中国メディアの上観新聞は9日、「ノーベル賞+2!日本がまた、また、またしても受賞、われわれは何に注目すべきか?」との評論記事を掲載した。
記事は、「世界的に認められた自然科学分野における最高の栄誉であるノーベル賞は、各賞において、20世紀以降の最も独創的な重要成果や画期的な進展のほぼすべてを網羅しており、現代科学研究の主要な潮流を代表している」とした上で、「毎年のノーベル賞シーズンには、今年は中国人科学者がこの科学の聖殿に登るのかと期待が高まる。
そして、今年、大阪大学の坂口志文教授が生理学・医学賞を、京都大学の北川進教授が化学賞を受賞したことを紹介。「これは今世紀に入った25年間で、日本から自然科学分野のノーベル賞受賞者がすでに22人(外国籍含む)も輩出されていることを意味する。多くの欧米の科学者が受賞してきた中、アジアに目を向けると、日本の近年の輝きは確かに目立っている」と言及し、「日本政府は2001年に『50年で30のノーベル賞受賞』を掲げ、かつては傲慢だと嘲笑されたが、今では現実味を帯びてきた。しかし日本国内では、ノーベル賞受賞をこの目標の結果と考える人はほとんどおらず、むしろ受賞者を含めこれを批判する人が多い」と述べた。
その上で、「坂口氏は優秀な研究者を育成するポイントとして、面白い研究の種を鋭敏に見つけてそれをしっかりとつかむことと、基礎研究に対してより寛大かつ持続的な支援を行うことが重要との見解を示した」と説明。「これは決して個別の例ではない。日本は21世紀に『ノーベル賞工場』とも呼べる存在になったが、それは単一的な計画によって生み出されたものではなく、深い蓄積、特に体系的な支援のもとで実を結んだ結果である」と論じた。
記事は、日本のノーベル賞受賞者の共通点として、自然に親しみ、素朴な疑問を大事にすることができた家庭での教育環境を挙げ、「いかなる国の科学の台頭にも高みを目指す野心が必要であると同時に、その純粋な好奇心を守り、根付き、芽吹くための忍耐と精神的余裕が求められる。まさにじっくり煮込むスープのようなもので、火加減を誤れば、味は十分に出ないのである」と表現した。
また、近年、隣国(日本)の科学者が脚光を浴びるたび、2013年に「10年後には中国人がノーベル賞を受賞するのが当たり前になる」と語ったある著名人の記事がさらし者にされるとしつつ、「そうした批判は実にくだらなく、何の意味もない」と指摘。「中国の科学研究はすでに量的変化から質的変化に入っており、ノーベル賞の登竜門とされる『クラリベイト引用栄誉賞』では今年、中国人科学者・張濤(ジャン・タオ)氏が選ばれた。
そして、「そう遠くない未来に、中国が世界からより多くの評価を受けるような独創的な発見を生み出す日が訪れると信じている。その時になれば、人々はそれを『必然の結果』と理解するだろう。お茶を味わうように、焦って飲めば舌をやけどするが、心静かに待つことで本当の味わいを知ることができる」とし、「功を急くより、基礎研究という土壌をしっかりと耕すことが大切だ。ノーベル賞という栄光がいつか色あせたとしても、科学探究の本質は人類の知識の境界を広げることにある。賞はその途中で出会う、偶然の風景にすぎないのだから」と結んだ。(翻訳・編集/北田)