野球が日本の他に、発祥の地でもあるアメリカ、MLB選手を多く輩出する中南米を中心とした国以外であまり普及していないことは度々話題に上る。最近ではワールドベースボールクラシック(WBC)の本戦にも出場したオランダ、イタリアなどのヨーロッパ諸国でもプレーヤーが増えているが、サッカー大国ドイツに野球のブンデスリーガがあり、そこでプレーする日本人がいることを知る人は少ないだろう。
(取材・文・撮影=中野吉之伴)
知られざる日本人ブンデスリーガー・片山和総
ドイツのブンデスリーガに所属している日本人選手と聞いたら誰をイメージするだろう? ドルトムント、シャルケといった強豪クラブで活躍した香川真司や内田篤人、現在も主力として活躍している大迫勇也(ブレーメン)、長谷部誠(フランクフルト)はサッカーを普段は見ない人でもピンとくるのではないだろうか。
では、片山和総という名前を聞いたことはあるだろうか。おそらく多くの方が首をかしげていることだろう。「何をやっている選手だろう? サッカーじゃないよね。ドイツでのスポーツといえば卓球? 体操? アイスホッケー?」 いや、どれも違う。
片山和総はドイツ・ブンデスリーガでプレーするプロ野球選手なのだ。
私も彼のことを聞いたときには少なからず驚いた。ドイツに15年近く暮らして、ここにも野球があることは知っていた。しかしそれはあくまでもマイナースポーツの一つとして。ブンデスリーガという規模で野球が行われていて、しかもプロ選手としてプレーしている人がいるのは知らなかった。
ちなみにドイツのさまざまなスポーツに存在するブンデスリーガがすべてプロリーグというわけではない。
それにしても日本で野球をやっている人なら、日本の野球に十分満足するのではないのだろうか。日本ではすでに世界トップレベルの野球が行われていて、そこからさらに上を目指したい、もっとやりたい人がアメリカに行ってというのがメジャー路線だろう。片山はそのことを認めながら、ドイツという国で野球と向き合うことで生まれた新しい充足感があったことを明かしてくれた。
「(メジャー路線の考え方は)それはそれですごいし、良いと思うんですけど、ドイツに来て、絶対に日本やアメリカでは感じられないマイナーな野球、その国でのマイナーなスポーツっていうものを感じることができたのはすごく大きいなと思っています」
彼はドイツになぜ、どういったいきさつでやってきたのだろう? それも海外で野球をするとしてもイメージしやすいと思われるアメリカではなく、台湾や韓国でもなく、ベネズエラやキューバでもないところへ。
片山にドイツ野球を語ってもらう前に、読者にとってあまりにもわからないことが多すぎるドイツのリーグシステムについて説明しよう。基本的にサッカーや他のスポーツと似ている。まず1部は北部と南部とに分かれ、それぞれ8チームが所属している。レギュラーシーズンはホーム&アウェイで各チームとそれぞれ2回ずつ合計4試合戦うので、1シーズンの試合数は4×7チームで28試合になる。試合は週末に行われ、基本ダブルヘッダーの形を取るという。
レギュラーシーズンの順位が決まると、北部と南部の上位4チームずつがプレーオフに進出し、そこでドイツチャンピオンを決める。そして下位4チームもそこで終わりではなく、そこから1部残留をかけての戦いが待っている。それぞれでもう一度試合をして、最下位が自動降格。下から2番目が2部2位との入れ替え戦を戦うことになる。ただ資金面での余裕がなくて1部昇格を見合わせるクラブが出た場合は、繰り上げ残留という形もあるそうだ。2部までがブンデスリーガでその下には地域リーグ、州リーグ、県リーグと続いていく。野球界全体のピラミッドという図式で考えると、なるほど日本より多いといえるかもしれない。
野球を続けるために……行き着いた新天地・ドイツ
福岡出身のどこにでもいる野球少年だった彼は、姪浜中学校時代には中学3年生時に福岡選抜3期生のメンバーとしてKB全国中学秋季野球大会で優勝を経験している。そこから東福岡高校へと進学したが、ベンチ外生活が続く。その後進んだ帝京大学では準硬式野球部に所属し、1年からレギュラーとして活躍。東都リーグ3部から1部昇格に貢献した。
「充実した野球ライフでした。引退してセカンドキャリアを頑張ります!」
そんな風には思えなかった。大学生活が終わりに近づいても、野球をしない生活が想像できなかった。他の仲間のように就活をしたが、どうにもピンとこない。どうしても野球をまだしたいとう思いを振り払うことができずに、中学時代に福岡選抜でお世話になった恩師に連絡をしてみた。
「その先生はヨーロッパの野球と繋がりがある方だったので、実際にヨーロッパの野球ってどんな感じなのかなというのを教えてもらいました」
ドイツ野球の話、そこにある可能性。現実的な決断ではないのかもしれない。だが、将来への不安よりも自分がまだ野球ができるというのに希望を感じた。チャレンジしたい。恩師の紹介でドイツ・ブンデスリーガに所属するケルン・カージナルスでプレーする決意を固めた。迷いはない。
2016年、大学卒業と同時に海を渡り、ブンデスリーガーとしての戦いが始まった。ポジションはセカンド。 所属1年目はプロ契約ではなかったが、活躍が認められて翌年からプロ選手としての契約を見事に勝ち取った。日本のプロ野球のように何千万、何億円ももらえているわけではないが、それだけで食べいけるだけの収入はしっかりと手にすることができている。2017年にはオールスターにも出場。ドイツ野球界に確かな足跡を残しているのだ。
「僕がこの4年間ドイツでプレーしている間に、この国のレベルはどんどん上がってきていると感じています。トップレベルだけではなくて、全体的なレベルが上がってきているんです」
正直ドイツにおける野球は後進的だしマイナーなスポーツだ。いわばこれからのスポーツ。最初は戸惑いもあっただろう。だが日本における野球しか知らなかった片山はここで新鮮な刺激を楽しみ、新しい魅力に気づいたという。
「ドイツでは野球ってどんなスポーツかを知らない人が圧倒的に多い。
だからこちらの野球関係者にはまず野球というスポーツの楽しさをまっすぐにアピールしようという熱さがある。まず知ってもらって、そこから野球をやる人・見に来る人を増やしたい。だから積極的に「これが野球ですよ、体験しませんか?」といったプロモーションを展開している。例えばケルンではオリンピックデーといういろんなスポーツが体験できるイベントがあるのだが、そこにブースを出す。実際にそうした活動の成果は出てきているという。
「うちのシニアチームもおじさんたちの草野球みたいなチームなんですけど、半分くらいは『最近野球始めました』みたいな人たちなんです。でも、みんなちゃんと週1、2回の練習にも来ますし、試合も一生懸命にやる。スポーツのあり方が違うんだなって思うんです。生涯スポーツとして捉えられているなとすごく感じます。みんな、自分がやるべきチームっていうのを見つけて、ファーストチームでやる人はファーストチームで、サードチームでやる人はサードチームでやる。ジュニア世代から上がっていっても、ちゃんとそこに行き先を見つけて野球を続けられる環境というものがあって、野球を続けていける。『野球が好きで楽しくやれる』っていうことは、ドイツ人、ヨーロッパ人にとってより大事なことなんですね」
ドイツ、そしてヨーロッパにおいてスポーツとはまず楽しむことがスタートにくる。
どのスポーツでもそうだが、日本だと学生スポーツの後でも生涯にわたってそのスポーツを自分の求めるレベルに合った環境で続けていくのが難しい。だからどこかで「引退」という決断を強いられる傾向がどうしても強い。だが少し目線を変えてみたら、実はさまざまな可能性があるのだ。片山にとっては、恩師との縁から生まれた出会いの先にドイツ野球があった。そしてそこにある日本ともアメリカとも違う、これまでの価値観にはなかった、だが刺激的で素晴らしいスポーツの世界に出会うことができたおかげで、新しい野球との触れ合い方、人生との向き合い方を見つけ出したのだ。
<了>
PROFILE
片山和総(かたやま・かずさ)
姪浜中3年時に福岡選抜入りし、KB全国中学秋季野球大会優勝。高校ではベンチ外の経験の方が多かった。帝京大学進学後、準硬式野球部に所属。1年からレギュラーとして東都リーグ3部から1部昇格に貢献。大学卒業と同時にドイツ・ブンデスリーガ1部、ケルン・カージナルスに所属。2017年からプロ選手として契約。2017年オールスター出場。トップチームのキャプテンを務める傍ら選手兼U-18監督として育成にも尽力。2019年5月からは選手兼任監督に就任した。