1980年生まれのジャズピアニスト、海野雅威。27歳でニューヨークにわたり、マイルス・デイヴィスのバンドで活躍した大御所ドラマージミー・コブや、ハンク・ジョーンズなどレジェンドたちからの信頼の厚いピアニストとして活躍。
2020年、コロナ禍のニューヨークでアジア人というだけで襲われ重傷を負い、現地で緊急手術を受ける。過酷なリハビリを主に日本で行い、2021年には再度渡米。この様子はNHKスペシャルでも取り上げられ、2022年に復帰作としてリリースされた『Get My Mojo Back』はジャンルを超えて高い評価を得た。
そして約1年ぶりの新作『I Am, Because You Are』では、前作がライブハウスだとしたら、今作は日曜日のリビングのような穏やかさ。スウィンギーでハッピーな彼のピアノの新たな一面が見えたように思った。
INTERVIEW:海野雅威|『I Am, Because You Are』

──新作のコンセプトから伺ってもいいですか?
昨年『Get My Mojo Back』をリリースしたのですが、この作品が今まで以上に自分にとても意味のある作品だったんです。一言では語れませんが、たくさんの人が背中を押してくれたアルバムで、色々な人に聴いていただけた。事件が社会問題として報道されたこともあり、たくさんの人が応援してくれたり、ジャズを聴いたことがないという方もライブに来てくれたりしました。そこで音楽の素晴らしさ、ジャズの楽しさを人に届けることの力になれたらという自分の願いが叶ったような感覚があるんですね。
『Get My Mojo Back』
『I Am, Because You Are』は、ピアノ・トリオで録音しましたが、前作の7人編成のバンドでも中心となっていたトリオなんです。前作をリリースしてからツアーやライブを重ねる中で、トリオの結束がさらに深まっているのを感じることが出来たので、そのエネルギーを収録したいなという思いと、心から感じるメロディーをまた届けたいという思いで、トリオで制作しました。年末にツアーをしてレコーディングは今年の3月、発売は5月なので、今までで最速のリリースだと思います。
──アルバムを聴いて、今回はトリオで録ることにこだわりがあるのかなと思いました。
ありましたね。前作の7人のバンドでも核になるのはトリオで、3人が近い関係にありました。やっぱり音楽ってそういう要素も聴く人が聴いたら伝わるはずだって僕は信じています。 初対面で初めましてっていうメンバーの音楽と、もう何十年も一緒にやってるメンバーの音楽が同じはずはないと思っていて。
前作も本当に信頼するメンバーに参加してもらいましたが、その核のトリオでもう一回レコーディングしたいっていうのは最初からコンセプトにあり、すごくこだわりましたね。
──このトリオでは長く活動されているんですか?
ロイ・ハーグローヴが亡くなってからなので、2018年の12月ごろからですね。
──トリオのメンバーについて教えてください
ダントン・ボーラーはロイ・ハーグローヴのバンドで知り合いました。僕がロイのバンドに入ったときはもうバンドのレギュラーベーシストではなかったのですが、レギュラーのベーシストが来れない時に時折演奏してくれました。
歴代のロイのバンドの経験者しかわからないようなことってやっぱりあるんですよ。「これはロイは嫌いだろうね、好きだろうね」とか、「ロイはこうしてたよね」って。正解不正解がある世界じゃないんだけど、お互いに言葉で言わなくてもわかる感覚があるんですよ。
ロイのバンドも彼が入るだけでニュアンスが全部変わるんですね。それから、僕とダントンの相性が良い事はロイも気づいていて、「お前たちが合うのは最初からわかってた」って言ってたんですよ。だから、ダントンと演奏することはロイも喜んでくれていると信じています。
──ジェローム・ジェニングスは?
ジェロームと最初に知り合ったのは僕がまだ渡米する前、彼がハンク・ジョーンズのドラマーとして日本に来日していた時です。渡米してからアメリカでも徐々に演奏するようになって。
ダントンもジェロームも、レジェンドからの信頼が厚い2人なんですよ。ソニー・ロリンズやレイ・チャールズみたいな歴史上の人物とも共演しているミュージシャンで、レジェンドに信頼されてるっていうことは、ジャズの歴史の1ページを背負って、未来を託されているとも言えると思います。そういう人とバンドが出来ることは、僕にとって非常に意味があって、学べることもいっぱいあるし、自分の世界観を表現していく上でも本当に頼りにしてます。

──今回のレコーディングはヴァン・ゲルダー・スタジオで行われたそうですね。
はい。
実は、僕は幸運にも当時91歳だったルディに最後にレコーディングしてもらったピアニストなんです。2016年にジミー・コブのトリオとしてルディに録音していただきました。その頃彼はもう引退されていたのですが、大親友のジミー・コブのためなら、ということで録音してくれたんです。
実は、周りからは実は怖い人だとか、機嫌が悪くなったら大変だとか、色々と聞いていたのですが実際に会ってみたら全然そんなことは無かった。上機嫌でハグしてくれたり、「君のあそこの低音が良かった」とか話してくれて、音楽をすごく聴いてくれているなって思いましたね。
ルディはその2ヶ月後に亡くなってしまったのですが、録音時に彼が「もし君のプロジェクトがあったら、またここに戻ってきてね」と言っていただいて、絶対に自分のバンドで帰ってきたいと思っていたんです。7年もかかってしまいましたが、ようやくルディとの約束が果たせた思いでいます。
──今作のレコーディング・エンジニアはルディさんの唯一のお弟子さんなんですね。
ルディが信頼しているただ一人の弟子がモーリーン・シックラーで、2016年のレコーディングのときにもアシスタントをしていました。ルディの録音の一部始終を傍らで見続けて、精神を引き継いでいる方なので、あのスタジオでレコーディング出来るエンジニアは彼女しかいないんですよね。
──普通のエンジニアとは違うやり方があるのでしょうか?
素晴らしいなと思ったのは、レコーディングって普通は実際に録音がスタートするまでに時間がかかることが多いんです。
──それだけで特別なエンジニアですね。
あとは2016年のレコーディングがあったからこそ、今回のレコーディングがあるんだなって思いましたね。ロイ・ハーグローヴと出会ったのもその2016年のセッションでしたし。今回レコーディングが全部終わった時、モーリーンが「Thank you for trusting me」って言ってくれたんです。僕は事細かに音について何も要求していないけど、そのことで彼女を信じてるってことが伝わったようです。
ルディとのレコーディングも見ていた彼女だから、ルディが僕にかけてくれた言葉も覚えているし、ルディが亡くなったときの悲しみも共有している。僕が事件に巻き込まれてピアノが弾けなくなっていたことも知っていて、色んな意味で僕が帰ってきたんだって祝福してくれました。モーリーンには感謝しています。
──アルバムを聴いて、前作に比べてメロディーや構成がシンプルというか、ナチュラルになっているなと思いました。
僕が一番理想とするのは、ピアノに向かって「曲を作ろう!」と格闘して曲を書くんじゃなくて、ふとした時にアイディアが浮かんできて、それが曲になるのが嬉しいんです。だから基本的はそういう最初のインスピレーションをこう大事にしたいと思っていて。
──具体的にはどんな風に書かれたのでしょうか?
“Eugene's Waltz”のEugeneは僕の息子のことなんです。パンデミックになってロックダウンでニューヨークにずっと閉じこめられていた時に彼が生まれました。重い空気と不安なパンデミックの中にあっても、彼の存在によって家の中はとてもピースフルでした。彼の日々成長する喜びを感じている中で浮かんだ曲です。
“Autumn Is Here”は、文字通り秋に浮かんだ曲です。近年の僕の秋のイメージって、ロイとツアーをしていてフランスで最後のステージ立っていた秋が思い出されます。その時の、まだ暖かいけど冬の気配も感じる空気感、パリの空気とか風の匂いとか、秋になると鮮明に思い出すんですよ。去年の10月ぐらいに「あ、この時期だったな」って考えてるような時にメロディーが浮かんで。タイトルに直接的に「ロイ」とはつけませんでしたけど、心の中には「Here」いつでもロイがいるなっていう、彼との思い出に対してのイメージがこの曲にはあるように思います。

──楽曲も演奏メンバーも、やはりロイ・ハーグローヴからの影響は大きいのですね。
彼からの影響は多々あります。ロイのバンドに入らなかったら、書けなかったような曲がいっぱいありますし、コンセプトとか考え方、アティチュードとか、いろんな意味で指針になっていますね。今でも常に彼に見られているような感覚があります。
──ロイから学んだ一番大きなことは何でしょうか?
「自分自身を信じろ」ということですね。精神論みたいに聞こえちゃうかもしれないけど、そうじゃなくて。
僕は日本で育った日本人だから、自分の意見をストレートに言うことってあんまり無かった。まず一歩下がってしまったりとか、相手の話を聞こうと思ってしまって、素直に自分が心に思っていることを言うのって難しいじゃないですか? ロイのバンドに入ったばかりの頃は、そういうのが僕の演奏にもあったと思うんですね。
ロイは「お前は素晴らしいピアニストだからもっと自信を持て!」って、「Tada!」ってステージで鼓舞されてたんですよ。本当に演奏をよく聴いてくれていて、ちょっとでも彼のツボに入ることがあると演奏中に「Yeah!」って言ってくれてたんです。こんなに心強いことは無いし、温かい人だなと思ってました。自分に自分を信じる力っていうか、自分が心から信じてやりたいことをやれっていう事をロイから学んできたからこそ生まれた曲たちだなと思いますね。
──なるほど。
完成してから、あらためて聴くと前作のほうが力強いですよね。前作はそこまでの壮絶な経験と背景があったから、「まだ僕がここにいて、演奏しているぞ」っていうことを、支えてくださった方に届けたいと思う執念があって生まれたアルバムだと思うんです。反動の強いエネルギーによって生まれたアルバムとも言えるかもしれない。
それと比べると今作はより会話するようにトリオで音楽が作れたのかなと思います。ある種リラックスして作れた。あとは年々音楽に対してこだわるポイントが変わってきているのもありますね。若い頃は平気で1曲を15テイクとか録ってまって、メンバーを疲弊させるみたいなこともやってたんですけど、さすがにそんな事はしなくなって。
ある程度から先はエナジーダウンしちゃうってわかっているから、極力1テイクで録りたいっていう気持ちになっています。集中力が高まり、いい意味でこだわらなくなってきたというか。
──では逆に若い頃には気になっていなかったけど、今こだわっている事はなんですか?
自分がその瞬間に感じた何か熱いものを、いかにその時に表現できるかっていうところ。それが収録できたり、ライブで演奏できたらすごくうれしいですよね。
若い時は、練習したり学んで「こういう事がやりたい!」っていうイメージとか目標があって、そこを目指すような演奏になっていたと思うんですよ。今はそういう目指すものが敢えて無いというか、その瞬間に感じることだから、自分でもその時まで何を弾くか分からない。自分自身がワクワクしてるっていう、そういうような演奏になってきていますね。
──有り体な言い方ですが、感情と直結しているみたいな。
そう。それが一番やりたいことだし、それをすべきだし、それをお客さんは聴きたいと思ってるはず。表現者ってそうだと思うんですね。自分が心から感じたことを演奏で提示して、聴く人それぞれがどういう風にとってもらってもいいんですけど、その人の心に何かが残ってくれればっていう思いがあります。
そういう意味では、昔は「こういう風に聞かれたい」だったかもしれないですね。テクニックでもフィーリングでもタッチでも、「こうあるべきで、こういう風に弾かなくちゃ」っていう。ジャズとして成立しているかも昔は気にしていたように思います。今は全く無いですが。
──それは何かきっかけがあって考え方が変わったのでしょうか?
渡米してから色んな人と知り合って演奏する中で、段々と変わってきたのだと思います。これは誰しもが通る道なんですけど、若い頃はやっぱり学んだことを演奏で披露したいっていう人が多いように思います。でも例えばジミー・コブみたいなレジェンドと演奏すると、そういう自分の不自然さがもう手に取るように分かって、こんな馬鹿なことはないってすぐに気づくわけですよ。
音楽って、本当にその場で一緒に演奏するみんなで作っていくものだっていうのが経験でわかってきた。だからこそメンバーが大切だし、心も通じるメンバーと演奏したいですね。
──海野さんはレジェンドのミュージシャンとの演奏も多いですよね。
僕が渡米したいって思った時から理由が一貫しているのは、今しか聴けない、今交流しなかった後悔するぞっていうレジェンドとできるだけ演奏したり時間を過ごしたい、と強く 願ってきたことです。偉大な先人からどこまでも深い世界を学び続けたいからですが、せっかくジャズをやってて、ジャズ、そして音楽はユニバーサルランゲージなのに、日本だけに留まっているのももったいないですから。
だから実はよくある「ニューヨークの最先端のサウンド」みたいなことには僕はあんまり興味が無かったんです。今って情報の伝わる速度がすごいから、それをもって出来た気になってしまうのは簡単だけど、素晴らしい人はちゃんとルーツがあるわけで、全てに深みがあるんですよね。
僕は彼らレジェンド達がどういう人で、実際に彼らと演奏したらどう感じるのかを知りたかったし、どういう生活をしているのかを知りたかったし、自分もその生活を経験したかった。彼らと対等に演奏できるようになりたかったし、絶対やれるんじゃないかと思ったんです。自分を信じてルーツをリスペクトしてきた姿勢が少しずつ認められてきたのだ と思います。つい先日、6月頭にニューヨークのスモークで88歳のジョージ・コールマ ンに呼んでいただき初共演したのですが、ピアニストに特に厳しいことで知られる彼にもとっても気に入ってもらえました。
──これはライターの立場からですが、ジャズって他のジャンルとくらべてライターでも世代を超えて会話ができる気がするんです。30代と50代と70代で話が通じたりして。
だからジャズは若々しい精神を保てるのかもしれませんね。さっき言ったように、その時の感情を表現できたと思う時が一番嬉しい。かつ、それってフレッシュネスだと思うんです。そして、人種や性別、国境や年齢を超えて音で会話できるのがジャズの魅力ですからね。
レジェンドも世代を超えて若い人と演奏するし、僕も若い人とも演奏したいと思います。


5月13日(土)・14日(日)に埼玉・秩父ミューズパークにて開催された<LOVE SUPREME JAZZ FESTIVAL JAPAN 2023>で海野雅威は、シンサカイノ(B)、Gene Jackson(Ds)とのトリオで登場。シンサカイノ、Gene Jacksonというパワフルなバンドメンバーの導きもあってか、アルバムのゆったりとした雰囲気から打って変わって、スタートからスウィンギーでキレキレのピアノを聴かせて観客を湧かせていたのがすごく印象的だった。
ゲストとして藤原さくらが登場すると、先ほどまで鋭いコンピングを聴かせていたピアノが今度は歌を包み込むように見事に変化。藤原さくらを紹介する時にも「ナチュラルなフィーリング」と述べ、インタビューでも話していた海野のなかの「ナチュラル」へのこだわりが感じる場面も。穏やかでゆったりと喋る彼の、アルバムだけでは伝わり切らない強さと優しさがつまったライブだった。

これは偶然なのか、海野雅威のステージが終わって別のステージに移動中、次のアクトのSOIL & "PIMP" SESSIONSがロイ・ハーグローヴの名曲“Strasbourg/ St.Denis”でサウンドチェックを始めたのも、この日のハイライトとして心に残っている。
『I Am, Because You Are』
Text:花木洸 Photo:船津晃一朗
PROFILE

海野雅威
公式サイト公式Twitter公式Instagram公式Facebookユニバーサルミュージック
INFORMATION

I Am, Because You Are
2023年5月24日海野雅威トリオSHM-CD仕様¥3,300(tax incl.)Verve/ユニバーサルミュージック01. サムホエア・ビフォー02. アフター・ザ・レイン03. ユージーンズ・ワルツ04. シダーズ・レインボー05. ワン・ウェイ・フライト06. C. T. B.07. プット・ザット・シット・イン・ダ・ポケット08. オーヴァー・ザ・ムーン09. レット・アス・ハヴ・ピース10. アイ・アム、ビコーズ・ユー・アー11. オータム・イズ・ヒア海野雅威(p)ダントン・ボーラー(b)ジェローム・ジェニングス(ds)2023年3月3日、4日、ニュージャージー、ヴァン・ゲルダー・スタジオにて録音
EVENT INFORMATION
海野雅威 & 林 正樹
6月10日(土) 富山 黒部市芸術創造センター セレネ 4Fホール6月13日(火) ビルボードライブ横浜6月16日(金) 伏見 電気文化会館 ザ・コンサートホール
海野雅威 ニュー・アルバム『I Am, Because You Are』発売記念インストア・イベント
2023年6月11日(日) 16:00~タワーレコード渋谷店7Fイベントスペースイント内容:ミニライヴ&サイン会(問)タワーレコード渋谷店 03-3496-3661リンクはこちら
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