医療法人の経営者が、サッカークラブのオーナーとして“3年でJへ”を成し遂げた。レイラック滋賀はJ3・JFL入れ替え戦でアスルクラロ沼津を下し、滋賀県勢初のJリーグ参入を決めた。

その挑戦の背中を押したのが、クラブのスポンサーでもあった「麗ビューティー皮フ科クリニック」創設者で、2024年1月10日に亡くなった居原田麗さんのひと言だった。闘病中の妻の励みになればと、2023年に河原一賢氏は筆頭株主として経営に参画。JFL最下位だったクラブはオーナー交代を境に「3年計画」を掲げ、3位→4位→2位と着実に歩みを進めた。最下位からの再出発、補強とプロ化、観客動員、練習場に通い続けたオーナーの姿――悲願の瞬間に至る“変化”の核心をひも解く。

(文=藤江直人、写真=スポーツ報知/アフロ)

天国へ届けた“Jリーグ昇格”の報告

愛妻が天国へ旅立ってから2度目の命日が近づいてきた。3回忌を目前にした脳裏には、昨年の1月10日とはまったく異なる言葉が思い浮かんでいる。

「もう『ありがとう』ですよね。こういうきっかけを作ってくれた、という意味も込めて」

感慨深げに話すのは、アスルクラロ沼津とのJ3・JFL入れ替え戦を2戦合計4-3で制し、滋賀県勢の悲願だったJクラブの仲間入りを果たしたレイラック滋賀のオーナー、河原一賢さんだ。

本業は滋賀県草津市と大阪府高槻市で開院されている「麗ビューティー皮フ科クリニック」の代表。畑違いに映る滋賀の経営にオーナーとして参画したのは2023シーズン。背中を強く押してくれたのは同クリニックの創設者で、院長でもあった夫人の居原田麗さんのひと言だった。

クラブ名称が現在のレイラック滋賀に変わる前のMIOびわこ滋賀時代から、同クリニックは約7年にわたってチームのスポンサーに名を連ねていた。予期せぬ展開が訪れたのは2022年の年末。

大学の先輩でもある滋賀の権田五仁社長(現・会長)から、筆頭株主になってほしいと打診された。

「家内が長く闘病していたなかでそのお話を受けて、彼女への励みといったものになればと思いました。それが動機ですね。滋賀県で生まれ育った家内は地元へ注ぐ愛が本当に強くて、実際に相談したら『ぜひやろうよ』と。以来、家内の思いも背負い、子どもたちへ夢を与えるクラブになることを含めて、家内が愛した滋賀への恩返しができたら、と思いながら僕も戦ってきました」

オーナーへ就任するまでの経緯をこう明かした河原さんは、さらにこんな言葉を紡いでいる。

「もちろんサッカークラブを運営するのは初めてでしたし、よそさんのクラブの経営もよく知りません。ただ、このチームには十数年という歴史があるので、それとの融合といいますか。いまの会長は僕の大学の先輩でもありますし、一緒に並走して頑張ってきたという感覚です」

2022シーズンの日本フットボールリーグ(JFL)で、滋賀は16チーム中で最下位に終わっていた。優勝した奈良クラブ、2位のFC大阪がJ3へ参入した関係で、レギュレーションによって地域リーグへの降格こそ免れたものの、2008シーズンからJFLを戦うチ-ムは危機感を募らせていた。

マンネリ感を一掃する狙いも込めて経営体制が刷新され、同時にチーム名称も変更された。新たなクラブ名の「レイラック」はスペイン語で王を意味する「レイ」と、フランス語で湖を意味する「ラック」を合わせた造語。個人的にもうひとつの思いも込めたと河原さんが笑顔で明かす。

「レイは家内の名前の『麗』にも、県で一番有名な琵琶湖のレイクにもかかっていいかな、と」

ラスト5分で突きつけられた無念、引き継いだ約束

レイラック滋賀として再出発する2023シーズンを機に、滋賀は2026シーズンからのJ3リーグ参入を柱にすえた「3カ年計画」を宣言した。J1クラブへの在籍経験をもつ選手たちが数多く加入したチームは、前年の2022シーズンから見違えるような快進撃を見せ続けた。

2位につけて迎えた2023年11月26日のJFL最終節。勝てばギラヴァンツ北九州と対峙するJ3・JFL入れ替え戦に進めた滋賀は、敵地に乗り込んだヴィアティン三重戦で開始15分までに2点をリード。しかし、後半残り5分で同点のPKを決められて3位に後退して入れ替え戦進出を逃した。

そして、敵地で無念の思いを抱いた滋賀のファン・サポーターのなかに闘病中の麗さんもいた。

「家内は車椅子姿で応援に駆けつけてくれたんですけど、プレーオフ進出決定まで残り5分で追いつかれて。その後に家内はすぐに入院して、それが最後の試合観戦になってしまいました」

ここで河原さんの声が震え出す。2020年3月から子宮頸がんと闘い続けた麗さんは2024年1月10日、河原氏と4人の子どもを残して母校の滋賀医科大学で永眠した。まだ42歳という若さだった。いまも心に刻まれている悲しみをこらえながら、河原さんは懸命に言葉を紡ぎ続けた。

「僕は家内に最後、負けたままの姿しか見せられなかった。それがこの2年間、すごく苦しくて」

三重戦の結果は引き分けだったが、いまも「負け」と言い間違えてしまう。

それほどのショックを抱えながら、河原さんは一夜明けた11日に、いま現在も7万人を超えるフォロワー数をもつ麗さんのオフィシャルブログ「女医R~そんな女の独り言~」を代わりに代筆した。

そこで麗さんの永眠を報告するとともに、生前に語られていた故人の想いを綴っている。

<生前、彼女は2つの事を言っていました。
1つ目は「麗ビューティー皮フ科クリニックを継続すること」
2つ目は「レイラック滋賀FCをJリーグにあげること」
それが私の生きてきた証を残せるからと、、、。>(原文ママ)

プロ化と補強、 現実になった3年計画

チームは深い悲しみを乗り越えて前へと進んでいく。2024シーズンのMFロメロ・フランクに続いて昨シーズンのGK櫛引政敏やDF藤谷壮と、J1の舞台でプレーした経験をもつ選手たちが続々と加入。ほぼ全員がプロ契約を結んだ選手となった滋賀の現状を河原さんはこう語る。

「1年目より2年目、そして2年目より3年目と、入団への問い合わせもどんどん増えてきました。その意味でも組織として、間違いなく前進してきたと思っています」

2024シーズンは前半戦の低迷から、京都サンガF.C.や名古屋グランパス、ベガルタ仙台などJ1で通算345試合に出場した角田誠監督が就任した夏場以降に盛り返して最終的に4位でフィニッシュ。昨シーズンは引き続き指揮を執る角田監督のもとで、1試合を残して2位を確定させた。

ホームの平和堂HATOスタジアムに、横河武蔵野FC戦を迎えた昨年11月23日の最終節。118人以上の観客を動員すれば、J3入会審査項目の「ホームゲームの1試合平均入場者数2000人以上」をクリアできた状況で、歴代最多の5452人が詰めかけて入れ替え戦進出が決まった。

試合には敗れたが、再びホームにJ3最下位の沼津を迎えた12月7日の入れ替え戦第1戦では9006人を記録。

白熱したゴールの奪い合いの末に、ブンデスリーガのフォルトゥナ・デュッセルドルフのセカンドチームでプレーした経験をもつ三宅海斗の決勝ゴールで滋賀が3-2で先勝した。

悲願のJ3参入に王手をかけ、しかも9006人で埋まった光景に河原さんは心を震わせた。

「石の上にも3年という言葉がありますけど、間違いなく僕たち(経営陣)だけでは達成できませんでした。地域のファン・サポーターのみなさん、行政とスポンサーのみなさんに加えて、頑張ってくれたチームのスタッフ、そして選手たちには本当に感謝の気持ちしかありません」

毎朝の“ルーティン”が育てたチームの一体感

敵地・愛鷹広域公園多目的競技場で同14日に行われた第2戦でも、ゴール裏のアウェイ席には約800人のファン・サポーターが駆けつけた。そして滋賀の未来がかかっている、と言っても過言ではない一戦を迎えるまで、オーナー就任直後から河原さんは毎日の練習へ欠かさず駆けつけている。

選手たちの一挙手一投足を見守るだけではない。2023年7月に当時J2のザスパクサツ群馬から育成型期限付き移籍で加わり、翌年から完全移籍へ移行した田部井悠が驚きを込めて振り返る。

「オーナーは毎朝グラウンドに来てくれて、選手全員にプロテインを作ってくれるんですよ。Jリーグにもプロテインを、それもオーナーが作ってくれるクラブはなかなかないと思うんですよね。僕もまだ若いほうだったので『手伝います』と言ったら、オーナーは『いや、これは自分の仕事だから』と。ずっと支えてくれてくれた、そういった思いの積み重ねが結果に出たと思います」

2016年のリオデジャネイロ五輪代表で、清水エスパルスを皮切りに鹿島アントラーズ、ファジアーノ岡山、モンテディオ山形などでプレー。契約満了で退団した群馬から、捲土重来を期して昨シーズンにJFLへ新天地を求めた守護神の櫛引も、田部井に思いをシンクロさせた。

「僕もいろいろなチームでプレーしてきましたけど、オーナーや会長の顔を毎日のように見られるチームは初めてでした。

その意味でもものすごくいい一体感があったと思います」

河原さんはどのような思いに駆られていたのか。ちょっぴり照れくさそうに打ち明ける。

「自分で買ってまで(プロテインを)飲む選手が全員ではないと思うので。ちょっとでもあれば間違いなくプラスになると思って3年間やり通しました。これが1、2回だったら意味がないけど、継続は力なりといいますか。これが関係しているかどうかはわからないけど、最後の最後まで、90分間にわたって足が止まらなかったのはそう(プロテインのおかげと)思っておこうかな、と」

遺影とともに宙へ。「約束を果たせた」

河原さんが約3年間におよぶ流れを、時には涙ながらに振り返ったのは入れ替え戦の第2戦を1-1で引き分け、2戦合計スコア4-3で悲願のJ3リーグ参入を決めた直後だった。

「昨晩も眠れないくらいに怖かったですけど、僕が怖がっていたらチームにも響くと思って」

本音を明かした河原さんが、人生で初めて取り組むサッカークラブ運営で何よりも追い求めたのは一体感。クラブ経営の素人の自分に何かできないか、という熱い思いは毎練習でのプロテイン作りに反映されていた。そして、第2戦終了後には一体感を象徴するシーンも生まれている。

ゴール裏のスタンド前で、オーナーの胴上げがはじまろうとしていた直前だった。ベンチ入りメンバーから外れ、声を枯らしていたスタンドから駆けつけていた薬真寺孝弥が待ったをかけた。

「タカ(薬真寺)が『オーナー、これをどうぞ。一緒にやりましょう』と言ってくれて」

河原さんが明かした「これ」とは、麗さんが微笑む遺影だった。体制が刷新された2023シーズンの途中にFC TIAMO枚方から加入した薬真寺を含めて、滋賀に関わる全員が河原さんに、そして思いを託してこの世を去った麗さんに感謝していた。声を震わせながら河原さんが続ける。

「家内の遺影をここにもってきたのは僕でしたけど、試合中は別のところに置いていたんですよ。それをもってきてくれたうえに、遺影も一緒に胴上げしてくれて。みんなの愛情を感じましたし、本当にいい子たちばかりやなって。家内にこの景色を見せたいとずっと思っていたし、もう感無量というか、頭のなかが真っ白になりました。これで家内との約束は果たせたかな、と」

“Jなし県”からの卒業。「子どもたちが憧れるようなクラブに」

Jリーグ参入の約束はかなえられたが、麗さんが愛した地元・滋賀への恩返しは年が明けたこれからが本格化する。福井、三重、和歌山、島根とともにJクラブが存在しなかった都道府県から晴れて卒業し、滋賀県民の夢をもかなえた河原さんの視線はすでに先へと向けられている。

「高校サッカーの全国大会で優勝した歴史をもつ滋賀県ですが、いままではJリーグのチームがなかった関係で卒業後は県外に流出していました。これからは才能ある未来の子どもたちが憧れるようなクラブになりたいし、アカデミーの強化も含めて、もっと長期的に根づいていくクラブにもしていきたい。いまはまだ真っ白かもしれないですけど、いまのチームをベースに滋賀県はこういうサッカーをするんだ、レイラック滋賀はこういうチームなんだと色づけしていきたい」

1980年代には後に日本代表でキャプテンを務めた井原正巳(守山高校)を輩出。2005年度の全国高校サッカー選手権では、乾貴士(現・ヴィッセル神戸)を擁し、セクシーフットボール旋風を巻き起こした野洲高校が県勢として初優勝。2023年度大会でも近江高校が準優勝している。

脚光を浴びるたびに、別の意味で注目を集めてきた滋賀県のサッカー史にようやく打たれた終止符は通過点。歓喜を未来への期待と希望に変えていくために、異色の経歴をもつ河原オーナーは今シーズンもプロテイン作りを欠かさずに、Jリーグの舞台に挑む滋賀を縁の下で支えていく。

<了>

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