
その移籍は驚きと安堵(あんど)をもって伝えられた。
今年5月30日に関東1部(J5相当)VONDS市原FCは、昨季限りでJ2ジェフユナイテッド千葉を退団したFW佐久間太一の加入を発表。
千葉の下部組織で育ち、ゆくゆくはトップチームの顔になると期待されていたが、定位置をつかめず。昨季は全治約8カ月の大ケガを負い、リハビリ中に退団を言い渡された。
その後佐久間は、チームメイトたちから「そんなことある?」と言われるほどの無所属期間を過ごした。
(取材・文・構成 浅野凜太郎)
千葉の生え抜きに告げられた退団
今季クラブ史上初の開幕6連勝を達成した千葉。17季ぶりのJ1復帰に向けて勢いづいていたイレブンの中に、今年1月に退団リリースが発表された選手の姿があった。
同クラブの下部組織で育ち、2022年にトップチーム昇格を果たした佐久間だ。
「退団を告げられたのは急でした。契約は3年目で一応終わりでしたが、あまり先のことは考えられなくて、『どうすんのこれ』という不安がありました」と頭が真っ白になった。
V市原に加入した佐久間(写真 浅野凜太郎)「トップチームに上がれるとは思わなかった」と話すが、育成年代から184センチの長身と快速を生かしたアタッカーとして期待を集め、2022年のJ2第4節ツエーゲン金沢戦(1○0)でプロデビューを果たした。
ただ、プロの壁は高く1年目はリーグ戦9試合の途中出場に留まり、2年目はJ3ヴァンラーレ八戸FCへ期限付き移籍。昨季はプロ3年目で満を持しての千葉復帰だったが、公式戦2試合の出場に終わった。
「何もできなかったという感じですね。

千葉の小林慶行(よしゆき)監督からはウィング起用を伝えられていた。それまではセンターフォワードを主戦場にしていた佐久間にとって、ワイドは未知の領域。
それでも幼いころから憧れた千葉で活躍するため、自主練習などでサイドでのプレーを研さん。生え抜きは定位置確保に向けて「やるしかない」と、同クラブで2試合目の先発出場となった天皇杯3回戦のFC東京戦(2○1)に臨んだが、悲劇はそこで起きた。
壮絶なはずのリハビリがキツくなかった理由
「あれは何だったんだろうな。マジで」と試合開始5分でのアクシデントだった。
右サイドのワイドで先発出場した佐久間は、FC東京の日本代表DF長友佑都とマッチアップ。相手の背番号5から力強くボールを奪おうとした矢先だった。
「気がついたらひざが。芝に引っかかって、いままでになったことのない感覚でした。痛みはありませんでしたが、ひざをひねりました。スタメンで出るチャンスが来たので、なんとかして目に見える結果を出したかった中で、力が入っていたと思います」とフクダ電子アリーナのピッチにうずくまり、前半8分に途中交代を余技なくされた。

後日、千葉からリリースされた診断結果は左ひざ前十字じん帯損傷、左ひざ内側側副じん帯損傷、左ひざ内側半月板損傷の大ケガだった。
昨年7月22日に手術をしてからボールを蹴れるようになるまで約4カ月、そこから試合に出場できるようなコンディションまで再び4カ月を要する長期離脱。この日をもって、生え抜きの3年目は終わった。
同じような経験をした選手の多くが、リハビリの過酷さを訴える受傷だ。左ひざはギプスで固定され、曲げ伸ばしも容易ではない。選手生命を脅かすほどの大ケガに見舞われた佐久間だったが、意外な言葉とともにリハビリ期間を振り返った。
「リハビリはまったくキツくなかったんですよ」

同時期のリハビリ組には主将のDF鈴木大輔、クラブの象徴であるチーム最年長DF米倉恒貴、アカデミーの先輩であるDF久保庭良太らがいた。
当時21歳の佐久間にとって、同選手らの存在が活力になった。
「大輔さんはリハビリを120パーセントでやっていたし、毎日言葉をかけてくれました。そのおかげで自分も高い強度でリハビリができましたし、大輔さんに感化されて、自分も120パーセントでできました。ヨネさん(米倉)やクボニー(久保庭)も励ましてくれて、支えになりました。先を見すぎたり、焦ったりしたら良くないと思っていたので、毎日できることを増やしていく感じでした」と、本来ならば暗く険しいリハビリを年長者たちが明るく照らした。
同選手らとスタッフに支えられた佐久間は、順調に回復の道を歩んでいたが、契約満了はその最中に告げられた。
葛藤を覚えた退団決定後の練習参加
昨季終了後、佐久間は契約満了と同時に告げられた言葉に思わず眉をひそめた。負傷からのリハビリに励んでいた同選手に対して、クラブは完治するまでトップチームへの練習参加を言い渡したからだ。
「みんなに驚かれました。『そんなことある?』って。もちろん練習場所があることは良かったですが、契約満了になった自分はメンバーではないのにチームに関わり続けなければいけなかった。そこに複雑な気持ちを感じて、最初はすごく嫌でしたし、ここからがキツかった」
本格的な復帰は今年の3月ごろ。それまではチーム練習に混ざりつつも、同年1月に実施された沖縄キャンプには帯同せず、拠点のユナイテッドパークに残った。
また、手術によってトップフォームに戻らないもどかしさもあった。新天地を求めていた佐久間は各クラブの練習にも参加していたが、ケガの影響が響いた。

「練習試合もジェフで出させてもらって、そこからJ3の2チームとJFLのチームの練習にも参加しました。でも復帰したばかりでしたし、次の練習参加まで2週間くらい空いてしまうこともあったので、すぐにコンディションが落ちてしまうんです。再発の怖さはもちろん、ハム(ハムストリング)の痛みや(チームが)決まるかどうかの不安もあって厳しかったです」と苦しい時期を過ごした。
ハムストリングから筋肉を移植した影響でなかなか本来のキレを取り戻せず。「いまでも足が遅くなった気がする」と話すほど、快速自慢の佐久間にとっては致命的な負傷だった。

それでも5月31日、かつて千葉がホームスタジアムとして数々の熱戦を繰り広げたゼットエーオリプリスタジアム(市原臨海競技場)のグラウンドに佐久間は立っていた。
市原市を拠点に、関東1部からJFL参入を目指すV市原の選手としてだ。
生え抜きは「ジェフには感謝しかない」と逆境を乗り越えていた。
プロ1年目から興味を示してくれたクラブへの加入
V市原への加入は5月30日に発表され、翌日には関東1部第6節東邦チタニウム戦(2○0)に出場できるほどコンディションが回復した。
苦しかった無所属期間を乗り越えた佐久間は、古巣千葉への感謝を口にした。
「ジェフの人たちは本当に優しくて、自分を受け入れてくれた。それが本当にありがたかったです。チームが決まらなそうだったら、『このチームはどう?』とか『紹介できるよ』と言ってくれました。練習参加するチームが決まったときも、そのチームにいた人がいろいろと教えてくれたりして、すごく優しかったです。
キャンプに帯同していない間も、アカデミーのトレーナーの方々にすごくお世話になりました。そこから徐々に状態を見ながらジェフの練習に入れるようになった。

5月中旬に訪れたV市原への練習参加は計2回と限られた時間だったが、すぐさま契約をつかみ取った。
試合中はもちろん、練習場やロッカールームからも気持ちのいい声がこだまするV市原。2011年3月に創立され、2013年には関東1部へ昇格。翌年にはフルコート2面とクラブハウスを備えた本拠地VONDSグリーンパークを竣工するなど、千葉県最大級の地域クラブだ。
冗談交じりに“うるさいくらい”とチームの活気を形容すると、佐久間はうれしそうに「あまりないですよね、こんなチーム。高校の部活みたい」と笑う。この雰囲気の良さこそが加入の決め手だった。

佐久間は「ジェフでの1年目のときから、VONDSはずっと僕のことを気にかけてくれていたんです。練習参加したチームは他にもありましたが、チームの雰囲気がすごく悪いところもあった。でも、VONDSは雰囲気がすごく良かったですし、早く練習をし続けられる状態にして試合に出たかった」と、“即決”で加入を決めた。
V市原は昨季関東1部で2連覇を達成したが、JFL・地域入れ替え戦は2年連続で敗れており、今年こそJFL参入を成し遂げたい。
だが、今季はここまで関東1部第16節を終えた時点で勝点26の4位となっており、優勝の可能性は消失。それでも10月に開催される第61回全国社会人サッカー選手権大会への切符はつかんでおり、JFL参入がかかる全国地域サッカーチャンピオンズリーグ2025につなげたい。
「全員でなんとかして流れを変えようとしている状態です。VONDSは勝負強いチームだと思うんですけど、それだけじゃどうしようもない部分もある。もっと相手より勝っている部分や、チームとしてのスタイルを出していきたいです。全員が攻守において同じ方向を向いてやれば、いい選手がそろっているので勝てるようになると思います」とギアを上げたい。
今年こそ“参入”へ
佐久間はここまでリーグ戦7試合に出場。得意の裏抜けやチャンスメイクは健在だが、いまだゴールを奪えていない。
「途中で出る試合がほとんどだった中で、流れを変えなくてはいけない。そこも自分の課題だと思いますし、何よりもゴールを取れていません。チーム全員が(JFL参入を)まだまだ諦めていないですし、ここから本当に大事な試合が続く。自分がどんな形でも結果を出して、チームの勝利に貢献したいです」と意気込んでいる。
加入してから約4カ月が経った。

中学生年代から千葉の下部組織で育ったエリートの佐久間は、V市原で介護の仕事に就きながら日々のトレーニングに励んでいる。
「サッカーだけをやっていたからこそ思うんですけど、両立は簡単ではないと思います。ジェフのときは午前中に練習をやって、午後は筋トレや交代浴をしていましたが、その時間が奪われてしまう。長時間立っていたりもするので、大変な部分はあります」と慣れない環境に身を置く。
プレーできる喜びを嚙みしめながらも、新天地にいち早く順応しようと奮闘する毎日だ。22歳は日に日にJFL参入への想いを高めている。
「僕よりも仕事をしている人はいるし、本当にすごいと思う。そういう意味でも早く昇格して、もっとサッカーに使える時間を増やしたいという想いを、絶対にみんなが持っていると思います。ここでやると決めたからには、100パーセントでやると決めていますし、みんないい人たちなので、昇格したいです」

下部組織時代を含めて9年間を過ごした千葉に別れを告げた佐久間は、いまでもトップチームやアカデミーの結果を追っているという。
プロの舞台からカテゴリーを落としたが、サッカーへの熱意はあのころと何も変わっていない。
「高校年代とプロではレベルがまったく違う。自分はそのレベルに合わせていけなかった。いつかジェフに戻りたいですし、フクアリで対戦したい気持ちもあります。ただ、いまはあまり先のことを考えずにできることをやっていきます」と、ここからはい上がる。
取材が終わると佐久間は「ジェフのみなさんには本当に感謝しているので、その気持ちを書いてもらえるとうれしいです!」と、深く頭を下げてその場を後にした。

22歳のキャリアはここからだ。佐久間は悲願のJFL参入に向けて、V市原から再スタートを切った。