17世紀から19世紀あたりの西洋の芸術音楽、いわゆるクラシック音楽をDJミックスという手法を用い、新しい聴き方を提示。また、ベートーヴェンの交響曲にビートなど現代の音楽手法を導入してリメイクし、オーケストラ音楽のオルタナティヴなあり方を示してきた水野蒼生。
INTERVIEW:水野蒼生×君島大空

超訳を見た時、『うわ、なんか俺じゃない?』と思った
━━君島さんは水野さんの音楽をご存知でしたか?君島大空(以下、君島) 僕は少し前から認識をしていて。周りの人に「クラシカルDJがいる」と聞いたんです。それで前のアルバム(『Millennials -We Will Classic You-』)をちょっと聴いて「ああ、ヤバいヤツだから聴かないようにしよう」って。正直、「怖い、怖い、怖い」と思いました(笑)。━━影響されるからですか?君島 そうです。

自分が表現したいものが全て音に表されている風に感じた
━━ところで君島さんはこれまで“献呈”を聴いたことは?君島 なかったです。デモをいただいて、知らない曲だったので調べて、原曲、オペラ、楽譜通りに歌っているのを調べてYouTubeで聴いたり、そのままの訳を調べました。━━それを水野さんが再構築されたものを聴いていかがでした?君島 絶対に僕の考えない歌詞っていうのは先ほどお伝えしたんですけど、符割も自分では絶対に考えない(笑)。3拍子に対してこの曲のように僕は絶対歌わない。でも原曲を聴いたら歌詞のハメ方に納得がいったんですね。でも最初に聴いた時は、はすごく難解だなと思いましたね。━━ところで水野さんが君島さんの音楽に最初に出会ったきっかけは?水野 その時、僕はザルツブルグの留学先にいたんですけど、LINEで日本にいる友達と音楽の話をしていて。
君島大空 MV「遠視のコントラルト」
━━この曲はアルバムの中でも原曲からの飛躍がすごいと思うんです。イントロや、途中でブレイクする展開、そしてエレクトロニックな音像も含めて、原曲をどう解釈して作っていったんですか?水野 それこそ原曲もA-B-Aみたいな構成になってて、Bのところでいきなり調も変わるし、いきなりテンポもダウンするんですよ。この展開の表現方法を色々試した結果、もうブレイクして違う世界を作り上げる方法が一番しっくりきた。そうやっていく中で自分の中でもアイデアが出てきて。この曲は歌だけじゃなくてフランツ・リストがピアノアレンジしたもの、むしろピアノ曲として有名だったりするんです。そのリストの存在って自分にはありがたかったんです。クラシックの音楽史の中にもそうやって他人の曲をリアレンジして、再解釈して拡張させる人がいるのは、今自分がやっていることもその文脈の流れの中の一員になれてる。何も突飛なことはしていない、その流れの中のことをやっているだけなんだっていうのが、ちょっと安心感にもなっていて。そういう思いでアウトロにリスト版のピアノを入れました。そういう意味では自分のやっていることを再確認するトラックにもなったので、すごく自分にとってもアルバムの中で大切な曲ですね。━━なるほど。当時も別の作曲家が解釈する別バージョンがあったということですね。水野 そうです。特にリストの時代っていうのはそういうアレンジがどんどん生まれて行った時代で。だったら今、またその流れを起こしてもいいよねっていう意味合いも込めて、アウトロのピアノは突っ込みましたね。

人の声は文学的要素を音楽の中に取り入れられる
━━歌モノである、声が入っているということもこれまでの作品とは大きく違う部分で。水野 今回のアルバムのコンセプトにもつながるんですけど、人の声っていうのは世界最強の楽器だと思っていて。それは現行の音楽シーンが全てを表してると思うんです。もしピアノが世界で一番の楽器だとしたら、世の中の楽曲はほとんどがピアノ曲になってるかもしれない。でも、世の中に今ある音楽っていうのは大体ボーカルありきで、特にメインストリームは歌モノだけで成り立ってるところがあるじゃないですか。音楽を聴いている人の割合でも歌を聴いてる人の割合が圧倒的に多いと思うんです。それはやっぱり人間にとって人間の声っていうものが最も心地よく響くものだからっていうところもあると思って、今回「声」をコンセプトに作りました。その中で僕が特に好きな声の人たちを集めて、その中に君島さんも入ったっていう感じですかね。━━人間の声の情報量はすごく多いですもんね。水野 うん。唯一無二だし、何より文学的要素を音楽の中に取り入れることができるという、他のどんな楽器にもないメリットというか。君島 面白い捉え方ですね。水野 例えば他のサックスとかフルートのような管楽器、息を使う楽器ってやっぱり歌うことを求めるというか。自分でオーケストラを指揮していても、「こういう風に歌ってください」とか、歌い方のことを例えにだしてどんどん方向性を詰めていくようなやり方をするんですね。それはクラシックのピアノでもそうですし、「ここの歌い方は」というように詰めていく。結局、歌っていうものが基準になって音楽っていうのは生まれていってる。そう考えると歌が原点であるっていうのは間違いないんじゃないかなと思います。━━君島さんはメロディに歌詞をつける時、すごく意識的だということが分かりましたが、歌についての考え方はいかがですか?君島 歌が好きっていうよりかは音が好きなんですよ。だから声が好きなんです。歌って言われるとあまり得意ではないです。それこそメインストリームのメジャーな楽曲は言葉の意味が面できすぎて音楽を聴いている気がしないんです。僕はそもそも自分が歌う曲をずっと書いてきた人間ではなくて、もっとアンビエンスがドーン! としたものだったり、ノイズだったり即興演奏の方がが自分には近い。その中で人の声の音がめちゃめちゃ好きで、家で自分で録れるようになったら「一番いいな」みたいなところがあるんですね(笑)。それで、声をいっぱい重ねる手法が今の作風の最初になってるんです。だから、歌詞はなんでもいいんです、自分が歌えば成立するので。それよりも音ですね。絶対、直接的には言わないで匂い立たせるみたいな。それで、声が志向性を作るみたいな風に作ってると思います。

『縫層』の仮タイトルは“心臓”だったんです
━━「なんか言いたい」みたいな動機じゃないんですね。君島 いや、なんか言いたいんですよ。言いたいことって一個しかなくて、それをいろんな角度から言ってるだけなんで(笑)。ほんとに「君は僕の心臓だ」みたいなことも僕は多分言いたくて(笑)。『縫層』っていう2ndアルバムの“縫層”って曲は“心臓”って仮タイトルだったんです。水野 そうだったんだ。へー!君島 去年、「体外の心臓」というものをずっと考えていて。自分の外側にある心臓っていうか、自分の精神を成り立たせている心臓っていうのは、多分ここ(臓器の心臓)のものではない、外にあるものが自分の心臓になってるっていうのをずっと考えて出てきたのが“縫層”っていう曲だったので、さっきの話を聞いていて「おおー」ってなりました。水野 自分の場合は言いたいことの前に、膨大にある音楽史ってものが、まず立ちはだかってるんですよ。だからまずは、その中から自分の言いたいことに近いフィルターを探すみたいな作業から入る。逆に言いたいことだけで音楽を作るのはすごいことだと思います。君島 すごいことですよね。水野 自分の言葉、自分のメロディだけでそれを世に出すっていうのはすごく疲れると思う。俺はこういった取材でも、ある意味、他人の音楽のことを語ってるんですよ。「あいつはこう思ってて」みたいな、通訳者のような感じがすごく強い。だから自分だけの言葉で自分の思いみたいなものを語ってる人っていうのはみんなほんとすげえなって思ってます。君島 でも、歴史を相手取っているイメージがあるんです。僕はそれがない。ルーツは全く違うけど、でも好きなものは多分似ているというところでつながってるんだと思います。━━水野さんはご自身を形成されたクラシック音楽のどういう部分が今の作品の軸になってると思いますか?水野 もう僕、「クラシック音楽」って言葉が大嫌いなんです。そもそも1600年代、1500年代の音楽もギリギリ、クラシックに入るんですけど、そこから20世紀の音楽まで何100年って存在している音楽の進化、ジャンルの分岐みたいなもの全てをまとめってクラシックってたった5文字にするなんてふざけんなって思ってるんです。でも、やっぱり最初は西洋音楽が持つ壮大さにとてつもなく影響を受けました。オーケストラって、ある種100人で一つの音楽を演奏するという、狂ったことをやってるんですよ。そのような音楽が持つ表現力っていうのは一つの長編の小説であったり、映画を見ているかのようなもので。しかも器楽曲だったら歌詞とかないのに、それを全部想起させてしまう。あの熱量というか、ある種、異世界にトランスしてしまうような感覚みたいなのも、ライブだとあったりしますし。━━確かに時々、フルオーケストラの空気に突入しに行きたくなることはあります(笑)。水野 うんうん。今って世の中の音楽の99%がスピーカーから流れる音だと思うんですよ。それで電気を一切介さずに、あの壮大なサウンドを作り上げることができるのは人間の力がすげえなって改めて再認識するきっかけにもなると思います。改めて、スピーカーを通さない音楽を聴けるっていう贅沢さって、逆に今すごくあるんじゃないかなと。今回のアルバムはバッチバチにスピーカー用の音楽ですけど(笑)。━━(笑)。君島さんはアルバムを通して聴かれましたか?君島 今日も聴いてました。「うわ、これ真似しよう!」という発見はいっぱいあるんです。まずは軽く聴きながら、「このスネアの位置、真似しよう」みたいな(笑)。一個一個、とても真摯にトラックが組まれていて、考えられているというのももちろんだし、僕はそもそもクラシックはそんなに詳しくないので、「あ、聴いたことあるな」くらいのものはあるけど、日本人ってクラシックというものに対してすごく壁を設けてるところがあると思うんですね。ポピュラーではないものとしてしまっているみたいな部分があると思っていて。この作品にはそれがない。一切、邪魔なものが取り除かれて明け渡されたものだなと思いました。それとアルバムとしてすごくよくて、どの曲から聴いてもいいんですけど、「最初から最後まで聴くといいよ」っていろんな人に教えたくなる。すごくポップスだと思うんです。━━意識しなくてもそう聴けますね。君島 グッドポップスだと思って。一番最後はオリジナル曲(“VOICE Op.1 feat. 角野隼斗”)じゃないですか。それが生で録音されたもので、そこまで通して聴いて欲しいです。僕は最後の曲の感動がすごかったんですよ。
水野蒼生 feat. 角野隼斗「VOICE Op.1」Teaser
水野 そう、このアルバムを通して「クラシックってなんなんだろうね?」っていう疑問をリスナーに投げかけたいっていう風に思ったんです。100年とか200年とか昔の音楽は全て現代的に拡張するけど、2020年に自分がオリジナルで書いた、ある意味、最新の音楽は、クラシカルなスタイルで作る。それによって時代も頭の中もぐちゃぐちゃになってほしくて。それを思わせられたら成功だなって思ってますね(笑)。君島 ぐちゃぐちゃだし、でも筋がめちゃくちゃ通ってる、すごくコンセプチュアルなものだと思うんで、聴いてて全くストレスがない。伝えたいことが汲み取れるような気がする。クラシック音楽に詳しくない僕でもそういう気持ちになれたので、いろんな人に聴かれたい。作品としてすごくそう思います。


Text by 石角友香Photo by 大地


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VOICE - An Awakening At The Opera -
2021年3月31日(水)水野蒼生Universal MusicUCCG-1882ダウンロード・ストリーミングはこちら
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