2025年8月12日、日本のライフスタイルメディア「Roomie」の台湾版は、劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来の二つの対決を解析し、唯一の欠点について論じた。(本記事はネタバレを含みます)
記事は、「劇場版『鬼滅の刃』無限城編 第一章 猗窩座再来は、日本公開後に最速で興行収入100億円突破の記録を打ち立て、台湾でも公開3日間で1億7000万台湾ドル(約8億4000万円)を突破した。
まず、「我妻善逸(あがつまぜんいつ)と獪岳(かいがく)の対決だ。師匠の死は善逸に大きな衝撃を与え、善逸は兄弟子である獪岳の罪は自分が決着をつけねばならないと覚悟する。善逸は嫌っている兄弟子を前にしても敬意を持ち、師匠の願いである兄弟子との和解と雷の呼吸を共に継承することを望んでいた。しかし、獪岳は不平不満ばかりで自分が一番優れていると他人を見下す人物であり、善逸の歩み寄りも受け入れなかった。まさに同情の余地のない悪役である」と説明した。
その上で、「面白い対比として、善逸は壱ノ型しか使えない一方、獪岳は壱ノ型以外すべてを使える。それでも善逸は師匠の教えを守り、一つしかできないなら、その一つを極めようと努力を重ね、その壱ノ型を進化させた。そしてついに自ら新たな技を創り出し、獪岳を打ち倒した。
そして、「一方は自分の不足を知って地道に努力し、一方はうぬぼれて他責的。両者の態度の違いが道を分かつ結果となった。普段は軽薄で臆病に見える善逸だが、実際には陰で努力し続け、情に厚い人物である。これが善逸とこのエピソードが好きな理由であり、唯一残念なのは善逸の功績が劇中で十分に称えられなかった点である」と指摘した。
次に、「同作最大の見どころである竈門炭治郎(かまどたんじろう)、冨岡義勇(とみおかぎゆう)と猗窩座(あかざ)の対決だ。猗窩座の過去は本来なら涙必至の内容であり、愛する人への想いを必殺技にまで組み込み、相手との約束を守ろうとする姿は胸を打つ。しかし、物語の構成のせいで、この感動を十分に受け取ることができなかった。前作で先に猗窩座を憎んでしまっていたため、今になって悲惨な過去を補足されても、感動が半減してしまうのだ。もし冒頭で猗窩座の回想を挿入し、『猗窩座再来』というタイトルに繋げていれば、終盤の冗長さも緩和され、早い段階で猗窩座へ感情移入できたかもしれない」と述べた。
記事は、「同作は三つの戦いが同時進行するため、場面の分割感が非常に強く描かれていた。原作に忠実な構成ではあるが、無限列車編のような一本筋の通った時間軸やテーマ性はない。
ただ、「同じ語り口を繰り返し使う手法が物語のテンポを削ぐ点は否めないが、残り二章で改善されることを期待したい。全体的に見れば、アニメ制作陣は全力で最高に美しく華やかな映像体験をつくり上げた。無限城の空間表現、各呼吸の技、上弦の技など、善悪双方が全力を尽くし、どの場面も迫力満点である。現時点で戦闘シーンの最高峰は、無限列車編と遊郭編の終盤だと考えるが、同作も劇場でこそ楽しめる作品に仕上がっている」とまとめた。(翻訳・編集/岩田)