※本資料内の情報は、2024年4月17日 現在のものです。
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有言実行で掴んだ優勝
これまで成功したことのない91キロに挑んだクリーン&ジャーク(※)の3回目。頭上に持ち上げた瞬間、体がぶれそうになりながらも体勢を保ち、自己ベストを更新しインターハイ初出場にして優勝を飾った蓑田さん。その時の率直な想いを聞くと「北海道に向かう当日の朝、母に『1位獲ってきます』と伝えて家を出たので、有言実行できて良かったです」と自信に満ち溢れた笑顔で答えてくれました。
※ウエイトリフティングの試合では、各選手が「スナッチ」と「クリーン&ジャーク」の2種目を3回ずつ行い、3回行ったうちの成功した最高重量を合計した成績で順位を競う。
「スナッチ」:両手でバーベルを握り、一気に頭上まで持ち上げて立ち上がる。
「クリーン&ジャーク」:プラットフォーム(床)からいったん鎖骨の位置までバーベルを持ち上げ(クリーン)、次の動作で頭上に差し上げる(ジャーク)。
蓑田さんは松戸市立松飛台小学校、松戸市立牧野原中学校を卒業し、埼玉栄高等学校に進学。中学時代はテニス部に所属していたという蓑田さんですが、その頃の握力は54kgと桁外れでした。「テニス以外に、何か自分にピッタリの競技があるのではないか」と思い、いろいろ調べる中でレスリングに辿り着いた蓑田さんは、レスリング部に入部するため埼玉栄高等学校に進学します。
「トレーニングが本当に楽しく、負けた時はとても悔しい(蓑田さん)」。テニス以外にもさまざまなスポーツに触れてきた蓑田さんが「初めて泣いた競技です」と話すほど、すぐさまウエイトリフティングにのめり込んでいきました。そんなウエイトリフティングの魅力を聞くと「ウエイトは努力がみえるのが楽しい。フォームが変わると結果に直に跳ね返り、すぐに体感できる。そこが自分に合ってるのかもしれない」とウエイトリフティングにのめりこんだ理由を話します。また「力が強いと競技に適していると思われがちだけど、逆に不利だと思います。バーベルをスッと持ち上げる感覚が大切。いかに力を抜くか」と驚きのコツも教えてくれました。
トレーニングに夢中になり、みるみるうちに実力をつけていった蓑田さん。入部直後の関東大会で3位に入るなど、すぐに頭角を現します。
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不運の大事故に見舞われる
順調な競技人生を送り始めた最中、突如不運に見舞われます。
退院後、初めは松葉杖をついていたそうですが、車いすに変えての生活が始まりました。しかし、そこでも前向きな蓑田さんは健在。「車いす生活になり、不便にもなるし、ふさぎ込んで学校も行けないんじゃないかしら(母・まゆみさん)」と家族が心配する中、自ら駅員や周りの人たちに相談し、車いすでのルートなどを確保し登校する日々が続きました。
競技仲間や両親の支え
持ち前の明るさで日々を過ごす蓑田さんでしたが、「『このままもうウエイトの世界に戻れないかもしれない』と、気持ちが折れそうになりました」と話すように、日が経つごとに不安が押し寄せます。「寝る前に、『朝起きたら立てるようにならないかな』って毎日考えてました」と当時の気持ちを話してくれました。
そんな不安な日々を過ごす中で心の支えになったのは、両親はもちろん、友人からの励ましだったと教えてくれました。誰に対してもオープンに話すことができる蓑田さんは、その性格もあり、大会や合宿で出会った仲間たちともすぐに打ち解け、全国各地に友人がいるそうです。蓑田さんの不運を聞いた仲間や応援してくれる方たちから「励ましの連絡だったり、手紙や差し入れがいっぱい届いて。周りからの期待のおかげで、頑張ることができました」と嬉しそうに話してくれました。
奇跡の回復からの復活
事故に遭ってからおよそ1カ月後の3月7日、「急に足にビリビリと電気が走った感じがして、初めは嫌な予感がしたんですけど、立ち上がったらすっと歩けたんです!(蓑田さん)」「(天さんに)呼ばれて、どうしたのかと見に行ったら、さっきまで歩けなかったのに飛び跳ねていて(母・まゆみさん)」と、突然感覚が戻ったその瞬間を、2人揃って興奮気味に話してくれました。「嬉しくて思わず叫びました」と話す蓑田さんからは、満面の笑みがこぼれていました。突然の回復を聞いた医師からは“奇跡の人”と呼ばれたそうです。
もともと「3月10日までに立てなかったら(全国選抜を)棄権すると決めていました」という蓑田さんは、そこからすぐに練習を再開し、驚異的な回復をみせ2週間後の大会に出場することができました。
そんな中、インターハイ直前の7月に開催された「全国高等学校女子ウエイトリフティング競技会」では、クリーン&ジャークでは1位でしたが、スナッチで失格をしてしまいます。「この失格になってしまった大会が、逆にインターハイへの自信になったのかもしれない」と話す蓑田さんに当時の話を聞くと、「たくさんの仲間が一緒に泣いてくれたんです」と教えてくれました。
苦悩の日々を乗り越えインターハイに臨んだ蓑田さん。大会前にインターハイの予選順位が出た時点で「優勝できるかも」と思ったそうです。実際優勝を果たした時は、それまでの苦悩もあり「『やっと結果に繋げることができた』という感じでした」と安堵の表情で話す蓑田さんが印象的でした。
今後の目標
華々しく優勝を飾るも、その後は、ケガの影響もあり練習ができない期間や、記録が伸びないなど、納得がいかない日々が続きました。そんな時は、少しバーベルから離れてみたり、気分転換に他の競技をしてみたりと、さまざまな方法を試したそうです。そして徐々に調子を取り戻し、今年2月下旬に行われた「全日本ジュニアオリンピックカップ」では、膝の痛みを抱えながらも自己ベストを更新して4位。「20歳までの中・高・大学生が競う大会は初めてで、4位という結果でしたが、楽しんでできたことが嬉しかった。次の大会に繋がるような練習をしていきたいです」と振り返ります。そして3月26日に開催された「全国高等学校ウエイトリフティング競技選抜大会(全国選抜)」ではスナッチ・クリーン&ジャークでともに1位となり、見事優勝を果たしました。
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今後の目標を聞くと「高校生で狙えるタイトルをすべて獲れるように頑張ること!」と迷わず答えてくれました。
ウエイトリフティングの魅力を「奥が深く、ゴールがないところ」とも語る蓑田さん。理想の競技に巡り合い、限りない努力と天賦(てんぷ)の才能で、これからも天(そら)のように無限の可能性を広げていくことでしょう。
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