スタジアムでは、歓声と罵声が隣り合う。だが、越えてはいけない一線を越えた瞬間、問題はスポーツではなく社会のものになる。
(文=中野吉之伴、写真=ロイター/アフロ)
称賛を受けた、問題の当事者ではないコンパニの言葉
歓声と罵声は、紙一重だ。
スタジアムでは、情熱と敵意が同時に渦巻くときがある。挑発もブーイングも、試合の一部として存在してきた。しかし、その境界線を越えた瞬間、そこにあるのは競技ではなく、人間の尊厳をも揺るがす問題だ。
レアル・マドリードのヴィニシウス・ジュニオールが、2月17日に行われたUEFAチャンピオンズリーグ・プレーオフ1stレグのベンフィカ戦で人種差別的言動を受けたとされる一件は、単なる試合におけるワンシーンの問題にとどまらなかった。
試合中に先に挑発したのがヴィニシウスだという報道もあるなか、被害者の振る舞いを問題にしてよいのか。あるいは、どちらが悪かったのか、という犯人捜しをすることが解決につながるのか。
この問いは、欧州サッカー界だけの問題ではない。日本のスポーツ現場、さらには私たちの日常のコミュニケーション文化にも、静かに突きつけられている。
一つの万能の答えがあるわけではない。
ドイツのサッカー専門誌キッカーの記者が「学校の授業でこのコンパニの動画をみんなで見て、それをもとにしっかりと話し合ったりしたほうがいい。政治的などんな話を聞くよりも、この12分間の発言ほど学びになるものはない」と提言するほどに。
では、そもそもピッチ上で何があったのか。
ヴィニシウスとプレスティアーニ、何が起きたのか
事の発端は、試合中にベンフィカのアルゼンチン人MFジャンルカ・プレスティアーニが、ヴィニシウスに対して「猿」という言葉を口にしたとされている。
これは黒人に対する差別的な言葉の一つであり、口にしてはならないNGワードだ。本人は「言っていない」と反論している一方で、ヴィニシウスの同僚でフランス代表FWキリアン・エンバペは試合後のミックスゾーンで「5度その言葉を口にするのを耳にした」と話している。
コンパニは「ヴィニシウスの動きを見ると、彼のリアクションが演技ではないことがわかる。あれは感情から生まれたものだ。すぐに審判のもとに走ったのは、それが正しいことだと彼が思ったからだ。彼の隣にはエンバペがいた。普段は冷静に事務的に対応する彼が、実際に耳にして、目にしたものについて、試合後に言及している」と指摘。
一方、ベンフィカ会長のルイ・コスタは、「我々は我々の選手のことを知っているし、信じている。プレスティアーニは人種差別者などではない。ピッチ上ではよく互いに侮辱的な言葉を言い合うことがある。プレスティアーニも相当侮辱されていたのも確かだ」とコメントを残している。
その構図自体は理解できる。プロサッカーでも、地域サッカーでも、育成年代でも、試合となればみんな熱中して、感情的になる。そして感情的なやり合いの中には挑発や侮辱が含まれてしまうことがある。誰が先に何を言ったかどうかで、もめることは正直よく起こる。そのなかで、売り言葉に買い言葉で、“つい”人種差別や人権差別となるような言葉を口にしてしまうというケースはこれまでにもあった。
それは、その選手が本当にそう思っていて口にしたのではなく、相手への攻撃度を高めるために頭に浮かんだ、より強力な言葉を用いたというのが真相だったりすることも多い。とくに、まだ言葉の良し悪しがわかっていない育成年代では、それこそ「インターネット上で目にした、耳にした」くらいのイメージで、言ってはいけない言葉を口にしがちだ。
コンパニがモウリーニョに示した“NO”
だが、言葉には力がある。
人種差別的、人権差別的、宗教差別的な言葉は、どのトーンでも、どんな状況でも、誰が口にしたとしても、許されないくらいの痛みと怒りを当事者に与える。
現地メディアによるとプレスティアーニは「チビ」のような言葉を何度も言われていたそうだ。しかし、仮に彼がいろいろ言われて挑発されていたとしても、言ってはいけないことを口にしてはいけない、という点では、やはりNGなのだ。
元ドイツ代表でレアル・マドリードでも活躍したサミ・ケディラはDAZNでこう話した。
「2つの現象は分けて考えなければならない。まず1つ目。ヴィニシウスは確かに挑発的なことをするし、口にする。素晴らしいサッカー選手だが、手本となる振る舞いができるようにならなければならない。クリスティアーノ・ロナウドも、リオネル・メッシも、いつの日かそれを理解して、そう振る舞うようになった。
ただ、それと今回の件は完全に別のテーマなんだ。どちらが大事かではなく、パーセンテージにおける話でもない。人種的な差別をするのは、間違いなくダメなんだ。
だからこそ、コンパニは試合後のベンフィカ監督ジョゼ・モウリーニョの言動にまっすぐNOを伝えた。それはモウリーニョはヴィニシウスがゴール後に見せたパフォーマンスに問題があったという趣旨の発言をしているからだ。コンパニはこのように話す。
「リーダーシップとして大きな間違いだ。モウリーニョは、ヴィニシウスの人間性を攻撃し、その悪さを示すためにゴールパフォーマンスについての話をした。これは受け入れるべきではないことだ。
そしてモウリーニョはエウゼビオの話をした。ベンフィカは人種差別的なことをするクラブではないと、なぜなら彼がクラブ史上最大の選手だからだ、と。
彼は本当に知っているのか? 黒人の選手たちにとって1960年代がどんな境遇だったのかを。アウェイ戦のどのゲームでもエウゼビオの隣にいたのか?
私の父も自ら道を切り拓いた黒人の一人だ。
コンパニを悲しませ、そして救った光景
コンパニは自身の身に起こった人種差別に関する話を続けた。現役時代、まだ18、19歳のころコンパニが、セビリアの地でベティスとの試合に出場していた時のことだ。ゴールを決めて喜んでいたら、網によじ登ったベティスファンから人種差別のチャントを歌われ、猿の真似をされたという。「私が何をしたというんだ? 何か喜び方が悪かったのか?」とコンパニはショックに打ちひしがれた。するとそのタイミングで「私のキャリアの中で最も美しい瞬間」が起こった。コンパニはこのように振り返った。
「スタジアムにいたそれ以外の良識あるベティスファンが、そうした行いをしたファンにブーイングをしてくれたんだ。スタジアムには本気で腹を立てて、いいことではないと思って戦ってくれた人たちがたくさんいたんだ。私は素晴らしいことだと思ったよ」
コンパニは続ける。
「私たちは、世界がパーフェクトではないことを知っている。でももし、今回のようなことがどんどん広がってしまったら、いつの日か、私たちは私たち自身を取り戻すことができなくなるかもしれない。
問題とは、必ずしも起きたことそのものではない。問題なのは、それとどうやって向き合っていくかだ。大事なのは、そして必要なのは、もっと寄り添い合って、ともに成長していくことだ。もっと時間をかけて、もっと労力をかけて進んでいくことだ」
現時点での報道や、それぞれの立場の人間の言動を見聞きする限り、コンパニの思いとはまるで逆のことが起こっていないだろうか?
どちらが正義で、どちらが悪かで戦いが生まれる。それを裁く存在が求められる。そして互いの溝は広がるばかり。だからこそ、コンパニはモウリーニョも、プレスティアーニもスケープゴートにすべきではない、という点を強調した。
「モウリーニョと仕事をしたことがある100人の人と話したことがある。ただの一度も彼を悪く言う人に会ったことがない。彼のもとでプレーしたことがある選手みんなが、彼を愛している。彼の人となりは理解している。彼はチームのため、クラブのために戦っているし、そのなかで決断をしたこともわかっている。悪い人のわけがない。そして彼の人となりを私が判定する必要もない」
ともに歩むべきコンパニが示してくれた道
いまの社会で、もし何か言ってはいけないことを言ったとしたら、悪いことが起きたのだとしたら、それが今回のようにNGなのだとしたら、「申し訳なかった。ミスをした」と言って許される空間があるだろうか? ミスがあった時にそれを取り返すための可能性は残っているだろうか? 社会的に絶対NGな事項はある。でも、誰もがパーフェクトではないのだ。コンパニはさらに続ける。
「我々はすべてのオプションを排除して、どちらが正解かを議論し合おうとする。だがやってはいけないのは、誰かをアンフェアに罰することだ。そして何かを批判するために、人間の性格やパーソナリティを攻撃することもやってはいけないことだ」
コンパニの発言は多くのサッカー関係者の心に響いた。元フライブルク監督のクリスティアン・シュトライヒが、テレビ解説で感慨深げにこのように述べていたのが、とても印象的だ。
「コンパニは自身の父を例に挙げたが、彼自身もその渦中に何度もいた人だ。そのなかで、モウリーニョへの扉をしっかりと開けて、テーマを明確なものにしてみせた。私は映像を見て『すごい』とうなったよ。まさにこのように説明すべきだという説明であり、まさに何が問題であるかを明確にして、どのように我々が向き合うべきかを示してみせた。そしてまさにコンパニが示してくれた道を、我々はともに歩んでいかなければならない」
この問題は、熱狂的なスタジアム内だけの話ではない。遠い欧州だけの話ではない。
試合後のロッカールームでも、学校の教室でも、家庭の食卓でも、同じ問いが横たわっている。コンパニはこのように締めくくった。
「将来的にもうこうしたことが起きないことを祈っている。そして私たちみんなが成長していけることを祈っている。私たちがバラバラになることではなくて、みんなでたどり着けるところを見ていこうではないか」
人権差別、人種差別、宗教差別に明確なNOが言える社会を、望まない人はいないはずだ。
<了>
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