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見えざる経営リスク「後継者不在」の真相とは
日本企業における「後継者不在」問題は、実は目前に迫った深刻な経営リスクです。帝国データバンクの調査では、国内企業の約3分の2(61.5%)が後継者不在という結果が報告されています。さらに2025年までに経営者が70歳以上となる中小企業約245万社のうち半数(約127万社)は後継者が決まっておらず、このまま事業承継が進まなければ約650万人の雇用と22兆円ものGDPが失われる可能性があると試算されています。これは企業のみならず日本経済全体に影響を及ぼしかねない“時限爆弾”的リスクと言えるでしょう。
では、なぜこれほどまでに後継者が不足するのでしょうか。
一見すると「人材不足」という表面的な問題に見えます。
しかし真因はそれだけではありません。多くの企業では有能な人材が“育っていない&見つかっていない”構造的問題が存在します。
実際、どんな企業にも将来の経営を担う「潜在的な後継者」は少なからず存在するものです。にもかかわらず「うちには経営者になれる人材がいない」と決めつけてしまい、そうした人材を見つけようとも育てようともしていないことが、後継者不在を招く根本要因となっているのです。
この「見えざる後継者」を埋もれさせてしまう構造上の問題こそ、人的資本に着目することで浮かび上がってきます。言い換えれば、後継者不足の本質は単なる人材数の問題ではなく、人的資本経営の視点で可視化すべき組織の問題だと考えています。
人的資本経営から読み解く「後継者が育たない会社」の共通点
では、人的資本経営の視点から見ると「後継者が育たない会社」にはどんな共通点があるのでしょうか。国際規格「ISO 30414」では、人材戦略の情報開示項目として「後継者の育成計画」に関するKPIが定められています。
例えば、
①重要ポストに社内人材がどれだけ登用されているかを示す「内部継承率」
②重要ポストに対し後任候補がどれだけ用意されているかを示す「後継者候補準備率」
③すぐに引き継げる人材がいるかを示す「後継者の継承準備度(即時/将来)」
④社内の人材の流動性を示す「内部異動数(配置転換の活性度合い)」
などが指標に含まれており、人材育成の一環として重視されています。これらのKPIは、組織内にリーダーシップのパイプラインが構築されているか、後継者候補が計画的に育成されているかを定量的に示す“ものさし”です。
ところが、後継者が育たない企業では上記のKPIの「測定→開示→改善」のサイクルが回せておらず、人的資本の状況を把握していない場合が多いのが現状です。
具体的には、経営者や人事部が自社のリーダー育成に関する指標をほとんど測定しておらず、属人的な勘と経験に頼った人材登用を続けているケースが見受けられます。こうした企業では、経営層が抱く「理想のリーダー像」が暗黙知のまま共有されないまま存在しがちです。評価基準が不透明なため、いわば“社長の頭の中にだけあるリーダー像”に合致しない限り後継者候補とはみなされず、結果として人材育成のPDCAが回らないのです。
また、減点主義的な評価文化も共通のボトルネックです。後継者候補の欠点ばかりが目についてしまい、「あれもできない」「これも知らない」と不足面に着目して評価を下げてしまう。現経営者と全く同じ完璧な能力を備えた理想の後継者など存在しないのに、「減点法」で人材を選別してしまうことで、社内の原石を自ら埋もれさせているのです。
さらに見逃せないのが、社員のキャリア経験の固定化です。典型的な「後継者が育たない会社」では、従業員が部署を越えた経験や社外での学習機会(いわゆる“越境経験”)を積めないまま長年同じ環境に留まっている傾向があります。部署ローテーションや社外研修、他社との人材交流といった制度が乏しく、人材の流動性が低いのです。これでは視野が狭まり、新しい挑戦に対する意欲も生まれません。一方、越境学習の機会を得たリーダー層は仕事への挑戦意欲やエンゲージメントが明らかに高まることが調査でも示されています。
総じて、「後継者が育たない会社」には
(1)人的資本を測定・可視化していない
(2)属人的・暗黙知的なリーダー像に頼っている
(3)減点型の評価文化で人材の可能性を摘んでいる
(4)越境を含む多様な成長機会を提供できていない
――といった共通点があります。これらはすべて人的資本経営の不在による弊害とも言えるでしょう。ISO 30414が示すようなKPIで自社の後継者育成状況を“見える化”し、問題点を開示し、打ち手を講じて改善するというプロセスを経ていないために、リーダーが育つ土壌が醸成されていないのです。
当社支援事例:人的資本経営で“後継者の種”を見出したプロセス
以上の課題を踏まえ、次に当社が支援した地方製造業A社(従業員約1000名、売上規模500億円)の事例をご紹介します。A社は社長が高齢であるにもかかわらず、「社内に経営を任せられる人材がいない」と長年悩んでいました。実は部長以上のポジションに内部登用された人材が極端に少なく、次世代リーダー候補が社内で正当に評価・抜擢されていない状態でした。
社員の離職率自体は同規模企業の平均並みで一見安定していましたが、社内で新たな挑戦に手を挙げる“チャレンジ人材”が年々減少しているという兆候も見られました。表面的には人材流出もなく平穏に見える組織でしたが、実際には将来の経営を託せる人材の芽が埋もれてしまっている危機的状況だったのです。
このA社に対して、当社は人的資本経営のアプローチで支援を行い、“後継者の種”を発掘・育成するお手伝いをしました。以下、そのプロセスを3つのステップでご紹介します。
【STEP1】ISO 30414視点でのKPI設定とKANAMEの実施
まず当社は、ISO 30414で規定される後継者育成関連の指標を軸に、A社の人的資本データを収集・分析しました。具体的には、経営層や部長職など重要ポストの内部継承率を算出したところ、業界平均を大きく下回る低水準であることが判明しました。加えて、重要ポストごとに「後継者候補が何人いるか(後継者候補準備率)」を確認すると、ほとんどのポジションで「0人」という有様でした。
このデータが示すのは、A社では後継者を計画的に準備する仕組みが事実上存在していないという現実でした。
そこで当社は、A社の「後継者準備率」というKPIを新たに設定し直し、まずは現状を経営陣に見える化しました。
さらに独自開発した人材アセスメントサービス「KANAME」を活用し、社内に埋もれている有望人材を洗い出すことにしました。KANAMEは社内の“真のキーパーソン”を発掘・可視化するためのサーベイツールで、単なる業績評価ではなく「組織への自律的な影響力」「成長意欲・角度」「信頼形成力」といった多面的観点から将来の中核人材を見抜く仕組みになっています。
このKANAME調査をA社全体で実施したところ、現場からは見えていなかった数名の有望なリーダー候補が浮かび上がりました。彼らは必ずしも現時点で業績トップのエリートではありませんでしたが、組織内で高い信頼を集め、周囲にポジティブな影響を与えている人材でした。社長や役員が「彼は管理職にはまだ若すぎるのでは」「大人しいタイプだからリーダーは無理だろう」と見過ごしていたような人物の中にも、データに基づけば経営人材のポテンシャルを備えた人が存在していたのです。
【STEP2】評価制度とカルチャー分析により「挑戦を奪う構造」に気づく
次に当社は、A社の人事評価制度や組織カルチャーを綿密に分析しました。その結果、A社には社員の挑戦意欲を奪ってしまう構造的な問題が潜んでいることが判明しました。最大の要因は、創業者でもある現社長の強烈なカリスマ性とワンマン経営に起因する企業風土です。社長自身がトップダウンで戦略から実行まで采配を振るい、組織は社長中心に効率的に回るよう分業・標準化されていました。一見すると理想的な統率にも思えますが、その体制ゆえに「社長しか物事を決められない」状況が長年続き、社員たちはいつしか自分で考え行動することを諦め、支持待ちの受け身な状態に陥っていたのです。実際、社員にヒアリングを行うと「新しい提案をしてもどうせ通らない」「下手に目立つと失敗できないので挑戦しづらい」といった声が散見されました。それはまさに心理学で言う「学習性無力感」の状態でした。過去に何度か提案や挑戦を試みても社長の鶴の一声で却下されたり、大きな改革には至らなかった経験を積み重ねるうちに、社員たちは「どうせ自分が動いても会社は変わらない」と学習してしまっていたのです。
その結果、社内には「言われたことだけこなす方が賢明だ」というムードが蔓延し、若手中堅で本来リーダー候補になり得る人材までが自発的な行動を起こさなくなっていました。
また、人事制度上の問題も浮き彫りになりました。A社では管理職以上の評価項目が極めて定性的で不明確だったため、上長の主観による減点評価が横行し、有能でも「一度の失敗」で出世コースから外されるケースがありました。さらに「将来の経営者像」の定義が暗黙的で、社長の頭の中にあるイメージ(例えば「オールマイティに何でもできるカリスマ」像)に合う人材以外は、能力があっても登用リストに載らない傾向も見られました。これでは社員が積極的にリーダーを目指そうとしても報われず、挑戦しない方が得策という悪循環に陥ります。
当社はこの状況を経営陣にフィードバックし、「社内に挑戦が生まれにくい構造」が存在することを共有しました。この構造とは、組織内に染み付いた暗黙の前提や固定観念です。
A社の場合、「経営の重要事項は社長が決めるもの」「若手に大きな裁量を与えるのはリスク」「リーダーは減点法で選抜する」といった不文律がその構造そのものでした。
そしてその見えない障壁の存在に気づかぬままでは、いくら後継者育成の研修を表面的に導入しても効果は出ない――私たちはその点を経営者に強く提言しました。
【STEP3】定義し直した「後継者像」と、リーダー候補人材の再発見
課題の本質が見えてきたところで、当社はA社と協働し、まず「あるべき後継者像」の再定義を行いました。従来のA社では後継者像が明文化されておらず、社長も「自分の背中を見て学んでほしい」というタイプで、明確な基準を持たないまま「あいつはまだ任せられない」などと判断していました。そこで当社は、A社の経営戦略や今後の事業ビジョンを踏まえ、「次世代経営者に求められる要件」を洗い出しました。カリスマ性や属人的なカリスマではなく、「周囲を巻き込み変革を起こせる影響力」「失敗から学び挑戦し続けるマインド」「組織に新しい視点をもたらす越境経験」など、定性的だった要件をKPIとも連動する形で定量化・言語化しました。
次に、Step1でKANAMEにより洗い出した数名のリーダー候補人材に対し、再定義した後継者像とのマッチングを行いました。その結果、「この人がこんな資質を?」と経営者自身が驚くような発見がありました。例えば、30代後半のある技術部門マネージャーは表向き大人しく「管理職止まり」と見られていましたが、KANAMEの分析では非常に高い信頼形成力と周囲への好影響力を持つことが分かりました。新たな後継者要件に照らせば、彼はリーダーシップの潜在力が高く、むしろ「変革を起こせる人材」の条件に適合していたのです。経営陣はこの結果を受け、「自分たちがいかに思い込みで人を見ていたか」を痛感しました。同様に、他の候補者たちについても強み・弱みを可視化し、個別の育成プランを策定しました。
ここで重要だったのは、育成のアプローチを単なる知識研修やOJT任せにせず、人格的な成長を促すプログラムを組み込んだことです。これは単なるスキル習得ではなく、リーダーとしてのマインドセットや人間力(人格)の形成を意識したものです。加えて、敢えて社長直下の新規プロジェクトを任せる「越境的な経験」を積ませ、次に活きる失敗も経験できるようにしました。
これらの施策を通じて、候補者たちは徐々に「受け身」から「自律」へと意識が変わっていきました。自ら手を挙げて提案する場面が増え、周囲の社員にも好影響を与え始めたのです。

もちろん、ここに至るまで容易な道のりではありませんでした。まず、経営者自身が長年培ってきた定性的な後継者観を手放すことへの抵抗です。初めは社長も「数字やツールで人の何が分かるのか」と半信半疑でした。しかし、KANAMEのデータに基づく客観的な発見や、再定義した後継者要件の妥当性を丁寧に説明し、実際に候補者が成長する姿を見てもらうことで、次第にデータドリブンな人材戦略への理解を深めていただきました。
また、人事部門側にも当初は「人材を数値化するなんて」と消極的な空気がありました。評価指標を公開すると現場から反発が出るのではとの懸念もありました。しかし、人事担当者自身にISO 30414の意義やKPIの活用メリットを研修し、むしろ定量化することで初めて見える課題があることを共有しました。実際、後継者候補準備率などの指標を定期計測するようになると、人事部内でも「このままではまずい」という危機感が共有され、主体的に改善策を検討する動きが生まれました。
さらに根深かったのは、A社に染み付いていた「形式だけの後継者育成研修」の文化です。過去にも幹部研修や次世代リーダー研修は行われていましたが、多くはチェックボックス的な年次研修に過ぎず、現場では「どうせポーズでしょ」と捉えられていました。この冷めた空気を変えるために、当社はあえて研修の成果指標を設定し(研修後の提案実行率など)、結果を社内に公表するよう促しました。研修を受けた候補者が実際に提案を行い組織に変化をもたらした事例を社内報で紹介し、研修と現場を連動させる工夫もしました。その結果、社員たちも「今回は本気で後継者を育てようとしている」ことを感じ取り、研修参加者の姿勢にも変化が現れました。
こうした試行錯誤を経て、A社では後継者育成のPDCAサイクルがようやく回り始めました。社長自身も「社内にこんな人材がいたとは」と目を見張る発見があり、今では「自分の代で経営を任せられる人を送り出したい」という思いを公言するまでに意識が変わりました。人事部もデータに基づく人材マネジメントの手応えを掴み、継続的に人的資本KPIをモニタリングしながら制度改善を図る体制が整いました。
人的資本経営こそが後継者育成の“唯一の方法論”である
この事例から得られる示唆は明確です。後継者は「育てるもの」ではなく、「構造として育つよう設計するもの」だということです。属人的な勘と経験に頼った場当たり的な後継者探しでは、たとえ一時的に後継者を確保できても組織の持続的な成長にはつながりません。真に有望な人材は往々にして埋もれており、それを掘り起こし育成するには組織の仕組みそのものを変えていく必要があります。その唯一の体系的アプローチが、「人的資本経営」だと考えています。人的資本経営を取り入れることで、これまで暗黙知に頼っていた人材評価基準が客観的なKPIに置き換わり、育成の進捗が見える化されます。例えばISO 30414に沿って内部継承率や後継者準備率をトラッキングすれば、リーダー人材のパイプライン状況を定期的にチェックできます。
数値の裏には組織風土や施策の効果がありますから、それを経営議題として議論し、必要なら施策を打つというPDCAサイクルを回せるようになります。勘と度胸だけではなく、データと戦略に基づいて後継者育成のプログラムを設計・運用できるのです。事実、人的資本経営に取り組む企業ほど、単なる制度対応に留まらず人事戦略を企業価値創造の核として機能させている例が増えてきています。
特に重要なのは、KPIという“見える化の道具”を単なる評価・説明責任ではなく未来志向のマネジメントツールとして活用することです。人的資本経営の現場では、数値はゴールではなくスタートです。測定・開示した情報を起点に、「では次に何を成すべきか」という対話と改善が生まれます。後継者育成においても、開示された指標に基づいて経営トップと人事、現場管理職が一体となり次のアクションを議論することで、組織全体に人材育成の機運が醸成されていきます。そうした「可視化→開示→改善」の循環こそが、人が伸びる組織のエンジンなのです。
最後に強調したいのは、人的資本経営に「近道」はなくとも「再現性」があるという点です。属人的な名経営者のカリスマに頼るのではなく、誰が見ても明確な基準とプロセスで人材を発掘・育成していけば、どんな企業でも一定の成果を上げられます。
当社の支援先であるA社も、人的資本経営の手法を導入したことで組織が変わり始めました。「後継者がいない」と嘆いていた経営者が、自らの手で次世代リーダーを社内から輩出できる可能性に気づいたのです。これは決して特殊なケースではなく、人的資本経営という方法論を適用すれば再現可能な変化だと言えます。
日本企業の多くがこれから事業承継の山場を迎えます。その中で、「後継者が育たない」ことを嘆く前にまず、自社の人的資本にどれだけ向き合っているかを問う必要があります。人的資本経営こそ、後継者育成における唯一の本質的解決策です。後継者は無闇に外から登用するものでも育成するものではなく、データで見抜き、戦略的に育むもの。
人を真の資本と位置付け、組織の仕組みから変革していくことで、次代のリーダーは必ず育っていく──本稿で述べたストーリーが、その何よりの証左ではないでしょうか。