■高市内閣VS.自民党
久しぶりに“懐かしい”政治シーンを見た。
4月6日の自民党法務部会で、冤罪が疑われる場合に裁判をやり直す再審制度の見直しについての法案が議論された。再審の決定後に検察官が不服を申し立てられる「抗告」制度の存続を認める政府案に対し、同党議員から審理の長期化を招くとして禁止を求める意見が相次ぎ、会議が紛糾した。
口火を切ったのは、稲田朋美元政調会長だ。
「マスコミが退出する前に私一言言わせてもらいたいんですよ。1ミリも私たちの言うこと聞かないじゃないですか。ほとんどの議員が抗告禁止と言っているにもかかわらず、それを全く無視している!」
政府が法案などを国会に提出する際は、あらかじめ担当の部会の合意をとったうえで総務会に提案し了承を得る。総務会の決議は全会一致だ。今回の場合は、法務省が担当する法案なので法務部会に諮ったのである。
だいたいの場合、部会で議論が紛糾することは少ない。政府と自民党の間で大きく意見が異なるような案件は少ないし、部会にかける前に担当省庁が部会の議員に根回しをして異論が出ないようにするからだ。
今回の法案については、政府・法務省と自民党議員の意見が真っ向から対立していた。法務省の担当者も大方の議員に根回しはしたのだろうが、反対論が出されても、法制審議会の答申を盾に押し切れると高をくくったのだろう。世論や国会議員の意見を甘く見たのである。
■かつての農水省は国民のために戦っていた
私が“懐かしい”と言ったのは、かつては農林部会で自民党議員と農林水産省が激しく対立したからである。特に、議論が紛糾したのは、米価や乳価などの行政価格の決定をめぐってである。
農林水産省は、消費者により安く食料を供給したり、関税削減などの国際交渉に対応したりするためには、農業の構造改革を進め、コストの低い効率のよい農業にしなければならないと考えた。農家の規模が拡大してコストが下がれば、それを価格引き下げにつなげたいと主張したのだ。
しかし、選挙区の農家から経営を向上するためには価格を下げないでほしいという強い要望を受けている国会議員は、農林水産省の言うことを聞くわけにはいかない。選挙で落ちるからだ。また、農地面積が一定で一戸当たりの規模を拡大するためには、零細な農家に農業をやめて農地を貸し出させなければならない。
■自民党農林族の恫喝
部会が開かれる前に役人が国会議員に根回しをするのだが、選挙で落ちればただの人になると考える国会議員が承服するはずがない。
「そんな政策をすると、俺たちは選挙に落ちる。それでも良いのか」と予算獲得などでは族議員の政治力を利用したい農林水産省を脅す。
部会は紛糾し怒号が飛び交い、いつも時間無制限のバトルとなった。日をまたぐどころか週をまたぐことさえあった。国会議員の方が地位は高いので、農林部会の場でかれらは役人を激しく罵倒する。他の部会に所属する自民党議員が農林部会に出席した際、その激しいやり取りを見て、「今日、農林部会で役人を罵倒するやり方を教えてもらいました。ありがとうございました」と発言して退席したことを、私は忘れない。それでも農林水産省の役人は引き下がれないので、ひたすら理屈を言って耐えるだけだった。
■凪になった農林部会
もう一つ“懐かしい”と思うのは、今の農林部会で、このような光景は見られなくなっているからである。
かつて農林水産省と、自民党農林族議員とJA農協の間には緊張関係があった。
しかし、今の農林水産省の役人は、農業の構造改革を進めることはあきらめ、米価などをできる限り高く維持したいとする、自民党農林族議員やJA農協と同じ方向を向いている。農林水産省、自民党農林族議員、JA農協という農政トライアングルの関係は、対立ではなく協調である。
■高米価維持法案が提出される
農家の所得を上げるにしても、消費者のためを思うと、価格を上げるのではなく構造改革を進めてコストを下げるべきだとする、柳田國男以来の農政本流の考えは放棄された。農政トライアングルが目を向けるのは、農業村の構成員だけである。だから、農林部会に属する農林族議員にとって全く異論のない「需要に応じた生産」という減反・高米価政策を維持する法案が、与党・政府内で全く異論もなく国会に提出される運びとなるのである。
農林水産省は、輸出という需要を増やすので減反(減産)ではないという理屈を言っているが、高い価格のままでどうやって輸出を増やすというのか? 経済を知らないのも甚だしい。農林水産省の役人のレベルも甚だしく低下した。カリフォルニア米は、大幅なドル高にもかかわらず輸入禁止的な関税を乗り越えて日本に輸出されている。日本の米価が高すぎるからだ。
■既得権者重視の高市内閣と戦う稲田氏
石破政権は減反政策を見直し、米価を下げて構造改革を進めようとした。これに対し、高市政権は、選挙区の農家しか目を向けていないような農林族議員の鈴木氏を農相に任命した。農政トライアングルという既得権益グループに農政を丸投げしたのである。
農林水産省の審議会の委員にはJA農協代表が任命されている。再審制度の見直しを審議した法制審議会でも検察を代表する法務省刑事局長が委員となっている。つまり、減反を法制化しようとする法案も、検察官が不服を申し立てる「抗告」制度を認める法案も、既得権益グループの利益を反映したものだったのである。高市政権の本質は、伝統的な既得権益重視の自民党政治そのものなのだ。
これに稲田氏ら自民党議員は異を唱えたのだ。ある意味、彼らは旧来の自民党の利権政治を体現している高市政権に挑戦しているのだ。
■農業改革に挑んだ安倍氏の後継者
私が農林水産省を辞めてしばらくして、ある団体の総会が自民党本部で開かれ、そこで講演するため呼ばれたことがあった。稲田氏はその団体に対応する自民党内の議員グループの事務局長だった。
彼女は「農林族議員の中から、構造改革を主張する山下さんを自民党本部に入れるなという圧力がありましたが、抑えました」と私に言った。
さらに、コメの値段を高止まりさせようとする減反法案は消費者の利益を損なうばかりか、台湾有事の際に国民を餓死させる亡国の政策である。稲田氏には、国家安全保障のために農業の既得権にも挑戦してもらえないだろうか?
最後に、高市氏が尊敬する故・安倍晋三氏は農林水産省内の改革派と呼応して農協改革など既得権に切り込もうとした。高市氏は、どうしてこれに倣おうとしないのだろうか?
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山下 一仁(やました・かずひと)
農政アナリスト、前キヤノングローバル戦略研究所研究主幹
1955年岡山県生まれ。77年東京大学法学部卒業後、農林省入省。82年ミシガン大学にて応用経済学修士、行政学修士。2005年東京大学農学博士。農林水産省ガット室長、欧州連合日本政府代表部参事官、農林水産省地域振興課長、農村振興局整備部長、同局次長などを歴任。08年農林水産省退職。同年経済産業研究所上席研究員、2010年キヤノングローバル戦略研究所研究主幹。著書に『バターが買えない不都合な真実』(幻冬舎新書)、『農協の大罪』(宝島社新書)、『農業ビッグバンの経済学』『国民のための「食と農」の授業』(ともに日本経済新聞出版社)、『日本が飢える! 世界食料危機の真実』(幻冬舎新書)、『食料安全保障の研究 襲い来る食料途絶にどう備える』(日本経済新聞出版)など多数。近刊に『コメ高騰の深層 JA農協の圧力に屈した減反の大罪』(宝島社新書)がある。
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(農政アナリスト、前キヤノングローバル戦略研究所研究主幹 山下 一仁)

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