借金をさっさと返して、普通の仕事に戻ろう。最初はそう思っていた。
ところが、気づけば女性は38歳で風俗嬢歴は15年になっていた。彼女は今、穏やかな日常を取り戻しつつあるが、果たしてどのように風俗業界から抜け出したのか。ノンフィクションライターの旦木瑞穂さんが取材した――。(後編/全2回)
前編のあらすじ】怒りのスイッチがいつ入るかわからない父親。その父親や母方の祖母に関する愚痴を吐き出す母親。長女である榎さんは、家の中のピリピリした空気を和ませるため、道化役を演じた。高卒後に都内のアミューズメント施設で働き始めて両親と離れられたが、仕事先はハラスメントが横行するブラック企業。約1年で退職しアルバイトひがい転々とし始める。そして20歳になったとき、ストーカー被害に遭う。引っ越しするお金がなく、やむなく消費者金融から借りた。さらにそこへ、母親から「弟の学費を貸してもらえん?」と電話が……。再び消費者金融から借りたお金を、母親に貸してしまった――。

■「こうされても笑顔で返すんだよ?」
関東在住の榎和泉さん(仮名・40代)は、20歳の時にストーカー被害に遭い、引っ越しするために消費者金融で借りた。その直後、母親から「弟の学費を貸してくれん?」と頼まれたため、再び消費者金融で借金。借りては返しを繰り返しているうちに、借金は150万円以上に膨れ上がっていた。
「借金を返すためにアルバイトをいくつか掛け持ちして、朝から晩まで働きました。それ自体は全然しんどいとは思わなかったんですが、借金の負担は大きくて。『どうにかしなきゃ』とか、『このままでいいはずがない』とか常に考えていて、正社員の仕事を探すんですけど、当時は募集自体があまりなくて、私にはハードルが高く感じました」
いわゆる就職氷河期世代で高卒の榎さんにとって、正社員で採用されることはかなり困難だったようだ。
「よく、街でティッシュを配ってるじゃないですか。『女の子限定。お話しするだけで高額収入』なんて書いてあって、さすがにそれは『いくらなんでも怪しい』と思ってたんですが、借金は一向に減らず、手元にあるお金はどんどん減っていく。それであるとき、『今のアルバイトだけでは、もう先が見えないな。キャバクラは無理だけど、スナックくらいならできるかな』と思って面接に行ったんです」
面接場所に指定されたのは、都内の喫茶店。面接担当の男性と小さなテーブルを挟んで座り、質問に答えていると、突然男性が榎さんの手を掴み、自分の股間に持っていった。

「お客さんにこういうことされるけど、笑顔で返すんだよ?」
榎さんが半ばパニックになって固まっていると、男性の股間は大きくなってくる。びっくりした榎さんが手を振りほどくと、男性はニヤニヤ笑いながら、「(採用の合否の)結果はまたお知らせします」と言って去っていった。
「そのとき思ったんです。『あれを笑顔でかわすのは無理だな』と。でも、『いきなりされるのは怖いけど、最初から触らせることが前提になってたら怖くないかも』と思って、デリヘルに応募したら通ったんです」
触らせることが前提なら怖くない? 筆者が真意を測りかねていると、
「デリヘルで出会った子たちは、たいていの子が『キャバクラは無理。駆け引きなんてできない。触ることが確定してるほうがなんぼかマシ』って言ってて、すごく共感しました」
と言葉を重ねた。
■社会の“檻”に囚われて
24歳の時にデリヘルで働き始めた榎さんは借金が減ったが、それは“一時的”だった。
「風俗って、新人の時は店側がどんどん客をつけるんですよ。それで1日3万とか5万とか稼がせるんですけど、1~2週間くらいで新人ボーナス期間みたいなのは終わる。私の場合、容姿が優れているわけでもない、すごいスキルがあるわけでもない、営業力が抜群にあるわけでもないから、仕事がぱったりなくなるんです」
仕事が減っていくと、不安に襲われた榎さんは、他のアルバイトも始める。飲食店のバイトを始めたり、派遣に登録したりして風俗に見切りをつけようとした。
だが……。
「店で待機する時間が長ければ客がつくわけじゃないんですけど、本当に恐ろしいことに、別のアルバイトを入れてしまうと、『(そこで働いている時間に、高収入のデリヘルの)客がついたかもしれない』『客を逃したかもしれない』って思ってしまうんです。すごくよくできた“檻”だなと思いました。
結局、借金はあまり減らなくて、アミューズメント施設と飲食店を掛け持ちしてた頃のほうが全然安定した給料があったと思うんですが、引き返せないんです。給料ってひと月経たないともらえないじゃないですか。このひと月が、私はもたないんですよね。例えば、20万でも15万でもいいから蓄えがあったら、たぶん頑張れたと思うんですけど、借金を返さないといけないと思うと、辞められなかったですね」
この間、榎さんは2年に一度くらい実家に帰っていたが、親にも友達にも「普通に働いてる」と嘘をつき、誰にも相談していなかった。
風俗から抜け出せなくなって12年もの歳月が流れた。36歳になった2019年、デリヘルへの出勤途中に父親から電話がかかってきた。
「実は私、子どもの頃からお金の管理ができていなくて、上京した直後、ちょくちょく家賃の滞納をしてしまっては、保証人の親に連絡がいっていたんです。そのときも同じ用件でした」
通話ボタンを押した側から怒鳴りつけられ、
「本当に申し訳ありません。なんか体調が悪くて、うつっぽくて、ちゃんと働けないんです」
と謝り続ける榎さんに、父親は言った。

「そんなことはどうでもいい。なんでもいいから親や他人に迷惑をかけるな!」
電話が切られると、榎さんは仕事に急いだ。
■Twitterから差し伸べられた手
それからさらに3年が経過した2021年。風俗嬢歴15年に達した年にターニングポイントが訪れる。ときどき思ったことをつぶやいていたTwitter(現在のX)で、見知らぬ女性支援団体の人からダイレクトメッセージが届く。
「今考えると、なんでそんなにバレないように必死だったのかよくわからないですが、Twitterでは風俗で働いていることも、借金があることも、絶対にバレないようにしてたんです。でも、察知されたみたいで……。何度かやりとりしているうちに、その団体がやっているボランティア的なのをちょっと手伝いにいってみようと思って参加するようになり、そのうちに『困っているんじゃないですか?』って言われました」
それまでの経緯を打ち明けると、
「あなたの状況だったら、生活保護を受けたほうが絶対にいいと思います」
と助言され、「親に知られたくない」という榎さんの要望に沿って、扶養照会をしない手続きの仕方を教えてくれた。
ところが、当時住んでいたマンションは家賃が9万円。一時期、風俗から抜け出そうと思って派遣に登録し、派遣先が決まって働き出したときに、
「ここに住んだら仕事を頑張れる!」
と予算オーバーを承知で契約してしまったものの、仕事や職場環境が合わず、風俗に出戻ってしまった上、生活苦に喘いでいた。
どちらにせよ、9万円のマンションでは生活保護の申請が通らない。榎さんは女性支援団体のアドバイスにより、女性シェルターに入ることになった。

「借金もあるんだから、もっと安い部屋にすればよかったのに、『こっから頑張って借金を返すぞ! 人生をやり直すぞ!』って背伸びをしすぎてしまったんですね。シェルターに移るために大きい家具や家電は全部処分したんですけど、それらが撤去されていくところを見つめていたら、なんか肩の荷が下りたような、しょんぼりするような、複雑な感じがしました」
シェルターには一泊し、翌日から2週間ほど女性専用の保護施設に滞在。その間に自己破産と生活保護の申請を行った。
「DVや虐待などから女性を保護する施設なので、スマホもパソコンも、居場所を知られる可能性があるものは全部預けましたし、場所も口外してはいけないんです。そこにいる間は、外出できるのは1日1時間と決まっていました」
その後は、男女共用の宿所提供施設に移った。
「私がいたところは、単身者向けのワンルームですが、家族と入る2DKの部屋もありました。3月に破産手続きを終え、生活保護申請が通って、6月には自分で探したアパートに移って、夏には自己破産が完了しました」
■「機能不全家庭」で培われた呪縛
生活保護を申請するにあたり、担当のケースワーカーなどに自分の半生を話す機会があった。
「話しているうちに、やっぱり風俗は心身によくないということが理解できましたし、親との関係も、『それは虐待ですよ』と言われて、初めは『そんなわけない』と否定したんですが、今は、『両親が介護状態になろうと、私はもう実家には帰らない』と思います。でも、本当に不思議なんですけど、上京してから年に1~2回、正月や私の誕生日になると必ず父から連絡がくるんですよね。私が子どもの頃の誕生日は無関心だったくせに……」
榎さんがTwitterで女性支援団体の人と繋がった頃、まだ風俗勤務で不規則な生活だったこともあり、朝なかなか起きられなかった。だから延々と起きなくていい理由を探し、起きたら起きたで化粧するのも億劫だったという。
「今思うと完全にうつ状態だったと思うんですが、全く眠れなくなって、福祉課に紹介された心療内科で家族の話をした時には、『30歳過ぎて親の影響下にある人なんかいないんですよ』って言われて、適応障害と診断されました。
すぐに別の医師にかかればよかったんですが、『睡眠導入剤をもらえればいいや』と思って、今もそこに通院しています」
これまで筆者は毒親問題やトラウマについての書籍や記事を書くにあたり、親に囚われている人に何人も会ってきた。親の呪縛は、本人がそれに気づき、過去から現在までの自分を自分で認められない限り続く。年齢は関係ない。
「最初に私のトラウマについて指摘してくれたのは、婦人相談支援センターの担当者さんでした。本当は発達検査やIQテストも受けてみたかったんですが、生活保護の申請や自己破産の手続きに紛れて忘れてしまっていました」
榎さんは3年前に就労移行支援を受け、最初に始めたパートは合わず、3カ月ちょっとで辞めてしまった。だが、その次の総菜店のパートは環境がよく、現在も続いている。
「月15~16万円稼げるようになって、昨年の12月に生活保護を抜ける話が出たんですが、最近アルバイトの人が増えて、1人あたりの時間が削られることになったので、抜けられなくなってしまいました。生活保護を抜けるって、すごく大変なんだなと思います。精神の不調は、生活に不安がある状態では回復しませんし、回復を優先して生活保護一本にしぼると、お金は貯まりません。正社員で採用されるとか、パートの掛け持ちをするとかで、一気に手取りを増やして、パッとやめない限り、抜けるのは難しいと思います」
■取材6人中5人が精神状態の不調
今回の榎さんを含め、筆者はこれまで6人に生活保護経験者に取材してきたが、そのうち5人は精神状態の不調に陥っていた。
確かに、榎さんが不眠やうつ状態になってしまったのは、借金生活の不安に苛まれ続けてきたことが大きい。
消費者金融を利用することや風俗で働くことのハードルの低さを改善しない限り、榎さんのような女性を今後も生み出してしまう可能性は高い。義務教育の中で、そうした金融サービスや仕事がどういうものか、最低限のことは教えるべきだ。
性教育を「寝た子を起こすな」と敬遠する大人が多く、いまだに男女別で性教育を行う学校が少なくないという。大人として成長するプロセスの中で自然に正しい知識を学べる人ばかりではない。教えられないまま成長し、社会で失敗する人が出てしまう。
母親から「弟の学費を貸してくれん?」と言われた時、榎さんは、「力になりたい」と思ったのだろう。母親にとっては唯一の愚痴の吐き出し相手。10歳下の妹から「お姉ちゃん、お姉ちゃん」と慕われてきた榎さんは、無意識に「頼りになる娘」や「頼りになる姉」を演じていたのだ。
榎さんは婦人相談の担当者やケースワーカーに自分の過去を話すうちに、その呪縛に気づいた。
「生活保護(という制度)があってよかったと思います。なかったら、まだ風俗にいたでしょうね。特に若い人は、ちょっと体調を崩した時とかでも使ったらいいと思いますね」
生活保護受給中の人が新たに仕事を始めた際、6カ月間だけ適用される「新規就労控除」(収入から月額1万~1.2万円を控除)や、未成年控除などの特別控除という制度もあるため、若い人や、心身の調子が安定した人なら、短期間で抜けることも可能そうだ。
これまで6人の生活保護経験者の事例を紹介してきたが、どの人も生活保護の存在に救われ、一度は詰みかけた人生の「再スタート」が切れた。
「生活保護」は、利用したことがない人にとっては、自分とは無関係の遠い世界のもののように感じられる。筆者も、一度利用したら二度と戻れないのではないかという恐怖を感じていた。しかし実際に利用し、卒業した人は存在する。自分とは無関係の遠い世界のもののように感じるのは、その実態を捉え切れていないからに他ならない。
賃金はそれほど上がらず、物価が異常に高騰する昨今、生活が困窮する人の増加が予想される。生活保護とはどんなものなのか。どんな人が利用し、どんな生活をして、どんな人が卒業し、再び社会に戻っていくのか。引き続き、生活保護の実態を明確にすることで、不要な批判や恐怖を減らし、救われる人や機会を増やしていきたい。

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)

ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー

愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。2023年12月に『毒母は連鎖する~子どもを「所有物扱い」する母親たち~』(光文社新書)刊行。

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(ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)
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