性もある」という――。
■冬季五輪は夏季と比べ選手・種目数が3分の1
2月に開催されたミラノ・コルティナ五輪。フィギュアスケートペアで金メダルを獲得した三浦璃来と木原龍一の「りくりゅう」が話題になるなど、日本勢の活躍が連日報道された。日本は冬季で過去最多だった前回の北京五輪(18個)を大きく上回る計24個(金5、銀7、銅12)のメダルを獲得。大盛況のうちに終了したと言っていいだろう。
欧州開催で時差が少なかったこともあり、米国での視聴率も高かった。2014年のソチ以来最大の記録で、2022年の北京大会からほぼ倍となったという。
しかし、冬季五輪を取り巻く環境は年々、厳しくなっている。
なぜなら地球温暖化の影響で、開催できる場所が減少。2022年の北京大会ではほぼ100%人工雪で行われており、五輪種目の競技人口も減少していくことが予想されているからだ。
そのため冬季五輪は変革の時期にきている。国際オリンピック委員会(IOC)は「夏と冬の競技種目数のバランスや持続可能性などを確保する責任がある」と考えており、次回の冬季五輪から、夏季大会の競技の一部を実施することを検討しているのだ。

そもそも夏季大会と冬季大会では規模が大きく異なる。2024年パリ大会は207の国と地域から約1万1000人の選手が参加して32競技329種目が行われた。一方、ミラノ・コルティナ大会は92の国と地域から約2900人が参加して8競技116種目。冬季五輪は夏季五輪と比べて、選手数と種目数が3分の1ほどしかない。
IOCのカースティ・コベントリー会長は、「冬季五輪の既存種目すべてと、追加の可能性がある新種目の評価を継続して行う」と語っており、冬季大会の競技種目や追加競技などを今年の6月に決定する予定だ。
追加種目には非五輪種目の陸上クロスカントリー、自転車シクロクロスの冬実施が議論されているという。夏季大会の肥大化を抑えるために、気候に左右されないアリーナ(体育館)で実施できるレスリング、柔道、ボクシングなどの格闘技、またバスケットボールやバレーボールも候補に挙がっているようだ。
■マラソンが冬季五輪に“移行”する案
地球温暖化は夏季五輪にも大きな影響を及ぼしている。強烈な記憶として残っているのが東京五輪のマラソンだろう。「酷暑」を懸念して、開催場所が札幌になっただけでなく、女子マラソンは開催前日の20時頃に、朝7時スタートが6時に変更となっている。
地元五輪となった日本は本番に近いコースで選考レースとなるマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)を行ったにもかかわらず、そのメリットを生かすことができなかった。
また2019年10月に開催されたドーハ世界陸上はマラソンが深夜0時過ぎのスタートながら、女子はスタート時の気温が32.7度もあり、棄権者が出場選手の4割を超えた。
昨年9月の東京世界陸上も酷暑となり、男子マラソンは場者88人中22人が途中棄権している。
世界陸連のセバスチャン・コー会長は6月、「気候変動は今後も続く。真夏のロードレース開催は非常に困難になるだろう」と述べており、マラソンが冬季五輪に“移行”する案も浮上している。
■冬季五輪マラソンの障壁は
では冬季五輪のマラソン実施の可能性はどれぐらいあるのだろうか。
冬季五輪は2030年にフランスのアルプス地域、2034年は米国ユタ州のソルトレイクシティでの開催が決定している。それぞれ2月の気温を調べてみると、冬季五輪のマラソンも簡単ではなさそうだ。
2030年大会はレマン湖と北アルプスから南の地中海まで、4つのクラスターに分かれて開催される。もしニースでマラソンが実施されるとなると、2月は雨が少なく、月平均最高気温は11.7度、同最低気温が5.5度。気候的には最高の条件になりそうだ。
だが、ソルトレイクシティは標高が約1300mあり、2月の月平均最高気温は6.2度、同最低気温は-3.8度。マラソンをするには寒すぎる。体脂肪が少ないトップ選手にとっては、非常に過酷な条件になるだろう。

マラソンは暑いと熱中症のリスクが高くなり、タイムにも影響する。一方、寒くてもカラダが動かず、体温を維持しようと体力の消耗が激しくなる。気象条件だけで考えると、マラソンは夏季、冬季ともなかなか難しいようだ。
■日本勢は夏季より冬季に金メダルの可能性
ケニア、エチオピア、ウガンダなどの東アフリカ勢は速いだけでなく、暑さにも強い。夏季五輪のマラソンは「暑熱対策」が大きなポイントになっていたが、正直な話、日本勢は金メダルを狙うような“真っ向勝負”は難しかった。
しかし、マラソンが冬季五輪で実施されることになると東アフリカ勢の時代は終わるかもしれない。彼らは寒さが苦手な選手が非常に多いからだ。ケニア国内では気温20度を下回ると毛糸の防寒具やダウンジャケットを着込む人も出てくるほどだ。
実際、駅伝で猛威を振るうケニア人ランナーも寒い日は動きが極端に悪くなる。日本人選手から見ると過剰なほどに防寒対策をする選手もいて、寒さを嫌っていることは明らかだ。
ただ、視点を変えると、日本勢にとってはマラソンが夏季五輪ではなく、冬季五輪で行われた方が金メダルのチャンスが大きくなるだろう。金でなくても、1968年メキシコ大会で銀メダルに輝いた君原健二以来62年ぶりにマラソンでメダル獲得となるかもしれない。

「寒さ」のなかで行われたビッグレースで大金星を挙げた日本人選手も少なくない。例えば2016年のボストンマラソンを制した川内優輝だ。この年は気温が5度にも届かず、強風が吹き、冷たい雨がランナーたちの体力を奪った。ボストンは五輪と同じくペースメーカーが不在の大会のため、どんなレースになるのかわからない。そのなかで川内は変幻自在のレースを見せて、悪条件に大苦戦するスピードランナーたちを退けたのだ。
また2010年の東京マラソンはみぞれが降り、正午の気温が3.7度と大会史上最も低い気温になった。アフリカ勢を含む海外勢が振るわず、藤原正和が2時間12分19秒で優勝した。大会のレベルが近年ほど高くなかった時代とはいえ、日本勢がトップ5を独占した。
■マラソン“世界一決定戦”に最適な季節は
これまで夏季五輪で日本勢は「暑さ対策」を重視してきたが、その効果には限界があったのも事実だ。それに比べて、「寒さ対策」のほうがメリットは大きい。繊維が進化しており、薄くても暖かく、温度調整ができるようなウェアがあり、給水やエネルギー補給の面でも多くの対策を練ることができる。最先端の科学を駆使して、勝負できるのだ。

もちろん、寒さに強い国もあり、新たな強敵が誕生することも考えられる。また夏マラソンは「熱中症」がライバルだったが、寒すぎると今度は低体温症のリスクが高くなる。
現状の五輪開催ではマラソンの“位置づけ”はかなり微妙だ。
2年に一度開催される世界陸上のマラソンは“別ルート”に進もうとしている。世界陸連は暑さ対策の一環として、2031年大会以降、世界陸上のマラソンを本大会から切り離して、涼しい時期に別日程で開催する方針を固めているのだ。具体的には11月にマラソン発祥の地で開催されているアテネマラソンを世界陸上のレースとする案が検討されている。
五輪のマラソンは冬季大会でも夏季大会でもなく、春の涼しい時期に実施するのもひとつの案になるだろう。春なら、気温は10度前後で、マラソンでパフォーマンスを最大限に発揮できる。4年に一度の“世界一決定戦”は絶好のコンディションで行うのがベストではないだろか。
賞金に関しても改革が必要かもしれない。世界陸連はこれまでIOCから4年ごとに受け取る収益分配金から五輪のマラソンで金メダルを獲得した選手に賞金5万ドルを贈っている。
もし、五輪マラソンが春に開催され、文字通りの世界一決定戦となった場合に、別のスポンサーがついて優勝者に100万ドルくらいのビッグマネーが出れば、それは暑さ寒さに無縁で選手も世界中のマラソンファンもワクワクする大会になるのではないか。


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酒井 政人(さかい・まさと)

スポーツライター

1977年、愛知県生まれ。箱根駅伝に出場した経験を生かして、陸上競技・ランニングを中心に取材。現在は、『月刊陸上競技』をはじめ様々なメディアに執筆中。著書に『新・箱根駅伝 5区短縮で変わる勢力図』『東京五輪マラソンで日本がメダルを取るために必要なこと』など。最新刊に『箱根駅伝ノート』(ベストセラーズ)

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(スポーツライター 酒井 政人)
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