
12月28日(土)に開幕する第103回全国高校サッカー選手権大会。
初日に行われる唯一の試合、国立競技場での開幕戦では、東京A代表の帝京が京都橘と対戦する。
選手権6回・インターハイ3回の優勝を誇る、高校サッカー屈指の名門・帝京。しかし、選手権本大会への出場は実に15年ぶりだ。
そこで今回は、数々の名選手を生み出した帝京のOBで、とくにインパクトを残した5名を紹介する。
礒貝洋光
1969年4月19日生まれ
1番手として、日本代表6ゴールのストライカー前田治と迷ったが、やはりこの男を挙げておきたい。
1983年と1984年の選手権で連覇を達成した帝京。その翌年に入学してきた熊本県宇城市出身の礒貝洋光は、1年次から「カナリア軍団」の10番を背負った超逸材だ。
ボールスキルとプレービジョンは他の追随を許さず。卒業後は東海大学を経て、Jリーグ開幕を翌年に控えた1992年にガンバ大阪へ加入。プロの舞台でもその才能をいかんなく発揮した。
13ゴールを記録した1995年には日本代表デビューも飾ったが、磯貝ほどの天才にサッカーというフィールドは狭すぎた。1998年に28歳で引退し、ゴルファーへと転向している。
本田泰人

1969年6月25日生まれ
本田泰人はそんな磯貝や「元祖スーパーサブ」で引退後は地元のFC岐阜のJリーグ参入に尽力した森山泰行らと同学年。
高校卒業後、本田技研工業サッカー部(現Honda FC)へ加入すると、1992年に鹿島アントラーズへ移籍。神様ジーコのチームで1993年のJリーグ開幕をスタメンとして迎えた。
サントスと中盤でコンビを組み、鹿島の1stステージ優勝に大きく貢献した本田は、記念すべきJ初年度のベストイレブンを受賞。1995年にデビューした日本代表では29試合に出場し1ゴールを記録している。
そのまま2006年に鹿島で現役を引退。現在は地元の福岡県北九州市でサッカースクール「FOOT FIELD JAPAN」の代表を務めている。
中田浩二

1979年7月9日生まれ
1979年生まれの「黄金世代」。その一人である中田浩二は、身長180cmを超える大型ボランチとして高校時代から脚光を浴びた。
3年次にはキャプテンとして選手権に出場。甘いマスクを含め話題を呼んだが、伝説の「雪の決勝」では同い年の本山雅志らを擁するタレント軍団・東福岡に1-2で敗れ準優勝に終わった。
卒業後は鹿島アントラーズへ加入し、本山とチームメイトに。クラブで数々のタイトルを手にしつつ、日本代表としても2度のワールドカップに出場。海外挑戦も果たした。
2014年に引退し、鹿島のクラブ・リレーションズ・オフィサー(C.R.O)に就任。今年10月からはフットボールダイレクターとして強化を担っている。
田中達也

1982年11月27日生まれ
山口県出身の田中達也は、帝京の輝かしい歴史において、特大のインパクトを残した一人。
167cmと小柄ながら、1年次からロマンあふれるドリブル小僧ぶりを発揮。凄まじい推進力でサッカーファンを魅了し、2年連続同じ顔合わせとなった東福岡との選手権決勝でもスタメン出場を果たした(2-4で敗れ準優勝)。
2001年に加入した浦和レッズでもドリブラーとして結果を残すと、3年目にはナビスコカップ(当時)でニューヒーロー賞を受賞。日本代表でもジーコ、イヴィチャ・オシム、岡田武史という3人の監督のもとでプレーした。
2013年にアルビレックス新潟へ移籍し、引退後はそのまま新潟でトップチームのアシスタントコーチに就いている。なお、アルビレックス新潟レディースで所属するFW田中聖愛は長女。
三浦颯太

2000年9月7日生まれ
最後は期待も込めて、2024年に日本代表へ招集された唯一の帝京出身選手をピックアップ。
FC東京U-15むさしから加入した三浦颯太は高校で全国大会とは無縁だったが、日本体育大学を経て、2023年にJ2のヴァンフォーレ甲府でプロ入り。
天皇杯王者として出場したACLで好パフォーマンスを見せると、年末にはJ1の強豪・川崎フロンターレ移籍が発表。さらに、森保一監督の日本代表に招集され、1月1日の親善試合タイ戦でA代表初キャップを手にした。
今季のJ1では怪我もありながら、登里享平の抜けた左サイドバックで持ち前の推進力とチャンスメイク能力を発揮。プロ3年目の来季はさらなる飛躍が期待される。