
背番号10。それはサッカー界で最も象徴的な番号のひとつだ。
今回は『GMS』から「サッカーの歴史上最も偉大な背番号10」のトップ5をご紹介する。
5位:フェレンツ・プスカシュ
国籍:ハンガリー
所属したクラブ:ブダペスト・ホンヴェド、レアル・マドリー
フェレンツ・プスカシュは、20世紀のサッカー界を代表するゴールマシンであり、レアル・マドリーの黄金期を築いた伝説的フォワードだ。ハンガリー代表としても活躍し、1954年のワールドカップ準優勝に大きく貢献した。
30台後半になってから加入したレアル・マドリーでは、アルフレド・ディ・ステファノとの破壊力あるコンビを形成。特に1960年のヨーロッパカップ決勝では、アイントラハト・フランクフルト相手にプスカシュが4得点、ディ・ステファノが3得点をあげ、7-3の勝利に貢献した。
見た目は172cmの太った姿であったため典型的なアスリートとは言えず、左足しか使わない選手だったが、そのキックの破壊力は誰よりも凄まじかった。成績面でも528試合で512得点という驚異的な記録を残している。
その功績を称えられ、FIFAは年間最優秀ゴールの表彰を「プスカシュ賞」と名付けている。
4位:ミシェル・プラティニ

国籍:フランス
所属したクラブ:ユヴェントス、ナンシー、サンテティエンヌ
ミシェル・プラティニは、後のフランス人プレーメイカーたち例えばジネディーヌ・ジダンらに多大な影響を与えたパイオニアである。彼らは同じようなキャリアを描き、フランス代表を栄光に導いた。
ユヴェントスではセリエA優勝や欧州カップ戦の制覇を達成。EURO1984では、わずか5試合で9ゴールという驚異的な活躍を見せ、フランス代表に国際タイトルをもたらした。
高精度のパス、ゲームを読む力、そしてゴール感覚を兼ね備えたオールラウンドなミッドフィールダーだった。特にそのフリーキックは完璧な精度を誇り、数多くのチャンスを生み出した。
3位:ディエゴ・マラドーナ

国籍:アルゼンチン
所属したクラブ:ボカ、バルセロナ、ナポリなど
サッカー史において最も論争と伝説に彩られた選手、それがディエゴ・マラドーナだ。1986年ワールドカップのイングランド戦では、「神の手」ゴールと「世紀のゴール」という二つの象徴的なシーンをたった4分間で生み出した。
彼は母国アルゼンチンと、クラブキャリアの大半を過ごしたナポリの両方で象徴的な存在だ。特にナポリにおいては、クラブ史上初となるセリエA制覇を成し遂げるなど、街の歴史上最大の英雄となり、10は永久欠番になっている。
彼が所属していたころを最後にナポリはタイトルから長らく遠ざかり、再びリーグ優勝を果たすまでには33年の月日を要した。
2位:リオネル・メッシ

国籍:アルゼンチン
所属したクラブ:バルセロナ、PSG、インテル・マイアミ
サッカー史上最も完成された選手とも評されるリオネル・メッシ。そのドリブルはまるでボールが足に吸い付くようであり、ゴール前では冷静かつ正確なフィニッシュを見せた。
さらにパスのビジョンも卓越しており、プレーメーカーとしても得点源としても超一流。キャリアの中盤以降はフリーキッカーとしても世界屈指になり、かつては苦手だったペナルティキックも克服。まさにパーフェクトな選手になった。
バルセロナでは20年近くにわたってクラブを牽引。すべての大会でタイトルを獲得し、8度のバロンドールも手にしている。
1位:ペレ

国籍:ブラジル
所属したクラブ:サントスなど
背番号10の象徴とも言える存在であるペレ。ブラジル代表としてワールドカップを3度制覇した唯一の選手であり、そのすべてを17歳から29歳の間に達成している。
1958年大会では、若干17歳で6ゴールを記録し、ブラジルを初のW杯制覇に導いた。1970年には伝説の“史上最強ブラジル代表”の中心として圧倒的なプレーを披露し、その存在はサッカー界において確固たるものになった。
その創造性と多才さ、得点能力は時代を超えて評価され、世界中で「サッカーの王様」と称えられている。現在数々の選手が取り組むトリックのほとんどは、彼のプレーが基礎になったとも。