プレミアリーグ挑戦1年目。日本代表DF・菅原由勢が過ごした激動のシーズンの舞台裏には、一人のトレーナーの存在があった。
(取材・文=田嶋コウスケ、写真提供=木谷将志)
菅原も「すげぇ」と感嘆の声。「間違いなく木谷さんのおかげ」
2024-25シーズン、日本代表DFの菅原由勢は、新たな挑戦に身を投じていた。
昨夏の移籍市場で、オランダのAZアルクマールからプレミアリーグのサウサンプトンに移籍。初のプレミアリーグ挑戦となったこのシーズンは、菅原にとって決して平坦な道のりでなかった。
所属クラブのサウサンプトンは、昇格初年度の難しさに直面した。開幕から不安定な戦いが続き、シーズン途中には監督交代も経験した。プレミアリーグの洗礼は厳しく、菅原も先発から外れる時期があった。
そんな中、シーズンを通して菅原を支え続けた男がいた。トレーナーの木谷将志である。
菅原が暮らすのは、かつて吉田がサウサンプトン郊外で住んでいた邸宅。その場所から、車でわずか5分の距離に木谷の自宅がある。木谷はシーズンを通して菅原の住まいに足繁く通い、体のケアを続けた。菅原は、木谷の存在について次のように話す。
「昨シーズンの1年間、ケガすることなくやれたのは、間違いなく木谷さんのおかげだと思っています。昨夏にオランダからイングランドにステップアップしました。オランダは5大リーグではないので、強度を含めて試合のレベルが全然違いました。自分の身体がどう変化していくのかを考えていた中で、1年目にもかかわらず、ケガというケガがなかった。1分たりとも、ケガの影響で試合や練習に出られなかったことはありませんでした。
木谷の施術は、一風変わっている。足を使って選手の筋肉にアプローチする“足圧”の手法は、初見の選手には驚きを与えるが、その効果は折り紙つきだ。吉田麻也いわく「効果は抜群」。菅原も施術を受けて「すげぇ」と感嘆の声を上げた。
欧州選手の施術で海を渡る多忙な生活
もともとは吉田の専属トレーナーとして渡英した木谷だが、その施術の評判は口コミで広がり、サウサンプトンの所属選手を中心に顧客は増加の一途を辿っている。
実際、木谷の顧客リストは長い。昨シーズンはヤン・ベドナレク、カイル・ウォーカー=ピータース、アダム・ララーナ(シーズン後に引退)らのサウサンプトン組に加え、ジェームズ・ウォード=プラウズ(昨季はレンタルでノッティンガム・フォレストに在籍)、ケニー・テテ(フラム)らプレミアリーグ勢の施術を担当。さらに、ピエール=エミール・ホイビュア(フランス・マルセイユ)やオリオール・ロメウ(スペイン・バルセロナ)も顧客に持ち、木谷は彼らの施術のため定期的に海を渡った。
菅原は、木谷の施術効果についてこう語る。
「イギリスだけでなく、日本でも足で踏むという施術は珍しい。足で踏むという施術は存在こそ知っていたものの、やってみたことがなかった。いざ踏まれてみると、体の反応がものすごく良くて。
サウサンプトンに加わってから、カイル(ウォーカー=ピータース)やヤン(ベドナレク)から、『マサ(木谷)の施術を受けるのか? 彼のトリートメントは最高だよ』と言われて。サウサンプトンで、木谷さんのことを話している選手はたくさんいます。麻也さんの専属トレーナーとしてイギリスに来ているのは知っていましたけど、そのほかにもプレミアリーグの選手たちを顧客に持っていることに驚きました」
吉田麻也と菅原由勢の共通点
では、その高評価の秘密はどこにあるのか。木谷は、自身の施術について次のように説明する。
「手との違いは、圧力の違いだったり、手では届かないところまで、足ならアプローチできるところ。さらに、手では出せない独特のリズムがあります。この手では出せないリズムと圧力が、一番の違いです」
足を使うと、手に比べて3~4倍の圧力をかけることができる。さらに、木谷の場合は症状が出ているところだけでなく、体全体にアプローチをかけるという。試合の前々日に体全体をほぐしてベストパフォーマンスを引き出し、試合後にはリカバリーを行う。これが基本的な施術の流れになる。
菅原が「とにかく驚いた」と語るのは、試合後の帰宅時間が深夜であっても、木谷が自宅まで駆けつけてくれたことだ。
「アウェイでナイトゲームを終えて、帰宅が深夜2時になるときもありました。日本でもコンビニぐらいしか開いてない時間でも、木谷さんは『全然行きますよ』と言ってくれて。さすがに申し訳ないと思いましたけど、自分の身体を気にかけてケアしてくれることが、すごくうれしくて。試合後に、すり減ってるものを戻してくれます。
選手と同じ熱量で接してくれることに、びっくりしました。仲間というか、一緒に戦ってくれている熱量を感じましたね」
対する木谷も、菅原の高いプロ意識に感銘を受けたという。
「僕は吉田麻也という選手に出会っていなかったら、イギリスに来ていないです。麻也だったから、『応援してあげたい、サポートしてあげたい』という気持ちになった。だから、リスクを冒してでも、日本からイギリスにやってきました。
初めて由勢と会ってすぐに感じたのは、『この選手は“吉田イズム”を引き継いでいる』ということでした。
例えば、出場機会がなかったからといって、2人はケアを怠ることがない。これは大事なことです。僕の見解を言えば、こういったところがやがて大きな違いとなり、最終的に他の選手と圧倒的な差になります」
吉田麻也からの受け売りの言葉「常に…」
昨シーズンの菅原は、難しい時期を経験した。
菅原の獲得を決めたのは、英国人のラッセル・マーティン監督。攻撃的なポゼッションサッカーを志向する指揮官は、サイドバックとして攻撃参加を得意とする菅原を高く評価していた。シーズン序盤戦、菅原はレギュラーとしてフル稼働していたが、チームの成績が思うように上がらなかった。
後任として招かれたのは、クロアチア人のイヴァン・ユリッチ監督だった。ポゼッション型のマーティン前監督とは異なる哲学を持ち、このクロアチア人はフィジカル重視のプレッシングサッカーを目指した。すると、菅原の序列は低下した。
結局ユリッチ監督はチームを立て直すことができず、4月に解任された。クラブとしては、シーズン2度目の監督解任である。シーズン終盤の菅原はベンチスタートの試合が増え、ピッチに立ったとしても途中出場にとどまることが多かった。
こうした難しい状況下で、木谷は菅原にとって精神的な支えでもあった。菅原は率直にこう明かす。
「試合後というのは、良くも悪くもストレスやプレッシャーから解放されている状態です。感情にバラつきが出てしまうのですが、木谷さんはいつも側にいてくれた。家族ではないですけど、それと同じぐらい、自分の思っていることを包み隠さず話せる存在でした。
何でも話せる人が側にいてくれたのは、メンタル面ですごく助けになりました。メンタルのところがブレ始めると、体にも影響が出てしまうものです。そういうときに、ケガをしてしまいがちです。昨シーズン、ケガがなかったのは、メンタルの安定もあったのかなと思います。木谷さんに、心と体の両方をケアしてもらっていましたね」
ただ木谷は、菅原の話をただ受け止めるだけではなかった。
木谷の話でたびたび登場したのが、やはり吉田麻也だった。かつてサウサンプトンで吉田が困難な状況に置かれていた時期のことを引き合いに出し、菅原に発破をかけたという。木谷は言う。
「いつも伝えていたのは、『菅原史上のベスト』を常に更新しよう、ということです。実はこれは、吉田麻也からの受け売りの言葉なんですけど、それを常に由勢に伝えていました。麻也も、サウサンプトンで試合に出られない時期があった。僕は、その姿を側で見ていました。だから、由勢にこう言っていたんです。『自分がコントロールできるところ以外のところで悩んでもしょうがない。自分がコントロールできるところや、自分が努力できるところを一生懸命やって、しっかり準備しよう』と。それがすごく大事という話をしていました。もちろん、由勢本人もそのことをわかっていましたけどね。
麻也も、由勢と同じように試合に出られない時期があった。でも、いつ出番がきてもいいように、麻也は常に準備を完璧に整えていました。そして、巡ってきた出番をつかみ、チャンスをモノにしてきた。そうしたことを、麻也はサウサンプトンで7年半にわたってやり続けていました。そういう話はよくしていましたね」
世界最高峰の舞台を全力で駆け抜けた1年
菅原は、しみじみと語る。
「試合に出られなかった時期は、本当に難しい時間でした。木谷さんに体を触ってもらいながら、張り感などをしっかり見てもらっていました。家族の次に会っている人が木谷さんです。いろんな話をしました。昨シーズンは、木谷さんがいてくれた環境で戦いましたけど、もし木谷さんがいなかったら──そう考えると、もっと、もっと難しいシーズンになっていたんだろうなと思います」
残念ながら、サウサンプトンはプレミアリーグから降格が決まった。しかし、菅原と木谷が、世界最高峰プレミアリーグを全力で駆け抜けた1年であった事実に変わりはない。努力とハードワークを続ける菅原と、深夜でも構わず駆けつける木谷──。
2人の姿は、まさに“二人三脚”そのものだった。
<了>
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