世界卓球2025ドーハ。男子ダブルス決勝で、戸上隼輔・篠塚大登ペアが悲願の金メダルを獲得した。
(文=本島修司、写真=REX/アフロ)
新コーチに上田仁、「戸上再構築」の秘策
2025年3月3日。上田仁が選手生活からの引退と、戸上隼輔の専属コーチ就任を発表した。この発表は多くのファンを驚かせた。
上田といえば、欧州最高峰リーグのドイツ・ブンデスリーガで活躍中の33歳。所属する強豪のケーニヒスフォーヘンで今季20勝以上という成績を見ても、まだ十分に現役選手で戦える状況にある。
「戸上がまず目指すのは世界ランクトップ10入り。ロサンゼルス五輪、メダル獲得。ただ選手一人で走り続けるのはあまりにもきつい」
「二人三脚のコーチというよりは、並走者」
「戸上は戦術面で知らないことがまだまだある」
コーチ就任時のインタビューで、上田はこういった言葉を語っている。
初タッグとなる今年の世界卓球で、上田は戸上をどう変えたのか。
これまでの戸上の印象といえば、常に死力を尽くして、負ける時も持ち味をすべて出し切っているように見える。“無我夢中”というフレーズさえ思い浮かぶような圧倒的な「勢い」と「爆発力」。これまでの国際大会でもそれは発揮されてきた。
試合の後半になっても「一発抜き」を選択するのが戸上スタイル。そこに“並走者”上田と2人で見せるケミストリーに注目が集まった。
伏線だった、男子シングルス
結果として戸上は、「全競技で躍進した」といえる。
戦前の大方の予想通りに、3回戦で張本智和と激突した男子シングルスの時点から、その兆候は見せていた。
もともと戸上は張本戦で強い。結局この試合も4-1で圧勝。さらに今まで見たこの最高のライバル対決の中でも、ここまで戸上が圧倒するのは初めてのことだ。
続く4回戦では、世界ランク10位のスロベギアのヨルギッチを4-3のフルゲームの末に封じ込めた。
「今シーズン、4戦して3回(ゲームカウント)3-2で勝つことができている。今回も3-3になったら絶対ゲームオールデュースになると上田コーチから言われていた。ゲームオールデュースになったら絶対自分のほうが強いんだという気持ちを持って戦いました」
そしてこう続けた。
「前のロングサーブをミスしていたので、絶対フォア前に出してくると思っていた」
その読みは完璧に当たった。
「チキータで強くいく」。フォア目のサーブのチキータ。それをここでやるんだという冷静さが、シングルス・ベスト8を達成することになった。
「ベンチの上田コーチの顔を見た」とも語る戸上。
試合を読む冷静さを身につけ、勝負所で「攻め方を練ってからの猛攻撃スタイル」に変わった。これが今大会で絶対的な攻撃の精度を生み出した要因だと感じる。
男子ダブルス決勝戦でも、常に冷静だった戸上
そして日本中が湧いた、男子ダブルス決勝戦・金メダルの瞬間を迎える。
第1ゲーム。
序盤は戸上のフォアがかみ合わず、強打の応酬の中でミスが出てしまい6-11で台湾ペアの勝利。しかし、ここから歯車がかみ合い出す。
第2ゲーム。冷静に台上で短いボールを挟んだ。これでいったん相手の攻撃を封じた。これがかなり“効いた”。台上ストップからの2連続ポイントで開始。戸上が肩の力が抜けたような雰囲気で、ドライブのミスが減る。篠塚がバックドライブで崩し、戸上がフォアドライブで決める姿が目立った。
第3ゲーム。序盤から台湾ペアの動きが良く、4-10とリードされて開始。3本を取り返し、7-10とするが、今大会は絶好調の林昀儒が、ドライブを逆に狙い撃つようなカウンターを放ち、ここも落としてしまう。
第4ゲーム。このあたりから、戸上のカミソリドライブと呼ばれる攻撃が目を覚ます。台湾ペアに台上とサーブで揺さぶりをかけながら、ラリーに入ればミスのない戸上がフォアで決めていく。このゲームを11-6勝ち切った。
すべてが決まる、最終第5ゲーム。序盤からリズムが良い。篠塚が左利き特有の角度でフォアドライブを放つ。台湾ペアも返球するが、その返球を戸上が読み切っているかのような位置にいる。
ここでは戸上が篠塚のドライブを冷静にうまく使う姿が目を引いた。
とにかく目立った、今大会の「対中国」を目指す男たちの躍進
今大会では、特に男子で、中国勢以外の活躍が目立った。
ブラジルのウーゴ・カルデラノが、男子シングルスで銀メダルを獲得。純粋な南米の選手としては異例の大躍進を遂げた。
カルデラノは、卓球のエリート教育を受けたわけではない。完全に自身の「身体能力」を生かしてプレーしている。そのボールも拾えるのか!?という驚愕の動きを、中国のトップ選手相手に次から次へと繰り出して決勝までたどり着いた。
準決勝では、中国の梁靖崑から10本連続で取る“離れ業”も披露。中国の応援団からは悲鳴が上がり、カルデラノは勝利の瞬間、床に倒れ込んで涙を浮かべた。
後陣からすべてのボール拾いきり、逆襲の一打をバックハンドから放つ姿は、まるで卓球の神様が舞い降りたかのように見えるほど。中国ベンチがこれほどまでに“お手上げ”という表情を見せるのも珍しかった。
カルデラノは少年時代にバレーボールや陸上競技に力を入れていたという。卓球は13歳の頃から本格的に開始。その後、フランスで練習を積み、18歳からドイツのブンデスリーガに参加している。現在28歳だが「卓球年齢はまだ15歳」と称されている。
これは卓球の世界では異色の経歴。卓球は「幼少期からの詰め込み教育が必須」とされる競技だ。世界のトップを狙う国の代表になるには3~5歳から卓球一本で育てることが必須という雰囲気がある。日本もそうだ。「中1から始めて日本代表になることはできない」という指導者も多い。カルデラノの躍進はそんな風潮に風穴を開けたことにも、大きな意味がありそうだ。
戸上は「新コーチと、新しい戦術へのトライ」を、プラスアルファに。カルデラノは「他の競技で培った身体能力を卓球に落とし込む形」を、武器に。道筋はまったく違うが、世界中でさまざまな新しい卓球への模索が進み、「打倒中国」への道が花開いてきていることを実感する世界卓球となった。
期待が高まる、戸上の今後の世界戦
世界戦での後半の勝負強さ。これは日本代表選手誰しもの課題でもあった。
特に本能的な攻撃力を備える戸上に、もしそれを生かす「冷静さ」や「自分の試合を、試合中に振り返り、何をするか選ぶ戦術」があればいったいどれほど強いのか。今大会の戸上は、その誰もが待ち望んだ「待望の変化」の片鱗を見せた。
男子ダブルス決勝戦の第2ゲームでは台上でストップを挟んだ。それも、1ゲーム目を取られているにもかかわらず序盤から挟んでいった。打ちたいところをこらえて、カミソリドライブを打つ前の“セッティング”がうまくできていた。
第5ゲームでは、篠塚の左利きのカーブ気味のドライブの精度の良さを信じて、その返球を待っていた。一歩引いてから決定打を打つ。
今大会の戸上は、猛獣の皮をかぶった「冷静な戦略家」に見えた。
上田コーチの力も借りながら常に何かを変えようとする姿勢が、最高峰の舞台で開花した。これからの戸上はさらに強い。日本中がそんな期待に満ちあふれている。
カミソリドライブより強烈な、「それを打つ前の冷静さ」。
仲良しの最強パートナー篠塚大登と共に、日本が誇る炎のファイターが、ついに世界の頂をつかみ取った。
<了>
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