Logos of DAZN and J.League,FEBRUARY 13, 2017 - Football / Soccer :The logo of DAZN, Perform Group's live sports streaming service, is seen during the 2017 J.League Kick Off Conference at Tokyo International Forum in Tokyo, Japan. All matches in J1, J2, and J3 leagues will be broadcast live via DAZN from the 2017 season. (Photo by Kenzaburo Matsuoka/AFLO)

昨年30周年の節目を迎えたJリーグ。その組織面や経営面でのガバナンスは、村井満チェアマン時代の2014年から2022年までの8年間で劇的に強化された。

その結果、切迫した財務面の問題は解消され、コロナ禍のリーグ崩壊の危機を乗り越え、Jリーグのパブリックイメージそのものが大きく変わることとなった。そこで本稿では書籍『異端のチェアマン』の抜粋を通して、リーグ崩壊の危機に立ち向かった第5代Jリーグチェアマン・村井満の組織改革に迫る。今回はDAZN元年(2017年)に起こった悲喜こもごもについて。

(文=宇都宮徹壱、写真=松岡健三郎/アフロ)

※連載前編こちら

JリーグとDAZNにとっての苦悩の日々始まり

この年のJ2開幕日となる2017年2月26日、村井は試合会場の視察ではなく、JFAハウスでDAZN中継のチェックの対象となったのは、この日唯一のJ1のカード、ガンバ大阪対ヴァンフォーレ甲府。キックオフは17時3分だった。TVとタブレットとスマートフォン、大小さまざまな画面を並べて「さあ、視るぞ」となった時、黒い画面上に浮かび上がるのは、クルクル回る渦巻き状の円のみ。市立吹田サッカースタジアムの熱狂が、映し出される気配はまったくない。

その状態は、キックオフ時間が過ぎても続いた。

「JFAハウスのWi-Fiに問題があるのかと、最初は思ったんです。ところが、どうやらそうではないと。そのうち、各方面から『視聴できない』という連絡が入って、さーっと血の気が引くのを感じましたね」

JFAハウスで村井たちが情報収集を始めた同時刻、ラシュトンやサドラーと一緒に吹田スタジアムにいた小西孝生も異変を察知していた。「日本人は放送事故に厳しいから、これは困ったことになったぞと思いましたね」とは2016年にDAZNとの交渉に当たった中心人物のひとりである小西当人の弁である。さらに、ニンジニアスタジアムでキックオフした愛媛FC対ツエーゲン金沢でも、トラブルがあったことが判明。

70分を過ぎてから、中継画像が止まったり、同じシーンが何度もループしたり、不安定な状態が続いたのちに視聴不能となってしまった。

この瞬間から、JリーグとDAZNにとっての苦悩の日々が始まる。

事故が起こった2月26日夕刻から翌27日にかけて、ツイッター(現・X)上のタイムラインは、DAZNに対するJリーグファンの怨嗟と憤懣に満ちた声で埋め尽くされていた。その中でも目立っていたのが「スカパー!時代のほうが良かった」という意見。いくつかピックアップしよう。

《もし去年同様の条件でスカパーがJリーグパック出してくれていたら/間違いなくDAZNよりスカパー!を選ぶ/ストレスフルな粗悪品より/多少高価でもノンストレスなモノを選びたい/残念なのはその選択肢がない事だ》

《開幕戦が日曜の17時アウェイ開催も腹立つし、DAZNマネーにつられて長年Jリーグに貢献してきて定着してたスカパー!からあっさりDAZNに切り替える無能さにめっちゃ腹立つ。

ここ10年で1番腹立つ。》

《高額な放映権もJリーグとスカパー!やDAZNとのアレコレも日本サッカーの未来もネットの配信技術もサーバーやインフラ整備がどうこうも、そんな事はどーでもいい。/ファンが試合を観る事が出来なかった/ただ一点、これだけが問題だ》

「ここは早急に謝罪会見を開催するほかない」

コアなファンやサポーターにとり、地上波での中継が減少する中、Jリーグを10 年間にわたって支えてくれたスカパー!は、恩人であり戦友でもあった。それだけに「Jリーグは目先のカネに目が眩んで外資と手を組み、恩義あるスカパー!を捨てた」と考える層は、一定数存在した。また、そこまでいかなくとも「スカパー!のままでも良かったのに」と思いつつ、仕方なくDAZNに切り替えた層は多かったはずだ。

ここで対応を間違えれば、DAZNのみならずJリーグへの不信感にもつながりかねない。また、OTTの普及という計画にも、ネガティブな影響を与えるのは必至であった。

「ここは早急に謝罪会見を開催するほかない」

それが、村井の判断であった。問題は、DAZN側がどう反応するか――。

「欧米系の企業は、自分たちのミスを認めたがらない、あるいは法廷闘争に持ち込もうとする。そうした先入観は、私自身も持っていました。けれども、ここでDAZNがどういった態度を示すか、日本中が固唾を飲んで注目しているわけです」

大阪から東京に戻ったラシュトンは、すぐさま村井とのミーティングの場を設けた。その時の村井の言葉を、彼は今でも鮮明に覚えている。

「村井さんから、こう言われました。『私たちのパートナーシップが今、試されている。同じ過ちを繰り返すことは許されない。この事態に対して、われわれは一緒に立ち向かっていく必要がある』とね」

その具体案が、早急な会見の開催。この考えにラシュトンも同意する。

「伝統的な日本企業であれば、まずはプレスリリースを出して、騒ぎが収まってから会見するのが常だと聞いていました。

けれども、村井さんは『なるべく早くメディアの前に出て、オープンに話をしよう』と提案してくれたんです。われわれも、それに同意しました」

DAZN側に起こったテクニカルな問題を謝罪

都内某所でDAZNの謝罪会見が行われたのは、事故から4日後の3月2日のこと。私が案内に気づいたのは当日だったので、すべての予定をキャンセルして現場に向かった。それほど広くない会場には、ぎっしりとメディアが詰めかけており、あらためて本件への関心の高さを痛感する。

登壇者は村井とラシュトンのほかに、DAZNから開発部長のウォーレン・レー、そしてコンテンツ制作本部長の水野重理。全員が黒いスーツとダーク系のネクタイという、まさに日本企業独特の謝罪会見スタイルである。最初に登壇したのは、チェアマンの村井だった。

「JリーグとDAZNは、ひとつのチームとして連携しておりました。それぞれの役割に関しましては、スタジアムの中継と制作、そして制作データをDAZNにお渡しするところまでがJリーグの役割。それを配信用のデータに変換して、さまざまなデバイスに最適化する形で視聴者の皆さまへ配信するのがDAZNの役割でございました」

村井によれば、スタジアムでの制作とデータの受け渡しのところでは、トラブルはなかったという。問題が起こったのは、それ以降のプロセス。つまりDAZN側に、テクニカルな問題があったことを明らかにした。続いて、DAZN側からラシュトンとレーが登壇。村井の言葉を継ぐ形で、ラシュトンが語り始める。

「皆さま、本日はわれわれのメディアブリーフィングに来てくださり、ありがとうございました。先週末のDAZNプラットフォームの不具合によって、ご迷惑をおかけした、すべてのファン、ステークホルダー、そしてパートナーの皆さんに今一度、心より深くお詫び申し上げます」

そしてラシュトンとレーは、さながら日本人のように深々と頭を下げた。その間、およそ10秒。私は、これほど長く頭を垂れる外国人というものを、初めて見た。周囲にいたメディア関係者も、同じ思いだったはずだ。こうした潔い態度が、会見会場の雰囲気を一気に前向きなものへと変えていく。

具体的な事故原因の解説「エラーが蓄積したことで…」

さらに、コンテンツ制作本部長の水野が、具体的な事故原因を解説。今回の問題は、容量が十分にバックアップされていなかったことが原因ではなかったとして、こう続ける。

「エンコーディング・プラットフォームはミラーリング構成でしたが、オートスタート・ストップツールで発生したエラーが蓄積したことで、パッケージングツールが機能しなくなったのが原因と思われます」

それぞれの専門用語について補足すると、「エンコーディング・プラットフォーム」=中継映像を配信用のデータに変換し、最終的に視聴者に届けるためのプラットフォーム。「オートスタート・ストップツール」=ライブ中継後の見逃し配信をする際、試合の開始と終了を自動的に切り取るソフトウェア。「パッケージングツール」=さまざまなデバイスに適したストリーミングを視聴者に届けるための最終的なツール。

試合の開始と終了を自動的に切り取るソフトウェアにエラーが生じ、それが中継映像を配信データに変換するプラットフォームに蓄積されたため、視聴者にストリーミングを届けるためのツールが機能しなくなった――。水野の説明を私なりに解釈すると、このようになる。

謝罪会見でラシュトンが深々と頭を下げた経緯

この日の会見は、1時間25分の長丁場。すべての質問に対して、DAZN側が真摯に答える姿は、出席したメディアに好印象を与えることとなった。私の評価も「謝罪会見としては合格点」というもの。理由は以下のとおりだ。

まず、謝罪会見が事故から4日後という早期に開催されたこと。DAZNのCEOと開発部長、コンテンツ制作本部長が揃って出席し、メディアの質問に対して誠実に回答していたこと。そして何より、外資系企業の経営トップが、深々と頭を下げて反省の意を示したこと。もっとも、ラシュトンが頭を下げたことについては、Jリーグ側からの強い働きかけもあった。村井に確認すると、当日の様子を明かしてくれた。

「会見の直前、控室で『日本には独特の謝罪文化があって、10秒くらいはずっと頭を下げる必要がある』と教えてから、私が手本を見せました。それから事故原因の説明については、わからないことはわからないと正直に伝えて『誠実に調査中』を強調するように伝えました」

気になるのはラシュトンたちの反応だが、彼らはすぐに理解してくれたという。

「ジェームズは『それが日本のやり方なんだね? だったら頭を下げるよ』と言ってくれました。実際には、途中で頭を上げそうになりましたが、それでも嘘偽りも駆け引きもなく、本当に日本でビジネスを成功させたいという思いが感じられました。事故調査についても、軽微な管理上のミスだったことがわかったので、その後の配信も含め、問題なくリカバリーできたと思います」

村井が重視する、スピードと「天日干し」の発想

当のラシュトンも「あのタイミングで謝罪会見をしたのは、結果として正しい選択だったと思います」と、この時の謝罪会見をポジティブに受け止めていた。

「なぜなら、Jリーグとの信頼関係が強まったし、ファン・サポーターとの関係性も深まったからです。もちろん、起こってしまったことについては、弁解の余地もありません。それでも、われわれが見せた率直さと誠実さは、評価していただけたと思います」

かくして2017年シーズンは、ピッチ外でも波乱に満ちた幕開けとなった。開幕節での配信事故は、DAZNにとってもJリーグにとっても、痛手となったのは間違いない。けれども、その後のファン・サポーターの受け止めは、私の予想とは異なる展開を見せた。謝罪会見以降、DAZNに対するファン・サポーターのリアクションが、非難から応援モードへと切り替わっていったのである。

これは、サッカーファン特有のメンタリティに起因するものと考えられよう。情けない試合を観せられたら、その場ではブーイングするものの、マイクラブを見捨てたりはしない。むしろ結果を出せないからこそ「応援しよう」という気分にもなる。

これと関連していえば、Jリーグファンの多くが、開幕に合わせてDAZNに加入し、視聴のための準備を整えていたこともわかってきた。もちろん、準備に手間取った人もいただろう。それでも、SNSや周囲の反応を見る限り「何をしたらいいのかさっぱりわからない」という人は、極めて少数派だったように思われた。

Jリーグのファン・サポーターが、高齢化していることは間違いない。それでも、試合中継を楽しむための努力を厭いとわず、情報収集と創意工夫を怠おこたらない。そうした事実が明らかになったのは、個人的にも嬉しい発見であり、Jリーグにとっても安心材料となった。Jリーグを愛する、ファン・サポーターの多くは、やがてDAZNという「黒船」を受け入れ、Jリーグを楽しむための「仲間」として、10年スパンで伴走していくこととなる。

それを促したのが、村井が重視する、スピードと「天日干し」の発想であったことは間違いない。配信事故の直後に会見開催を決定したこと。そこで真摯な謝罪と説明が行われ、すべてを明らかにしたこと。そして何より、事故直後での「絶対に逃げては駄目だ」という覚悟が、JリーグとDAZNの危機を救うこととなった。

(本記事は集英社インターナショナル刊の書籍『異端のチェアマン』より一部転載)

<了>

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[PROFILE]
村井満(むらい・みつる)
1959年生まれ、埼玉県出身。日本リクルートセンターに入社後、執行役員、リクルートエイブリック(後にリクルートエージェントに名称変更)代表取締役社長、香港法人社長を経て2013年退任。日本プロサッカーリーグ理事を経て2014年より第5代Jリーグチェアマンに就任。4期8年にわたりチェアマンを務め、2022年3月退任。2023年6月より日本バドミントン協会会長。

[PROFILE]
宇都宮徹壱(うつのみや・てついち)
1966年生まれ、東京都出身。写真家・ノンフィクションライター。東京藝術大学大学院美術研究科を修了後、TV制作会社勤務を経て1997年にフリーランスに。国内外で「文化としてのフットボール」を追い続け、各スポーツメディアに寄稿。2010年に著書『フットボールの犬』(東邦出版)で第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞、2017年に『サッカーおくのほそ道』(カンゼン)でサッカー本大賞2017を受賞。個人メディア『宇都宮徹壱ウェブマガジン』、オンラインコミュニティ『ハフコミ』主催。