2025年4月、日本初となる献便施設「つるおか献便ルーム」が山形県鶴岡市に開所した。そこで行われるのは、便、つまり“うんち”のドネーション。
その活動を先導するメタジェンセラピューティクス株式会社(以下、MGTx)の創業者のひとりで消化器内科医師の石川大、献便に参加する「腸内細菌ドナー」の認定に提携医療機関として協力する鶴岡市立荘内病院(以下、荘内病院)の鈴木聡院長に話を伺った。
たった一人で始めた研究が、世界中の患者さんを救うまで

▲メタジェンセラピューティクス株式会社取締役CMO 石川 大
原因不明の慢性炎症性腸疾患で、厚生労働省指定の難病である潰瘍性大腸炎。消化器内科の医師として、その根治を目指し新たな治療法確立のため研究を進めてきたのが、石川だ。
「私が取り組んできた『腸内細菌叢移植(FMT)』は、健康な人の便を患者さんの腸内に内視鏡で直接注入する手法です。一度、抗生物質により患者さんの腸内にいる細菌をごっそり死滅させた後に、ドナー便を入れることで、健康なドナーが持つ腸内細菌叢に入れ替えるという、従来にはない手法です」と、MGTx石川は説明する。
その目新しさから、かつては周囲の理解を得られず苦悩する日々もあったという。しかし、たゆまぬ努力と患者さんを救いたいという強い気持ちが身を結び、石川が所属する順天堂大学病院にて、2014年に国内でのFMTの臨床試験が開始された。
「臨床研究に参加した97例のデータから分析した最新の研究成果では、良いドナーの便には特定の有用菌種が存在しており、ドナーと患者の腸内細菌叢の構成が類似していると治療効果が高い傾向があることが確認されています」と石川はいう。
ひとりの医師が地道にドナー便を集め、処理し、患者さんひとりひとりに内視鏡でFMTを実施していたというこの研究が、「つるおか献便ルーム」開所を皮切りにより多くの便を安定的に集め、製剤工場にて薬を製造・流通させ、より多くの患者さんが経口薬として簡単にFMTの効果を得られるようになるという、大きな取り組みに躍進を遂げた。
臨床研究開始から約10年経ち、いよいよ日本中、さらには世界中の患者さんに向けた“献便”が社会実装される瞬間を、私たちはいま目の当たりにしている。

▲荘内病院内「腸内細菌ドナー外来」の看板前にて。鈴木聡先生(写真左)、石川 大(写真右)
「本当に万感の思いで、一言では言い表せない感情です。
荘内病院の診察室前に掲げられた「腸内細菌ドナー外来」の看板。これに石川は「この雰囲気が、まさに自分が思い描いていたものとしてピッタリ。これを手始めに『腸内細菌医療外来』が今後全国に広がっていけばいい」と感無量の喜びを語った。
地域の基幹病院として、増加の一途を辿る疾患に王手を
「FMTについては、海外ではクロストリジウム・ディフィシル感染症(CDI)の治療として用いられていることは、感染対策チームに入っていたこともあり以前から知っていました。MGTxからはじめて腸内細菌ドナー選定のための提携医療機関として打診を受けた際は、地域でも患者数が増えている潰瘍性大腸炎を中心とした疾患に対する治療に参加できるという喜びが大きかったです」と荘内病院の鈴木聡院長は話す。2024年1月に正式な提携の話が出されてから院内で協力を決定するまでに要した期間は、じつに「3ヶ月」。迅速な判断ができたのは、それまで3年の間、地域の基幹病院としてメタジェンセラピューティクスとの講演会を開催したりなど、信頼関係を育んできたからだ。

▲鶴岡市立鶴岡荘内病院 院長 鈴木聡先生
「協力を決めた1番の理由は、地域のクリニックの医師からも潰瘍性大腸炎の患者さんが多いという話を聞いていたからです。私は外科医としてがんの手術を専門としてきましたが、そういった方々に新たな治療法のひとつとして提案できる希望を見出しました」と鈴木院長。
「これまでもさまざな良い薬が出てきているのは事実で、奏効率も高いといいますが、そういった薬には副作用があるものもあります。それ以上の治療法が必要と感じていたところ、FMTを知りました。これは素晴らしいと感じました」鈴木院長はいう。
荘内病院では、これまでも患者さんに根ざした取り組みを実施している。とくに大きなものとしては平成20年に厚労省の戦略研究の一環として全国4地域を対象に緩和ケア普及のための地域プロジェクトで行われた、がんの緩和ケアだ。鶴岡地区医師会と連携し、がん患者の在宅死亡率の向上を目指した。戦略研究の期間終了後も「庄内プロジェクト」として活動を続けた結果、当初は5.7%だった在宅死亡率が26.1%まで向上した。
こうした取り組みは病院内だけで行われるものではなく、地域全体として他職種を含めた参加が欠かせなかったという。地域の開業医にとっては、がんの患者さんを看取った経験はほとんどなく、はじめはその労力に不安感がぬぐえない人もいた。しかし、病院と開業医、地域住民の巻き込みをはじめ地道な対話が実を結び、次第に緩和ケアの本質的な意義や「地域医療」実践の重要性が浸透していった。
腸内細菌ドナー認定のための検査を担う提携医療機関として名乗りをあげたのも、地域に根ざした医療の具現化の一端だ。
地方都市から始める“意味”
「もともと私がFMT研究を推進していたのは東京・順天堂大学の病院です。はじめは研究要素のある病院でないと厳しいのではという気持ちもありました。鈴木院長ともそんな話は初めにしていたと思います。ただ、心の中でどうにかできないのかという思いがありました」と石川は語り出す。「実装できるのが特定機能病院だけというのは“傲慢”な気がしていました。

石川は、「患者さんはじめ、荘内病院全体の雰囲気の良さを感じます。最終的に協力を決定していただいた背景には、職員の方々が一体となって、実際に診察に来たドナーさんをどう取り回していくかといった議論を踏まえて検討してくれたことがあると思います。そうしたことも考えると、まさに大学病院ではなく、地方都市で献便の動きがおこることは、FMT治療が実装化する一歩を踏み出したということだと感じます」と述べた。
最先端の医療はなにも東京だけで行われているのではない。鶴岡サイエンスパークというイノベーションの土壌で培われた腸内細菌研究を中核とするメタジェンセラピューティクスと、地域医療を先導してきた荘内病院、そしてなにより日本有数のユネスコ食文化創造都市として豊かな食文化が根付く鶴岡市というすべてのピースがつながることで、献便という日本初の試みが花開こうとしている。
「鶴岡でやるということは、東京で始めるよりもより高い注目を浴びます。献便という概念は、その活動を通して、鶴岡が自治体として推し進めている食にも市民の健康増進にもつながります。“健康のおすそわけ”という考え方が、鶴岡から日本全国に、さらには世界に広がっていくことを期待しています」MGTx石川は胸を膨らませた。
「健康は次の世代への贈り物」献便から始まる新しい動きに期待
献便の取り組みにおいてまず重要なのは、便の確保、つまり腸内細菌ドナーをいかに確保し、継続的に献便に参加してもらうかということだ。「鶴岡のみなさんにはぜひどんどん参加してほしいです。これまで自分のためだった健康意識が、献便に参加することで患者さんのためにもなっていく。「献便はとても先進的な取り組みです。参加することで自身の病気の予防にもつながる可能性があります。鶴岡市民に助け合いの精神がすでに根付いているからこそできることだと感じます。健康を次の世代に贈る大きなプレゼントとして大切にしてほしいですし、ぜひ献便に協力してほしいです」鈴木院長も期待を込める。
今後は鶴岡をモデル地域として、全国複数ヶ所に献便施設を展開し、日本全体で献便の取り組みを定着させていく予定だ。治療の選択肢としてFMTが当たり前となる社会の実装に向け、「鶴岡のみなさん、よろしくお願いします」と石川と鈴木院長の2人は口を揃えた。

鶴岡市立鶴岡荘内病院
鶴岡市が設置する公立の病院。1913年に東・西田川郡組合立病院として開院され、市制移行により1924年に鶴岡市立病院となった。1950年には市立荘内看護専門学校の前身となる甲種看護婦養成所も開設された。現在、南庄内地域の中核病院として、鶴岡市と隣接する三川町、庄内町を主診療圏(人口約14万人)とし、酒田市、遊佐町と新潟県村上市の一部を準診療圏(人口約11万)とする広域医療圏をカバーしている。
院長 鈴木聡先生
1988年新潟大学医学部卒業後、新潟大学第一外科(現:消化器・一般外科)勤務。1998年鶴岡市立荘内病院勤務し、2015年同院地域医療連携室長、2018年副院長を経て、2019年から現職。鶴岡市立荘内看護専門学校長を兼務。日本外科学会専門医、ICD(感染管理認定医)、日本医師会認定産業医。
メタジェンセラピューティクス株式会社
メタジェンセラピューティクス株式会社は”マイクロバイオームサイエンスで患者さんの願いを叶え続ける”ことをパーパスとして、腸内細菌研究に基づいた医療と創薬でソーシャルインパクトを生み出す、順天堂大学、慶應義塾大学、東京科学大学発ベンチャー。
「腸内細菌叢バンク」を基盤とし、腸内細菌叢移植(FMT)の社会実装を目的とした「医療サービス事業」と「創薬事業」を推進。現在は、免疫疾患(炎症性腸疾患)、がん、中枢神経系疾患の開発に注力している。
取締役CMO 石川 大
順天堂大学大学院医学研究科修了。米ケースウエスタンリザーブ大学で腸内細菌と免疫システムの研究を行い、2014年から順天堂大学で潰瘍性大腸炎に対するFMT臨床研究を開始。
●腸内細菌ドナーへの応募はこちら ▶https://chomusubi.metagentx.com