今シーズンのJ1リーグは、鹿島アントラーズが9シーズンぶり9度目の優勝を果たして幕を閉じた。常勝軍団復活の歩みを振り返ると、その中心に立ち続けていたのが鈴木優磨だ。
(文=藤江直人、写真=アフロスポーツ)
優勝の瞬間に重なった記憶
最後まで涙を認めようとしなかった。涙腺を決壊させた理由を問われるたびに、鹿島アントラーズの鈴木優磨は「泣いてないっすよ」と首を横に振り、さらに「気のせいですよ」と煙に巻いた。
それでも9シーズンぶり9度目のJ1リーグ優勝を決めた直後に、ホームのメルカリスタジアムのピッチ上で、鹿島アントラーズの鈴木優磨は確かに男泣きしていた。ゲームキャプテンの植田直通、同じ1996年4月生まれの三竿健斗と3人で抱き合い、肩を震わせた光景は胸を打つものがあった。
悔しさとともに、いまも記憶に焼きついて離れない一戦。勝てばリーグ戦連覇が決まったジュビロ磐田戦で引き分け、川崎フロンターレの逆転優勝を許した2017年12月2日の最終節。敵地のピッチで先発フル出場したのが植田と三竿であり、後半途中から投入されていたのが鈴木だった。
以来、鹿島は長く、暗いトンネルに入り込んだ。
当時21歳だった鈴木は「本当に泣いてはいないんですけど」と、あらためて断りを入れた。そのうえで、一度は鹿島からヨーロッパへ挑戦しながら古巣へ復帰してきた植田、三竿、安西幸輝、そしてキャプテンの柴崎岳の名前をあげながら、優勝を決めた直後の心境を明かした。
「俺もそうだし、ウエダくん(植田)やケント(三竿)、コウキ(安西)、そしてガクくん(柴崎)もそうだけど、みんな鹿島というチームが大好きで、鹿島の強いときを知っていて、鹿島が苦しんでいる姿も海外から見ていて、何とかみんなで優勝したい、という思いをもって帰ってきた。そういった選手たちの思いや努力だけでなく、どれだけのものをこれまで犠牲にしてきたのか、というのも本当によく知っているので、そこに関してはすごくくるものがありました」
「40番」を選んだ意味。自らに課した最大のプレッシャー
鹿島アントラーズユースから2015シーズンにトップチームへ昇格した鈴木は、5シーズン目の2019年7月にベルギーのシントトロイデンへ完全移籍。2020-21シーズンには17ゴールをマークする活躍を演じながら、翌2021-22シーズンの途中に鹿島への復帰を決意した。
渡欧前まで背負っていた「9番」を、復帰後は自らの意思で「40番」に変えた。鹿島で16個もの国内タイトルを獲得し、2018シーズンのACL初制覇を置き土産に引退したレジェンド、小笠原満男さんの象徴でもあった背番号を引き継ぎ、自分自身にあえてプレッシャーをかけた。
2022年1月の新体制発表会見。ファン・サポーターの前で「40番」のユニフォームを披露した鈴木は「すべてのタイトルを獲るために帰ってきました」と宣言。
「最も大きなプレッシャーがかかる背番号は何か、を考えたときに、このクラブに一番タイトルをもたらした人の番号ではないかと、次に背負うのは自分だという思いに至りました」
しかし、鹿島は不振から脱却できない。タイトル争いに加われないどころか、2022シーズン以降の3年間で指揮を執った監督は4人を数えた。混乱が続くなかで鈴木は自らへ矢印を向け続けた。
「今シーズンまでの4年間を振り返れば、チームが負けたときに最も大きな責任を背負っていたのは多分、自分だと思ってきました。2016シーズン(の二冠)は正直、右も左もわからなかったし、先輩たちの後を走ってついていけばよかったんですけど、それを今度は自分たちが示していく大変さというものは、2022シーズンに復帰してからものすごく体感してきました」
“復活”ではなく“誕生”。呪縛を解いた指揮官の言葉
しかし、今シーズンは時間の経過とともに鈴木のなかで大きな変化が生じている。新たに鹿島の指揮を託された鬼木達監督からかけられた言葉が、何重もの呪縛から鈴木を解き放った。
鬼木監督はJリーグが産声をあげた1993シーズンに千葉県の強豪・市立船橋高校から加入した鹿島のOBで、川崎フロンターレでプレーした2006シーズンを最後に現役引退。指導者に転身し、川崎の監督として2024シーズンまでの8シーズンで7個ものタイトルを獲得してきた。
鹿島がリーグ戦連覇を逃した2017シーズンに川崎の指揮官としてデビューし、最終節で悲願の初タイトル獲得に導いたのが実は鬼木監督だった。鈴木は「皮肉にもそのときの川崎の監督が、いまはウチの監督なので」と苦笑しながら、自身を含めた鹿島の選手全員の潜在能力を解き放ち、チームの一体感もさらに高めてくれた鬼木監督のアプローチを次のように振り返る。
「監督は『負けたときの一番の責任は自分が取る。だから思い切ってプレーしろ』と言ってくれた。川崎であれだけ勝ってきたというか、どのようにして勝つのかを一番わかっている監督なのでめちゃくちゃ説得力がありましたし、だからこそ俺たちも監督についていくだけでした。勝敗に関しては監督がかなり背負ってくれたなかで、俺としてはもう思いっきりやるだけでした。その意味ではこれまでの鹿島が復活したというよりも、新しい鹿島が生まれた感じだと思っています」
2月の開幕戦でいきなり湘南ベルマーレに敗れた。4連勝で首位に浮上するも直後の第8節から3連敗を喫して後退。第11節からは破竹の7連勝をマークし、前半戦を首位で折り返すも第21節から再び3連敗。安西や関川郁万らの主力が、シーズン中には復帰できないケガで離脱した。
それでも黒星がかさんだ時期を、鹿島の小泉文明社長は「成長痛」と受け止めていた。当初の予算をオーバーする形で夏の移籍期間に小川諒也やエウベル、千田海人らを補強。終わってみれば7月5日に川崎に屈し、2度目の3連敗を喫した第23節が今シーズンの最後の黒星になった。
最終的に一騎打ちの形で優勝を争った柏レイソルに勝利した第24節以降の15戦で、鹿島は10勝5分けと無敗をキープ。
優勝への分岐点。京都戦で刻んだ執念の一撃
もっとも、15戦のなかには分岐点となった一戦があった。勝ち点5ポイント差で3位と食い下がっていた京都サンガF.C.のホームに乗り込んだ10月25日の第35節。首位攻防戦は京都が1点をリードしたまま、6分台が表示された後半アディショナルタイム6分に突入していた。
このまま鹿島が負ければ、京都に勝ち点2ポイント差に急接近される。万策尽きたと思われた直後に起死回生の同点ゴールが生まれた。右サイドから松村優太がファーへ放ったクロスへ突っ込み、体勢を崩しながら執念で右足をヒットさせ、ゴールネットを揺らしたのは鈴木だった。
直後に試合終了を告げる笛が鳴り響く。もぎ取った勝ち点1の価値を鈴木はこう振り返る。
「あの試合を落としていたら正直、チーム内がひどい空気になっていたし、そこを何とか……最終的に決めたのは俺だけど、もちろん俺一人だけの力じゃないし、本当に全員が最後の最後まであきらめなかった結果があれになったと思っている。あれで自力優勝の可能性がまだある状況になったのはすごく励みになったし、実際にここ(優勝)まで来られたと思っている」
京都戦で2トップの一角で先発していた鈴木は、後半の終盤から不慣れな左サイドハーフに回っていた。
その間、すべては勝利のために、という信念のもとで鈴木はこんな言葉を残している。
「自分のポジションにこだわらず、試合に出たらチームに貢献するだけなので。危ないと思えばゴール前へ帰るし、チャンスだと思ったら前へ出ていく。それだけだと思っています」
鈴木のチームファーストで、なおかつ献身的な姿勢に鬼木監督も胸を打たれていた。異なる2つのチームを、史上初めてJ1リーグ優勝に導いた直後の公式会見。指揮官は鈴木を称賛している。
「彼のすごいところというか、自分が最も尊敬しているところは、チームの勝利を誰よりも強く願っている選手だという点ですね。当然のように自分がやりたいポジションがあると思いますけど、そのなかで勝利のために自分は何をすべきなのかを、常に考えているところですね」
「戦線離脱しない」覚悟。全38試合に立ち続けた理由
今シーズンの鈴木は、植田、リーグMVPを獲得した守護神・早川友基とともにリーグ戦の全38試合に出場。そのうち途中出場は1試合だけで、先発した37試合のうち24試合でフル出場。3262分を数えたプレータイムは、フル出場した場合の3420分の95.4%に達している。
鹿島に復帰した2022シーズン以降のリーグ戦で欠場したのはわずか5試合。そのうち4つが累積警告による出場停止と、アタッカーでは驚異的なタフネスぶりも発揮してきた。指揮官が続ける。
「もうひとつのすごいところは、ケガをせずに1年間しっかりと戦えるところですね。普段から体のケアだけでなく食事や睡眠、そしてトレーニングのすべてをしっかりと考えて行動していないとできない。あんな風貌ですけど、それがあるからプロとしてやって来られていると思う。小学校1年生のときから鹿島の下部組織でプレーしてきた彼のキャリアで言えば、このクラブへの思い入れが誰よりも強い選手だと思うし、そういった気持ちの部分が本当にすごいと思っている」
そして鹿島復帰後で初めて、出場停止もなく乗り切った軌跡に鈴木も自身へ及第点を与えた。
「こうしてケガをしないで試合に出場し続けるのは、みなさんが思っているよりはるかに難しいと自負している。俺や植田くんはいい選手でありたいと思うのと同時に、まずは1年間にわたって絶対にケガをしない、戦線離脱しないのが最も重要だと思っているので。帰ってきて4年目で、チームとしても個人としても本当に難しい時期が続いていたので、その意味でも達成感があるし、いまはここまで長かった、続けてきてよかった、本当に報われたという感覚です」
常勝軍団の完全復活へ。30歳を迎える現在地
鬼木監督が「あんな風貌ですけど」と苦笑したように、金髪にあごひげをたくわえ、短くまくったパンツから伸びる脚はガニ股。さらに主審や相手選手へ状況によっては威圧するように超接近する姿はピッチ上で強烈な存在感を放つ。マリノス戦でもラフプレーで警告を受けている。
熱さと激しさを前面に押し出しながら、背中の「40番」を介して鹿島を心身両面でけん引し続け、ピッチを離れれば一転して心優しき男に戻る鈴木の視線は、鹿島の未来へも向けられている。脳裏には強い鹿島に憧れて、7歳で鹿島の下部組織入りした自身の姿が思い出されている。
「優勝した鹿島へいきたい、という流れが正直、ここ数年は薄れていた。そういう流れはすごく大事だと思ってきたし、強さというものを取り戻すにはいいきっかけになる優勝だと思う。この優勝を見て次の世代がどんどん育ってくれれば。もちろん鹿島そのものもまだまだ強くなる。監督に求められているすべてを100だとしたら、まだ5くらいですね。それくらい要求が高いし、それに対して全員がチャレンジしよう、うまくなろうと反応したのが、チームとして成長できた大きな要因なので」
来年4月には30歳になる。背中を追い続ける小笠原さんは39歳で引退したが、鈴木は「俺、そういう気持ちはまったくないので」と涙を頑なに否定したのに続いて再び悪ぶった。これまでと同じく、愛してやまない鹿島のために「太く、短く」を実践していきたい思いが逆に伝わってくる。
「毎晩のように夜更かししているし、毎日のようにポテトチップスも食べている。ひしひしと引退に近づいているし、引退後の生活を豊かなものにするために、残りのサッカー人生を頑張ります」
優勝から5日後に開催されたJリーグアウォーズを鈴木は体調不良で欠席した。マリノス戦後に「ちょっと休みます」と言い残したように、張り詰めていた緊張の糸が途切れてしまったのか。
秋春制への移行に伴い、来年8月に開幕する新シーズンへ。次なるタイトルの獲得を含めて、常勝軍団を完全復活させるためのシナリオを、鈴木は心身を充電させながら思い描いていく。
<了>
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