“世界最高峰のGK”として君臨し続けたプロ生活28年――。17歳でプロデビューを果たし、史上最多10度のセリエA制覇を成し遂げ、45歳まで現役を貫いたジャンルイジ・ブッフォン。
(文=ジャンルイジ・ブッフォン、訳=片野道郎、写真=アフロ)
初めて感じたゴール裏との「共鳴」
2001/02シーズンの終わりに、私たちユヴェントスは歴史的なライバルであるインテルとのマッチレースを制して最終節でスクデットを勝ち取ることになる。もはや期待していなかったゆえに、喜びの大きいタイトルだった。残り1試合の時点で、インテルは1ポイント差で首位に立っており、あとはスクデットを胸に縫い付けるばかりだった。
最終節のウディネーゼ対ユヴェントス、ラツィオ対インテルを前にした1週間、優勝できるとは思っていなかったが、一握りの希望は抱いていた。というのも、ホームでありながらネラッズーロ(黒と青=インテルのチームカラー)に染まった異様な空気のスタディオ・オリンピコに首位インテルを迎えるラツィオには、欧州カップ戦の出場権が懸かっていた。引き分け以上ならUEFAカップに手が届くが、負ければシーズンの最低目標を逃す状況だった。
私はウディネでの試合前夜、ラツィオにはまだ目標があるからこそ、我々にもまだ1%の可能性が残っていると考えていた。インテルから受ける印象も、この最終戦までに受けていたそれとは少し異なるものだった。すでに勝利を確信しているかのように浮かれている印象があったのだ。
インテルが先制したと聞いた時には、これで終わったと思った。しかしそこから、誰もが起こり得ないと思っていたことが起こった。
我々の望みはもはや薄かったが、ウディネのスタジアムはユヴェンティーノたちの熱狂の渦に包まれていた。前半、ユヴェントス側のゴール裏を背にしてプレーしていた私は、ラツィオが1-1の同点ゴールを決めた時に彼らの歓声を聞いた。ゴールを守りながら、それまで一度も感じたことのない「共鳴」を感じた。サポーターの熱狂が私の頭と骨に染み込んできたような感覚だった。芝生が震え、ゴールポストも震えた。しかしそれからすぐにインテルが勝ち越しゴールを決めて、冷たい風のような不興のざわめきが広がった。
制御不能な噂があちこちで飛び交っていた。誰かが「ラツィオが勝っている」と言えば、別の誰かは「インテルがゴールを決めた」と言う。スタジアムでは、こうした情報が不正確なことがよくある。
怪物のように強いチームを牽引した唯一無二のツートップ
試合が終わった時、私たちは誰もが死にそうなほどに疲れ果てていたが、肌を焼くような太陽の下で歓喜を爆発させた。フェッラーラ、コンテ、デル・ピエーロといった古参組は、過去2年続けて最終節で優勝を逃してきたからか、その怒りを解き放っているように見えた。ミックスゾーンでマスコミに囲まれて激情を爆発させていたコンテを、無理やりロッカールームに引きずって行かなければならないほどだった。
一方、我々新加入組は、どこか信じられないという思いを抱いて、まだ実感が湧かないままお祭り騒ぎに参加していた。「ジジ、お前は初めてスクデットを取ったんだぞ」。私は自分にそう言い聞かせていた。
あのチームは怪物のように強かった。
目立たない中で私を驚かせたのはダヴィド・トレゼゲだった。ゴール前でのタイミングの感覚が傑出していた。戦術眼やテクニックを持っていても、ピッチ上でボールがどんなリズムで動くのかを理解していなければ、真に偉大なフットボーラーにはなれない。それはGKにもいえることだが、とりわけストライカーには不可欠の資質だ。
デル・ピエーロもあの年は際立っていた。ゴール前でのあの冷徹さは、他の誰の中にも見たことがないものだった。アレックスほどのクオリティの持ち主は、通常ならもう少し下がった位置でプレーするものだ。実際彼も、ファンタジスタとして育ち、頭角を現した。しかしその後、異なる強みを磨き上げて異なるポジションで大成した。
2002年日韓ワールドカップで日本へ。指揮官はトラパットーニ
スクデットを獲っても、シーズンはまだ終わっていなかった。私は優勝祝いもそこそこに、イタリア代表の一員としてワールドカップを戦うために日本へと向かった。それは私にとって帰還でもあった。
日本では以前、私にとって初めての世界大会だったU17ワールドカップ(訳注:日本で開催された1993年大会に出場)をトッティと共に戦っていたからだ。
しかしこの日韓ワールドカップに、4年前のフランスで感じた人々を巻き込むような雰囲気は感じられなかった。感じていたのはむしろ、世界から隔絶されガラスのドームの中に閉じこめられたような感覚だった。そこでワールドカップが開催されているという実感はほとんどなかった。周囲との関係が遮断された場所で毎日を送り、ヨーロッパとの時差もあって感覚が噛み合っていなかった。
イタリア代表を率いていたのはジョヴァンニ・トラパットーニ。長いキャリアの中で数々の偉大なプレーヤーを指揮してきただけでなく、戦術的にも非常に狡猾で、私が出会った中で最も抜け目のない監督だった。試合中、相手の心理状況を正確に読み取り、的確な対策を即座に講じることができた。まさにその直観が、古い世代に属しながらも常にアップデートされた監督であり続けた秘密だった。彼のような人物は、今後のサッカー界にも、いやこの社会そのものにも、もう二度と現れないだろう。
彼やチェーザレ・マルディーニのような人々の中には、イタリアが伝統的に受け継いできた態度や習慣、哲学や人生観がしっかりと根を張っていた。祖父母や両親の世代から脈々と受け継がれてきた価値観は、彼らの振る舞いからはっきりと感じ取ることができた。例えばトラップ(トラパットーニ)は、ロッカールームを取り仕切るリーダーたちを尊重し重用しながらも、最後に決断を下すのは常に自分であることを、柔らかく品位ある態度を失うことなく私たちにわからせることができた。
韓国との対戦。合宿所は「あり得ない」場所
我々が滞在した仙台は、東北地方にある人口100万人ほどの都市だった。学生たちがイタリア国旗を振って私たちを迎えてくれたが、それ以外にそこでワールドカップが開催されていると感じさせるものは何ひとつなかった。初戦のエクアドル戦には簡単に勝ったが、続くクロアチア戦で敗れたことで、状況は一気に暗転した。クロアチアは前回大会3位の強豪だったが、この敗戦はイタリア国内ではきわめて悪く受け取られた。まだSNSが発達していなかった当時、批判は主に記者会見の席上で記者の質問を通して伝えられた。マスコミや国民の気分を感じ取る機会はもっぱらそれだけだった。
外界との接点になっていたのは、主将のパオロ・マルディーニだった。彼はロッカールームの状況もメディアとの関係もきっちり把握していた。
この時のイタリア代表には、4年後に優勝するチームの主軸がすでに顔を揃えていた。カンナヴァーロ、ガットゥーゾ、トッティ、ネスタ、デル・ピエーロ。しかし、アンダー年代の代表で過ごした過去を共有していたとはいえ、当時の我々はまだグループとしての堅固さを手に入れていなかった。
そうした隔絶された空気の中、昼食のために集まった食堂に会見から戻ってきたマルディーニは、真顔で私たちに告げた。「みんな俺たちに腹を立てているぞ」。
グループステージ最後の試合では、デル・ピエーロのヘディングシュートでなんとかメキシコと引き分け、2位で勝ち上がった。1位抜けを逃したせいで、次は韓国に移動して開催国と戦わなければならなかった。
連れて行かれた合宿先は、どう控えめに言っても「あり得ない」場所だった。誰が選んだのかわからないが、文字通り何もない山の中、空白地帯に取り残されたのだ。アメリカのカレッジ風建築を模したような建物は、修道院のようにそっけない外観だったが、通常のスポーツセンターの10倍は広かった。それだけ大きな建物であるにもかかわらず、部屋は狭く、壁は木製で天井も低かった。気晴らしに出かける最寄りの街もなく、唯一の娯楽はバスケットボールの試合くらいだった。ピッチ自体は悪くなかったが、施設は全体的に使い勝手が悪く、仲間と話すために集まるだけでも、迷宮のような建物の中で迷ってしまうほどだった。質素というよりも単に不便。あの常に品行方正なマルディーニですら、不満を隠せなかったのを覚えている。
エクアドル人主審バイロン・モレーノの判定
日々を過ごす環境の居心地悪さが、チームに負のエネルギーを伝播することもある。しかし、韓国戦が組まれたデジョンのスタジアムに到着した時、私たちはようやくこれで環境が変わったと思った(と錯覚した)。スタジアムはまさに地獄の釜であり、集中を保つことは到底不可能なほどの熱狂が渦巻いていた。
しかしヴィエーリやマルディーニのような選手は、むしろそうした環境でこそ燃えるタイプである。今も記憶に残っているのは、赤一色に染まった観客席、スタジアムに反響する轟音、そして韓国人選手たちの死に物狂いの表情だ。決してネガティブな記憶ではない。というのも、最終的にはいい試合ができたと思っているからだ。
この試合は何よりも、エクアドル人主審バイロン・モレーノの判定によって記憶されている。もっとも、ピッチ上ではそれほど露骨には感じなかった。開始直後、モレーノは韓国にすぐPKを与えた。私は驚いた。ワールドカップ、しかも試合の序盤であれば、多少の接触は見逃して様子を見るのが普通だからだ。口頭で注意を促すだけで済ませる審判も少なくない。とはいえ、あのPKの判定がスキャンダラスだとまでは思わなかった。そして私がそのPKを止めたことは、私自身、そしてチーム全体に強いエネルギーをもたらした。私に言わせれば、モレーノの本当の問題はそれから後に起こった2つのエピソードにあった。
ひとつは、デル・ピエーロへの肘打ちだ。あれは今なら10試合の出場停止になるようなひどい行為だった。しかしアレックスは決して演技をしない選手だ。ひどいファウルを受けても倒れないし、シミュレーションもしない。その時も顔に肘打ちを喰らったが、そこに呆然と立ったままで、審判が何もしないことに驚いていた。そしてもうひとつがトッティの退場だ。相手のペナルティエリア内で接触を受けて倒れたにもかかわらず、シミュレーションと判定されて2枚目のイエローカードを受けたのだ。それでも私は、試合中には審判に対して怒りを感じることができなかった。GKの位置からは、自分のペナルティエリアの外で起こることを正確に把握するのは難しいからだ。
いくつかの邪推を抱いたのは、後になってすべての映像を見てからのことだ。ドイツが準決勝でそうしたように、もう少し注意深くプレーしていれば、試合をものにすることはできたのかもしれない。しかし、アリバイを盾に取るのは好きではない。22年が過ぎた今になっても、あの敗戦の最大の責任は自分たちにあると考えている。
試合後、韓国の選手たちはスポーツマンらしく私たちに挨拶してくれた。それは私にとって驚きだった。スポーツマンシップと敵対的な闘志を両立させるのは、決して簡単なことではないからだ。しかし彼らはそれを見事に成し遂げていた。ピッチ上で闘志をむき出しにしながら、対戦相手に敬意を表することができるのは、矛盾ではなく大きな価値であると私は考えている。
敗戦の失望感と喪失、人々の怒りの矛先
この敗戦の後、悲しみに打ちひしがれた私たちは、どんな非難が待っているのかを怖れながらイタリアに戻った。
主将マルディーニはマスコミによってスケープゴートに仕立て上げられていた。このワールドカップを最後に代表を引退するというパオロの決断には、この時の苦い経験も少なからず影響しただろうと私は考えている。彼は当時34歳で、それからさらに6年間、ミランで最高レベルのプレーを続けることになる。彼は非常に知的な人物であり、現代的なフットボーラーだった。ディフェンスのあらゆるポジションで世界最高のパフォーマンスを発揮することができた。その上、崇高なチームスピリットの持ち主でもあった。
韓国戦で決勝ゴールを決めた安貞桓を正しくマークしなかったと非難されたことに、彼はひどく苦しんだだろうと思う。それだけではない。ワールドカップを通して、チームメイトが結束を欠いていたことに対する失望も大きかったはずだ。彼は私たちと一緒に帰国せず、その象徴的な行動を通してイタリア代表に別れを告げたのだった。
イタリアに戻る飛行機の中で、監督は着陸後に起こり得ることについて私たちに話した。トマトを投げつけられるのを怖がるな、人々の怒りを前にしても逆上はするな、と。だがローマで私たちを待っていた燃えるような怒りは、私たちに対してではなく主審に向けられたものだった。私たちは抗議や非難を逃れ、空港では逆に拍手で迎えられた。バイロン・モレーノは私たちに恩恵を与えてくれたのかもしれない。
(本記事は東洋館出版社刊の書籍『ジャンルイジ・ブッフォン自伝 何度でも立ち上がる』から一部転載)
※次回連載は2月6日(金)に公開予定
【連載第1回】ジャンルイジ・ブッフォンが語る「GKとしての原点」。困難を乗り越える“レジリエンス”の重要性
【連載第2回】伝説の幕開け。ブッフォンが明かす、17歳でセリエAのゴールを守った“衝撃のデビュー戦”
【連載第3回】世界最高GKが振り返る「ユヴェントス移籍の真実」。バルサ行きも浮上した守護神“ジジ”の決断
<了>
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[PROFILE]
ジャンルイジ・ブッフォン
1978年1月28日生まれ、イタリア、トスカーナ州マリーナ・ディ・カッラーラ出身。世界最高のゴールキーパーの一人と称される。1995年にパルマでプロデビューし、ユヴェントスでは長年にわたり守護神として活躍。セリエA優勝やコッパ・イタリア制覇など数々のタイトルを獲得した。2006年のFIFAワールドカップではイタリア代表の優勝に大きく貢献。晩年は古巣パルマでプレーし、2023年に45歳で現役を引退した。その献身とリーダーシップは世代を超えて尊敬を集めている。



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