東京・立川でユニークなアップルパイ「Adam’sオリジナルアップルパイ」を中心と したカフェ「Adam's awesome PIE アダムスオーサムパイ」」を営む株式会社根津。今年で開業70周年を迎える老舗青果卸を祖業とする会社で、2代目の一声で
2016年10月に開業したのがAdam's awesome PIEです。
飲食事業を牽引するのが、3代目となる根津祐太郎。
あらためて、根津や地元・立川のルーツを取り入れたAdam's awesome PIEの誕生とこれまでの歩みについて話を聞きました。
初代代表である根津春行(ねつはるゆき):長野県信州りんご出荷の様子

2代目根津盛行(ねつもりゆき)と3代目根津祐太郎(ねつゆうたろう)
父の突拍子もない一言から始まった、飲食業という未知の事業への挑戦
――前回のSTORYhttps://prtimes.jp/story/preview/Bq4mXKFaRDb/Mb1UmAmEko82licol2ezOAでも触れていますが、あらためて「株式会社根津」の成り立ちについてご紹介ください。
弊社は今年で70周年を迎える会社で、元は長野出身の私の祖父とその兄が長野で立ち上げた会社を分社化し、長野と東京立川とで分けたものです。それまでは長野県内でリンゴの販売をしていたものを、東京で販売したほうがいいのではと考え、トラックに詰め込んで持ってきたのが始まりだったと聞いています。
なぜ、そのときに拠点を立川にしたのかは定かではないのですが、当時の立川には長野出身者が多かったらしいので、縁を感じたのかもしれません。祖父はノリと勢いの強い人だったので、何となく気に入ったのかなと思っています笑」。
そこから立川を拠点に商いを行い、中野や目黒にも青果店を設けましたが、時代の流れにより小売業は縮小。14年前に祖父が亡くなったあとは父が引継ぎ、給食業者や青果店への卸売りを行ってきました。
その後、2016年12月に新業態となる飲食業を立ち上げ、私が担当することになり、今に至っています。
――3代目となる根津さんは、元から後を継ぐつもりだったのでしょうか。
自分が継がないと、父が手放すときに誰か別の人の手に渡ってしまうなという想いはありましたね。
誰よりもこの仕事の大変さを知っている祖父でしたし、小売業の縮小も見てきたことからの発言だったのでしょう。ただ、私は働いていたころの祖父が頼られている姿や仕事ぶりを見て、かっこいいな、すごいなと思っていたんですよね。
こうした祖父への憧れのような気持ちもあり、この会社をより発展するための力になれたらと思い、この会社に入ることにしました。ただ、社会人になりいきなり入ったわけではありません。ファーストキャリアはIT企業。ただ、リーマンショックの時期の新入社員だったため、早々にして転職を余儀なくされ、スーパーマーケットにバナナを拡販する営業の仕事に就きました
自分自身、かなりポンコツな人間だと自覚しているのですが、社会にもまれて経験を積んで戻ってきた私を見て、父から「大きくなったな」と言ってもらえたのはうれしかったですね。とはいえ、まだまだだなと思っています。
――飲食業に手を出すことに決めたのは、そんなお父様だったんですよね。
そうなんですよ。正直、最初は「何を言ってるんだ、頭がおかしいんじゃないのか」と思いました笑」。飲食店なんて、10年で9割が上手くいかないと言われているのに、なんであえてそんなレッドオーシャンに乗り出すのかと。
ただ、父から「カフェや飲食店を開きたい人向けの専門学校に通え」とも言われたことで、本気ぶりを感じることはできました。何か芯があってのことなのかなと思ったんですよね。自分なりに考えた結果、青果の卸業は早朝から休みなく働く肉体的にしんどい仕事であるうえ、競合が多いことや、卸を介さず直接やり取りする農家さんが出てくるなど、10年前当時で将来性についてあまり期待ができないというのが、父の考えだったのではないかと思ったんです。決して仕事がなくなりはしないでしょうが、大勝ちはできないといいますか。
あとは、根性で件数を稼ぐといった昔ながらの働き方を、今風にしたいのかなとも思いました。また、フルーツの消費量が減っているなか、加工してカフェで提供するなど、若い方にフルーツを届けられる場所がいるのではないかとも考え、あながち的外れな挑戦でもないのかなと腑に落ちたんですよね。これらは全部私が考えたことなので、実際のところどこまで父が考えていたのかはわかりませんが笑」。
新規事業をするなら、銀行を説得しなければなりませんから、詰めて考える必要があったんです。こうして考えられたのは、社会人経験が大きかったですね。バナナの営業をするなかで、消費量の落ちについても聞いていましたし、売上を上げるにはどうしたらいいのか、バナナ単体ではなく、スーパーマーケット全体で回遊性を高めて店として売上を高める戦略、定期的に売っていくための方法について、常に考える癖がついていたので。そんなわけで、私はこの会社に来て早々、学校に通うことになったのでした。
会社・地元の歴史を辿り生まれた、オリジナルのアップルパイ
――卸売業者としてさまざまな青果を扱うなか、なぜ「アップルパイ」に着目したのでしょうか。
最初は「果物を使って何かやればいいでしょ」と思っていたのですが、学校に通いながら飲食業界について知れば知るほど、それでは勝てないと思い始めました。すでに質の高い店、商品がたくさんあるなか、付け焼刃で出しても飽きられて終わってしまうなと。
発想のきっかけとなったのは、授業で行った自己分析でした。強みを活かして店づくり、商品づくりを行った方がストーリーをつくりやすいということで、自分の経歴の深堀をすることになったんです。「一般的なカフェでは、場所や価格競争で負けてしまうから、自分なりの強みがある商品をつくれ」「その強みを売り場づくりにも活かせ」とさんざん先生に言われて。ただ、授業中は全然まとまらず、書き進められませんでした。
書くことができたのは、年上のクラスメートからの「何年続いている会社なの?」という一言です。「50年以上続いている」と答えた私に、「それだけ続いているなら、歴史や強みがあるでしょ」と言ってくれたんです。当時の私は会社の成り立ちについてあまり知らなかったため、父に会社の成り立ちを聞き、冒頭でご紹介したような祖父のエピソードを知りました。そこで、まずはリンゴがいいなと思ったんです。
ただ、リンゴだけだと弱い。
さらには、そんなカリフォルニア州にもリンゴで有名な場所があり、都内中心部から立川の距離感と同じくらいであることも判明。その地域では、リンゴをアップルパイに加工して町おこしをし、観光客が来るようになったそうです。そしてさらに驚くことに、長野と立川、カリフォルニア州は姉妹都市だったんです。これらをストーリー原案にして店や商品づくりをするしかないと思わされました。
――確かに縁を感じますね。
そうなんです。コンセプトが決まってから、「こういう商品にしよう」とアイディアが生まれるまでは早かったですね。Adam’sオリジナルアップルパイの生地がアメリカンスタイルなのはアメリカに縁があるからですし、四角い形なのは当時のリンゴの木箱をモチーフにしたからです。いわゆるふつうのアップルパイではなく、生のままリンゴを焼き上げているのもあえてのこだわりなんですよ。
店内にあるリンゴの木のオブジェは、木箱をイメージしたものを積み上げて木に模したもの。店内のミントブルー色は、カリフォルニアの空をイメージしたものなんです。
――なるほど。ただ、「こういう商品にしたい」を実現するのは、飲食未経験だった根津さんにとって、決して簡単ではなかったのではないでしょうか。
その通りです。何の技術もなかったので、調理の先生に相談し、何百回もやり直しました。かなり辛口の先生で、「まずい!!」「やり直し!!」と言われながら、何とか今の形に行き着いたんです。お墨付きをもらえたときも、 「まあ、合格かな」としょっぱい言われようでしたが……笑」。
ただ、この先生の存在は本当に心強かったですね。品種ごとに価値を高め、良さを伝えたいという想いがあったので、その想いをレシピに落とし込めたのは、先生がいたからだと思っています。
――商品開発で特に難しかったことは何でしょうか。
あらゆることが難しかったのですが、まずは品種ですね。
商品として提供するには、安定して同じ味わいのものを作れなければなりませんから、そこも大変でしたね。その日に仕入れたリンゴに合わせて安定して作れるようになるまで、試行錯誤を重ねました。最初はオーブンの入れ場所のことを考慮しておらず、焼き上がりが日によって全然違って、先生に「全然ダメ」と言われてしまったこともありましたね。
――いろいろなことを考えて作らなければ安定した出来栄えにならないんですね。
そうなんです。品種のこと、収穫時期のこと、いろいろな要素を考えなければならないんだと知れたのは、バリスタの先生によるドリンクの授業でした。その方曰く、今日の天気、テレビ番組、水道水の使われ方による水質の微細な変化をキャッチして豆の挽き方を変えるなど、本当に細かい調整をして統一感のあるコーヒーを提供しているのだそうです。
また、レシピにはよく「白ワイン」が出てきますが、これもどの地方のどの品種を使ったワインなのかによって味が変わるということも、ティラミスづくりを教わった授業で知りました。こうしたさまざまな授業から得た知識を自分のことに置き換え、「リンゴにも品種があるな」「同じ品種でも、収穫時期によって味が違うな」と考えられるようになっていったのだと思います。
――やはり、もともと味わいの違いには敏感なんですか?
そこは八百屋出身ですから。バナナの営業時代、気になった野菜、果物を買って中を開け、触ったときの食感と熟れ具合とを確認するといったことをしていたんですよ。バナナは産地を当てることもできますし、みかんも子どもに「どのみかんがおいしいか当てて?」と頼まれるぐらい、甘いものを見つけ出せる自信があります。
リンゴに関しては、毎日1個食べるようにしていて、持ったときの感覚でおいしいかどうかがわかりますね。鈍らないよう、「これがおいしい」と考え、実際に食べて答え合わせを続けています。あと、シンプルに水がおいしい地域でつくられたリンゴはおいしいですよ。
――さすがですね。メニュー開発をしたのはアップルパイのみですか?
いえ、アップルパイだけでは商品ラインナップとして弱いため、別のメニューも検討しました。ソテーしたリンゴを挟んだハンバーガーや、リンゴをすり下ろしたソースなど、パイ以外のメニューにもリンゴの要素を入れ込むよう考えましたね。
卒業前には、調理の先生、カフェコンサルタント、中小企業診断士の先生の前で、実際の空き店舗での営業を想定したプレゼンを行いました。20数坪のテナントを立川で見つけ、お客様になりそうな年齢層の方が何人くらい通るのか、どれだけの方が買ってくれたらコオトをペイできるのか、データに落とし込んでプレゼンしました。資料作成の時期は睡眠を削りながら取り組みましたね。他のメニューが必要だと思えたのも、データを取るなかで「パイだけだと単価が取れない」と気付けたからです。これまでの知識をすべて吐き出すつもりで行ったプレゼンは大成功。
中小企業診断士の先生とカフェコンサルタントの方からは「明日からやりなさい」と太鼓判を押してくれました。

苦労を積み重ねて作った"リンゴが主役のアップルパイ"
ストーリーを伝える大切さを知った、テレビ番組の取材
――ここまで入念に準備を整え、専門家たちからも「いける」と言われて始動したAdam's awesome PIE。しかし、最初はまったく上手くいかなかったんですよね。
ええ。正直、「これだけ努力したのにこれかよ」と落胆の気持ちがありました。集大成ができたと思っていたのに、プレオープンに来てくださった関係者の反応もいまいちで。自信作だったAdam’sオリジナルアップルパイも、「まるで地面みたい」とか「まずい!!」とか、散々な言われようが続きました。世間一般的なアップルパイではないので、「世の中のニーズに寄せていこうかな」という考えがよぎりましたね。
ただ、相談した調理の先生からは「何言ってんだ」と一蹴されました。「焦りすぎだ、待ってみろ」と。そうはいっても、会社は赤字続きです。先生に言わずにこっそり変えてしまおうかと何度も思いましたが、何度も「焦るな。まだだ」という先生の言葉に引き留められるの繰り返し。もう、完全に自信をなくしていましたね。
そんなとき、たまたま立川エリアにテレビ番組「アド街ック天国」の取材が入り、うちの店も取り上げていただく機会を得られました。このとき、取材スタッフの方たちに、私が立川の歴史、根津の歴史を説明し、どのような想いでつくった店なのかを伝えたところ、「これは響いているな」と感じたんです。放送でもしっかり取り上げていただけていて、「おやっ」と思いました。
結果、この放映が転機になりました。翌日から、評価は180度転換。「この四角いのがいいんだよね」と言っていただけるようになりました。メディアの力を知れましたし、理由や想いをきちんとお客様にも伝える大切さを実感しました。
それまでは、「おいしいものを作っていればお客様が来てくれるだろう」と思っていて、そこに込められたストーリーがこんなにお客様に響くだなんて思いもしていなかったんですよ。ストーリーは、「おいしい」と思ってもらえた延長で知ってもらえばいいなくらいの感覚で。でも、これが盲点でしたね。ここから、プレスリリースを打ち、自分からも発信していくことで、どんどん好転していきました。もし、心が折れて一般的なパイに路線を切り替えていたら、テレビに取り上げてもらえることもなかったでしょうし、競合に埋もれて負けてしまっていたでしょう。結果的に、先生の「待ってみろ」は間違っていなかったのです。
いま思うと、作り込みすぎたがゆえにお客様からチェーン店と思われてしまい、まさかこんなに立川に根差したストーリーのある店だとは思ってもらえなかったところもあったのかもしれません。「八百屋の根津」とか、書いておけばよかったんでしょうね。知ってもらえてから「この店、根津さんだったんですね」と言われることがあったんですよ。ちょっとおしゃれさに方向性を振りすぎてしまったのが反省点です。
軌道に乗っても壁は消えない。挑戦し続けることで、可能性が広がる
――アップルパイが軌道に乗ったあと、何か壁にぶち当たることはありましたか?
毎年ですよ!毎年、その時々で戦略を練って取り組んでは、「これが限界だな」と思いながら乗り越えての繰り返しです。真夏や真冬のお客様の少ない時期には、近隣の式場に二次会の送客をお願いしたこともあります。有名なドラマに取り上げられたことを機にお客様が増えて伸びしろを知ったこともありました。
百貨店での催事にお声がけいただき出店を決めたのも、挑戦のひとつでした。人気が高まれば、生産数の担保も課題となります。ひとつずつ新たな挑戦により経験値を上げ、武器を揃えていった矢先、やってきたのがコロナ禍でした。
――飲食店全体が壁に直面した時期ですね。
うちも全然売れなかったですね。外出が再びできるようになってきたタイミングで食べ放題企画を立てたり、OEMやセントラルキッチン施策を打ってみたり、コラボ企画を立ててみたり。コロナ禍は大きな壁でしたが、前後を通してずっと何かしらの壁があり、工夫を凝らして乗り越え続けてきたような気がします。
――Adam's awesome PIEは立川エリアでの活動にも力を入れていますね。これも工夫のひとつでしょうか。
立川を盛り上げたいと思って立ち上げた企業なので、地元関連の取り組みをしたいと思って活動しています。経営者の集まりなど、いろいろなところに顔を出すところから縁がつながり、国営昭和記念公園内でカフェをやってみないかと声をいただき、立川観光コンベンション協会の協力の下で「Ti STORE CAFE」の運営を開始しました。情報発信やワークショップ、催し物が開催される場として賑わいを見せていますね。
ふるさと納税の返礼品や多々立川市観光協会推奨認定品にも選んでいただきました。立川を代表するお菓子として認めていただけたようで、非常にうれしいですね。テレビ番組「ヒルナンデス!」に取り上げられたこともあり、地元を歩いていると「がんばれよ!」と声をかけていただけることもあるんですよ。
立川エリアのスタンプラリーを開催したときには、地元の方からのフィードバックを共有いただきました。「地元の企業ががんばってくれていてうれしい」「美味しいアップルパイを作ってくれてありがとう」など、小さなお子さんから年配の方まで、本当にうれしいお声をいただきました。これからも喜んでいただける企画をどんどんやっていきたいです。

りんごの木箱を積み重ねて作ったシンボルツリーが立つ店内
Adam's awesome PIEを全国に広め、立川のPRにつなげたい
――今後への想いをお聞かせください。
私はやっぱり立川が好きです。昔も今も良さがありますが、ちょっと昔の味のある良さがペンキで上塗りされてしまっている感じがするため、もう少し新旧の融合があればなお良い街になるんじゃないかなと思っています。それができるのは、昔を知っていて今新しい事業をやっている、うちなんじゃないかなと。昔のにおいを残しつつ事業展開している企業として、新旧の融合を体現していけたらいいなと思いますね。
卸先を増やしたり、ストーリーを語ったり、うちの商品を全国に知ってもらうところから広げていって、立川の良さを広くPRしていきたいとも思っています。
――最後に、あらためてメッセージをお願いします!
Adam's awesome PIEは、私ひとりで形にできたものではありません。学校の先生、クラスメート、企画を一緒に楽しんでくれる人、何かのチャンスを与えてくれた人。こうした場では、どうしても経営者や創業者にスポットが当たりますし、それも大事だとは思うのですが、きっかけをくれている人たちがいること、協力者がいることを忘れず、感謝したいですね。これからも人とのつながりがAdam's awesome PIEのストーリーの一環だということを、発信を通して伝えていけたらと思っています。

八百屋時代の写真(立川店)

かつて長野県にあった倉庫、作業所

りんごをメインに販売していた当時の写真

当時の想いを引き継ぎ品種ごとにレシピを変えて特徴を活かしたアップルパイ